夜中に突然父を見た

夜中に突然父を見た。昭和25年、私が9歳の時に亡くなった父の夢である。いや、「父」は「姿」としてできたのでなく、母に託した父の最後の言葉をが聞こえてきたのだ。

寝る前に、自分の口座に3000円しか残っていないのを確認したりしたからかもしれない。帰国後、いったいどうやって生きていくのだ、と、苦悶しながら寝たのだ。

夜の明ける直前の夢の中に、破れ畳の上のせんべい布団にかばねのように病み衰えた父が、あえぎながら母に伝えてた「大蔵さんを許してやってくれ。」その言葉だった。

大蔵さんとは父の画家仲間の友人で、戦中戦後、困窮に苦しんだ父に、乞いもしないのに、金銭を融通してくれた。ところがあるとき、大蔵さんは、父を酔わせて白紙委任状に実印を押させ、家族の住んでいた土地家屋を詐取した。

父は肺結核をわずらっていて、その病骨に鞭打って、詐取された家屋を取り戻すお金を作るため、教会で知り合った進駐軍アメリカ軍人の肖像画を描きまくって、何とか「借りた」ことになってしまった金額を作ったが、大蔵さんに拒否され、土地家屋を取り戻せないまま、死んでいった。

あのとき父が「死に物狂いで」絵を描いて稼いだことが、たぶん、今の私に重なったのだろう。自分も今死に物狂いで絵を描いていて、苦境を打破しようともがいている。その原因を作ったのが、去年の詐欺だった。自分も父の最後みたいに、餓死するがごとくこと切れるのか、と思ったときに、あの最後の父の発言が脳裏をかすめたのだった。「大蔵さんを許してくれ。」手に職を持たない妻と、6人の遺児をおいて、死ぬ間際、土地家屋を搾取した男を許せと、妻に言い残して逝ったのだ。

しかしその妻、私の母は、「尊敬する夫の遺児」を生かすために、猛然と戦った。裁判を起こして示談に持ち込み、ある教会員から末っ子の私が大学を卒業するころまで返済を続けたほどの借金をして、土地家屋を取り戻した。あの時代の一家は、まさに臥薪嘗胆、思い起こすもぞっとするような苦労をして生き延びた。

ところで、「父の遺児たち」の記憶の中に、母が「大蔵さん」を憎んだという覚えは全くない。母は常に思い出の中でも彼を「さん付け」で呼んでいたから、子供たちも彼を「あの野郎」などと思っていなかった。

母は、「常識的には理不尽な言葉を言い残して逝った」夫を88歳で生涯を終えるまで尊敬し続け、「思い起こせば、終戦前後のあの困窮のとき、大蔵さんが土地財産をああいう形で押さえていてくれなかったら、とうてい持ちこたえることができなかっただろう。あれがお恵みでなくてなんだろう。」と述懐していた。

夢の中で、「大蔵さんを許してくれ」という父の言葉が、突然浮き彫りになって浮かんできたとき、その言葉は、紀元30数年、理不尽の極みで十字架上でこときれた、あるユダヤ人の死ぬ間際の言葉と重なった。「父よ、この人たちを許してください。彼らは自分のしていることの意味がわからないのです。」

なんだか自分の心に奇跡が起きた。事実は何も変わらないのに、心がふわりと軽くなった。そうか、自分も父のように死ぬのか、破れ畳のせんべい布団の上で、「許せ」という言葉を歓喜のうちに唱えながら