naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

ここ数日間の日記

1月29日

あまりに人間関係が煩わしく、ストレスがたまりすぎていて、つらいと思った。苦し紛れにふと、ああ、早く日本に帰りたいと呟いたら、日本に会いたい人がいるのか、と、主人が疑った。

え!まだそんな気持ちが現役にあるんだ、と私はむしろ感心した。私を人間扱いし、私を色付きの女扱いにしているんだ、この人。元気なんだなあ、と感じた。

私の神経はもう絶望的に張りつめていて、誰かに会いたいとか、誰かにあったら何とかなるとか、そういう希望を感じるような状態にない。

おまけに、私にはもう、色らしい色がない。色っぽさが現役だったら、会いたい誰かもあるだろう。人間関係が煩わしいばかりで、誰にも会いたくないから、一人暮らしが保障されている松戸の家に逃げ帰りたいんだ。家族が一番大事なんて思う余裕もない。

松戸に帰れば何か良いことがあるわけではない。いるも地獄、帰るも地獄で、これといった希望なんかありはしない。でも、とにかく、自分の責任で生きていられる。自分のことを自分で処理し、生きるも死ぬも自分の納得ずくでやればいい。

質問に答える前に「へえええええ、」と私が言ったら、彼は若いころの話をし始めた。私が主人を追ってエルサルバドルに来た46年前、私はエルサルバドルが素晴らしい国だと言っていたのだそうだ。何を見ても楽しみ、何を見ても感嘆していた・・・のだそうだ。

来たばかりのときに、サンタアナで書いた記録を読んでも、そんなことありえないんだけどね。私は高度成長期の東京から終戦直後を彷彿とさせるような国に来て、戸惑いに戸惑っていた。実家の家族との軋轢から解放されて、新しい人生を生きようという意気込みがあっただけで、エルサルバドルが素晴らしい国だなんて思った覚えはない。ただ、内戦体験の中で感動をしたのは、エルサルバドルという国でなくて、その国民性の愛情深さだったことは確かだな、と思った。

主人は元気だ。しかも現役に「夫婦」という感情がある。それが珍しいと感じるほどに、私の方は家族というものから退役してしまっている。病気なのかな、私は、と少し思った。

2月1日

骨がすっかり老化している、と感じる。薬は切らしているし、運動不足だ。行動が家族の管理下に置かれ、あらゆることをマリやエルサルおシンがやってくれる。うっかり放置すれば、鼻までかんでくれそう。この状況を私は「不自由で」「理不尽だ」と感じる。人はそういうのを「素直でない」というんだろう。常識人のそういうの、私はよく知っている。

昔80代になった母が、屑籠を自分のベッドからわざわざ遠くに放して置いていて、そばに寄せて「あげよう」としたら怒った。一人暮らしの老人の機能をマヒさせる気かと。彼女は本当に動けなくなるまで、買ってあげた簡易トイレもつかわなかった。電灯をつけ換えるために脚立に上って骨折したときは、医者が完全に寝たきりになると宣言したのに、母は断固として自らリハビリして、歩けるまで回復した。83歳だった。母のあの行動は極めて「非常識」だった。

「素直」というのは、「自力で生きない」ということかもしれない。そのうち、「自力」で生きられなくなることも知っている。しかし何も、介助がなくてもできることを「させない」という状況に甘んじることはない。

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監督の暴力で自殺した高校生のニュースを読んだ。友人の証言によると、彼の自殺の原因は、監督の暴行だけではない、大学合格に有利だというので、苦しいのを我慢してキャプテンになって、連日の暴力に耐えていたのに、キャプテンだからといって大学に入れると決まったわけでないと、監督に言われ、絶望したという。その証言は、自殺の原因を監督の暴力に絞ろうとするマスコミに対する監督擁護の証言だったらしいが、それが事実なら、なおのこと監督の指導の失敗は重い。

ニュースだけだと事実はわからないが、この高校生の苦悩と残された御家族の苦悩が重く私の心をとらえ続ける。そしてたぶん、自分の言動が原因で、生徒を自殺に追いやった監督本人の心ははかり知ることができないほど重いだろう。

