「自伝及び中米内戦体験記」9月18日

 

「再び鬼婆サークル」

 

小森先生が、例の新入講師を招くから、付き合ってくれないかというので、彼女のアパートに出かけていったのは、その週の週末だった。言葉が話せる人材の確保だろうと私は思って、実家によって気楽な服装になってから出かけた。

 

彼女の「鬼婆サークル」は健在だった。彼女の独特のへんてこな料理が楽しめる。彼女のレパートリーを奪うつもりはなかったから作り方なんか聞かなかった。とにかく素材がわからないような料理ばかり手がける。へえ、と思いながらよおく見定めて鬼婆料理を食べる。なんだかわからないけれど、それがなかなかおいしいのである。

 

かしこまって正座したり、うるさい挨拶を要求しないから、ごろりと転がって本なんか読んでいるものや、10階の窓から広がる景色を日がな一日ぼおっと眺めて、そこにいるものもいる。私は年齢的に彼女とほかの客との間のあたりに位置しているから、そこまで、勝手な姿勢ではいなかったが、気分は楽だった。

 

小森先生は私より9歳の年長、Ponは10歳の年少である。Ponも、Ponにいつもくっついていた彼女の数人の男友達も、みんなここのサークルの仲間になっていた。彼らは彼女の昔の学生運動仲間だ。出身大学もまちまちだし、中途退学の風来坊もいて、話が面白かったが、全員得体が知れなかった。しかし年齢的な差を特に感じなくてすむ仲間で、気楽によく出会う顔ぶれである。

 

そこに中米の国費留学生という臨時講師を招いたのだ。誰も外見を装って付き合うものなんかいなかった。言葉は案外英語を操ることのできる連中である。しかし中米といわれても、いったい中米とはどのような国々の集合体なのか、誰も知らなかった。

 

アメリカ大陸のスペイン語圏はメキシコとアルゼンチンぐらいしか知らなかった。そのどっちとも中米ではないことを私もそのときは知らなかった。まあ、いいや、どこの国だって。一緒に飲んで食べているうちになんとかなるさ。わかんなきゃ、歌でも歌って騒いでごまかしちゃえ。

 

彼は何でもよく食べた。ここに集まるメンバーは、決めていたわけではなかったが、日本人が外国人を見たときに言う決り文句を一言も言わなかった。

 

「お箸使えてすごいですねえ。生ま物は食べられないでしょ?

え?食べる?すごい!

わ~~~~~、日本語お上手!」のたぐいの言葉である。

 

小森先生が気遣って、「私の料理お口に合いますか?」といってはいたが、彼は軽く受け流して、「ゴキブリも浮いていないし大丈夫です。」と答えた。それを聞いて私たちは、「おお!この人は、自分たちの仲間だ!」という気分に一気になったのである。

 

Ponの仲間の男たちは、哲学論争が好きである。お酒が入ってますますその論争に熱を帯びてくる。エロチックな話をするものなんか一人もいない。サルトルが飛び出してくる。エリックフロムが飛び出してくる。ベルグソンも登場する。そこに私が古代史の新しい発見の話題を入れる。歌も入れば文学論争も入る。新興宗教の話題も入る。

 

私がシルクロードの旅以来読みつづけているコーラン、哲人君の影響で読んだリグ・ヴェーダ、ウパニシャット、おまけに論語荘子ファウストまで話題に乗る。かなり話題は古今東西を駆け巡る。驚いたことにこの中米男はそのどんな話題にも自然な形で入ってきた。自分の意見をいちいち言って入ってきた。私は途中から酒が覚めてきた。この男面白い!そう思って観察をし始めたのである。

 

イエスマンの中で」

 

春、高校教師のメンバーが一新した。中野先生の後を鈴木先生が、O先生の後を棚下先生が、住職先生の後は、高校と中学に二人数学の教員が入った。中学のほうは伊田屋先生、高校のほうは小野寺先生である。

 

中野先生を失ったことは私には痛手だった。彼は論理的な思考力と発言力を持つ高校の良心の役割を果たしていた。彼は何より、この学校の主流をなす教会のメンバーだったから、彼の発言は、マリア教と呼ばれて内心馬鹿にされているカトリックの私の発言より、説得力があり、彼のバックアップを得なければ、私の発言は意味をなさないくらいだった。

 

彼の代わりの赴任した鈴木先生は、なんだか歯切れの悪い男で、人の話にはまったく耳を傾けないばかりでなく、なんだかはじめから、私をマークするように仕組まれているのではないかと思われるほど、論理の整合性のない発言をして会議を煙に巻いていた。

 

住職先生の後を受け持った、伊田矢先生は、これはまたとてつもなく冗談みたいな男で、はじめから終わりまで、若い女教師を見れば、片端から求婚をして回る癖があった。自分の席に数学論とか、数学の歴史とか、中学生とは関係のない本をうずたかく置いて、しかも別に読んでいる訳ではなかった。

