怨念の凝縮を見た

5月6日

ゆうべは舅の大騒ぎのため眠れなかった。朝は、私が驚くほど、彼は正気で、昔私が世話になったころの表情に戻って、私を私と認識して挨拶もし、私が作った朝食を食べてありがとうと言ってくれたので、まるで、今までの態度は、他の家族にはわがまま言って演技していたのではないかと思うほどだった。

主人は金曜日から出張で、日曜日まで帰らない。緊急事態に必要なエクストラのお金稼ごうとして、週末だけ契約したんだけど、家族が集う週末が留守なので、舅は不安らしい。それでも初めは、主人がいないから、自分がなんとかせねばならぬという意識があるらしく、よたよたものを伝って歩きながら、ドアのカギが閉まっていることをたしかめたりしていた。

夜中、1時頃、激しい物音に、私は起きた。なんだか、杖で、そこいらをぶったたいているようだ。大声で叫ぶ声も聞こえる。すわっと起きて、ドアを開けたら、一時的に来てくれているエルサルおシンが舅の世話をしていた。こりゃ大変だと思った。いくら一時やといのお手伝いでも、大暴れする舅を夜中の1時まで面倒みさせるのは忍びない。

もういいから寝なさいと言おうとして舅の様子を見たら、見たこともないただならぬ表情。おばあさんが死んだお婆さんが死んだ、みんなを招集しろと言い続けているのだそうだ。もう50年前に死んだ人のことだけど、言っているのはそれだけでもない。女はどこだ女はどこだ、いないのか、逃げたのか、と言っている。どうも私のことらしい。

エルサルおシンが私を招くので、部屋に入った。ほら、いるでしょ、と言って私をさす。舅はかつて、私を助けた。彼の協力がなかったら、私の結婚生活は成り立たなかったほどに、彼は私の保護者だった。私の仕事に対して最大の評価をしてくれ、電化製品や家具が壊れると、直せるのは私しかいないからといって、私が来るのを待っていた。その私の姿が見えなくなったことに、たぶん一番心を痛めたのは、この舅だったのだろう。

肝心の夫は何も心なんか痛めていなかった。七夕夫婦を続けることに、まるで不具合を感じていなかった。

その舅が、朝見せた昔ながらの優しい表情と、夜中杖を振り回しながら叫ぶ魔に憑かれたようなすさまじい表情とは、同一人物には、見えなかったが、表裏一体のような気もした。彼は時々過去の世界に戻っていた。その過去を私は知らないが、魔に憑かれた時代があったのだろう。

自分も今、まさに魔に憑かれて生きている。ここ数年間の、孤独だったが充実した日々を思い起こし、いきなりドン底に突き落とされてあえぐ今を重ね合わせると、なんだか舅の大暴れが理解できる。私だって、今の闇の中を杖振り回して叩きつぶしたい。胸ひっ掻きむしって、あらゆる人間を呪いたい。あの表情、それはまさに闇を呪い、自分の「今」をたたきつぶそうとしている執念の、切羽詰まった執念の、怨念の凝縮だ。