空しい時は

生きていて「むなしい」と感じるときがある。「むなしい」と感じるときは、「するべき事」をしていない時だと、経験上、私は知っている。「生きているのがむなしい」のは、「むなしい生き方をしている」からだ。

名僧と言われる人だって、空しい生き方をしているときは、盛んにむなしさを感じていた。だから出家して生き方を代えたのであって、人間にむなしさを感じさせるのは、そのものに存在を与えた者の、ある生き方を求める声なのだと、私は勝手に解釈している。

空しいから死んじまえ、という結論は、だからあさはかで間違った方向選択だ。

でも私はやっぱりいいわけをし続けている。

自分はもう婆さんだ。もう勘弁してくれ。私は毎日小鳥を眺めたり、土いじりをしたり、婆チャリで散歩をしたり、月に一度くらい、かっぱ寿司を4皿くらい食べに行ったりして、静かに余生を過ごさせてくれ。自分にはもう何もできないよ。