続々 昔はまっていた「古事記と」いう書物をもう一度振り返る

 

 

3)「記紀神話研究から現代の世界情勢を思う3」

  

 後になって私は、かの宗教集団を脱退し、ある高校の国語教師となった。その高校は、三井の一族が趣味で建てた学校で、特に帰国子女を受け入れることを看板にした、国際的な学校であった。

 

 その時に私が担任をした生徒の中に、一人の韓国籍の子供がいた。英米日中韓混淆の国際的集団で生活したことのある私にとっては、もとより、生徒の国籍がどこにあるなどということに、偏見も、特別な思いもなかった。

 

 ところが、高校全体で、夏休みにキャンプをしたときのことだった。そのキャンプはバイブルキャンプという名目だった。キャンプについてきた学校の理事長が、いろいろな国々の学校の話をしながら、私のクラスのその韓国籍の子に、話しかけた。

 

「あなたも韓国人なら、自国の韓国に、愛国心をもっているでしょう?」

 

 その言葉はごく自然で、別にまったく何も問題発言ではなかった、と、私は感じた。そんなことを感じる以前に、私はその言葉にさして注目していなかった。

 

ところがその時、かの韓国籍の子供が、一人でおいおい泣き出したのである。

 

 え、なんで?と私はいぶかしんだ。そこまでなら、私が彼女に個人的に話し合って、問題にならないうちに収拾することができたであろう。問題は、周りにいた日本人の生徒達の反応とその反応に対する私の言葉から、こじれたのだ。

 

 そのSさんという韓国籍の子の友人達が一斉に立ち上がって、理事長の言葉に抗議をし、友人のSさんを取り囲んで慰めにかかったのだ。「あなたは韓国人なんかじゃないよ。日本で生まれて日本で育って、もう、私たちと同じだもの。あなたは日本人よ。韓国人なんかじゃない!」

 

 よってたかってそう慰めにかかった彼女達は、理事長さんが怖いものだから、その代わりに私に詰め寄った。「あまりひどいと思います。Sさんが韓国人だなんて、先生がそんなこと言っていいんですか?」「そんなこと」って「韓国人という言葉は差別語かよ」当惑して私は変な気分になった。

 

 韓国人のSさんは「韓国人」と呼ばれたことで、泣き出し、友人達は韓国人のSさんが「韓国人」と呼ばれたことに憤慨し、Sさんは日本人だ日本人だと、当の理事長にでなく私に詰め寄るのだった。私には訳が分からなかった。

 

 理事長はいつもは職員会議で、日本人離れしたアホみたいな言葉を繰り返していた人物だったが、その時彼がSさんにいった言葉は、彼にしてはまっとうな言葉だと私は思っていた。「自国に愛国心をもっているだろうということに、どこに問題があるのだ?」と私は詰め寄る生徒に言ってみた。そうしたらある生徒が、「先生も大人気ないです。泣いている生徒に追い討ちをかけるんですか?」という。韓国人と言われて泣いた韓国人だって、日本人の友人達だって、明らかに私よりそっちのほうが差別的に「韓国人」をとらえていた。

 

 私が、教師になる前に入っていた国際的な修道院で、出会った韓国人は、日本嫌いで自国に誇りを持っていた。逆に日本人だというだけで、私は彼らの攻撃の対象になっていた。

 

 私の出身家族は、満州で暮らしたことがあり、中国朝鮮人に対して、まるで差別の意識を持っていなかった。彼らが日本人であるべきだなんて全く考えていなかった。だから、自国に誇りを持つことは誰にとっても常識であると考えていた。戦後何年たっても一般の日本人の意識下にある、差別意識に私は無頓着であった。だから、私には、この生徒達の反応が理解できなかったのだ。

 

 私は日本人として生まれ、日本人として日本の国土に育ちながら、たぶんカトリックの家庭で育ったため、「民族差別」という日本の現状を知らなかった。

 

