naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」7月30日

「ひな祭り」

(内戦の中の疑似平和)

 

娘が初節句を迎えた。当然のことながら、エルサルバドル節句などと言う習慣はない。だけれども、私は日本のお祭りの中で、桃の節句が一番好きなお祝いだった。自分はお雛様などもっていなかった。でも3月3日の雛祭りだけは、亡くなった姉のものだったひな壇が飾られた。それはそれは待ち遠しい、1年に1度のお祭りだった。

 

そのひな壇に、たった一つ自分の所有物である、細長いこけし人形があった。それは私の幼年時代のたった一つ、自分のものと認知された、「宝物」だった。あの貧しかった、美しいものなど無かった時代に、自分が所有していい唯一の宝だった。ひな祭りの一番下の段に毎年飾られる「自分の」人形を、いつもいつもそれだけを楽しみにひな祭りを待っていた。

 

ところが、戦後押し寄せてきたアメリカの占領軍の一人の兵士に、母が私に何も知らせずにその宝をやったのだ。それに気がついた私は、あの時ほとんど絶叫して泣いた。1年に1度しか見ない人形だったが、あれ以外に自分の持ち物がなかった。

 

アメリカの占領軍にどんな義理があるかを私は知らなかった。私は子供がこれ以上生れたら困るような時代の9人兄弟の末っ子だった。下の子が生れていなければこんなに貧乏しなかったと、年がら年中言われて育った。自分の所有物など何もなかったのだ。勝手に生んでおきながら、生まれたほうのせいにするのかい。成長してから、私はそう思ってほざいた。

 

私に許された全くひとつだけの宝を取り上げられた思い出は、痛みと共に30年私の記憶にうずいていた。あんなことは自分の子供にはするまいと、いつも私は考えた。

 

長じて私が結婚を決意して故国を離れるとき、密かに自分は、どこの国にいても自分の娘にはひな祭りを祝ってやりたいと考えた。結婚する前から勝手に「娘」を生むつもりでいたのだ。私は当時住んでいた八王子の町で、内裏雛を探し回った。9月だったから、時期が悪くて見つからず、昭玉の遺作で、鈴を持った男女の日本人形を見つけた。そのふっくらとした顔立ちと、王朝の衣装が、内裏雛として売られているものより上品ですばらしかったので、それを買ってエルサルバドルまで持ってきていた。

 

それから、どうしても、生んでやろうと勝手に決めていた娘のために、あまり顔は気に入らないが、浅草まで行っておかっぱ頭の市松人形を買った。妊娠してから、眺めていたのは、この人形である。

 

期待通りの娘が生まれ、その初節句のお祝いとしてはこれじゃたりないなと思った。それで、又町に出て私は中国人の店で赤い布地をみつけた。赤だけじゃ寂しいので、刺繍をしたりして、着物姿の抱き人形を作った。

 

それらをみなグアテマラの鮮やかな色彩の織物の上に飾って、おすわりをはじめた娘を中央に座らせて記念写真を撮った。当然のことながら、この日本のお祝いを理解する人はいなかったし、まさか期待もしてはいなかった。私の発案した急ごしらえの、ひな壇に一人私だけが満足した。内戦だったし、身内の祝いというものを誰かを呼んでするものとは思ってもいなかった。

 

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自作の人形はどこに消えたのか、わからない。手前にある「昆虫図鑑」は日本の友人が送ってくれたものだろう。

 

「ピニャタ」

 

この国では子供の誕生日はかなり盛大に祝う。ピニャタと呼ばれるこの国独特のにぎやかなお祝いは、親戚中の子供も大人も集まり、一人の子供を招待すると、その子供の一族眷属がみんなでやってきてお祝いを持ってくる、それはすごい大掛かりなパーテイーなのだ。家が狭ければ、どこか会場を借りてでもやらなければできない。何しろ一人よべば、その子の一族がわんさわんさとくるのだから。

 

