介護の話

介護の話2013年03月07日
3月7日(エルサル時間)

日本のニュースで老老介護の果てに心中したり、殺したりという記事をたくさん読んだ。気の毒なことだと、その悲惨なニュースに悲しんだ。

日本人はみな気まじめだ。「適当な」ことを好まない民族だ。だから結局自分に疲れ果て、死を選ぶ結果になるのだろう。

私がいま取り組み始めた103歳の舅の介護だって、私は「適当な」ことができない。疲れ果てても、自分が伸びているのを知っていても、これは限界だな、と思っても、私の神経は爺様の世話に集中している。

ひっきりなしに痰を吐くし、排泄もまともにできないから、衣類は汚れ、悪臭がひどかった。おまけに彼は年金を支給されるたび、紙幣を握りしめて勘定するのを日課としていて、ズボンのポケットや靴下の中に隠しこむ癖がある。それが「とられる」のを恐れて、衣類の洗濯を拒むのだ。

たぶん、そのために、介護にあたっていた女中は、時には1カ月も着たままの衣類を洗わず、悪臭に耐えていた。私には、盗みの疑いをかけられるより、悪臭の方が苦痛だったから、隙を見ては彼の衣類を洗い、この2週間で家にたちこめていた悪臭を払拭することができた。

痰つぼのそばはドロドロで、その下に新聞紙を何枚か敷くのが習わしらしいが、それをみんな上の方から新聞紙を落として足で彼が座る椅子の下に置くのだけど、それがすごく汚らしかった。私が介護を引き受けてから、折り紙の心得のある日本人として、新聞紙をたたみ、位置を定めてテープを張って平らにしたから、痰は真ん中に命中するようになり、あとの世話が楽になった。

昨夜寝ている間、舅はずっと何かしゃべり続けていた。たぶん死者との交流だろう。寝る前に来ていた衣類を持ち出し、今日はたくさん洗濯ができた。でも、彼の寝巻がぼろぼろで、そでなど裂けているのを発見したとき、悲しかった。

彼はいろいろな仕事をしたが、人生の多くの時間、仕立て屋だった。息子たちの衣類はすべて彼が仕立て、私も若い時ズボンを作ってもらい、幼女だった娘にも、オーバーオールを作ってくれた。仕立て屋だった彼の人生の最後に、ぼろぼろの寝巻を着て暮らす彼が、気の毒だった。彼にだって自分の人生でやってきた仕事に対する誇りがあっただろう。

母も仕立てをやっていたからよくわかる。死ぬ直前までミシンを動かし、自分の葬式を意識して、「我が死出の衣装」と書いた藤紫のマキシの衣装まで作っていった。母は頑固で、おいそれと人と迎合しない人間だったから、多くの人とうまくいかず、私ともずいぶんやりあった人間だったが、母は死ぬまで誇りを持って生きていた。母は高貴だった。

ぼろぼろの寝巻を着せられたかつて仕立て屋だった舅を思う時、この舅の誇りを守り、高貴な生涯を送ってもらいたいと思った。まず今日洗った寝巻を繕っておこう、もう20年も前に捨てた裁縫道具をとりだして思った。貧しくても、仕事がきつくても、少なくとも、彼の人生の誇りを守るのが介護者の義務だろう、と私は思った。