こんな事を思いながら暮らしている

引きこもりとか、核家族とか、孤独死とか、根っこはみな同じ。

コンビニも、スーパーも、農家が個人的に出している無人販売所も、人と人が対話できる場所ではない。昔の八百屋、昔の肉や、昔の魚やで、対話をしながらレシピも教え合う、そんな場所がなくなった。

豆腐屋も、焼きイモやも、偶に昔の音程の音を鳴らして通りがかるが、全部テープで、しかも車だから考える間に通り過ぎる。

電話の勧誘も、訪問販売も、対話をなくした人々相手の、孤独に生きる人間の心理を見越して詐欺を働く温床。

私は持っていないが、スマホとやらは隣にいる人との会話まで顔を見ないで済む器具らしい。

なんでもいいけど、それで学校でのいじめとか、少子高齢化とか、寝たきり老人対策とか、認知症対策とか、すべてに先行して便利さと経済追求によって、人と人との対話をなくした現代社会のひずみが生んだ結果を、隣の人の息を感じることなく、また、特別な医療だの、特別な施設だの設けたって意味ないさ。

日本は戦後、原爆にたまげて、教育の根幹を放棄してしまった。私は一種のクリスチャンだから、日本が古来魂のよりどころにしていた、仏教や、神道のことは良く知らない。知らないけれど、宗教も道徳も振り捨てて、ご飯食べる前に手を合わせていただきますという事さえ拒絶するような、戦後の物質万能主義、経済最優先の状況を替えない限り、どんな立派な施設作っても、意味ないさ。

国家神道だって、神人天皇崇拝だって、日本だけの中でやっているならなんだっていい。日本人がそれによって心を取り戻してくれるなら。今上天皇夫妻は拝まれて喜ぶような馬鹿じゃない。

私が毎朝、2時間ばかり孤独に走るサイクリングロードでさえ、すれ違いざま目を合わせて、頭を下げる人がいる。うるせえ、ばっきゃろーとか、邪魔だ邪魔だあ、どけえとか叫んで行く人もいる。どっちも私は「面白い」と思う。スマホよりかは、人の心がよく見えるからね。感情を持った人間がそこにいるぞ、と感じるから。

天(あめ)の下 思いをかわして ちゃり走る