naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

おら、いなかっぺ

今日は天気がいい。でも気温が低いらしい。爺婆倶楽部の日だから、行こうと思うのだけど、先週、自転車の運転で凄く冷えて、風邪をひいたから、ちょっと怖い。電車で行くのは、もっと怖い。人ごみに入れば、即インフルエンザだと、警戒している。

ところで「田舎」と言う言葉だけど、人によっては差別用語に聞こえるらしい。私は好んで「田舎」を選んで住んでいるのだけど、近所に住む人は、自分たちの居住地が「田舎」と言われると傷つくらしい。その話を聞いた時、あまりその事を私は理解しなかった。

ここに越してきた当時、あたりは森と畑と田んぼに覆われ、雉や白鷺や鵜や翡翠が飛来し、森にはオオタカが住んでいた。其の事を私は凄く楽しんでいた。散歩しては俳句を読み、鳥や花をスケッチし、この高尚な田舎暮らしを満喫していた。「田舎」とは文化をはぐくむところと、私は解釈していた。

ところで、ひょんなことで、東京の都心に住む人が、東京の郊外で育った私に、「武蔵野市は田舎だ」と言った時、とても妙な気分になった。妙とは、「こいつ、武蔵の育ちを田舎っぺとして馬鹿にしているな」と感じたのだ。同じ人物が同じ発言を何回かしたのを聞いたことがあるのだけれど、とうとう其の人物の意味する事を、そう感じさせるように理解した。

私が学んだ学校は、中学以外は東京の23区内の学校だったから、都心人間を知っている。学生時代の友人はほとんど、現在も都心に住んでいる。学生時代の友人だから、何処に住もうと、その事で差別意識を持った事も持たれた事もなかった。私が住んでいたところを称して、「お前は田舎に住んでいる」と言われた事もなかった。

個人的に、私は都心のマンションなどに住みたくない。緑もなければ空気も悪い、密集している癖にお互いに近寄りがたい、そんな生活を好まない。だいたい自由に園芸もできなければ散歩もできない、そういうところは私には合わない。それは好みの問題であって、何処に住んでいるからどうのと言う問題ではない。

しかし、私が「自分と違って」田舎育ちだというニュアンスをいつも秘めてものを言う、其の人物の言葉を聞いた時、ほう、これなのか、と近所のおばさんの心の傷を理解した。あの人は、見下されていると感じていたのだな、と初めて分かった。

其の近所のおばさん、良く私の家の先住者と私を比べていた。私の家の先住者は、クリーンデイと言う自治体の清掃行事に参加せず、「自分は都会人だから、草抜きなどできません」と言っていたそうだ。へえ、と私は笑って言った。「草抜きもできない腰抜けを都会人と言うんですか! 私だって、都心の学校育ちだけど、草抜きも、じゃがいも栽培も、おわい担ぎも、大工も裁縫も、子育ても、読書もできますがな!」

でも私は長いこと、「田舎」で傷つく近所のおばさんの心がわからなかった。で、今日初めてわかったのだけど、わかったついでに、都心に住んでいるというだけで、自分を高級だと思っているらしい人種を、心の底から軽蔑した。