 だから、韓国人といわれて泣いた生徒を前にして、このとき私は、かつて、国際的団体の中で経験した「自国に誇りを持つ韓国人が、日本嫌いとセットに、その誇りを保持している」という状況を、初めて不思議に思った。「韓国人」といわれて傷つき、「日本人と同じ」といって慰める、そのことの異常さを、初めてその時、「歴史的に」解明したいと考えた。

 

「これは、研究の価値がある!」

 

 おりしも、私が担当していた古典の教科書に、古事記の一節が載っていた。私は教科書に何かの一節が載ると、教授資料というものを見ないで、原典に中り、研究書を読み、その一節が書かれた背景や状況を把握するのに、時には10冊ぐらい読み漁る。その時もそうしているうちに、古事記の記述を解明することが、Sさんの問題を解く鍵になるのではないかという思いに至ったのだ。

 

 「一緒に古代史を研究しよう」、と私はSさんに個人的に持ちかけた。相手が泣いたからと言って、うじうじと気持ち悪い生徒指導などしたくなかった。現代に至るまで、こじれにこじれている日朝関係の原因を、古代史に求めることによって、別の心の展開があるだろうと、私は、そういう形で、彼女が世界の中の自分を見つけることを狙ったのである。

 

 私は担当の高校2年のクラス全員に、「古事記」の戦前の扱い、戦後の扱いを説明し、その変化の根拠を一緒に研究しようという名目で、協力を求めた。古事記の一節から古事記成立の背景から、そこに秘められた、日本と大陸との関係に至るまで、みなで一緒に研究を始めたのである。

 

 私は、古事記の記述されている人名を記述に従って、長い長い系図をつくり、同時に、古事記に記述されている地名を書き込んだ地図を作った。もちろん当時のことだから、こつこつと手書きで作成した。系図の中に、豪族や天皇家の勢力関係を入れ、反物のようになった系図をじっと眺めていたときに、世代によって、名前の付け方が極端に違うことに気が付いた。それはまるで、民族の入れ違いを髣髴とさせるほどの違いだった。

 

下はその名外形図の一部。手書き。

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 高校生ができる範囲の研究だったが、彼らはおもしろがって付いてきた。ある程度までできたところで、担当の高校2年生は、3年になる直前、修学旅行に連れて行くことになった。

 

 ところで、その学校の修学旅行は、開校以来、京都奈良と決まっていた。一学年一クラスの小さな規模の学校で、教師はみんな、基本的にまじめ人間だった。内容的に、納得がいくものなら、案外個人の意見が通る、だから其れまで、担任がしゃにむに主張すれば、案外なんとかなってしまう学校だったので、私は職員会議で、生徒を九州に連れて行きたいと主張しようと考えた。「古事記」に載っている地名が九州に多く、私の「神話地図」は九州に集中していたから。

  

 私は職員会議の根回しのために、生徒と共同で研究した資料のすべてをガリ版印刷し、全職員に1部ずつ渡した。そして職員会議で言ったのである。

 

 「修学旅行の意味は、学んだものを修めるための研究旅行です。日ごろの研究と関係のない、観光目的の京都奈良を回っても意味がありません。私は生徒達と1年かけて、古典文学から、古代史を覗く研究をしてきて、これだけの資料を作成しました。修学旅行は、九州にさせてください。」

 

 学校が伝統的に続けていたはずの修学旅行は京都奈良、という決まりはこのガリ版刷りの生徒たちの研究資料にたまげた教師たちの全員の賛成によって、結果はあっけなく、九州に決まった。

続 昔はまっていた「古事記と」いう書物をもう一度振り返る

2)「記紀神話研究から現代の世界情勢を思う2」

 

 私が記紀神話の研究を始めてから、50年近くの時がたった。本格的な研究は30代だが、趣味で研究を始めた時は、大学院を出て、英語教師になり、人生の方向転換を模索していた20代後半のころからだった。

