naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

年齢を恥じる教授様に

中学時代の同級生とメーリングリストを交換している。そのうちの一人で、カトリック系私立大学の教壇に立っている「先生」が、定年を前に、生徒たちに挨拶したら、先生が70歳とは思わなかった、60歳くらいだと思っていたと言う、学生たちの「親切な」発言に、彼女は「20歳も若く見られたかった」と書いてきた。美容に関する教育をしているのでなく、特に女性の生き方についてをテーマに教壇に立っていた先生である。あまりに矛盾を感じたので、一文を書いた。

N先生よ

ちょっと自らに課した禁を破って、一言物を言いたくて登場しました。うるさいと思われる方は、この段階で、削除してください。

N先生が、「女性の生き方」などというテーマを題材に、教壇に立っておられる、学生を教育する立場の先生だから、敢えて、申します。

どうか、自分の経てきた年齢を恥じる世の風潮に流されるような発言をなさらないでください。70年生きた人生は、誰に恥じることなく、一瞬たりとも欠けることなく、尊いのです。人は生まれた時から外見など変化します。20歳も若く見られたいと言う意味は、20年生きた人生の意味を帳消しにするようなものです。人は100歳生きても誕生日を祝うのは、100歳にいたった一瞬一瞬が尊いからです。古希を祝い喜寿を祝うのも、「与えられた苦悩」を真摯に生きたことに対する敬意と感動によるものです。

ましてあなたは、あなたの「生」の与え主に対して、信仰をお持ちの方です。あなたの生きた70年を支え、喜びも悲しみも、その成長のために与えた与え主に対して、あの20年は、帳消しにしてくれと言うような発言を、学生に対してするべきではないと思います。あなたの70年、どんなに「外見」が変化し体力が落ちようと、それは「尊い」変化です。若く見られたいのは、今より「ばか」に見られたいと言うのと同じです。

世の中、アンチエージングだの、赤ちゃん肌になる薬だのが大はやりで、「美」とは「若く見えること」が常識だと言うことを知っています。だから、生き抜いた70年の一瞬たりとも欠けることを望むなと言う、私の言葉は「ひねくれ」にしか聞こえないことも百も承知です。

しかしあなたは教壇に立ち、学生に対して多大な影響力を持つ先生なら、学生への指導次第で、世の中のくだらない価値観を覆すことも可能です。老人が今、粗大ごみのごとく廃棄処分されるのが「常識」になったこの時代、あなたの役割は大きいのに、自分は「若く見られたい」と言うのはまことにもって矛盾です。

あなたは4月に70歳になった私と同様、ばあさんです。外見しわくちゃの、足腰おぼつかない、入れ歯ががくがくする、ばあさんです。でも、そのしわも、弱くなった足腰も、内部の成長を助けた物質的道具です。与えられた尊い人生の、あかしです。70が50に見えることに何の意味があるでしょう。堂々としている方がカッコよく、化粧塗りたくって、白髪を金髪にし、しわを頭の後ろでひッ詰めて伸ばす方が、むなしく醜悪です。

どうも失礼しました。