こちらが何も頼まなくても、当たり前みたいな顔で、親戚はみな台所に入って、裏方を務めてくれる。食事を作り、ケーキを切り、子供たちにお菓子の袋を配る。どの子にとっても楽しい祭りに違いない。

 

ピニャタは、紙でできた空洞の人形で、これは市場の専門の店に売っている。動物の形やテレビなどのアニメをかたどった人形や、色とりどりでなかなか楽しいものだ。中に飴だのお菓子だの、家族によってはコインだのを入れて空洞を一杯にする。それを中庭を巡る廊下の天井につって、滑車に紐をかけて上下して揺らすのを、誕生日の子が目隠しをされて、スイカ割りの要領で棒で人形をたたき、割れて中から出てくるあめ等を、参加した子供たちが我先にと拾うのだ。

 

ピニャタを割る子は、初めは誕生日の子だけれど、赤ん坊でも祝うので、そういう時は他の子が代わって割る。中には可愛い華やかなピニャタ人形を割るのがいやだと言って泣く子もいる。

 

この日、誕生日の子は、特に女の子はそれはそれは華やかな衣装を着る習慣がある。まるで御伽噺のお姫様のような衣装を着て、皆に祝われて喜んでいる子供の姿は微笑ましい限りだ。こう言うお祭りを、この国の人々は、内戦があろうと、死体が町にころがっていようと、全てを忘れて挙行していた。

 

娘が初めての誕生を迎えた時は、当然自分の子供が無事お誕生を迎えたことがうれしかったから、祝ってやるつもりでいた。でも、私はまだエルサルバドルという国の子育ての習慣を知らず、自分の子供のお誕生なんて自分たちだけで勝手に祝うものだと思っていた。

 

私は、お誕生祝いというものを、うちでも外でも経験したことがない時代に育ったから、どうすべきかも見当がつかなかった。他人を呼ぶなんて考えも沸かず、家族3人だけで祝おうと、ささやかなケーキを作り、ろうそくを一本たて、プレゼントに自分で作った日本人形とドレスを並べたとき、呼びもしない親戚や友人たちが、娘の誕生日を覚えていてくれてお祝いを持ってきたのが、なんだかすごくうれしく、感激したものだ。

 

「いったいなぜ、この人たちは娘の誕生日なんか覚えていてお祝いなんかするのだろう?」初めの一瞬はほとんど当惑を覚え、そして、やがて感動が心にみなぎった。それはほとんど疑問だった。だって、お祝いにきた親戚達の表情は、日本で経験したような義理と儀礼の空恐ろしい挨拶でなく、皆晴れ晴れとして本当にうれしそうだったから。

 

ひねくれでも僻みでもなく、私はエルサルバドル人が他人の子供の成長をこんなに本気で祝う民族だということを全く想像もしていなかった。彼らの表情は、大げさでなく、本当に呆然とするほどの喜び方だったから。(ちなみに、私はその後日本に帰国してからも、他人の子供の誕生に、これだけ文字通り手放しで「馬鹿みたいに」祝う人間を見た事がない。)

 

子供の誕生を祝うのに、ピニャタというものがあることを知ったのは、その後、いろいろな誕生会に娘が招かれてからだ。この国では、子供が生まれたら、おっぱい飲んでいる赤ん坊まで、こういう祝いに招く習慣がある。私も赤ん坊を連れておどおどしながら参加し、それでやっと、この国の習慣としての子供の誕生会を知ったのである。

 

 

娘が2歳になるころ、私たちはエスカロンという高級住宅街にある、大家が日本人の家に住んでいた。家は広く、庭が奥にある落ち着いた住まいだった。家の向が谷間になっていて、その谷間と向こう岸が、なんと貧民街だった。

 

貧民街というよりも、人が住んでいない場所は家のない民衆がいつのまにか住み着くのだ。大家にその貧民街の人たちに気をつけるようにいわれたが、道で会う彼らは誰よりも親しげに挨拶をする、気のいい人たちに見えた。

 

娘はまだ一人で外に出る年齢ではなかったので、高級住宅街に一軒隔てて住む家の同い年の子に娘の友達になってもらおう考えて、よくつれていった。しかし、2歳の娘にはすでに自分の友達を選ぶ自意識があったらしい。