 

 大学時代、私は自分が将来の仕事のために選んだ学部に問題を感じていた。私は昭和16年生まれ。つまり太平洋戦争勃発の年に生を受けた。9人兄弟のうち3人が他界し、昭和25年に父を失い、その後母子家庭で戦後を乗り切った家族だったから、当然兄弟全員苦学生だった。私は自分ではあまり乗り気でなかった学部英文学科を、自分の本来の望みからでなく、生きて行くためにそのほうが自分の好みを勉強するよりいいという母の忠言にしたがって、将来の仕事のために選んだのだった。

 

 私の学生時代、女性が自分の好みで将来の仕事に直結できるような学問を選ぶことなど、できなかった。将来を生き抜くために学歴をつけ、学歴をつけるだけのために、学部を選んだ。苦学生としてやった仕事は、時間的にも経済的にも効率のよい家庭教師だった。好きだからと言って古代史なんか勉強をしている女子大生に、家庭教師などの口は回ってこなかった。同時にその先、古代史で食っていけるかと言われたら、自信があるはずもなかった。

 

 そうやって、周りの大人たちの強力な意見によって英文学をおさめたことに、いくらなんでも私は疑問を感じ、悩んでいたら、それを知った学長が好意で授業料免除で大学院に進ませてもらうことができて、付属のインターナショナルスクールの講師をやりながら国文学を修めることができた。ほんとうはやりたかった古代史は、このときさえ、選ぶに躊躇する程、マイナーな学問だった。

 

 ところで、そのインターナショナルスクールで教えた学科は、その時まだ免状も何も持っていない国語と日本史だった。好きだったから個人的に勉強をしていたにすぎないのだけど、アルバイトの講師だったから、それが通じたのだ。ただし、インターナショナルスクールの生徒との交流は、こちらも多くを学ぶことができて、面白かった。

 

 それから卒業して、私はとある私立高校の英語教師となった。英語教師の口が、面接して合格した唯一の職場だったから。

 

 ところで、私の学生時代は、安保闘争の時代である。さまざまな理由から、私は国際紛争の原点に興味を持ち、紛争の根っこを探ろうと、本を漁り読んだ。私は政治家に踊らされたり、指導者に踊らされたり、ちんどん屋みたいに先導者の言葉にただついて行って騒ぐ、そういうタイプではなかったから、「教えられていないこと」を自分で探ろうと思ったのだ。ベトナム反戦運動には、自ら単身で身を投じた。所属していた学校の関係で、ただ一人の仲間もなく、自分の行動を知っている仲間もなかった。

 

 なにしろ、行為で月謝免除で大学院まで通わせてくれた大学の学長はアメリカ人の修道女で、ベトナム反戦運動は、反米運動に他ならないから、知らせるわけにいかなかった。

 

 そういう状況の中で、私は学校で教えられる「正史」に疑問を持ち、「知らされていない歴史」を本気で研究しはじめたのだった。私は余暇を利用しては、古代史の本を紐解いて自由な思いを巡らしていた。いわば、古代史研究は「趣味」であり、「運命」と言ってもいい。

 

 問題を「記紀」に焦点を当てて、研究し始めたのは、学問的な理由よりも、むしろ、情緒的な理由であった。読む本は勢い「裏歴史」「私伝」「秘伝」の類ばかりだった。ある時ふと、古代における「日朝関係」研究の日本側の主張ばかりでなく、朝鮮側に立った主張を調べてみようと思った。そこで出会ったのが北朝鮮の金錫亨氏と韓国の江上波夫氏である。

 

 江上波夫氏の「騎馬民族王朝征服説」は、当時の私には目から鱗だったが、金氏の説を読んだ時に感じた想いは、説の真偽そのものよりも、彼の民族としての古代から近現代にいたるまでの日朝関係の歴史を背負った「心の傷」の深さであった。

