naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

今日のニュースから

ちょっと自分の考え書いておこう。

ロムニー氏また逆風、共和党議員候補が「レイプによる妊娠も神の意図」と発言、という記事を読んだ。これは日本語に訳されて読むと、キリスト教の背景のない日本人の「神観」で「とんでもない」と思うかもしれないな、と思う。「神の意図」という訳だと、レイプそのものも神が仕組んだものだから、その結果に従えという風に聞こえるから。この発言は、生まれてくる命に対して人間が抹殺する権利があるかどうかという問題提起をしているのであって、どのような状況を経て生まれるかということが問題ではないのだ。

まして、宿った命を何ヶ月目以内なら殺してもいいとか、何ヶ月後なら殺したら罪になるとかいう取り決めだって、人間側の都合であって、命とは何かという本質的な問いの答えにはなっていないことは、キリスト教でなくたって産婦人科の医者なら知っているだろう。

キリスト教徒を多く抱えたアメリカの社会で、大統領選挙という背景がなければ、この考えは別に取りざたするような「異常な」発言ではない。だいたいキリスト教では、命はすべて「神から出てくるもの」であって、人間の都合によるどんな行動を経て生まれてくる命であっても、「神から出て来た命」である限り、人間の都合で抹殺する権利なんかないのだ。生まれてしまえばどのような境遇で生まれても殺しては罪になり、女性の皮一枚を隔てて中に宿っている命は殺しても罪にならないという取り決めの方がおかしいのだ。

キリスト教の宗派とやらによって、考え方に偏りがあるようだが、だいたい「宗派」というものが「偏り」から生まれた産物なので、あっちの宗派、こっちの宗派のいうことで正邪を争うのは、神とは無関係の人間の威信をかけた争いにすぎない。

だいたい聖書の中で「神の救いの業」にあずかっているのは、正当と呼ばれる結婚を経て正当と呼ばれる生まれ方をして、正当と呼ばれる生き方をして、正当と呼ばれる常識と、社会の取り決めと、宗教上の儀式に身を固めたファリサイ人でなく、そこからすべて外れた人間ばかりである。イエス自身が「正当な結婚」によって生まれてなんかいない。

マザーテレサが相手にした命たちも、人間社会から捨てられた命たちばかりだった。正当で育ちのいい、社会の一線を歩く日向の人々を、彼女は相手にしなかった。そして路傍に捨てられた命を彼女は拾い抱きしめて、彼女は「これはイエス様です」といって世話をしたのだ。この精神が、「キリスト教的に正しい」ものならば、アメリカの共和党議員候補の発言とされる命に対する言葉は正しいのだ。

受験の神様や縁結びの神様に神だのみするのが習わしの日本人にとって、神は災いをもたらすものではなく、常に人間の都合のいいことばかりもたらす存在らしい。神頼みしても神が言うことを聞かないときは、日本人は神も仏もあるものかと神を呪い始め、神は人間に都合によって動くものと決めている。つまり日本人の神観によれば、人間を支配するのが神でなく、神を人間が支配するのだ。だから人生の最悪の状態で生まれてくる子供など、神がもたらすはずがなく、したがって抹殺してもいいものを、人生の最悪の状況で生まれる子供を殺すのが女性の人権と結びつけて考えられる先進国アメリカの近年の考え方の方を常識と考え受け入れる。だから、アメリカの、たぶん、共和党議員候補の考えの背景に深い宗教的洞察を試みることなく、「失言」としかとらえられない。

私はその議員のことを全く知らない。宗教的背景も全く知らない。

しかし、もしレイプによる妊娠に苦しむ女性がいるのなら、それは女性の「人権問題でなく、命の問題として、あのイエスと呼ばれた男なら、またはマザーテレサなら、女性を保護し、その体内の命も保護するだろう。それは「神の意図」だからでなく、「神の意図に反した人間の行為の後始末」として1000万分の1の確率で生まれてくる尊い命に対する愛の掟のためである。

そしてなお、一言言いたいと思ったのは、自分が起こしたわけではない自分に都合の悪い人生の状況というものは、たぶん、「神の意図」ではなくても「神のかかわり」の中にあるだろう。生きていけば誰にでもある「苦しい状況」をどのように生き抜けるか問われているのであって、それはもしかしたら「与えられた試練」なのだ。

今は苦しくても、遠い遠い人生行路の果てに、何かが見えてくるのかもしれない。私はこの1年、詐欺被害にあって23年かけて蓄積した老後資金のすべてを失い、今もその結果に苦しんでいるが、神も仏もあるものかなどと思ったことがない。

お前はどのように「今」を生きるか、その課題を投げかけたのが神であって、それが「神の意図」と表現できるなら、そうだろうと思っている。それどころか、私は今まで気がつかなかった多くの尊い出会いを体験しながら、このマイナスの状況が、決して「ただのマイナス」ではなく、当然「女性の権利」や、「基本的人権」ともかかわりがなく、本物の愛の神に出会う前触れのような気がしている。

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