naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

娘の言葉

6月26日

娘の言葉。

先に描いて発表した3枚の絵のうち、2枚が借金のかたとして消えてから、私は腰が抜けたようになり、始めた4枚の絵がどうしても描けなくなった。素材が慣れた日本のキャンバスではないということもあって、絵の具は乗らず、構図はいいのに、全く絵にならなかった。

なんだか気が抜けて描けなくなった…とぼんやりしてつぶやいたら、娘が言った。「下降状態のときは描かなければいい。今はたくさんスケッチを描きためて、日本にいってから自分の慣れた素材で描けばいい。下降状態は、与えられた休息の時なのだ。奇跡はこれから起きるのだ。」

私はまるでゆうべの夢の続きを見ているような思いで、彼女の言葉を聞いた。

そうか、と私は筆を置いた。それから彼女と外に出て、スケッチブックを買ってきた。路上で見かけた珍しいと思った植物を、私は片っ端からスケッチした。

ところで私は再びつぶやいた。片っ端から絵をかけと言ったって口座に3000円しかないのに、どうやって日本で生きていくのだ。

娘は舌打ちをしていった。「だって、Tさんが10万円くれると言ったんでしょ?お母さんの身の回りであり得ないことが起きているのに、なぜそれを見ないで、マイナスのことにばかりに目の焦点を当てるのだ。」

そうだった。そのことをふと忘れていた。Tさんという、私の危急を知って以来、ずっと助け続けてくれた友人が、今回の帰国を知らせたら、当座の資金として10万円を、入れてくれるとメールをくれたのだった。彼女は2年前がんを患った。同級生を次々送る年齢になっていた友人たちが、彼女の闘病生活を慰めるため、それぞれの仕方で彼女を見舞った。あるものは、ルルドの水(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%89)を送り、あるものはロザリオ(カトリックの数珠)の祈りを送り、あるものは念仏を唱え、あるものは、病床にいって、共に祈った。

あのとき私はつえをついて、電車を乗り継いで静岡県まで行き、彼女の病床を見舞った。何も持っていかなかったし、大した言葉も発言しなかった。杖にすがってやってきた私を見た彼女は、がんで手術をした自分より、あなたのほう倒れそうだ、と笑っていたが、それがいつまでも心に残っていたらしい。

私の今回の71歳の瓦解の物語を見つめながら、倒れそうになると助けてくれた。

そのことを娘がいう。「そういう友達が存在するだけで、もう奇跡なのに、お母さんは計算上生きていけないことばかり、悩んでいる。地下に生えた根っこは成長するのだ、これからどんどん、奇跡は起きるのだ。」

日ごろはくだらんことばかり言っているヒステリックな娘である。自分が産んで育てた娘だから、あほらしいところばかりが目に付く。そのあほらしい娘がいったたまげるような言葉に、ゆうべ見た夢の意味が重なった。