 

 27歳の時、私はある公用語が英語の国際的宗教団体(修道院)に所属すると言う経験を得た。同期の仲間にフィリピン人2人と韓国人2人がいた。日本で集まった集団にもかかわらず、彼女たちは日本語は学ぶ必要ないといって、決して日本語を覚えようとしなかった。全員20代で若かったから、たとえ、宗教を仲介とした集団とは言え、日常的な問題で、いさかいになることがあった。

 

 その時彼女たちは、口癖のように、「日本軍が私たちに何をしたか、わかっているのか」と迫ってきた。それはお皿の洗い方がどうのという、まるで「日本軍」とは無関係の話題でさえ、でてくる抗議の言葉だった。祖母は日本軍に殺された、日本軍が私の祖国から言葉を奪った。

 

 私だって日本人として頭に来たから抗弁した。

 

 じゃあ、なんであなたたちは英語を話すのか。英語はあなた達の祖国の言葉か。私は日韓併合のとき生まれてもいなかったし、父は画家で虚弱だったから、軍隊にも合格せず、戦乱で焼け残った廃屋みたいな家で1950年に餓死したけれど、私がどういう理由であなたの祖母の死に責任を持たねばならぬと、あなたは考えるのか。だいたい、皿洗いと太平洋戦争とどういう関係があるのか⁈

 

 同じ宗教を基軸に集まった「修道院」という国際的集団のなかで、私たちは毛を逆立てて日常的にこのような不毛の会話をしていた。

昔はまっていた「古事記と」いう書物をもう一度振り返る

 

「記紀神話研究から現代の世界情勢を思う」

 

 ここに記すのは、中米内戦時代エルサルバドルに過ごし、庶民としてじっと内戦の様子を目撃し、そして「報道」と「現実」の矛盾に気づいた筆者が「記紀の研究」という無関係そうな命題をひっさっげて、世界情勢の分析を試みた研究である。

 

 日本の神話を一応史実の反映と、肯定的に研究の対象にして扱った本を、私は2冊読んだ。原田大六氏の「実在した神話」と、安本美典氏の「神武東遷」である。

 

 その2冊以外の、参考に読んだ30冊ばかりの研究書は、すべて否定の論理に裏づけされているものばかりである。これら否定の哲学に支えられた歴史書ばかり愛読していたころ、私はまだ、記紀を通読していなかった。私は否定の対象を知らずに、否定の歴史学に傾倒していたのだ。

 

 私は一度日本を離れ、外から日本を眺める機会を持った。「外」は内戦の巷であった。そして強国の代理戦争といわれたその内戦の中で、新聞もテレビも、どんな報道機関も、信用に値しないことを、私は肌で感じとっていた。なぜなら、あの国に生きて、私が昨日、自分の目で見たことが、報道では世界の強国とその追従者の立場でしか知らされなかったから。

 

 私は、古代史の研究であっても、対象を知らずに、利害を賭けた一方的な研究に納得していく自分の研究態度が、いかに危険なものであるかを、内戦の異国に住むことによって理解した。私は一方を「信じる」ということが「真理を知る」には程遠い結果を生むことを理解した。

 

 私は異国の地でやっと「記紀」を読み始めた。註を頼り、辞書を頼り、読み進むうちに、その註にさえも辞書にさえも、為政者の哲学が色濃く現れていることを知った。それが、私に、表記と意味のずれを気づかせるきっかけとなった。

 

 それで私は表記の研究に没頭した。表記の研究に没頭していたときは、まだ私は邪馬台国と大和朝廷の関係にきづかなかった。考古学も言語学も、まだ関連付けてはいなかった。そもそも縄文弥生の4000年に、生々しい人間の活躍があり、「言語」があり、「国際関係」があり、「国家」がある、ということにさえ思いをいたさなかった。

 