 

彼女はそのウエンデイという高級住宅の住人の子とはあまり遊ばず、通りで見つけた貧民街の子供、ダニエルとチェピートと仲良くなった。もう大きい子で、7、8歳ぐらいにはなっていた。しかし小学校には行かずはだしで、襤褸を身につけて歩いている。どういうわけかその子達と一緒にいると娘はすごく機嫌がいい。いろいろ言葉も覚え、遊びも覚えた。

 

2歳の誕生日、ピニャタを娘の為にもやってみたいと思って、エノクに言ったら、彼はそうか、といって黙って自分の知り合いに、ピニャタやるぞやるぞと声をかけ始めた。そういうやり方で、なんとなく人を集められたら、人数もわからなくて、準備が大変だぞと思っていたけれど、それもなんとなくエノクが決めているので、任せておいた。

 

ところでエノクは、娘の知らない自分の知人の家族ばかり呼び集めているのを見て、どうなることやらと考えた。こう言うパーテイー初めてなので、実は私がおびえていたのだ。

 

私が一応呼んだのは、大家の子供たちと、ウエンデイと、親戚の子供たち、それでも娘が親しいわけではない子達ばかりなのだ。後は娘が見たことも遊んだこともないエノクの友人の家族ばかりだ。

 

私はそっとエノクに上目遣いで尋ねた。「ダニエルとチェピート、招んじゃだめ?」

「え、友達なのか?」とエノクが怪訝な顔で、聞く。

 

「あの子達だけど…」と通りに出て遊んでいる裸足の子達を目で指してエノクの顔色をうかがった。彼は私の上目遣いの意味を察した。襤褸をまとった子供達が、豚と遊んでいた。到底彼が呼ぼうとしている友人達の子供とつりあいが取れるはずが無い。エノクが「つりあい」を問題にしたらアウトである。

 

しかし彼は一寸考えてから子供たちを手まねで呼んでいった。「君たち、ピニャタに来たいか?」子供たちは目を輝かし、「うん、うん、」という。「学校の制服あるか?」と聞いた。学校に行ってさえいれば、一張羅の制服があるはずだから、それを着てくれれば、この子達が襤褸を着てきて、招こうとしているいろいろな階級の人たちに余計な気を遣わせなくてすむ。夫のそういう配慮だった。

 

しかし彼は答えた。「ママが、僕が生まれたのを役場に届けなかったから、学校にいけない」。つまり、出生届を出していないから、役所が就学の通知をよこさないのだ。出生届よりも何よりも、彼らは公認された「定住地」を持っていないのだ。

 

私は夫の気持ちを察していった。「ピニャタにはみんな余所行きの服着てくるから、その服洗ってからこられるでしょ?」と聞いたら、「うん!」とチェピートは元気よく言った。「僕すごくカッコよい身なりでくるよ!」

 

ピニャタの日、チェピートとダニエルは元気に一番乗りでやってきた。チェピートはきちんと洗った服に着替えて、しかも手には花束を持っている。

 

「お母さんがこれあげなさいって、くれたよ、お母さんは花を売っているんだ。」そういってチェピートは持っていた小さな花束を娘に渡した。

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チェピートは遠慮して写真に入らなかった。

 

この祭りが終わってみんなが帰るころ、家にはお誕生祝いの山が残った。各種玩具、ぬいぐるみ、かわいい洋服、本、お菓子、その他がテーブルの上に山と積まれているのを見て、私は腰を抜かしたものだ。これが世界で一番貧しい国の、内戦で荒れた国の、たった二歳の子供のお誕生祝いかと。

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処理しきれないほどのプレゼントの山

 

遠い経済大国日本をあわせて思い出した時、この国は日本に比べて貧しくないな、と心から思った。

 

そして普段裸足で襤褸をまとい、役場に出生届も出ていないチェピートの持ってきた花は、娘と一緒に毎日手を合わせていた家庭祭壇の十字架のよこに飾った。

 

