永遠の命の意味

晴れたから、私の気分も幾分晴れた。体調は完全ではないけれど、動けないことはないし、葛湯に黒糖しょうが湯と言うのを入れて見たら、案外おいしかった。胃が特別な事を言っていないし、眩暈もないし、動けるから、動いた。

英語スペイン語の生徒募集のチラシを150枚作って、川向こうの町に、呪文を唱えながら撒いてきたのだけど、一番遠いところから始めて、区画整理のされた通りを2本走っただけで、150枚が終わった。集合住宅は、スキップしたから、一軒家だけで150軒。それで帰って来たのだけど、どうもあと1000枚くらい作らないといけないらしい。今もう150枚作っている。と言うのは、私が一度に駆けまわれるのは、どうも150軒が限度だと思ったから。

今、何とかこの状況を打開しようと努力だけは、している。答えがゼロなら、この道はお前の道ではない、と言う事と理解する。そのための呪文だった。

サタンよさがれ、人はパンのみにて生きるに非ず、と激しい肉体の誘惑にふらふらしかかった「あの人」は、言ったらしい。でも、パンを全否定しているわけではないところが、人間らしくていい。パンもうまいが、パンだけで人は生きるのではないよ。そういって誘惑を振り払ったあの人は、よほど凄い誘惑に負けかかったんじゃないの?

人は金のみにて生きるに非ず。と、今の私なら言うかもしれない。でも私は毎日毎瞬、金の誘惑にふらふらしている。貨幣経済に生きている限り、金の価値を全否定できない。3000万、あげるよ、こっちにおいで、と、言われると、そのあとに何が要求されるか知りもせず、ついそっちを見たくなる。

金は、自分の力で、今日の分を生きるために稼ぐもの。それが私の「人は金のみにて生きるに非ず」という戒め。

砂漠のマンナはその日、お前が食べるだけ採取が赦され、明日のために蓄える事を赦されなかった。なぜか。砂漠とは厳しい世界だ。お前が1週間生きるために争って蓄えれば、「今日」飢えて死ぬ人が7人増えるから。そして「今日」みんなを生かすために、自分だけの明日の保険を放棄するなら、お前は「永遠の」命を与えられる。永遠の命とは何か、

そもさん!かっぱ!