 私は「表記」のからくりに気がついたとき、始めて、記紀神話と、中国文献上にある邪馬台国と、縄文弥生の考古学と、それから、好きだからもっていたに過ぎない大野晋の日本語の研究書とを並べてみた。その関連を探りながら、すべての本を読み返してみた。頭の中に、ひとつの流れが組み立てられていくのが感じられた。記紀編纂者の強烈な意図が見えてきた。 

 

 それは国民性を操ることだった。かつて、九州に君臨した大いなる巫女、どんな優れた強力な男王が立っても、まとまらなかった国をまとめた、大いなる巫女の存在を「ヤマトの民」は忘れていなかった。あの巫女の尊い血筋に、いつまでも憧憬を感じ続けているヤマトの民を支配するには、オオヒルメとして死んだ巫女をアマテラスオオミカミとして祀ること、そしてその血筋を絶やさずに、そこから発生する王権の象徴を守ることが、鍵であることを、記紀編纂者は知っていた。

 

 しかし記紀編纂者は八母音語族であったため、四母音語族の「ヤマト」の伝承をそらんじている稗田阿礼の助けを借りなければ筆録できなかった。記紀におけるさまざまな「改竄」に見える「矛盾」、または「神代に見える言葉のからくり」は、漢字にそらんじた太安万侶が「表記の統一」という「文化的貢献」をすることによって、生じた。しかしその「文化的貢献」は「政治的貢献」であった。なぜなら、「表記の統一」はとりもなおさず、「各豪族の持っていた古代伝承の解釈の統一」であったから。

 

 時の政府が、民を支配統一するとき、強力な役割を果たすのが、政府によって「再編成され、再構築され、理解の範囲を統一された」思想、哲学、宗教である。

 

 初めは民族の間で、優しく暖かなまなざしで記憶され、吟遊詩人によって歌い告がれ、神として祭られ、1地域の民間信仰の中に残ったに過ぎないオオヒルメの利用価値に注目した、多分、大陸渡来の小集団だった為政者が、その末裔を担ぎ出し、民族の統一の象徴として国家の中心にすえ、「大和朝廷」を築いた。

 

 それはやがて数世紀を経て国家神道という巨大な組織に組み替えられ、明治政府によって近現代の統一の象徴として「国教」にまでされてしまった。国民は与えられた「宗教」を、ほとんど無意識に受け入れる。その根拠を求め、文献をあさり読み、納得してから受け入れる国民なんて、いない。宗教とは「文献批判」や「歴史研究」から入るのでなく、問答無用で「信じる」ことから入るのだから。

 

 国民は「真理」として与えられた宗教を信じることによって、国家を信じる。だから古今東西広大な地域を統一支配したどんな為政者も、為政者が飼いならした宗教を国教にした。

 

 かくして、すべての現世の執着を捨てたお釈迦様も、富や権力の一切を捨て、人間の精神の自由を奪う「律法」に異議を唱えて十字架にかけられたナザレのイエスも、為政者の富と権力への執着のために利用される。

 

 為政者はその矛盾に気づくことを赦さず、従わないものは、その宗教の名において、排除する。あらゆる宗教の教祖は、その本来の思想がどうあろうと、信仰の対象として、偶像として、民に与えられる。

 

 そこで持ち出される「信仰体系」はお釈迦様が作ったのでもナザレのイエスが作ったのでもない。それは巧妙にしくまれた誘導により、蒙昧な民を支配するために為政者によって作られた「体系」である。

 

 西洋の歴代の王侯貴族も、異民族を征服することによって立てられた教会の頭も、自分を拝めと信者を集めて金儲けしている新興宗教の教祖達も、宗教を否定した共産主義者たち、レーニンもスターリンも毛沢東も金日正もその息子も、信仰の対象になる。宗教を「アヘン」といったマルクスさえ「信仰」の対象になる。現代の無辜の民の「意思統一の手段」である新聞、テレビ、インターネットによる「報道」でさえ、「信仰の対象なる偶像」である。

