naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

バカ婆さんの聖書物語

ここ数カ月に起きた出来事の意味を、まだ完全には把握していない。しかし、生まれた時から持ちつづけている自分の思考回路では、これは「ただのバカ婆さんが騙されて身上失った」というような、単純な解釈をしていないのは確かなことだ。はたから見れば、その一言に尽きるという事を、私は知っている。

でも私の受け取り方は、別のところにある。別のところを見つめていると言っても良い。

それは「神は粘土で人祖を作った。故に人は土に帰る。」と言う聖書的表現を、「万物は元素でできており、消滅して元素に帰る。」と言い直しても同じ事実を述べているにすぎない、と考えるのと同一のことである。まあ、だからといって、誘惑を受け入れやすい人間のこころの葛藤を「蛇に騙された」と表現したって、すべての事象を具象的な表現に置き換えるとは限らない。

私は身の回りに起きる出来事の原因を、すべて「科学的に」または「社会科学的に」分析すると言う方向には満足しないようにできている。

私の思考回路は、科学の方に行かないらしく、科学の方に行ってもすぐに迂回して元に戻る。子供の時から聞き続けた神が主語の、そういう構造の言葉で物事を把握するようになっている。

その言い方で今回の出来事を表現すると、「バカ婆さんが詐欺に騙され、まんまと身上財産を失った。」という現実は、「神が、自らの能力におごっていた婆さんに、詐欺を送りこんで試された」と表現することが可能なのだ。その婆さん、喧嘩ばかりしていたし、丸出しの個人的意見をすぐ言う癖があって、敬遠されていたのを自覚しているから、まさか、人が助けてくれることなんか期待していなかった。

ということは、「人」って面白いのだ。「人の心」って奥深いのだ。

バカ婆さんを助けた多くの人々は、そんな思考回路など、相手にしない人間たちだ。それなのに、彼らは動いた。チャットで出会っただけであったこともない人たちが、バカ婆さんのバカをあざけることなく、助けた。半世紀前に別れた高校時代の同級生がバカ婆さんを助けた。喧嘩ばかりしていた、660円節約のために逃げ出した教会の、喧嘩相手がバカ婆さんを助けた。

其のことをバカ婆さんは、「普通のこと」とは思わない。

実は、そのバカ婆さん、次に自分がするべきこと、あの思考回路の用語でいえば、「示されること」を見つめている。いろいろな「不可思議な」ことが次々に起きる。其の事の意味を、彼女は「示されること」と結び付けて考える。

エルサルおしんのマリイサベルが、私の仕事を探しているそうだ。これって、なんだ?もう、すでに地固めが、そっちの方向に進んでいるのか?