naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

振り込め詐欺考

NHKが、振り込め詐欺に会わないためにどうすればいいかという番組を毎日やっている。お笑い番組でもやっている。

あれを見ていると、老人とイメージされる動物は、よほどバカだと思われているらしいとしか思えない。人間は子供だって、若者だって中年だって老人だって、それほど変わらない生き物だという認識がどうもないらしい。

私も3年前詐欺にあった。20年間ためた老後資金をすべて盗まれた。私はその事のために苦しみ、3年間、まだ苦しんでいる。年金月額35000円で生活し、ほとんど「何とか生き延びている」という状況であった。友人たちがカンパを募って助けてくれ、ガラージセールで手持ちの物を売りに出し、絵を描いて、これも友人達に買ってもらい、人の恩恵で生きてきた。でも私は別に特別バカになったり、ボケていたり、認知症をわずらっていたり、家族の声が聞き分けられないほど耳が遠くなったりしているわけではない。

どうも誤解されているらしいし、対策を考えている人達も、一所懸命考えているようだから、経験者の意見を少し言ってみようと思う。

詐欺に会うのはボケているからでも、バカだからでも、不注意だからでもない。仕事も離れ、一人暮らしになり、家族にも誰にも何も期待されず、誰にも必要とされなくなった老人は、ただひたすらに人の声が懐かしいのだ。

ただ、問題は、人生を有意義に過ごしてきて、自分に誇りを持っている老人は、自分の孤独に気がつかない。人の声が懐かしい時、どのような行動を取っているかという事に気がつかない。問題はただその一点にある。

69歳にして、自分が持っていた英語教室の最後の子供を送りだし、私はとうとう一人になった。仕事に忙しかった時も私はすでに一人暮らしだったが、私はさまざまな勧誘電話、相手のわからない電話、間違い電話に応対したことがなかった。かなりぶっきらぼうに、私は電話を置き、其の事を失礼だとも思わなかった。

家族はみな国外にあり、インターネットがいつでも「好きな時」に通じ、スカイプ電話が「好きな時」にかけられるようになったら、家族はメールにさえ返事をよこさなくなった。メールより、「声」で「顔」を見せながら連絡を取り合う方がいいと、彼らは思った。国外にあると言う事は、時差があり、お互いの「都合のいい時」、または「好きな時」、「気が向いたとき」が一致するとは限らない。その事を家族は理解しなかった。

私は孤独を感じたが、孤独を感じている自分に気がつかなかった。

しかし、金魚と鶏以外に、動く物がない環境で、田舎の一人暮らしになってしばらくしたころ、これは後になって気がついた事だが、以前、自分が拒絶していたさまざまな勧誘電話、相手のわからない電話、間違い電話にさえ人懐かしさを覚え、ある時はしがみつくように、間違い電話の通話を引き延ばしていた。

私は誇り高く生きていた。だから、自分の孤独に気がつかなかった。孤独になった自分が、どう言う行動を取っているかも、客観的にみることはできなかった。

それどころか、あの時自分は、まだ人の役に立つ人間だと思っていた。若い時に出会った恩人のシスターの訃報を聞いた時、其のシスターの起こした事業、ヴェネズエラの路上生活者の子弟のための職業訓練校の事が気になった。もし可能なら、あの職業訓練校に、奨学資金を設立したい、という夢を見た。其の時それは夢でしかなかったが、ずっとそのことを念頭に置いて生きていた。

多分。あの時私は自分がまだ有用な人間であり、人助けができる人間であり、ある使命を持った人間であると言う思いを、孤独を打ち消すためにでっち上げたのだ。

私はそういう時に、債券詐欺に引っ掛かった。自分のためにお金を増やそうとしたのではない、人助けのために何かができる自分を夢に描いたのだ。その結果、自分はすべてを失った。そして今、人助けどころか、人の助けで生きる身の上になった。

今、ごく単純な、息子からの電話、孫からの電話で、助けを求めて来られた老人が、振り込め詐欺に引っ掛かるのは、思考力を失った老人だからだ、認知症のせいだ、子供の声も聞きわけがつかなくなったせいだ、というような理解で、いろいろな対策が講じられているらしい。

対策を講じるのは結構なことだが、老人が詐欺に引っ掛かる理由の設定を間違えているとしか思えない。

孫の声がどうであろうと、息子の声がどうであろうと、「頼られた」老人は、「自分が孫や息子にまだ頼られる人間だ」と感じた事実がうれしいのだ。誰にも頼りにされず、むしろ邪魔にされ、無用の人間とされる環境になってみて、孤独になった老人に、「助けてくれ」という声は、救いなのだ。その事の本質を理解しないで、息子の声ぐらい間違えるな、と言ったってしようがない。

日本は戦後、「核家族」が当たり前の「通念」、「常識」となった。そのことが「姥捨て山思考」に他ならず、人間社会の根本に必要な「愛」の精神を失った「常識」である事を、世は理解しない。「無用の」人間となった老人が、息子や孫を騙る人物の声に、「ああ、自分は頼られた!」と思った時の喜びを、共有できる人間はいないらしい。

一方的に老人の側に問題があると断じて、対処策などをしつこくテレビで流している。聴覚や視覚や記憶力や思考力の衰えた所為だと断じて対策をこうじたって、意味がない事を、詐欺被害にあって、自己分析を3年間し続けてきた私は、その事実をここに書き留めてみようと思った。