煩悩具足の腹の底

子供の時、私の家族は貧困のどん底にあった。貧困のどん底にあった時、母はあらゆる工夫をして、子供たちが乞食の子供に見えないような姿をさせて生きていた。人は私たちを外見から貧困のどん底にあるとは思わなかった。母は家族の「誇り」をあらゆる工夫をして守ったのだ。

何度も言う話だけれど、あの時、2種類の人が貧困の姉妹にものをくれたことがあった。一人は物を投げ与え、一人は物陰に二人を呼んで誰にもわからないように自分で作ったパンの包みをくれた。「失敗しちゃったけれどおうちに持って帰って食べてね」と言いながら。

二人とも、行動そのものは同じだった。貧困を憐れんで物をくれた。しかし一人は子供の誇りに無頓着で、もう一人はできる限りの気遣いで子供の誇りを守ってくれた。其の時私は8歳で、62年間その事実を忘れない。

その記憶が、自分の人間の中に生きてよみがえった最初のときは、ある宗教集団の中だった。食物の残りをごちゃ混ぜにボールに放り込んで裏の貧困家族に恵んでやるのを見た私が、自分の番が来たときに、同じ残り物をすべて使って、ちらしずしを作って持って行った。その出来栄えを見た上司が「もったいないから自分たちで食べよう」と言った時、私は憤然として上司をにらみ、あの集団を去ったのだ。

二度めは、内戦下のエルサルバドルで、玄関先に食べ物を乞う一人の男性が現れた時だった。手しか入れられないほどの小さなのぞき窓から、残り物を渡そうとした家政婦を制して私は、男性に待つように言い、鳥の唐揚げを作って、パンにはさみ、ドアを開けて手渡した。

そして私は、子供のころのあの2種類の人間に合わせてくれたと「感じた」者に、感謝した。

「誇り」とは「傲慢」ではなく、人間が人間として生きて行かれるための最後の砦なのだ。

今回、私が無一文になった時、多くの人が助けてくれた。気を使い心を使い、「こんなこと、忘れていいよ」と言いながら。私は、敢えて声をかけなかった人々にも、その気づかいを感じるほど、「無一文の意味」を考えざるを得なかった。

同時に、私の神経は、私を見下し、あざ笑い、憐憫の情を施し、時には自分に火の粉がかからないように私を遠ざける、そういう行動を見抜いてしまう繊細さを持っている。私も生身の人間だから、災難にあった私を意図して傷つけようとする人間の言動に、刃を向けたい反応だってするのだ。

特に、自分だけが優しく、自分だけが正しく、自分だけがいい子で、自分だけが正常だから、お前みたいな目に会わないのだ、と思っている偽善者どもに対して、地獄に堕ちろと呪ってやりたい思いだってある。