 

 キリスト教の神が拝むことを禁じた偶像とは、木や石や石膏でできていなくてもいい。「為政者の手になる目くらまし」はすべて偶像なのだ。

 

 私は30年の間、この研究を眠らせておいた。いま、インターネットという手段を手に入れ、執筆の機会を得て、過去の研究を読み返しながら気づいたことは、歴史のうねりの中で同じようなことが、現代も繰り返されているということである。

 

 911問題にせよ、アフガニスタン、イラク侵攻の問題にせよ、靖国問題にせよ、はたまた歴史教科書問題にせよ、署名に駆り出され、運動に駆り出される人々は、自らの目で、自らの研究によって、全く何も見ていないのに、自分がたまたま所属する団体の誘導によって、賛成反対の行動をしている。

 

 アメリカの同時多発テロ、いわゆる911事件の報道をテレビで見ながら私は思った。「なぜあれが突発的な事件なのに、あらゆる角度から実況中継ができるように、カメラがそこにあったのか。そして、もうひとつの『事前に発見されて、乗客もろとも撃墜された』飛行機のほうは、なぜ隠蔽されてまったくいかなる角度からも報道されないのか。」

 

 この怪しげな報道によって、アフガニスタン侵攻は強引に正当化され、その関連で、イラクのほうは大量破壊兵器所持というでっち上げによって国そのものが壊滅した。

 

 その報道に、どちらが大量破壊兵器をより多く持っているかということの矛盾を追及するものがほとんどいなかった。

 

 そして報道機関は、安易に、この戦争を「宗教戦争」と呼んだ。キリスト教徒とイスラム教徒の戦いであると。誰もあの戦争に、ヤーヴェの名前もアラーの名前も出していないときに、あれがアメリカの石油のっとり戦争だということを知りながら、「宗教戦争」は報道機関によって仕立てられた。

 

 おまけに、両方とも一神教だから狭量で残酷だ、多神教の東洋人(たぶん日本人)は寛大だ、などという説まで飛び交うようになる。天皇を中心に、「天に代わりて敵を打つ」というスローガンを立ててアジア侵略をしたどこかの国は、「多神」を掲げていたのではなくて、天皇という「一神」を掲げていたのではなかったか?併合した「朝鮮」に「朝鮮語を禁じて、義務教育で日本語を強要した」東洋民族は「寛大」か?

 

 異質の存在を赦さない点において、多神教とやらの範疇に入れられた「東洋人」の日本人はとりわけ「異物の存在を赦さない」、「純粋」を尊ぶ、人種である。

 

 閣僚の靖国参拝反対を叫び、歴史教科書は中国朝鮮の都合に合わせて編纂されるべきだと主張し、911の報道に「日本に何も影響を及ぼさない民間のイスラム教徒」を意味もなく憎み始め、戦争が起きるたび、その都度反対したり賛成したりして、署名運動をしたり、デモに参加したりする善男善女は、為政者や、その反対者の将棋の駒に過ぎない。

 

 為政者もその反対者も、国民が、いちいち靖国参拝や、教科書問題や、911問題や、イラク戦争参加の是非の問題に関して、自分の意見を持たないのを知っている。靖国の成立の歴史を自らの目で研究し、資料を集め、自分の頭で考え、「新しい教科書」とやらを買って読み、その主張を自分の頭で吟味し、911の報道をあらゆる角度から研究したしすることがないのに、「報道」ひとつで動揺し、怒涛のように統一行動することを知っている。

 

 為政者は、国民は「為政者の意図によってゆがめられ、支配の道具とされた」宗教・信条・信念・哲学なるものを示されれば、その真髄を研究せずに、「ひたすら信じ」、自分が何を見きわめ、何を信じ込まされ、何のために駆り出され、何のために行動しているのかも知らずに、納得して行動することを知っている。

 

