もし私が戦後の困窮時代を経験していなかったら

今、介護を引き受けていて、多くの衣類を手洗いでこなしている。(あ!「手洗い」って便所じゃないよ。「手で洗う」っていう意味ね。^^)私の実家に「洗濯機」なるものが登場したのは、確か高校時代だった。だから子供のころはすべて衣類は「手洗い」。テレビは大学時代だった。それに掃除機を入れて電化製品の3種の神器と呼ばれた物は、ある時代にドドット出てきたもので、6人兄弟で母子家庭で苦労した私の家にそれらの「高度成長期の」器具が登場したのは、ずっと後だったから、自分の手足で行動するという当たり前の生活を、私は成長期に体験していた。
 
もしあの体験がなかったら、今やっている介護の生活は厳しく辛いものだったかもしれない。電化製品の中で育ち、子供は勉強さえしていればよかった時代に育った娘は、今この国で使用人を電化製品代わりに使っていて、おかげで何もできない。箒も持つのを嫌がり、じい様の痰の世話など、夢にも自分がするとは考えていない。頭にきた私とうまくいかなくて、女中が去った後、娘は71歳の母親である私が女中の仕事をするのを、まるで当たり前と思っていて、手伝いもしない。爺さまの介護なんて、自分に当たるとは全く考えていない。
 
若い時の苦労は、人を作る。電化製品とゲームの世界で育った人間はその「人」ができていない。勉強だけできればいいかと思っている。学校の勉強なんて長い長い人生のうちのほんの15年にみたない、嘘みたいな行動だけど、それが人生で一番大切だと思っていて、息子の教育も、生活に必要なことは一切教えない。
私が子供時代の苦労をしていなかったら、今、もうばてていたことだろう。私は「今」の生活を肯定している。