naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

また、サマリア人

レビ人とサマリア人の意味。「なんとか人」と言われると、人種のように聞こえ、このたとえを人種差別のように誤解したり、曲解したりして楽しむ人もいるらしい。

イスラエルの歴史では、レビ人とは、律法を守り遂行する律法の守護階級みたいなもので、サマリア人とは、律法の遂行義務からも除外されていた人々。

エスという人は、社会的差別や、身分差別、職業差別や、性差別、さまざまな差別の中に生きて、「罪人扱い」にされている弱者の側に立って、いつも、常識やしきたりや道徳に関する細則を忠実に生きている「真面目な人」に矛先を向けるくせがある。この強盗にあって半殺しになった人に出会ったときに、通りかかった数人の人々がどのような態度をとったかによって、神の求める「愛」とは何かを、語り続ける。

レビ人は、死者に近づくことがけがれているとされる律法に忠実なために、「すでに死者かもしれない」半殺しの重傷者を避け、「介抱する」と言う気持ちよりも、「自分がけがれる」と言う事を恐れて、律法に忠実な行動をとる。サマリア人は律法からも除外された人々で、常日頃律法に縛られている人々ではない。律法のくびきがないサマリア人が、自分の身に降りかかる災いを恐れず、半殺しにあった人を介抱し、宿に運んで、治療代まで置いていく、その行為をイエスは「隣人愛」と呼ぶ。

私はこのたとえに出会う時、いつも自分の過去に出会った人々を思い出ず。私は半殺しにあったことはない。終戦直後父が死に、6人兄弟の母子家庭になって、貧困の中で、鬼畜のような形相で苦境を乗り切るために生き抜いた母のもとで数々の辛苦をなめながら過ごした。

其の時出会った人々の中で、二人の人を私は60年たっても忘れることができない。一人は宗教的指導者であったシスターで、もうひとりは学校給食のおばさんである。

宗教的指導者の方は、いつもいつも貧乏ゆえに規則通りの服装をせず、白く糊の効いたブラウスを着ることもなく、当時ゴム工場に勤めていた兄が、生ゴムで作った妙な形の靴を履いていた私を追いかけまわし、学校の恥だ学校の恥だと言い続けた。そしてある時、新しい靴を投げてよこし、その汚い靴を脱いで、これを履きなさいと言った。

一方給食のおばさんは、ある時、私たち姉妹を学校の裏の物陰に呼び、風呂敷に包んだ大きな包みを渡しながら言った。「イーストパンを作ったけれど、失敗しちゃったかもしれないの。でも、おうちに持って帰って、みんなで食べてね。」誰にも見られないように、そっと、あたりをうかがいながら、彼女は私たちの背中を押し、パンを持たせて家に帰らせた。子供にだってその気づかいは身にしみた。「誰にもわからないように、恥をかかせないように。」

今思えば、二人とも親切だった。二人とも、私たちに何かを「くれた」のは共通した行為だった。でも、あれから60年間、この二人を強烈に記憶しているのは、一方から受けた屈辱感と、他方から受けた号泣したいほどの感動だった。

この体験は、エルサルバドルの内戦時代、我が家の戸をたたく飢えた人々に、何か食べ物を上げようと思った時に生きた。女中が残り物を投げて与えようとしたときに、私はそれを押しとどめ、戸の外にいる男に待つように言い、わざわざ新しく鶏の空揚げを作って渡した。

あの時、あの体験をしていなかったら、特に、あの強烈な屈辱感を体験していなかったら、私は平気で、ゴミ箱に捨てる寸前の残り物を挙げただろう。

律法を守るレビ人、ファリサイ人として、イエスが糾弾し続けた人々は、他人のこころに鈍感な人々だった。そしてサマリア人は、他人の苦しみをわが身の苦しみとして感じることのできる繊細な人々だったのだ。

私が今思うのは、あの体験が片方だけだったなら、私は聖書のサマリア人に関する記述を理解しなかっただろうということ。

ところで、唐突だけど、「キリスト教陣営の最たる国である」アメリカの中東政策は間違っている。この唐突さは、面倒だから記述をしない。興味があったら、各自勝手に展開するべし。