 他の存在を赦さない「一神教」とは、為政者が自分を「神」にすることであって、「真理は一つである」という哲学の命題を掲げる宗教のことではない。仏教は多神教ではなく、キリスト教は一神教ではない。東西を代表するこの二つの宗教は、1の2のと人間の頭で数量化が可能な概念を「神」としているのでなく、数量化のできない、無限大の真理を真理とする宗教なのだ。

 

 無限大の真理は、人間の有限の頭で考えられるほど小さなものではなく、種々さまざまな事象を含み、種々さまざまな様相を呈し、すべてを包含する宇宙である。人はこの無限大の真理に沿って生きるのがよろしく、「自ら神となった」為政者に与えられた「たった一つの真理」に、何の吟味もせずに踊らされるべきではない。

これで全部かな

今まで出したkindle出版

実は自分で出しておいて、URLが分からない。

10冊のはずだけど、なんだかくるっている。明日また研究。

 

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kindle出版10冊目成功

今日またkindle出版10冊目を試みた。

 

今度は英文。今出版準備中。私は要介護認定1のリハビリ受けている80歳のばあさん。記憶力がなくて、自分でなかなかやり方覚えられなくて、苦しんだ。幸い、教えてくださる方の根気良いご指導によって、フーフー言いながら、何とか成功。

 

まあ、出版できても、読んでくださらなければ意味ないけど、できただけでも私はうれしい。明日あたり、たぶんご紹介できそう。

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イスラム教、仏教、キリスト教のシンボルと靖国神社

kindle出版9冊目成功

うれしい!

www.amazon.co.jp

 

 私の家族はもともとカトリック信者なので、長いこと他の宗教に触れる機会がなかった。でも、ネットにはまるようになって、昔あったチャットの部屋で、仏教徒と出会い、興味を持って仏教の研究をした。それで記録したものがこのエッセイ。このほどkindle出版成功。お読みくださるとうれしい。

My Thought about Religions

   1)   The Metaphor of "blind people touch an elephant"

 

  It is nonsense to fight between the people because of the difference of religions. It is because nobody knows what the truth is exactly. I could be sure about it after I read the story about what Buddha said about the Truth. 

 When people asked Gautama Siddhartha what the Truth is, he told them a metaphor as below. 

 Depending on what he said, nobody could understand what the Truth is, because so-called “Truth” is so great that nobody can get its whole. The Truth that one could understand is just a small part, and the small part each one got can be right. But people who can get something from what they meet believe what they could touch must be everything, and they fight between them arguing that only the part they could touch must be theTruth. 

 It is just like blind men touching an elephant and fight between them saying the elephant must be this and that. Some blind man touching the ear of the elephant says the elephant must be like a cushion, one who touched its nose says that the elephant must be like a hose, another who touched its leg says the elephant must be like a tree…Although each one says the elephant must be this or that, nobody can guess its hole exactly. And without knowing it exactly they fight saying “ the truth is just what I say , and yours is false.”

 

From this metaphor, I got one thing.

 

 Every kind of religion in this world was established by blind people who touched a part of an elephant, saying that "my elephant is the only true elephant, yours is false". Depending on the place they were born, each of them calls his or her elephant, Yahweh or Allah, God or Dharma without knowing their elephant is nothing but a part.

 

 I think, Yahweh or Allah, God or Dharma are not "the name of the Truth" but a sign or a mark. If there is a difference, it is only the name of each one’s language they speak where they are born.

 

 I wonder why they don't show the definition of each name, Yahweh or Allāh, God or Dharma. The definition of Yahweh is final Truth being by itself. The definition of Allāh is final Truth being by itself. The definition of God or Dharma is final Truth being by itself.

 

 Then why don't you call them by definition without putting its name depending on the place whose language is just different.