 

彼、いつもぼ~~っとあらぬ方を眺めていて、目が合うとすがるように話し掛けてくる。だんだん彼の中身がわかってきた職員室のメンバーは、相手にしなくなったのだけれど、そのため彼は少しノイローゼになったらしい。

 

私が授業の用意をするため座っている席にやってきて、「先生はどうしてあんなに生徒に人気があるのですか?」と、まったく前後の脈絡なく問い掛けて来たりする。

 

「それいったいなんですか?」と怪訝な顔で私が尋ねる。「生徒が拍手したじゃありませんか。先生の名前を聞いたとたん、わ~~って、生徒が全員で拍手したじゃありませんか。」

 

彼は多分、もう忘れかけた新学期の時の担任の発表のことを言っているのだ。新学期の初めの礼拝のとき、各クラスの担任の名前が発表される。通り一遍の挨拶が流れていった中で、私の名前が発表されたクラスが、突然総立ちになって拍手をし、「うをーーーー!」と叫んだのだ。

 

彼らは特別ひょうきんなクラスだった。だからちょっとしたパフォーマンスをやったに過ぎず、むしろ私をからかっていたのだが、伊田矢先生はそれがうらやましくてしようがなかったらしい。それから数ヶ月たっても、うじうじうじうじそのことを言いつづけ、「人気」の秘訣を教えてくれないといって、私をなんだか新入りいじめのいやらしい女みたいに言って駄々をこねるのである。

 

秘訣なんて知るものか。私に「人気」があるのでなく、彼が生徒を指導するほど成長していないだけなんだ。

 

彼はある時私がちょっと小森先生と談笑していたら、突然やってきて、すごい剣幕で、「なにを僕の悪口言ってんですか、いいたいことがあったら直接いってください!」とかいって、ぶるぶる震えているのである。

 

「昼食に何を食べるか相談していたんですよ。」といっても、もう自分の悪口をみんなが言うものだと信じているものだから聞き入れない。よほど私の存在が気になると見えて、ふと気がつくと、じっとこちらを見てにらんでいる彼の視線に会ったりする。要するに、あいつ、私が好きなの?

 

変な奴にばかり好かれるたちの私は、かなり気持ちが悪かった。

 

ところが、彼がなんだか生徒との間で問題を起こしたらしく、彼は突然駄々をこねて、学校にこなくなった。その時である。彼の母親が学校に電話してきて、「内の子が何か不始末をしたのでしょうか、おとなしい子ですから、いじめたりしないでよろしくお願いいたします。」と言ってきたのは。

 

職員一同あきれてしまってものもいわなかった。その電話を直接受け取ったのは宣教師先生だけど、彼は一日中思い出してはニヤニヤしていた。

 

「三好先生、伊田矢先生をいじめたら、お母さんが来ますよ。」などといって、私をからかっている。

 

英語の教師として入った鈴木先生鈴木先生で、教室で生徒がちょっと騒いだといって、誰に相談もなく、いきなり警察を呼んでしまったのだ。しかもそれは自分が担任を任されたクラスである。担任は生徒を守るものという考えははじめから持っていない、むしろ生徒から自分の身を守ろうとしたのだ。

 

しかも生徒は別に殺傷沙汰が起こしたわけではなく、今までの先生のやり方とあまりに違う新任先生のやり方に抗議してわいわい騒いだだけである。静止を聞かずに教室をボイコットして、外に出たらしい。警察の入るような問題でなく、純粋に指導力の問題である。

 

警察!?これは学校始まって以来の出来事であった。あの時代、大学の学園闘争が警察権力によって収まって、学園に閉塞感の漂い始めた時代だったが、まだ暴力は高校や中学に移行していなかった。

 

ましてや、東京の郊外の田舎町のキリスト教主義を奉ずる小さな学校に集まる生徒に、警察の力を借りなければ収まらないような暴力がはびこっているわけではなかった。近隣の高校受験に失敗して、しかも寮を目指してくる生徒が多く、偏差値もまちまちだったから、われわれは丁寧に丁寧に一人一人に気を遣って指導していた。だから新任担任のこういう行動は、まったく寝耳に水だったのである。

 

職員会議のとき、私はこの行動を批判した。そのときは理事長夫妻も出席していたし、校長先生も中高の教頭先生も宣教師先生も出席していた。通勤拒否していた伊田矢先生も出席していた。

 

そのとき意見を言った私は、その全員から袋叩きを食ったのである。

 

教頭は言った。「鈴木先生がご自分の判断で、それが適当と思われたことは、何をしてもいいはずです。それは担任として先生に任された権利ですから。」

 

伊田矢先生が言った。「キリスト教の精神とは、何でも許すということじゃなくて、その人が改心してから適当な処罰を経て許すということでしょ。」

 

それに答えて、宣教師先生は言った。「そうですその通りです。それが本当の我が主のみ心です。」

 

(どの主の御心だよ。マグダレナマリアを改心させて処罰を与えてから救ったのかよ。ば~か)

 

理事長先生は言った。「伊田矢先生の純粋さを三好先生は学ぶべきです。伊田矢先生はなんと言う美しい心の方でしょう。三好先生みたいに人の揚げ足を取って批判ばかりするのは、もちろん主のお喜びたもうことではありません。」

 

げ!

