naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」8月7日  

 

 

「内戦の中の『平和』の意味」

 

1983年前後、エノクは何とか国外への突破口を見出そうと、ベネズエラにもグアテマラにもメキシコにも仕事を探して奔走していた。私はその間、背中に火がついた状態でありながら、国外にでると決まらない間はこの国の人間として、可能な限り、この国の民族のやりかたに合わせようと勤めた。

 

つまり、「明日のことを考えずに、その日その日を楽しむこと。 楽天的にケセラセラ(あるべきようにあるように)で行くこと。」

 

悲惨さを上げていたらきりがない。ここは殺し合いの巷なんだ。この国の人々がみんなやっているように、今日生きていることを感謝し、生かされた今日を楽しもう。今日生きていることを思いっきり楽しむという生き方は、殺戮の巷を経験しないとわからない、物凄いことなのだ。

 

人間が毎日文字通りどんどん死ぬという状況の中で、どんどん死ぬ事実だけを見つめて暮らしていたら、神経も脳みそも侵される。今この一瞬の「生」を謳歌することしか、生きているものには残されていないのである。

 

私が「空き巣」にはいられたことを、さも大変な事件に出会ったみたいに、ある人に言った。そうしたら、その人は朗らかに、まず「おめでとう!」というのである。

 

「よかったね。命は持っていかなかったんだ。」彼女、表情を見ると、本当に喜んでいた。盗まれた「どうでもいいもの」より、「盗まれなかった私の命」を寿ぐように。

 

「あの手の人たちは指輪1個盗むためにマチェテで指輪をつけた手を、すぱっと、いとも簡単に切り落とすんだよ!ピアスをとるために耳は切るし、ネックレスをつけていたら首を切るし、人の命なんかなんとも思っていないんだよ!!」

 

「あなたのうちに入った『物空き巣』は、『物』だけ持っていって、吼える犬も殺さなかったなんて、奇蹟に近いよ!あのね、殺さないなんて普通じゃないんだよ!殺すほうが常識なんだから。」

 

そうか、「殺すのが常識か・・・」それじゃ、本当に、「おめでとう!」なんだ。じゃあ、「ありがとう!」といわなきゃね。

 

それにしても、私が出奔してきた日本という国は、なんて「平和」だったんだろう!あの国は「殺さない」のが常識だったんだ。

 

平和日本でこれを読む人々、あの時代のあの国の「常識的会話」に鬼気迫るものを感じているかもしれない。でも、あの頃の私はこの会話が普通だったのだ。

 

前の「高級住宅」にいたときは家の前に谷があり、その谷は貧民窟になっていた。時々その谷から上がってくるチェピートという8歳になる男の子と2歳のうちの娘が友達になったが、その子は私の家からいろいろ小物を盗んでいき、自分で来づらくなってこなくなった。

 

そういう極端な生活レベルの差がある環境だったから、革命の夢を見る勢力が出てくるのは、不思議なことではなかったのだ。ゲリラと政府軍が交戦したとき、私の住んでいた家はちょうど飛び交う銃弾の真下にあった。私は銃弾の飛び交う下で、息を潜めて犬と安全な場所を争いながら娘を守って1夜をすごした。

 

あの環境と比べて、この小さな町はかなり「平和」だった。其の「平和」は家の前の丘にあまり危険を感ずることなく、毎日散歩できるという状況に負う所が大きかった。

 

昨日起きたこと、明日起きるかもしれないことに気づきさえしなければ、足元に豊かな自然があり、知らない植物をスケッチして後で調べたり、子供と一緒に走って山の上まで競争したりするような、どこの家庭にもあるべき姿の和やかな日常を満喫することができた。

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家の前の丘で植物の実を見つけた。胸に刺繍した服は私の作品。

 

丘の上からはサンサルバドル市が一望に見渡せる。空は広くさえぎるものがない。ブランコやジャングルジムで子供を遊ばせながら、牛のいる風景に自分の心も洗うことができる。子供は犬と戯れながら丘まで登る。あのクマと名づけた臆病な黒いおもちゃみたいな犬である。

 

ある時向こうから大きな犬を3頭伴った男が現れ、うちの子犬を取り囲んでちょっかいだした。すわ!自分の犬が危ないと思った娘が、其の自分より大きい3頭 の犬めがけて、突進していった。男が犬を3頭まとめて取り押さえたからよかったものの、とんでもないことになりそうだった。子供って、自分の力も知らずに無謀なことをするものだ。こういう一瞬かもしれない平和のときを子供は無邪気に生きていた。

