また、駱駝

聖書の中のへんてこな表現と、日本語の中のへんてこな表現

「今日のみ言葉」を読んでいたら、また駱駝が出てきた。今度は、駱駝と針の穴どころじゃない、珍妙な表現である。

マタイ23章23-26節にある、「物の見えない案内人、あなた達はブヨ1匹さえも漉して除くが、駱駝は飲みこんでいる。」これは律法学者とファリサイ人に向けた言葉。

まあ、律法にこれでもかこれでもかと細かい規則を作って、人の行動を縛って、その細則が守れないものを罪人呼ばわりしている宗教上の指導者が、実は、本当に目を向けなければならないことを見逃している、と言いたいための喩らしいが、ブヨと駱駝を持ちだされたら、日本人には、まるでピンとこない。ブヨを漉して飲むといわれても、ブヨが浮かんでいる飲み物を見つけたら、初めから飲まないし、駱駝を飲み込むという発想がない。

日本には駱駝は生息しないし、大小のたとえとしても「重箱の隅をつつく」とか、「鹿を追うものは山を見ず」とか、そんなところかなあ。ともかく、あまり駱駝は飲みこまない^^。

そこで、日本の一般的な言葉で、日本人なら見過ごしているもので、外国人に説明不可能なものを考えてみた。

狸うどん、きつねうどん、月見うどん、は食べ物の名前だけど、狸も狐も月も入っていない。月見はともかく、狸や狐がうどんと結び付いた由来は、ちょっと説明ができないね。豆腐や油揚げと狐の関係は、実は、私だってわからないけれど、「きつねうどん」と言う名前に異議を唱えるほど苦しんではいない。

かっぱの川流れ、屁の河童なんて言う表現は、狸や狐より難しい。いなくても、想像できないものでも、普通に言葉として使っている物を外国語に訳すのは難しいので、似たことわざなり格言なりを訳したい外国語の中で探さなければならない。

ブヨと駱駝に関するこの表現は、「鹿追うものは山を見ず」あたりが適当かなあ。まあ、わからない。とにかく、小さいことばかりにこだわって罪人を大量生産をしているが、本来宗教者が大切にしなければならないものは「寛容」「愛」であって、そこを見失ったら罪はもっと大きいということか。みなさん、駱駝を飲みこまないように^^。