naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

今日は荒仕事

今日はものすごく働いた。朝の4時から、10時半まで、ネットもテレビも見なかった。

朝起きたら4時なのに、まだ暗くて、外は雨模様だった。コリャ、自転車は無理だな、と思った。それじゃあ、このところ、ずっと考えていた、枇杷の枝を切ろう、と思った。

枇杷は、裏のベランダの東南方向にあって、天高くそびえている。良い日陰にななるから、読書の空間としては良いのだけれど、実はそこが我が家の唯一の陽のあたる場所で、大木の枇杷が遮るから、洗濯ものも、布団も干すために作ったベランダの意味がない。

おまけに、木が裏通りに面していて、枇杷がなる頃、鳥の襲来がものすごくて、かなり近所迷惑なのだ。

枇杷には、実にも葉にも、薬効があり、私は一人でいるときは、ほとんど枇杷酒と枇杷の葉茶しか飲まない。枇杷を満喫して生きている。しかし、それも、自分が手を伸ばして届くところしか意味がないから、何とか、道路側に延びた枝を切りたいのだ。

あさ、今日枇杷の剪定をすると、決めた。仕事着にきかえ、高枝切りと、大鋏と、手元用に剪定ばさみと、生木用の鋸を出した。それで、かなり切ったら、手の届かない側に、枇杷の実がかなりなっているのに気がついた。どうせ鳥が群がっていたから、穴だらけで食用価値はないだろう。

私の愛用の高枝切りは、普通のではなくて、紐がついていて、滑車状に仕組まれた紐を引っ張って、切るのだけど、これは、今まで使かったことのあるどんな高枝切りよりも便利だ。最初の高枝切りは、長く伸ばすことができても私の力では支えることができなかった。つぎのはハサミ状になっていたが、これも、腕の力がついていかなかった。そのうち最初のは、刃がバカになってしまい、使い物にならなくなって、放置してある。

滑車状の高枝切りは。紐が絡むことを気をつければ、縦でも横でも、かなり簡単に伸ばして、切ることができる。ひもを引っ張って、手元できると言うのは、たぶん力の出しどころが違うのだろう。去年さんざん使って、満足した。体力に自信なかったけれど、やってみたら、今回もかなり切れた。

しかし、3分の1ぐらい終わった時に、ちょっと疲れて居間に戻ったら、6時半になっていて、あわてて、テレビ体操をつけた。

朝食は、昨日のうちに、出かける予定で準備しておいたから、すぐに済ませ、汗だらけなので、一旦お風呂に入って、次は、明日にしようと思ったのに、御風呂でさっぱりして、ベランダに出たら、また、むらむらと続けたくなり、とうとう、10時半までかけて、3分の2切った。

見晴らしがよくなり、布団の干せる空間が広がった。ああ、いいなあ、と思って木を見渡したら、切った木が途中で引っ掛かっておちないままのところが3か所もあり、ちょっと何とかしようと思ったら、くらくらっと目眩…。

危ない!

気分を変えるために、やっとパソコンを開いた。

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あまり疲れたので、少し昼寝をした。それで、またベランダに出てみた。よくも切ったもんだと思うほど、見晴らしがよくなっていたけれど、切り方が乱雑で、どうしようもないなあ、と感じた。仕方がないんだ。力ないくせに一人でやっているんだし、「美的」に切る余裕なんてもともとない。ベランダから身を乗り出して切ることができる範囲を、精いっぱい切ったんだ、と自らに言い聞かせたが、眺めるほどに、うずうずしてきてたまらない。

とうとう、奥の手を出しちまえと思った。

あの電ノコ、何度使っても、怖いんだけど、あれの登場を願う以外に、「綺麗に」切る方法がない。特に疲れている時は危ない。危ないなんていいながら、仕事の道具をとりに物置に足が向いた。踏み台を使って、身を乗り出し、3本の太い木を倒した。後は、いくら身を乗り出しても遠すぎる。

外回りを清掃し、鶏小屋の脇に、切った枇杷の枝を山ほど積んで、ふと、あんなに鳥が食べる枇杷、鶏が食べるだろうかと思いついて、将門にやったら、凄く喜んで食べている。それでマックとファラオの家族にもやったが、将門は野生に近いのかな、喜んで食べたけど、鶏は、大半を残した。

一晩寝てから、最後の仕上げは下から脚立を使って登って切ろう…。自分に言い聞かせて、今日はそれで仕事を終了。2時。3度目の風呂に入った。

明日晴れたら、松戸の教会に行く。