naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」7月 29日

慟哭

 

1980年8月、39歳の私に赤ん坊が生まれた時、そのことをいち早く聞きつけてプレゼントを持ってきてくれたマルタは、私がエルサルバドルで出会った最初で最良の友達だった。彼女は6人兄弟のなかの一人娘で、聡明で柔和な婦人だった。年齢は多分私より10歳は若かったろう。御主人は,大学で私の主人と仕事仲間だったし、うちの娘の誕生と前後して,この家族のほうにも女の子が生れたから,家族どうしの行き来も増えた。

 

マルタの5人の兄弟は,歌が上手で,ギターをかかえてバンドを結成していたので,パーテイーなどには,その5人の兄弟を全部まとめて招いたりしていた。彼らはいつも仲間内の家庭パーテイーの楽しい主役だった。

 

社会情勢が不穏になり,反政府勢力の温床と見られた大学が閉鎖され,次々と大学関係者が行方不明になり始めたある時,エノクがマルタの御主人に頼まれて,我が家を宿として提供した事があった。マルタは友達だけれど、その時彼女は来なかった。

 

ところで、私が当惑したのは、エノクはその友人一人を私に托して、その日はそのまま出張に出てしまったことだ。うちに泊まったエノクの友達は,次ぎの日,数人の仲間を招じ入れた。はじめ気がつかなかったが,其のうち私は妙なことに気がついた。

 

そのメンバーが家を出入りする時,必ずカーテン越しに仲間のうちのだれかが外を見て,何かを確かめている。しかも「見張り役」は窓の外から見えないように、端に束ねたカーテンと壁の間に身を隠し、そっと外をうかがっている。私は不審に思い,それとなく観察していたが、そのうち,其れが何を意味するのか本能的に察知した。この人達,警察を警戒している。

 

私は身体をこわばらせた。家には私と赤ん坊しかいない。何かが起きたとき、私はどうやって自分と赤ん坊の身を守るというのだ。無防備の私が其のとき取った唯一の方法は、まったく知らぬ顔をすることだった。無知で無教育で言語のわからぬ外国人として、徹底的に私はばかを装おおう。赤ん坊をあやし、ご飯を作り、掃除洗濯をすること以外に脳のない女になろう。

 

「知る」ということの恐ろしさを、同時に「表明する」ということの恐ろしさを、私はすでに十分理解していたから。 私はもしものときのため、日本国籍を証明するパスポートを家の中でも携行し、マルタのご主人の仲間に何を言われてもニコニコ笑って、スペイン語が理解できないという表情を見せた。

 

敵を欺くには味方を欺くしかない。私はその上で、赤ん坊を相手に、ベロベロバーとか、カイグリカイグリトットノメとかいう、日本の赤ん坊をあやす言葉を勤めて大声で言いまくった。

 

其れからまた時が流れた。或る時エノクはマルタの一家を家族ごと連れてきた。今晩からうちに泊めるよと彼は言った。エノクは私が見たあの事を知らない。私は何も報告していなかった。私が知っていると言う事を主人に知らせるのも怖かった。そのことが時には,生死を分かつような事態を引き起こす事を私は案じたからである。二人とも何かを知っていたとしても、二人とも無言でいたほうがいい。「この人は何にも知らないのだ、」と何かが起きたとき、お互いにいうことができ、そして二人のうちどちらかが助かり、そして、生き残った方が赤ん坊を保護することができるだろう。

 

マルタ夫婦と3人の子供が私たち3人の中に加わった。私はこの家族が警察の目から逃げ回っているのだともうほとんど疑わなかった。同じエルサルバドルの国内で、自分の家があるのにそこにいられないということは、それなりの事情があるのだ。それがどういうことなのかを私は知っていた。そして3人でなく、8人が一緒にいることが、2つの家族を全滅に追いやるかもしれないことを知っていた。全滅になっても人を助けることの高潔さを私は知らないわけではなかったが、赤ん坊を抱えた動物の本能はその高潔さを持たなかった。私は一人で苦悩した。赤ん坊はなんとしても守りたかった。他人の子供でなく、自分の子供だけを。

 

危ない。いつかのエノクの留守中の、マヌエル(マルタのご主人)とその仲間の怪しげな行動が目の前にちらついて仕方なかった。家は軍隊の駐屯地のすぐそばなのだ。ここで彼らが逮捕されるような事態が起きたら家族は二つとも全滅だろう。全滅の家族を私はたびたびみてきた。それは「逮捕」などという形式を踏まなかった。いきなり踏み込んで銃激戦が始まり、一瞬のうちに家の中は血の海となる。恐ろしかった。私は最悪の事態を想像し、自分の家族だけは守ろうと、そのとき思った。何とかしてこの危険な家族に出ていってらおう。