 

其の当時の写真。平和そのものだ。私が精魂込めて刺繍したワンピースにこれも私が作った帽子を被って、散歩道の山の中腹で野生のトマトを摘んでいる子供の姿、当時日本の 友人から送られてきた七五三の着物を着た子供の姿。ブランコに一緒に乗る 父親と子供。動物園で孔雀を見て喜ぶ子供。友達とハンモックに乗ってはしゃぐ娘。

 

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丘の上のシーソー

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近所の日エル家族と

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誕生日プレゼントだらけ

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私が作ったエプロンだ。

帰国してから、日本人の友人がこれらの写真を見て、「これがどうして内戦」なの?という。

かつて、日本の終戦直後、自宅の庭で父が撮った写真があるけれど、その写真はまさに「終戦直後」だ。防空壕から這い出てきて、庭を食糧を生産する畑にした時代の、その時代背景を一瞬のうちに思い出してしまうような写真だ。

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終戦直後の私の一家

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エルサルバドルの内戦で、殺戮と隣りあわせだったころの写真には、そんな背景を思わせるような深刻さがまったくない。「ほしがりません、勝つまでは」、などという標語を為政者が全国民に押し付けたりしない国の庶民は「今日だけの平和」を生きることができる。

 

8月に子供の誕生日が来て3歳になる。私は其の3歳を盛大に祝ってやろうと思った。思えば1歳のときも2歳のときも3歳のときも、住んでいる家が違っていた。4歳の誕生日がいずこの空の下で迎えられるか分からない、そんな思いが頭を掠めた。

 

日本の祭りで私が一番好きな本物の「ひな祭り」を私は娘のために祝ってやれない。代用品は前にも書いたように、あることはあるけれど、豪華なあのひな壇が本当は私の夢だった。

 

代わりに、ここではデパートで見かけて私が気に入ったドールハウスを買ってやろう。子供のこととなると、自分自身が幼児の世界をまったく脱していなかった私は、ドールハウスを買う気になってうきうきした。

 

そのドールハウスはかなり高かった。中に入れる人形も家具も別売りで、ひな祭りのセットと思えば安いか、と言えるような代物だった。自分が子供になってセットを集めている間が楽しかった。喜ぶだろう娘の顔を想像した。ドールハウスは中に電池を入れれば照明までできる優れものなのだ。家族の人形は関節が動くようになっている。父母、男女の二人の子供、そして犬までいる。庭を作ればまた楽しい。少しずつセットを整えた。

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日本の友人が送ってきた手芸の本に、パッチワークの一こま一こまにかわいい動物のアップリケのあるベッドカヴァーの作り方が載っていた。これを作ってやろうと思った。ベビーベッドを卒業してこの家に来てから買ったベッドの上に乗せよう。

 

でも材料を集めるのが一苦労で、物にこだわらず代用品で間に合わせなければならないから、本と同じ物はできない。動物のアップリケの下に、私はスペイン語で動物の名前を刺繍したりしたから、やっとできたものは世界で一つだけの作品になった。満足だった。

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新しい洋服も数着作った。胸に名前を刺繍したエプロンドレスを重ねた。かわいい!

 

ピニャタの日がきて、近所の友達や、昔住んでいたところの友達、親戚や友人の子供を 招待したら、家から招待客があふれた。玄関先のガレージを 使って、ピニャタをやった。2歳のときと同じように、たくさんのプレゼントが集まり、新しいベッドカヴァーをかけたベッドの上にプレゼ ントを山積みした。そして平和に其の日が終わった。 昨日のことは済んだことで、明日のことはまだ知らないことなのだ。だから、それは現実ではないのだ。今日が平和なら、現実は平和なんだ。

 

「犬騒動1」

 

お隣に二人の子供がいて、娘はその家の5歳になる女の子と親しくなった。娘の選ぶ友達は、前の家のそばのチェピートもそうだったが、問題を抱えた一癖のある子が多い。(実は、二十歳を過ぎた現在に至るまで、彼女の友人は皆、一癖ある怪しい人間ばかりだ。)

 

