naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

真宗の法話を聞きに行った。

今日は2回外出して、さすがくたびれた。

実は午後に約束があったのを忘れて、朝、江戸川の散歩に出た。体操を終えた後、すぐに行くつもりで用意していたのだけど、ゴミの集積所によったら、近所の鶴さんがいて、挨拶したら、いろいろよもやま話になった。

彼女、頭のしっかりした人だが、体調が悪いらしく、足が恐ろしくむくんでいるのに、病院にいって検査しても、全く異常が見つからないそうだ。むくんだ足を見せてくれた。そんな症状があって、何もないというのはおかしい、と言ったら、なんだか受け答えがしっかりしているので病気に見られなくて損をしているという。

あはは、と私は笑った。まるで私みたい。首から上がしっかりして受け答えなんかもはきはきしていると、誰も信用しませんよ。私もそれ、体験しているんだから、と言ったら、お互いにその状況を確認しあって、二人で苦笑した。とか何とか、いろいろ話をしていたから、すっかり江戸川行きが遅れてしまって、かなり陽が高くなっていた。

でも、その時間になると、散歩の人も、サイクリングの人も、ほとんどいない。人がいないと、やたらに空が広く、川も豊かで、心もおおらかになる。雉の声も、鶯の声も、よしきりの声も、なんだかやさしく聞こえる。

のんきな気分で景色を見ながら走っていたんだけれど、なんだか今日は速度が遅く、海から35キロまで行かないうちに凄く疲労を感じた。手がしびれ、なんだか、重い。なんだろうなあ、と思って、ふと変速機を見たら、最低になっていた。

なんだか、これ以上走る気がしなくなって、引き返し、家に到着したら、どっと疲れが出て、眠ってしまった。割といい睡眠。

午後の1時に、約束していたのは、実は隣の坊主の真宗法話。隣にあるのではなくて、隣町までいって、ビルの2階にあるお寺が会場らしい。1時と言う時間にちょっと抵抗があったが、先月一度キャンセルしているので、決意して、暑い中また自転車に乗った。

何とか到着した時は、ぎりぎり。浄土真宗の歌から始まり、声明みたいのが続き、意味のわからない法話が長々と。なにしろ、小さないすに座って2時間。正直いってつらかった。

内容の理解は・・・無理無理^^。言葉がわからないから、何を言われても理解できず、わずかに渡された印刷物にある言葉を、後からインターネットで検索しようと思った。

しかし、思うに、信徒は「理解」しなくていいんだろう。南無阿弥陀仏と唱えていれば救われるんだから、その意味にこだわることはないのかもしれない。

カトリックだって、私はしつこく意味を追求するけれど、みんな「ただ」信じているわけだし。