naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「生きろ」、という意味だと、私は取った。

「生きろ」、という意味だと、私は取った。

イラク戦争が始まったころ、ネットの中に反戦運動のサイトがあって、私はよく発言をしていた。其の当時そのサイトを通して出会った「友人」が、二科展に発表された私の内戦語り部絵画を見に来てくれていた。あれから何年も経ったけれど、二科会を退いた私は、其の手の活動も積極的にはしなかったので、ここ数年はその友人に会う事も、連絡し合う事もなかった。

声を掛け合う事もあまりなかったが、お互いにブログを覗くことだけは続けていた。彼はここ1年間の私の異常な体験を知って、何度か来るとはいっていたが、実はたいして実現するとは思っていなかった。ところが昨日、彼は県外から車を使って遠路はるばる来てくれた。

彼、学生時代から平和運動に身をやつしてきたそうだけど、いまは原発再稼働反対市民運動をやっているという。

「運動」と言うと人は全学連革マル派の凄いのを連想するかもしれない。私はそんなもの、知らない。私は「安保闘争」には参加しなかった。「学園闘争」などと言うものにも興味がなかった。

反戦運動なら、私だって、学生時代ベトナム反戦運動に参加していた。仲間も友人も一人も誘わずたった一人で黙々と参加していた。アフガン反戦の時は、私の絵「命の歌」を掲げて一人で歩き、イラク反戦の時は、とある仏教団体の呼び掛けに応じて、平和運動に参加した。坊さんの団体の南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏に続いて、キリスト教各派の讃美歌の合唱の、滅茶苦茶滑稽な不協和音の中を、やっぱり一人で黙々と歩いた。

足腰不都合になったいまはそんなことできない、と私は思っていたが、寂聴さんは車椅子でやっている。

彼の現在の反原発運動は、背中とおなかにサンドイッチマン状態の看板をぶら下げて黙ってもそもそ散歩みたいに歩いているらしい。それでも地方新聞の記事に取り上げられたとか、その写しを見せてくれた。私には、もう長時間の徒歩は無理だから、自転車デモを企画してくれたら参加したいと、後でメールしておいた。其の自転車デモに、三輪車の婆場チャリで参加したら目立つだろうな^^。絵ならいくらでもかいてやる。

彼が帰り際、カンパだと言って私に10万円を置いていった。

その10万円をじっと見て考えた。10万円は計算上、3カ月生きるための資金だ。しかしその10万円には、現実的な計算などを赦さない、別の臭いと、別の味と、別の意味が見えた。

彼が、ネットで出会った本来見ず知らずの人だったから。「見ず知らずの人」は騙す可能性90%を疑ってもいい人なのだ。其の人が自分の足で、わざわざ県を超えて初めて私の家を探してきて、「私を生かすための支援金」を置いていった。こんな私を生かすための。

「生かす」ってなんだ?10万円で寿司買って酒買って、3カ月過ごすことではないだろう。そうしたいのは山々だけど^^、見はるかすかなたに、いまだに浮かんで消える「あの思い」を、私は生きている間に実現する…その第1歩を踏み出せ、そういわれているような気がした。