サマリア人を超えている

昨日、うつらうつら見ていた「アンビリーバボー」、いつもと違っていい内容だった。

戦争のさなか、頭にけがをして記憶を失った日本兵を、わが身を盾にして守ってくれた中国人の話。日本兵をかくまっているということで、自分も、自分の家族も、自国中国の隣人から、官憲から、政府から、疑いと迫害を受け、それでも、その日本兵を守った。本人が死ぬ時、彼は遺言で息子に日本兵を託し、その息子が父の遺言を守って、最後に日本兵の身元を見つけ、日本の家族に送り返した。

聖書にあるサマリア人のたとえだって、旅の途中のほんの数日間の善意でしかない。通りがかりのサマリア人は、人を助けたことによって、迫害を受けたわけではないし、家族を危険にさらしてまで敵兵を助けたわけではない。敵味方、差別意識を超えた愛が本物の愛であるというたとえではあるが、それはたとえ話であって、アンビリーバボーの伝えた記録は、日中の戦争も、文化大革命も乗り越えて、かくも長期間、人が人を守った物語だった。

中国でも韓国でも北朝鮮でも、民間のレベルでも、政府間の本音でも、心の底は日本と敵対関係にある。何かと言えば、日本国旗に火をつけ、関係者の写真を燃やし、憎しみをあらわにするのが、ほとんど「常識」である。あの報道に出てくる殺気だった韓国人の姿は、まさに、「交戦下」にある敵に対するむき出しの憎悪だ。

昨今起きた自民党員の韓国訪問だって、自民党員は、別に韓国に攻め込んだわけではあるまい。尖閣諸島の領有問題を抗議しに行ったわけでもない。自民党員が行ったというだけで、韓国側の全国民が、いきり立って、日の丸を燃やした。(日の丸に敬意を表すことを拒絶する日本人は、この事実を喜ぶんだろうか…ことが起きるたびに、私は疑問に思うんだが)戦争が終わってから66年たっても、なにかにつけ、憎悪の感情がむき出しになる。

あのニュースのあとで見た、生々しい戦争の中で、記憶喪失になった敵国日本兵を助けたこの中国人一家の行為の記録は、この世のことは思えないほどに、あまりに感動的だ。

日本政府は、もし、政府の名前で「なんとか栄誉賞」みたいなものを誰かに送るのなら、スポーツ選手の国家の栄誉をかけた活躍に、大騒ぎをしてもいいから、それとは別に、国家と天皇の名で、この中国人一家に「感謝状」でも送ったらどうだろうね。

毎年8月になると、まるで発展性のないセンチメンタル戦争回帰番組が報道される中で、一娯楽番組にすぎないアンビリーバボーのきまぐれ記録だけでは、日本人の心にも、中国人の心にも何も響かない。

こういう事実を発見したのなら、国家が正式に感謝状なり、「なんとか褒章」なりを贈るべきじゃないのかな。そうすれば、中国を始め韓国朝鮮の国民はもうすこし心を開くのではないかと、うつらうつら、昨夜思った。