聖書の中の、物語、貧しい婦人が自分の持っている指輪を献金箱の中に入れたのを見て、イエスがいった、「この婦人は誰よりもたくさんの献金をした。あの婦人達は有り余るものの中からすこしのお金を献金しているが、この婦人は持っている全財産を入れたのだ。」という言葉を思い出し、そのチェピートの小さな花束が尊かったからだ。

 

「変な動物」

 

エノクが勤めていた大学が閉鎖され、政府軍に大学が占拠されてから、彼は大学に籍を残したまま、CELという地熱発電会社に勤めたので、彼はよく地方に出張する身となった。私は其のころ、あまり必要も感じなかったので、メイドも持たず家事はすべて自分でこなしていたから、エノクが出張するときはいつも子供と二人だった。

 

私は手当たりしだい、スケッチをしてはいたが、まさかすべての動植物が、我が家に集結するわけではないので、やっと見つけた小学生用の動植物辞典(図鑑という方がいいような、スペインの出版物で厚さ3センチくらいの本)をよく開いては、娘に読んで聞かせた。実は自分のスペイン語学習もかねていたのである。

 

おかげで娘は2歳にして、文字こそ読めなかったけど、動植物学者になり、動物を見たらchucho(エルサルバドル方言で、犬のこと)しか言えない子を相手にサルの種類だの、亀や蝶々の生態だのをいって聞かせて得意になっていた。

 

薄気味悪そうに大人がそういう娘をみているのを見て、「ちょっと、やりすぎちゃったかな、私…」と不安にもなったけれど、まあ、私のいつもの癖だったからいたしかたない。

 

あるとき、見たこともない動物が家の庭で動いていた。猫でも犬でもなく、明らかに野生である。私もなんだか気になるし、娘もあれは何だとしつこく聞いてくる。鼻がとんがっていて、毛が余り密集していない。尻尾が長くて、あまり可愛いとはいえない動物だ。チワワぐらいの大きさで庭の隅でえさを探しているのか、ごそごそ音がする。危険なのか無害なのか、名前を知らないということはちょっと恐ろしい。

 

名前をつけ、生態を知れば、対処の方法があるから、ライオンでもこれほど怖くない。

 

いっそ名前をつけてしまえと思った。アダムとイブだって、知らない動物を支配するため手当たり次第動物に名前をつけたのだ。日本が朝鮮民族に創氏改姓させたのは、支配するためであって、同化させる為ではない。日本人がアメリカに住むと、子供の名前を日本の伝統を破って、メアリだの、ジョンだのとつけるのは、アメリカに支配されたがっている証拠なのだ。

 

実際にアメリカに留学している日本人は仮の名前を白人風にして、かっこいいと思って喜んでいる。名前をトミーやジミーにして、髪の毛をマッキイロに染めたって、同化したがっている相手方の白人から馬鹿にされるだけなのに。自分でないものに化けたって、本質が変わるわけじゃない。

 

未知の動物ごときで、変なことを考えちゃった私は、この新しい動物に名前をつける行為が、何か、自分の主義に反するものとぶつかったように感じた。しかし、動植物学者の娘はうるさくあれは何だ、何だと迫ってくる。

 

仕方ない、根負けした。私は画帳にその動物をスケッチし、隣のうちに持っていって、「この動物が庭にいるけど、いったい何物か」と聞いた。「ああ、それは、タクアシンだ。」と、すぐに答えが返ってきた。そうか、タクアシンか。しかし今度はそのタクアシンなるものが気になった。どういう動物の種に属するのか知りたかった。

 

何とか自分の知っている動物の範囲に近づきたい。しかし、動物を見れば、chucho(チューチョ、犬)といい、鳥を見ればpaloma(パロマ、鳩)と言ってはばからぬこの国の人々に、タクアシンという名を聞きだしたことで満足するべきだった。

 