かつて私は教師だった。だから、思うことがいろいろある。私の言動によって死に至らしめた生徒はいなかった。でも、傷ついた生徒はいるだろう。私だって、小中高校大学時代さんざん教師に痛めつけられた。彼らが無意識であったように、私も無意識だった。

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2月2日

定期的に季節の変化がやってくる日本にいるときと、季節の変化が感じられないエルサルバドルにいるときでは、生きている気持ちの上でも変化がない。ここ数年私を襲った災難ゆえに、私の気持ちはずっとよどんでいる。

人生のつらさは誰にでもあるだろう。でも人間は、自分を襲ってくるつらさを客観的に感じることなどできない。「自分だけが」とは言わないとしても、今自分がいる闇の中には仲間がいない。というより、仲間を求めない。特に、再起の可能性のない70代の無職無収入無一文の人間にとって、このまま死ぬのなら、一人になりたいと思う。私を引き受けた家族にとって私の存在が重荷のはずなのに、私にはその家族が重荷なのだ。私がいることに意味がない。70年、自分の存在理由を探し求めた私にとって、意味がないということほどの負担は重い。

ところで、つらつらとこの耐えなければならない人生の終盤について考えて見ると、自分はとんでもなく不可思議な体験をしたのだなあと思う。

詐欺にあって無一文になり、借金を背負ってあがいていたとき、かつて70年の生涯であったほとんどすべての友人達が助けてくれた。小中高大学の友人達、昔の職場の友人達、私が所属していたカトリック教会のメンバーたち、そして、出会ったことさえない、ネットの中の友人達が、別に連携したわけでなく、文字通り総動員で私を助けた。そのことは誰にでも起きる出来事ではないだろう、と考えざるを得ないほど、不可思議な体験だと、私は思う。

小学校の友人なんて、12歳の卒業以来、ほとんど付き合いがなかった。22年間の学生時代を通してたった3年間だけ通った公立中学にいたっては、顔を見ても誰と判明もつかない状態だった。ここ数年間メーリングリストの存在で、ほとんどメル友風に交流していただけだった。高校大学は年代的に一番近いとはいえ、人数が大勢で、親しくしていた友人は他界してしまった後だから、これもほとんど手がかりがなかった。教会は自分の気持ちとしてはかなり疎遠だった。ネットの友人にいたっては、関東に居住する数人以外、会ったことさえもなかった。

私は22年間の学生時代、アルバイトに明け暮れていたため友人を持たず、疎外感さえ感じていたはずだった。人は自分を変人だといい、敬遠していることを知っていた。そういう相手が、孤立無援の、へんてこな性格ゆえに敬遠していたはずの私の危急を知ってよってたかって助けた。

私が個展をやったり、ガレージセールをやったり、借金を申し込んだりした時に、かいつまんで自分の苦境を話したことは確かだが、自分のみっともない体験を別に新聞に書いて世界中に触れまわったわけではなかった。

しかし私を助けた人々は、文字通り私の生涯であった友人知人達の総動員だった。そのことをむしろ不審に感じていた私に、ある同級生が言った。「あなたがへんてこな人間だということをみんな知っている。でも、あなたが真摯に生きてきたこともみんな知っている。」

あの一言はうれしかった。「みんな」知ってはいないだろう。だけど、そういうことを言ってくれた友人が一人いたことに、私は感動して涙を流した。

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2月5日

体全体がむくんでいると感じる。たぶん運動不足が原因だろう。ほぼ4カ月、私は運動らしい運動をしていない。腰の神経に激痛を起こしたり、足の付け根に激痛を起こしたり、伸びをすると必ず、こむらがえりを起こす。

何もいいことは起きない。誰にだって、毎日いいことが起きたりはしないだろう。しかし悪いことしか起きないという状態が続きすぎると、生きる気力に問題が起きる。日本からのニュースは日本を取り巻く国際問題にせよ、社会問題にせよ、暗いニュースが多い。ニュースまで暗いものを読む必要ないと思って、何か面白いものを探すが、気を引き立てるようなものはない。

仕方ないから、ジグソーパズルをやってみる。徹底的にバカみたいで、一人遊びしかできない自分に腹を立てながら。