naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

Dios se lo pague


私が数年前所属教会を替えたたった一つの理由は、660円の交通費の節約のためだった。足元が弱くなって転倒を繰り返し、よたよたと杖をついていた私が、バランスを回復せよと言う理由で贈られた自転車の練習をし、68歳にして自転車の運転を覚えた。いろいろ探索しようと、道に迷っていたら偶然見つけた教会が、家から自転車で15分程度で行けるという事を知った私は、其の時すでにすべての職から身を引いて、年金暮らしになっていた。660円が月に4回、2640円を浮かして、生活の補てんをしようと考えた。

移った教会で人間関係を構築できなかった私は、さらに自転車の走行範囲を広げているうちに、もといた教会に行く道を発見し、江戸川自転車道と言う車の通らない道を見つけて楽しみながら、このところ、松戸教会に戻っていた。

ところで、私が12月に計画しているガレージセールには、手持ちのクリスマスセットや、土産にもらった中南米キリスト教関係のグッズも入っているので、そういうものは、そういうものに理解のある種類の人に買ってもらいたいと思った。だったら教会以外にない。人間関係を構築できなかった教会に行っても仕様がないので、ちょっとためらいながら、今日、松戸教会で、チラシを手渡そうと思い、神父さんに許可をもらうため、ちょっと事情を説明した。

神父さまの仕事は祈りだけなんだから、祈っていてくださいネ、とか冗談も言って、チラシをばらまいて帰って来たのだが、それからしばらくして電話があった。教会のメンバーだった。その電話の内容に、私はたまげてしまった。

ミサの後、神父さんが「昔の信者にこういう事件に巻こまれて困っている人がいる」と簡単な説明のあと、自ら聖堂の入り口に立って、カンパを呼びかけたのだそうだ。それで、それをすぐにうちに持ってくると!

わあああああああああああああああ!

いくらなんでも恥ずかしかった。私は聖書の研究は熱心だが、教会と言うところに子供の時からなじんだためしがない。特に松戸教会は、内戦の現場から戻ってきて始めて行った日本の教会だったから、そののほほんとした雰囲気に苛立って、余計な口をきいたため、村八分にあった経験がある教会なのだ。その後バザーのたびに黙々とラテンアメリカの民芸品を売ったりして、ラテンアメリカの救援活動をしたが、いつも絶対に一人だった。

だから、誰かに好意的な目で見られていることなど期待していなかった。少なくとも残っている知り合いは、10人程度いるかなと思って、チラシだって、15枚しか持って行かず、こそこそ配ってきたのだ。

それが、カンパだって?ぎょおおおお!

しばらくしたら、教会の婦人会の会長と言う人と、地区の知り合いの婦人が連れ立って訪れ、中を確認もせず、数えてもいないカンパの袋をそのまま私に渡したのだ。

こりゃ、どうしよう。どう挨拶して良いかわからないわ。私が660円節約のために退散した教会の神父さんが、ミサのあとの30分足らずの間に集めた金額を見て、またたまげた。えっと・・・。私って嫌われていたんじゃなかったの?

これは私特有の思考回路だけど、あの詐欺事件は、やっぱり何かの契機だな、と思った。もしこれが「何か」の契機なら、私が誰にも言えないでいる、詐欺を信じたあの時の私の夢想は、正しかったのかもしれない、と、思った。私はやっぱり、背中を蹴っ飛ばされている。

それにしても、私と知ってカンパをしてくれた昔の教会員たちに、私はやっぱり言葉がない。言える言葉はただ一つ。

Dios se lo pague.