そこでスケッチと名前を私は教え子の崔さんに送り、「この動物をできるだけ早く調べて知らせてほしい、知らない動物が庭にいると私も娘も眠れないほど苦しむのだ。」と書いた。彼女はすぐに心得て一生懸命調べて返事をくれた。それは有袋類オポッサムだった。

 

有袋類って、あのコアラとかカンガルーと仲間なの?へえ・・・」と思った。食べるものはミミズだの地中の小動物らしくて狂暴ではないらしい。私は安心し、娘に報告した。「これはオポッサムといって、コアラみたいにおなかに赤ちゃんを入れる袋を持っている面白い動物なのよ。」娘は表に出ていって、「これは有袋類に属する動物でオポッサムというのである。」と友達に報告した。

 

「夢」

 

子供と二人で昼寝をしていたあるとき、夢を見た。

 

夢の中でタクシーに乗った。その運転手は見たことのある女性のような気がした。誰だろうと思い出そうとしたが思い出せない。運転手は私がいく先を言っても聞きもせず、ただひたすらにフルスピードで走った。運転手が何かぶつぶつものをいっているが、言葉が聞き取れない。

 

「とまって、とまって、もうここで降りるから」と、その暴走に不安になった私が運転手に懇願した。しかし運転手は見向きもせず、くだりの坂道をブレーキを踏むことなく走った。外の景色を見ると自分の窓際から下は、いつのまにか断崖絶壁になっていて、道幅が異様に細く、ちょっと踏み外したら崖の底に落ちていきそうだ。恐る恐る下を見る。底の見えない地獄のような深遠が続いている。

 

その深遠を見ながら思い出した。運転手はいつの間にかリタになっている。あのデフェンサを味方につけて、ピストルを振り回して、エノクに結婚を迫った女性だった。

 

この暴走の意味を悟った私は、はたと運転席を盗み見ようとしたら、いつのまにか運転手がいなかった。私だけがただひたすらに深遠に向かって、暴走して転がり落ちる車の中に取り残されていた。諮られた!

 

ウワーーーーーーーーーーーッ!!!と叫んだそのときである。隣に寝ていた2歳の娘が私の手をぐいぐい引っ張っているのに、気がついて目が覚めた。

 

娘は必死で"Te ayudo!(テアジュド)"と叫んでいる。「私がお母さんを助けてあげるから!」という意味である。呆然として目覚めてしまった私は、そこに赤ん坊の娘が座って、真剣な表情で、懇親の力をこめて本当に私の腕を引っ張っているのだ。

 

私は今見た夢よりも何よりも、2歳の赤ん坊が母親と同じ夢の世界にいて、母親の危機を知って必死で助けようとしていることに驚いた。

 

目覚めれば夢が夢であることくらいよくわかる。その夢の原因も、明らかで、あえて分析の必要もない、現実そのものだ。しかし娘はまだ夢の中にいて、危機に瀕している私を、その危機から引っ張りあげようとしているのである。

 

チッタン、チッタン!と私は娘を呼んで、体を揺さぶり、目を覚まさせた。娘はきょとんと目を開けてベッドの上の私をちらと見て、安心したのか、力いっぱい私の腕をつかんでいた小さな手を離して、親指を口にくわえてコロンと横になり、何もなかったように眠ってしまった。

 

その一瞬の姿をあっけにとられて私は思った。

 

子供っていったい何なのだ。自分の知らない母親の人生の中に、夢の世界とは言いながら、参加してくる。夢を共有していたとしか思えないような、行動をとる。

 

夢そのものは、私の現実のストレスの現れで、そのことを、目覚めてしまった私はよく知っている。しかし大人の世界のうすどろどろの現実を、まさか2歳の娘に話したことなんかない。彼女が同じ夢を見たとしか思えない。

 

娘のことは、ただ、ただ、かわいいと私は思っていた。この子には自分なんかとは違う、安全で確かなよい人生を歩むようにできるだけの協力をしてやろうと思っていた。

 

なにしろ2歳だ。あの動植物辞典の中の動物たちのこと以外は何も知識がない、言葉も片言の2歳だ。

 