この子もやっぱり 一癖つきの子だった。娘が誕生日にもらったおもちゃを、どんどん自分の古いのと換えて持っていく。うちで飼っていたひよこにいたずらして足で踏み潰して殺す。蛙の成長を見せようと思って飼っていたおたまじゃくしを掬って火にくべる。

 

うちの娘はま だ3歳で、面白い友達の面白い行動を真似て、昨日まで可愛がっていたひよこを二人で 振り回してきゃっきゃと笑っている。それで、其の死んだひよこを土に埋めて、そこからひよこの「芽」が出るんだという其の子の言う言葉を信じて「ひよこの芽」がでるのを待っている。私の想像を絶することを毎日やってくれるのだ。

 

いやはや、まいった。参っただけじゃなくて、大人の制止も利かないその子の扱いに困った。両親に言ってもげらげら笑っている。「あはは。この子はそれが遊びだと思っているんです。悪気はないんですよ。」問題は「悪気」の問題じゃないよ。子供は天使だとか言って何をしても笑っている大人の態度が問題なんだ。

 

子供が天使のわけないじゃない。盗みも殺しも、いけないのだということは、教えなければ、判断保留のまま子供は成長するよ。

 

とうとう私は其の子が娘をそそのかして、そっと内のものを盗み出すことを発見した。まずいぞ。と思った。兄弟がいないから、娘は遊び友達が必要で、やたらに特定の友達と遊ぶのを禁止するわけには行かない。

 

もといた家の周りでできた友達のチェピートもよく物を盗んだ。だけれども、あれは貧民街の子供だった。しかも、あの盗みは盗みには違いなかったがあの子は生活の必需品を盗んでいた。彼はまともな家もなく、食べるものに事欠いていた。だからその「盗み」を私はあえてとがめなかった。あの子に比べて自分が「持ちすぎている」事を私は知っていたから。悪くはないとは言わないけれど、なんだか、あの子を責める気がしなかった。

 

でもその5歳の子は違う。自分のベッドに載せきれないほどのぬいぐるみを持っている。他人のものを「必要があって」「盗む」わけではない。隣の子がもらった誕生日のプレゼントを自分が使い古した汚れたおもちゃとすりかえるという行為は、ただの「盗み」とも違う、別の動機が潜んでいる。

 

両親は至って気のいい人である。気がいい けれども、神経がまるでないみたいな人たちなのだ。隣接したお隣さんである。下手するととんでもないことになる。どうしようかと考えた。対策が浮かばなかった。

 

隣の其の家族は大きな犬を飼っていた。一事が万事で、其の犬が又困りものだった。うちの3歳の娘より大きい体をしていて、乱暴というわけではないのだけど、つないでないから、どこにでも入ってくる。娘のおもちゃや家具に放尿する。テーブルに乗った食物を、ひょいと立ち上がって食べる。娘に後ろからひょいと飛びついて押し倒す。

 

飼い主に注意してくれるように頼むと、「アハハハハ」と笑って取り合わない。「犬はションベンをするものだよ。」とかいって平気なのだ。

 

「あのねー。人間だってションベンするものだよ。そういうものだとか言っているけれど、あんたの犬に勝手に入ってこられて、ところ嫌わずションベンされて、お互いの人間関係、平穏に保っていかれるかどうか、常識で判断してよ。」

 

私の神経の緊張は怪しい状況になってきた。子供に危害加えるわけに行かないから、其の犬に向けられ、行くところまで行ってしまいそうに、ぴりぴりとし始めた。

 

あるとき、その犬が私が作った鳥のから揚げをくわえて逃げた。私が怒って追いかけて箒で殴ったら犬はから揚げを落として逃走した。其のから揚げはどこかにいってしまって分からなかった。それを放置して、私は蚊や蝿を追い払うために、家の中にバイゴンという殺虫剤を撒いた。隅っこには特に念入りに撒いた。

 

其の後も隣の犬はうちに出入りしていた。ところで、数日たって、隣の家の人々が、大騒ぎをしていた。犬が、毒を盛られて死んだのだといっていた。私が其の犬に、毒入りの肉を食べさせて殺したんだと、彼らは信じた。私は其のことを知らず、エノクに、あの犬のことで困っているから隣に何とか社交的に交渉可能な言葉遣いで、犬を何とかよそのうちに入れないように言ってきて欲しいと頼んだ。

 

