naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

約束の草抜き

最近見かけなかった近所のおばあちゃんが、この前会った時、このところ動けなくて、デイケアサービスの方に運んでもらっていると言っていた。それまで彼女、ゲートボールなんかやっていて元気だったのに、難病の息子さんが死んでから、すっかり生きる気をなくしてしまって、外にも出なくなった。

あって立ち話をした時、家の前の道路の脇に彼女が作っていた花壇が草に覆われて、もう、自分ではどうすることもできないと言っていたので、私がついでの折に草抜きぐらいしてあげると約束していた。

暑さが続き、腰痛に見舞われ、其の約束を果たせなかったのだけど、私が気にしている間に、草は身の丈ほど高くなり、彼女が作った花壇は、まったく面影がなくなっていた。今日、ついでがあったから、その草を抜き始めた。もう、草以外は花らしいものは消えてしまっていたが、わずかに菊だけが姿を現した。

菊は秋の花だ。これから咲いて、菊だけでも二階の彼女の部屋から見えるように、と思って、 周りの草を集中的に抜いた。菊はあちこちにばらばらに植わっていて、かなりの草を抜かなければならず、ちょっと今日だけでは無理だ。

おばあちゃんのところの嫁さんが出てきたが、挨拶はするけれど、草抜きは余計なことに映ったらしい。

気持ちを察して、おばあちゃんとの約束だからと断った。この嫁さんは、あまり花には関心がない人らしいから、花畑が草ぼうぼうになったのを二階から眺めるおばあちゃんの気持ちはわからないし、弱くなったおばあちゃんの花壇に花をもう一度咲かせてあげたい私の気持ちもわからない。

植物を愛する人の気持ちは、そういう母を持っていたから知っている。母が最後を迎える直前に、以前住んでいた松戸の家に引き取って介護した時、彼女は3人の息子たちに、実家の庭の、彼女が育てた植物たちや小動物たちの世話をしてほしいと、会うたびに指令を出していたのを、私は覚えていた。

たぶん、おばあちゃん、二階の窓から自分の花壇を眺め、草ぼうぼうになっているのを見て、悲しいだろう、と、感じるのは、母の思いを私が知っているからだった。

しばらく草抜きをしていたら、当のおばあちゃんが、病院に行くのだといって、出てきた。頭がすっかり白髪になっている。

草を抜いている私を見て、一所懸命謝っている。嫁さんがたぶん言ったのだろう。草がボウボウ生えているのを見るのが悲しくて、見ないようにしていた、とおばあちゃんが言う。

「いやあ、これは私の道楽だし、約束だからできるときにやりますよ。気にしなくて大丈夫」、といい加減にあしらって、草抜きを続けた。おばあちゃんは、よたよたと歩いていってしまった。

しばらくしたら、草は3分の1程度抜いたところで、私の体力もこれ以上続かないなと察知した。明日か明後日、続けよう。そう思って、抜いた草は、そのまま放置した。

菊はかなり顔を出していたが、ほとんどは、何もない土が見えてきた。少し休んで、また疲れが治ったら、土を整備して、春の花でも植えておいてあげようと思った。ある春の日に、おばあちゃんが二階の窓を開けて下を見たら、満開の花を見て喜ぶだろうなあ、想像して勝手に喜んだ。それまで何も言うまいと思う。ひそかな楽しみって、良いものだ。