私はこの子に自分の人生の中で一番やさしかった人々の名前をつけた。生まれて以来3年間、母代わりとなって世話してくれた7歳年上の死んだ姉の名前と、23歳のときに私の危機を救ったスペイン人のシスターの名。

 

それが、まるで何か因果関係でもあるかのように、夢の中で親子の立場が逆転する。明らかに、2歳の赤ん坊は、その名の元になった、私のかつての保護者たちの役割を演じたのだ。

 

母親と子供って、何かを見えない世界で共有しているのかもしれない。輪廻転生の神秘をふと感じ、正直言って気味が悪かった。

 

「豚の親子」

 

エノクがいないとき、あまり家に閉じこもっていると精神状態が危険かもしれない、と考えて、あの夢以来、私はよく散歩をした。

 

出会う人は高級住宅街側の人ではなく谷間の生活者だ。高級住宅街側の人は動物といったら犬を飼う。谷間の生活者は動物といったら家畜を飼う。谷間の動物が時々こちら側に上がってきた。

 

日本の豚はぶうぶうと鳴く。エルサルバドルの豚はオインクオインクと鳴く。頭に荷物を載せた子供の足元に、まつわりついているのは豚の親子だった。

 

日本の都会を散歩しても、豚の親子に会ったりしない。だからこういう普通の光景でも私には面白かった。豚の子供はころころしてかわいい。ちょっとなぜてやりたくなって、手を出したら、その豚の母親ではなくて子豚より少し成長した豚が、横合いから突進してきて、私の足に体当たりした。危うく転げそうになって、それでも感心して豚の兄貴を眺めた。

 

それは先に生まれて成長した兄弟なのだ。年下の子豚の面倒を見ている。子豚に手を出した私に、すわっ!敵が近づいたと見て攻撃を仕掛けてきた。

 

「おまえ立派だなあ、弟分を守っているのか!」と私は思わず豚の兄貴に声をかけた。豚って家族愛があるんだ。子豚はちょろちょろどこにでも行くが、兄貴豚は陰に日向に隠れて子豚に近づく敵を見はっている。自分が子人間を持っているから、余計この豚がいとおしく思えた。

 

ありがとよ、豚の家族愛見せてくれて。豚に感謝して、その日も散歩は楽しかった。

 

「蛍」

 

ある夕方、庭にいた娘が飛んできて、なんだか目を輝かせて、私の手を引っ張る。表現できないほどすごいものを発見したらしい。

 

物も言わず、庭を指して、私に、ven,ven(来て、来て)と言う。庭に出てみた。おお!

 

庭いっぱいに光るものが飛んでいる。まるで星屑が庭に降ってきたみたいに、小さな丸い光が飛んでいる。ルシエルナガだ!一瞬日本語を忘れた。

 

私は日本で、こんなにたくさんの蛍を見たことがない。蛍とはこんなに美しいものだということを知らなかった。

 

おお。おお。娘は目を輝かして、私の周りを飛び跳ねる。「ね、すごいでしょ!」と言っているようだが、娘の感動も声にならない。2歳の子供が体全体で詩を歌う。まるで、星屑の乱舞だ!

 

私は蛍を眺めて座りこみ、しばらくこの自然の光の明滅の中に身をゆだねた。

 

蛍の光、窓の雪、などと、日本人はこの美しい自然を楽しむ前に、何でもすぐ勉学や切磋琢磨や、努力邁進みたいな、高度成長文化と結びつけるか、または三十一文字や十七文字の中に押し込んで、素直に楽しまないきらいがあるが、こんな自然の美しいものを、そのまま素直に楽しまなければ損だ。

 

生まれて2年の人生経験しかないこの娘が声も出ないほど感動し、その小さな体いっぱいに、この自然の恩寵を喜んでいる姿を見て、私も自分の心を生まれたままの姿に戻したいと心から切実に思った。

 

ああ、星屑が降り注ぐこの夕べ、大地はなんとみずみずしく、美しいのだろう。

 

娘は手を大空に広げ、蛍といっしょに光っていた。