 

子供達は小さかったから,いろいろないたずらをした。見過ごせる普通のいたずらである。其れを私は利用しようとひそかに思った。暗い本能が私の中に芽生えていた。私はこの夫婦が子供を私に預けて出て行ったとき,主人にいった。「自分は子供の扱いを知らない。経験が浅いから、自分の子供の世話で精一杯だ。あの子達勝手に冷蔵庫あけて、こんな非常事態に備えて計画して保存しておいたものを許可も得ないで勝手に食べるし、どこにでも入っていって、何でも引っ張り出して片付けないし、他人の子供だからいくらめちゃくちゃだからって、しつけようと思ったって遠慮もあれば、言葉も通じないし、いきなり言葉も習慣も違う子供を3人も押し付けられたらどうしてよいかわからない。事故でもおきたら責任取れないから困る。」もっともらしく言ってみた。

 

主人は案外簡単に、反論もせず「そうか」と言い,なんとか話しをつけて,友人の家族は出ていった。主人がちらりと一瞥した表情の中に、私は彼が私の本心を悟ったのを見て取ったが、二人とも何も言わなかった。彼は私の本心を「了解」したのだ、と私は勝手に考えた。

 

その後彼らは,メキシコに逃れた。私はひそかにホッとし,自分の行為を自分に赦した。ところが,其れから3ヶ月後,彼らは,子供の就学の問題で帰ってきたのである。帰って1週間後,マヌエルは自分の子供を学校に迎えに行って、学校の構内で子供たちを待っていたとき、狙撃され、死んだ。狙撃したものも、されたものも、同じ学校の父兄だった。マルタはその父兄を知っていた。

 

彼女は深い深い目つきをして私を眺め、自分はあの人を追求する気はないといった。そのひとにも彼女の子供と同じ年齢の子供がいた。あまりにも多くの子供たちが親を失い、そして、問題が何も解決しないことを彼女は知っていた。マルタは柔和な、気高い女性だった。彼女はたぶん人間的な情愛を超越した一段高い愛に生きる女性だった。

 

そのマルタの崇高な態度を見て、自分は自分の行為を恥じた。自分が彼らを追い出した事と,彼の死とは確かに直接関係が無かった。しかし,私の心は痛んだ。私は自分と自分にかかわりのある家族のことしか考えず、自分の夫を騙し,彼らを騙し,助ける事を拒んだ。その事は,自分の心の問題として,一生私を苦しめるだろう。

 

ああ、マルタという人は、なんという高潔な人だったのだ。何が起きても心乱さず,何時もやさしく気品が有った。もっと人間らしく、または動物の本能の命ずるがままに無様をさらけ出す人間だったなら、私はどんなに安心しただろう。しかし彼女は終始態度を崩さず、御主人の死に対しても気丈に冷静に振舞った。取り乱した子供達には,「お父様は正直で正義感の有る方だったから,天国にいらしたのよ」と言って聞かせていた。まるで雛をかばう親鳥のように、残された3人の子供達を抱き寄せ、お腹の中にいた赤ん坊を気遣いながら、暗殺された御主人を誇りに生きていこうと決意していた。民衆の側に立って戦い、そして命をささげていったマヌエルへの誇りが彼女を支えていた。

 

それから。それから事はそれだけで終わらなかった。彼や彼女と行動を共にした人,其れが単にマヌエルの葬儀に出席しただけの友人でさえ,次ぎから次ぎへと消えて行った。彼女の家族も消えて行った。あのバンドを結成していた,楽しい5人の兄弟も,拉致され監禁され,死体は路傍に遺棄され,老いた母と彼女だけが残った。最後におじが殺された時、彼女は彼の埋葬の場にまでやってきた,銃を持った軍隊に向かって,始めて叫んだ。

 

     Hijo de puta!! Gran mierda!!

 

ひざを折り地をたたき,はらわたを振り絞ってほえた。この言葉はあの高潔な女性の気品の有る態度から想像もできない言葉だった。一体この言葉をどうやって日本語に訳したら良いのだ。胸かきむしり,目をいからせて,はらわた振り絞って発した彼女の絶叫を,私はどんな外国語にも訳せない。字面をそのまま移し代える事ならいつでも出きる。だけど,そのような,翻訳が何になろう。強いて訳すとするならば,この声を声として伝える以外に無い。聞けや,諸人,この声を。地を振るわせ,雲をつんざくこの声を。

 

グオオオオオオオオオオオオオツ !!グアラグアラグオオオオオオオオ!!

