芋虫

やっぱり「命」。

今朝、教会に行こうと、庭に出て鶏の世話をして、急いで自転車の覆いをとっていたら、ふと、隣の花壇の脇に、凄く大きな真っ黒な、虫の糞らしきものが、ぼろぼろ落ちているのに気がついた。かなりぎょっとするような大きなフンをした奴は誰だ、と思って、その近くを見たら、すでにすっかり葉っぱを食い荒らされたカラ―に似た植物の茎に私の手の中指ほどの大きさの黒い芋虫が2匹いた。黒い角があって、横に目玉のような模様があり、黄色の筋が体の斜めに通っている。

その姿の異様さに、ちょっとおびえ、すぐに家に入って殺虫剤をとってきた。いつもなら、殺したりしないのに、2匹の大きな太いのが、食いつくした葉っぱの茎に止まっているのを見たら、やっぱり排除したくなった。殺虫剤をかけ、もがく姿をみるのが苦痛だったから、急いで自転車に乗って、逃げるように教会に向かった。

懐中時計を壊してから、時刻は携帯に頼っていたのに、其の携帯も忘れるほどのあわてようだった。自分が手にかけた芋虫の苦しむ姿が怖かった。帰るまでに、あの2匹は、死んで、蟻の大群が事後処理をしてくれるだろうと思っていた。

教会から帰ってから、私は自転車を入り口に止めて、芋虫の亡骸を見ないようにして家に入った。

それから食事をし、テレビで、朱蒙の最終回を見た。この韓国ドラマ、前にも、最終回まで見ているんだけど、初めの方を見ていなかったので、再放送を見続けていたのだ。この最終回で、朱蒙が漢の軍隊を倒すために戦場で、びょよよよ~~~~んと飛ぶのが、何とも笑えて好きなのだ。そこまでの連載ドラマでは、かなり現実的に事が運んでいたのに、最終回の朱蒙月光仮面のように空を飛ぶのが、滑稽でたまらなかった。韓国の歴史書に、そう書いてあるんだろうか。まあ、古代の英雄と言うものは、神格化しているから、ありうるけれど、実際のドラマでは、それほど神がかり的なことはなかったのにね。

で、今日もきちんとその場面を楽しんで、そのあともしばらく娯楽番組を見ているうちに、鶏に2回目の餌をやる時間がきた。

それで、蚊対策だけして外に出たのだけど、ふと、見るとはなしに、避けていた今朝の芋虫の死骸の方に眼をやって、驚いた。生きている!

苦しみもがきながら、移動しているではないか。ゴキジェットかなんか、強い噴射性の物をかけるべきだった。蚊を退治するためのキンチョ―ルをかけたのだけど、蚊のように小さな虫には効き目があっても、中指大の芋虫には、弱すぎたのだ。

どうせ死ぬのに、これ以上苦しめておくのがつらい…。処刑したのは自分なのに、そう思った。私は見ないように、2匹の芋虫の上に庭用の塵取りをのせてぶちっとつぶした。そしてそのまま塵取りを載せておき、明日片づけることにした。

蚊を殺すにも、蠅を殺すにも、あまり心が痛まない。しかし、相手の姿が大きくなればなるほど、「命」の存在を意識する。糞の大きさを見、食べつくした植物の量を見、丸々太った芋虫の姿を見たあとで、殺虫剤で殺したつもりのあと数時間も苦しんでいたのを想像すると、なんだか、自責の念まで感じる。いかにも確かな「命」を手にかけた自分の行為が恐ろしい。