狂人日記

エスと言う男の真意

敵を愛せ、敵を呪うな、敵の背中に祝福を送れ

と言う言葉にいま向き合っている。上記の言葉が、聖書通りかどうか、どうでもいい。聖書を暗記したことないし、だいたい日本語になったこれらの言葉が、発した本人の真意を伝えているわけではない。まして、受け取る側の言語習慣で捕えられる、二重三重翻訳の「ことば」などに神経立てたって仕方がない。

今回の詐欺事件から派生した身の回りの出来事を今、吟味している。

実は私のこころの中で、悔しさや怒りや復讐心や、なんとしても相手に打撃を与えてやろうという執念が湧いてこない。警察や検察にもっと迫れとか、コネを求めてもっと闘え、というような事を、友人たちは言う。でも私は茫然としていて、自ら行動を起こそうとしない。

まさか、これはイエスの言葉によるブレーキではなくて、本当にどうかしているほど、そういうアグレッシブな気分が心の奥から湧いてこない。事態を知った友人たちが怒っていき巻くほど、私は相手を憎んでいない。嘘だと思うだろうけれど、家庭祭壇の前に座って、詐欺どもの救いのために祈ったりしている。これは正常な神経だとは思わない。たぶん、神経が麻痺している状態だ、と思う。

騙された事の悔しさに、すべてをはぎ取られた事のショックで、興奮して心臓まひを起こしたり、脳溢血を起こしたりする危険から、私はなんだか、守られているような、そんな気さえしている。

そう、一般的な神経から、凄くずれている。ということを私はいくらなんでも知っている。

バカみたいな顔をして、私は自問自答する。あれは果たして「敵」だったのだろうか。自分はいま裸になった。裸になったら裸になったで、できることがあるなあ、などと、今日は、ぼんやり考えた。裸になってできることがあることに気がつくという事は、私を裸にした本当の元凶は「詐欺」じゃない。と言うところに私の何かが飛び火する。

娘がスカイプで、マリイサベルが、「恩師」であるお母さんと話したいと言っていると、妙なことを言った。いつか書いたように、内戦時代うちに奉公に来ていた子供で、私が文字や計算を教えた事のある女性だ。私の方にはまったくの記憶がなかった其の人が、文字や計算を教えてくれた「恩師」として、私をいつまでも記憶していた。こちらは顔はおろか、名前も、何かを教えて事も記憶していなかった相手から、「恩師」と呼ばれた事の意味を、私は考えた。

エルサルバドルには、「存在しない扱いの子」と娘が呼んでいる子供たちがいる。親の無知から、出生証明を出していないため、「存在が正式に認められていない」、つまり教育も受けられず、国籍もない子供たちだ。裸一巻になった私が、仕方なくエルサルバドルに渡ったら、そいう境遇の子たちを相手に、なにかできるじゃないか、と思ったのだ。

そういうところに考えが及んだのは、「裸」にされたからにほかならず、だから、「裸」にしたのは直接的には詐欺集団だけど、あんなもん、ただ「使われた」だけだ。誰に「使われた」か?

いわずとしれている。

だからあれは「敵」じゃない。救いの乏しい、気の毒な、自分の魂の存在も知らない・・・その

善人なおもて往生す。いわんや悪人をや。

そそ。私、気が狂っている・・・