 

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「慟哭」

私はのちに日本に帰って絵描きになったとき、泣きながらこの絵を描いた。

 

「後日譚」

 

マヌエルの葬儀の時、マルタにとって思わぬ過酷な人生の展開が待っていた。

 

マルタが信じ、尊敬し、心のそこから愛していた夫マヌエルの葬儀に、マヌエルの愛人が出席していた。その愛人がマヌエルの遺骸に抱き着いて絶叫する中を、マルタは喪主として動揺する子供たちを守りながら、涙を見せず毅然として耐えた。

 

そのことを葬儀に出席すると何がおきるかもしれないことさえ気がつかずに出席した、マヌエルの友人がみていて、マルタに面と向かっていった。

 

「ほら、みろよ。愛人のほうがマヌエルを愛していたんだ。マルタはご主人が死んでも泣きもしないじゃないか。そんな風に冷たいからマヌエルは愛人のところに走ったのだ。」泣くか泣かないか、ということを持って、愛情の有無を測る、単純な能無し男の言だった。

 

マルタはそれまでマヌエルの不義を知らなかった。彼女のあの気高さを支えていたのは、実は彼女の夫に対する誇りだった。夫は民衆の側に立ってこの国の矛盾と戦いながら、強固な信念を持って革命の思想を生きているという、自分はそういう人の妻なのだという誇りを持って生きていた。だからその生も死も、革命の信念の元に浄化し、毅然と胸を張って、涙を見せたりしなかった、昔の日本の武士の妻を思わせるような態度だった。

 

そういう彼女を私は脇から見ていたし、彼女の心に「冷たさ」など微塵もない事を私はよく知っていた。

 

しかし彼女は、亡き夫の友人の言葉に激しいショックを受けた。相手はまったく相手にするに足らない人間だということは、他人の身の私にはわかったが、彼女はもうその時までに、十分過ぎるほど傷つきすぎていた。心はすでに何かの変化を受け入れる隙間がなかった。

 

確かめようにも、話し合おうにも、解決しようにも相手が死んでしまった後の不義の発覚である。信頼も誇りも地に落ちた。彼女は今まで仲良くしていた友人たちのだれかれに、事の真偽を尋ねまわった。

 

彼女にしてみれば夫の濡れ衣を晴らしてやりたい思いもあったろう。しかし彼女の友人たちは彼女をあざ笑うように、「鈍感で正直」だった。

 

「その事実に間違いない、みんなに知れたことなんだ」と異口同音に答えたのだ。

 

その事実を知らなかった私のみが、苦しむ彼女の傍らに、沈黙して立っていた。夫を失った彼女の元に、そして、逆に夫を裏切っていたとさえ誤解された彼女の元に、訪れる人がいなかったとき、私は言葉もなく彼女の傍らに立っていた。「傍らに立つ」事以外に、私に何が出来ただろう。

 

私は彼女の夫が死んだとき、子供たちに「お父様に誇りをもって生きなさい」と気丈にいってきかせている彼女のために、マヌエルの肖像を木炭で描いた。だが、私は彼女にそれを渡せないまま、別れ別れになって20年の間、それを保管していた。

 

幸福とは真実を知らないことによって保たれる、とは、かの芥川龍之介が追求した人生のテーマである。

 

マヌエルが亡くなってから暫くして、マルタは女の子を産んだ。内戦で家族が次々と居なくなっても、新しい生命は生まれていた。ご主人の忘れ形見とは言いながら、マルタは複雑な思いだった。その子の事でさえ、口性の無い者は「あれはマヌエルの子ではない」とうわさした。不義を働いたのは、ご主人のほうであって、彼女ではなかったのに、マヌエルの支持者たちは、彼をかばうかのように、高貴な婦人を非難した。

 

しかし新しい赤ん坊は、しっかり今はいない父親そっくりだった。

 

それから我々一家は3回引越しをした。エノクはいつも無言で引越しの決意をし、引越しの理由は言わなかった。そして私は、その理由をあえて知ろうとはしなかった。激動の人生を歩んだマルタとその一家とは、20年の時を隔てて運命が二人を再開させるまで、お互いに全く消息を断っていた。