エノクは隣に行き、犬の話をしたらしい。其のとき彼らは言った。

 

「犬はもう、問題なくなった。我々が友人だと 思っていた夫人が殺した。」

 

私は犬を憎んでいたが、殺す意思なんかなかった。腹の底で殺してやりたいとは思っていたかもしれない。しかしそれを実行に移すには其の犬は大きすぎた。私がかけたバイゴンは、部屋の隅にころがって見えなくなったあのから揚げにしっかりかかったのかもしれない。

 

それ以後隣通し敵対関係になり、子供の行き来もなくなった。彼らがもう自分の子供 をうちに来させないようにしたのである。娘には幼稚園の友達もあり、通りにはほかの友達も大勢いたから、結果的に孤立してしまったのはお隣の其の子ということになった。

 

隣の家が、犬のことで怒って、子供同士の関係を絶ったのは、本当は好都合だったけれども、「子供を交際させない」様な処置ができたのなら、なぜ、「犬を来させない」位の処置ができなかったのだ。

 

私は偶然におきた出来事だったが、自分が悪者にされたみたいで、不愉快だった。ところが、近隣の人たちはそっと私に耳打ちしていった。「心配しなくていいよ。あの犬はこの町の厄介者だったのだ。そろそろ処分してもよかったのだ。」

 

 

つまり、 好意的ではあったが、彼らも私があの犬を殺したのだということを疑わなかったのだ。驚いたことに、引越 しをしてきてから一度もお付き合いのなかった、左隣の一家が、急に接近してきて親しくなり、娘にクリスマスプレゼントまでくれた。大きな蛙のぬいぐるみで、爬虫類や 両生類が好きな娘が、高校生の頃までその蛙を大事にしていた。

 

なんだか複雑な気分だった。私はあの犬を殺したつもりは無かったのに、犬が死んだために、近隣の人間関係が却って改善された部分があり、お隣さんを孤立させる意思なんかなかったのに、結果として、近隣の人を喜ばせ、私がいじめたことになってしまった。

 

私は気分が悪かった。一人の子供を一つのコミュニテイーから孤立させることなんか、どんな理由があろうとも、大人がやってはいけないことだと思ったから。

 

「犬騒動2」

 

しばらくしたらお隣さんは又犬を飼った。今度は死んだ犬より大きくて獰猛な、警察犬 として訓練された犬だった。彼らは懲りたと見えて、其の犬を家の中庭で飼っていた が、時々ご主人が其の犬を外に連れ出すのを見た。やっぱり無神経で、通りかかった子供に食いつきそうになっても、「だいじょうぶだいじょうぶ、おとなしい犬だから」とか言って、犬を制止しようともしなかった。

 

危険だぞ!と私は思った。犬が危険というより、犬の飼い方を知らない飼い主が危険なのだ。私たちは決して子供を其のうちに近づけなかった。

 

ある時、昼食に主人が帰ってきたときのことである。隣のうちの中庭で、子供の絶叫が聞えた。それと同時に獰猛な動物の唸り声がし、子供の絶叫はだんだん激しくなって いった。私たちは顔を見合わせ、立ち上がった。隣とうちを隔てるものは、中庭のコンクリートの塀である。主人が木を伝って、隣の中庭を見た。

 

そこには例の警察犬が子供を襲っている凄惨な光景があった。隣の家人はあきれたことに、子供を助けるでもなく呆然 としてみているだけだった。

 

主人は手にマチェテをとり、塀の上からひらりと隣の中庭に飛び込んだ。そしてマチェテを振りかざし、子供を襲う犬を思い切りきりつけた。主人は本当は臆病なのである。しかし其のときは勇敢に犬と子供の間に入り、全身血まみれの子供を助けて通りに飛び出した。

 

 

タクシーを呼び、子供を乗せて、病院に急行した。子供は一命を取り留めた。この事件があってから、お隣とうちの仲たがいは終了した。ただ、私が隣の犬を殺したのだという疑いは、彼らははらそうとはしなかった。あの警察犬が自分の子供を食い殺そうとしたというショックな事件の後でさえ、「だって犬がいないと、この時勢泥棒や強盗 よけに困るから」と彼らはなおも言いつづけていた。

 

今でも主人は、よくこのときのことを思い出し、からかい半分に私は犬殺しの専門家で、自分は人命救助の達人だといっている。