気温について

やっと雨が降って、気温が下がった。今まで、これほど、雨を「慈雨」だと感じたことがない。実は、何もできなくて、一日だらしなく伸びていることを、もう、おしまいが近いかな、と感じるほど自信をなくしていた。猛暑だけが理由とは、思えなかった。

とこが肌が気温の変化を感じた途端に、絵筆をとり、肝心の「感性」が戻ってきた。勉強を続けたいという意欲もわいてきた。本当は、もう駄目かもしれないと、うすうす思っていたんだけど、英語を聞いて意味がわかって、その意味に「うんざりまで」したほど、感覚が戻ってきた。

いい気になって、スペイン語検定の2級の勉強を始めようかと思い、手持ちの本を読んだら、意味がわかったりするじゃないの。

気温の変化って、凄いもんだと、改めて感じた。生物の営みに直接関係する物なんだ。それまで自分がカブトムシや蛙と同じ「生物」だとは、きちんと意識していたわけではない。蝉めはどんなに暑かろうが、じーじーぎゃあぎゃあみんみんかなかな、さえずりまくっているし、蚊も蜂も、庭に出ればわんわん集団でやってきて、元気だった。野良猫だって、当たり前の顔で歩いているし、特に生きる意欲をなくしているとは思われなかったし、鶏は老化に勝てないマックを除いては、毎朝、鬨(時^^)の声を上げていた。同じ環境にいる彼らは元気で、私は動けないとなったら、気温のせいにできなかった。

ところで今日は、蝉の声がまったくしない。私が生気を取り戻したのに、蝉はどうなっちゃったんだろう。そう考えたら思い出した。蝉めの寿命は、1週間だったんだ。たった1週間の人生を謳歌して、あんなにぎゃんぎゃん騒いでいたんだ。私がやっと生物としての生気を取り戻したら、彼らは生物として終わる身の上だったんだ。

気温て、凄いんだなあ、と、凄く感動して私は思った。生物を生かしたり殺したり、まるでもてあそんでいるようだ。気温を支配しているのは太陽かもしれないけれど、かつて太陽を拝んだ世界中の民族の精神がわかるような気になった。