 

 I suggest if they want to fight, fight whatever they want, but not in the name of Final Truth, but just because the difference of their color of skin, difference of language, difference of place they live in. Then they will lose all reason to fight. It is because they will notice a poodle can marry an akita-ken (dogs from Akita) just as I Japanese could with a Latin American guy.    

 

2) The Difference of Religions

 

 I was born in 1941, and 9 months later, the Pacific War began. My family was catholic, and I was baptized when I was 1 month old. It was very significant, because of the situation. From the church to which we belonged, all the priests of enemy countries were exiled, and only the German and Italian priests were allowed to work.

 

 But from the eyes of common Japanese people, all white men seemed to be  " america-jin (American)" and they could not distinguish them as allies. They thought we were spies and treated us as enemies.

 

 Later, one of my brothers expressed our situation "we were like West Berlin surrounded by communist countries."

 

 Nobody can choose his or her family of birth. Without any will to choose, depending on the place of birth, we are called Buddhist, Catholic, Protestant, or Islamic, etc. And they don't notice that it is quite unreasonable to fight among the people because of the difference of religion to which they belong without having chosen their religion.

 

 They believe in each group’s God in the name they are used to, and call as the Final Being, but they don’t know what He is exactly.

 

 My thought about religion began by realizing the situation that I was just born into a catholic family without any chance to express, and I had to meet every kind of difficulty which I myself didn't have any responsibility for.

 

   3)    KAMI and GOD

 

 I’d like to speak about the difference between KAMI in Japanese and God in English.

 

 The term KAMI is usually translated as "God" in English. But in my opinion, it is an unfortunate mistranslation which has caused misunderstanding of Japanese people all over the world. We Japanese think a great deal of the historical family of TENNOU, not because they are god’s family, but they are the family who carries the mystical tradition of Japanese native spirit.

 

 God in English has its own definition and also KAMI in Japanese, because the concept of God is different in both cultures, the Christian and the Japanese.

 

 God for Christians is the Creator of the universe who cannot be replaced by any other being. God is some kind of being with some mysterious power, while ordinary human beings don't have.

 

 KAMI in Japanese, can be originally defined as any kind of "mysterious phenomenon" which could not be understood in ancient times.

 

 For example, “UMASHI-ASHIKABI-HIKOJI-no-KAMI which is found in the first chapter of KOJIKI can be thought as “mold”.

 

 In a few words, the clearest difference between the two could be as this; "GOD is a being who exists by itself" and "KAMI is the being which comes out from the mysterious phenomenon".

 

 Later, in the middle age, a Portuguese ship was casted ashore at the island called Tanegashima, they began to send catholic missionaries to Japan. They noticed the difference between Kami and God. They studied many religious words in Japanese and they published the dictionary called “NIPPO-JITEN”.

 

 They understood that there was no suitable translation for God, so they dared not translate that word. They used “DEUS” which is GOD in Portuguese. Later they made a new word in Japanese , TENSHU(天主)sama. This word was used in the Japanese Catholic community until the Council of Vatican in 1962 to 1965. After that in the name of the movement of agreement, The Catholic church of Japan began to use KAMISAMA as the translation for God.

 

 It is not good for all Japanese people, because Kami in Yasukuni is translated as “gods”, and then all Japanese people are misunderstood in all over the world that we all adore the soldiers who are worshipped in Yasukuni not as Kami but as Gods.

 

 Usually, foreigners cannot understand that Japanese people have had a custom to make shrines even for the defeated people as TAIRANO MASAKADO, SUGAWARA MICHIZANE, the family of HEIKE, etc. They are called KAMI but not god.

 

 The soldiers who are in YASUKUNI are not worshipped as gods but dedicated as Kami, as the spirit of soldiers killed in the war. When they are translated as gods caused the hatred towards the Japanese people by the Koreans and the Chinese for more than 70 years after the war.

 

 But I think all the Japanese people can have a right not to worship but to thank the soldiers who contributed their lives for their fatherland although Japan was defeated in the second world war.