自転車修理と、蚊と、絵と、聖書の話

9時に自転車屋に連絡したら、9時半に来てくれた。タイヤがだめになっているかと思ったらしく、予備のタイヤも持ってきたが、タイヤは交換せずに済んだ。この自転車の修理は2度目だけど、最初は去年、細い歩道に2列に並んで走ってきた2人の高校生に倒された時。あの時は、タイヤの交換をしたから、高かった。

中のチューブだけなら、技術を盗んでやれと思って、横に座って、手元をじっと見ていた。穴を突き止めるのが少し難しそうだけど、用具や、修理用のゴムのシールとゴムのりを買えば、できそう。新しいことに挑戦するのは、凄く気分が良い。

庭にいると、蚊が襲撃してくる。おじさん仕事ができないので、蚊取り線香つけたのだけど、彼、車に戻って、暑いのにジャンパーを着てきた。庭の蚊の大群に蚊取り線香と言うのは、意味がないのかもしれない。煙なんかにまかれず、おじさんの禿げ頭に、蚊がたくさん張り付いて、吸った血で丸くなっている。

それにしても、今日も、ものすごく暑い。そのくせ、雨がちらほら降るから、自転車が治っても外出できない。

仕方ない。絵でも描くかと思って、パレット(本物のパレットではなくて、プラスチックの小机の上を直接パレット状にしたもの)にこびりついた絵の具をはがし始めた。古い絵の具をはがして、心機一転した時に、いつもあらたしい作品ができる。

ときどき、本を読む。しかし、苦手なパウロの言葉の解釈で、ここに来ると、私はお手上げだ。

実は、勘づいているのだけど、私が奥村師や雨宮師の聖書解説を読んで、お手上げになるところは、冷徹で、学者肌の二人の言葉が、突然飛躍して、ほとんどあの世の世界に浮遊してしまう時。そこに飛躍があることを、彼らは、知らない。彼らは、或る、説明不可能な、霊的体験をしている。たぶん、キリスト教徒の迫害者だったパウロが体験したような、他人が入り込めない世界の出来事を体験している。私はそれを確信しているのだけど、私はやっぱり、知的納得を追求する。

どうしても、そこを、私は乗り越えられない。