 

中野先生がロスに飛ばされるとき、彼は言っていた。「自分がなぜこの学校では受け入れられず、ロスにいかなければならないかを、これから1年かけて考えてみよう。」

 

あの言葉は彼の最後の言葉として印象的だった。彼はあの学園をいつも引っ張っていく役割をしていた。私とはいつも意見を交換していたし、お互いにその教育熱も、純粋さも、認め合っていた仲だった。彼が職員室からいなくなったとき、私はひそかに嘆いた。私は弱い人間で、彼のような人材の支えがなければ、自分の仕事をまっとうできないことを自ら知っていたから。

 

住職先生も、中野先生も不在の職員会議で、私は自分の場所もなくなったことを感じた。Ponも小森先生も声を上げてはくれたが、一笑に付され、議論はかみ合うどころか成立しなかった。何か自分が別の理由で、はめられているように、そのとき私は感じた。

 

私は今、自分に任された生徒だけを相手にしようと思った。担任が判断したものは行動に移していいのだと、少なくとも、教頭は言ったのだから。

 

私には、いつもいつも問題を起こしては体育の先生に殴られて、いつも丸刈りにされている生徒がいた。それは、両親を失い、子供のときから寮にいる、一度リンチ事件で退学になりそうになって私が事前に手を打って助けたグチだった。 

 

「堀を埋められた大阪城

 

私は生まれたときからカトリックの家庭に育ち、中学以外はすべてカトリックミッションの学校で教育を受け、修道院生活まで経験した人間であったが、日常生活の中で、「主のみ心」がどうしたとか、「わが主の名において」どうのとか言う言葉を口ずさむことが、虫唾が走るほど嫌いだった。

 

そういう言葉は個人的な祈りの中で、自分の心のきわめて奥深いところで唱える文句であって、宗教を共有しているかいないかわからない他人を相手に口にすることではなく、ましてや他人を非難するときに口にするような言葉ではなかった。そういう言葉を全職員の前で、私を面罵するように、私に向けて使われたとき、私は今まで経験したこともない屈辱感に襲われた。

 

私がかつていろいろ繰り返してきた失敗は、すべて自己との戦いであって、他人の立ち入るような出来事ではなかった。自己との戦いにおいて、いつも私は自分の信仰のうちに、解決策を探り当て、生きて生きて生き抜いてきた。

 

「主のみ心の話など、おまえに言われてたまるか」と、私は感じた。他人の目のごみをとろうなどという行為に明け暮れていないで、自分の目に引っかかっている棒切れを取る努力でもせよと、すごく小気味よい言葉を言ったのは、彼らが他人を非難するときに利用しているだけの、当のイエスではなかったか。

 

しかしこうなってしまったら、私は裸だった。相手は「主のみ心」とやらを最大限に武器として責めてくる。バックアップしてくれた仲間を奪われ、外堀を埋められ内堀も埋められた大阪城の主のように、私は無力だった。私の論理を聞く相手がいなくなった。彼らの「主のみ心」の前に私の論理は石つぶての役にもならなかった。そしてあの、職員室のほとんどすべてのメンバーが、少し頭がおかしいんじゃないかと馬鹿にしている、伊田矢先生の「純粋さ」に見習えなどといわれて、あの宣教師先生までが、徳川方に寝返ったことが、もう持って行き所がないほど、腹立たしかった。

 

「あな、小早川め!」と私は、その夜、Ponのアパートで、飲んでうめき、鏡に頭を打ち付けて怒った。

 

「キリストはただで赦すんじゃなくて、処罰を経過して改心したものを赦すだと?イエスを愛したマグダラのマリアは、罰を受けて改心してから赦されたっていうのかい!?そんな形式を吹っ飛ばして、愛を説いたのが、イエスがこの世に現れた役割じゃないか。聖書ばかり毎日読んでいる宣教師の癖に、何もわかっていないんだ。あのくそあほめが!」

 

腹立ち紛れに、その夜は、したたか飲んで酔いつぶれた。

 

「Ponが電話を」

 

Ponが酔いつぶれた私の傍らで、電話をかけていた。その電話を夢うつつに聞いていたが、相手が誰かを確かめなかった。

 

しばらくしてから、管を巻いていた私の枕元に現れたのは、あの中米男だった。Ponが電話で呼んだのは鬼婆サークルの新しいメンバーにくわわった、なんだかおもしろい受け答えをしていた例の中米男だったのだ。

 

あの時の受け答えが気に入って、私はその後、よく二人で食事をしたりする仲になっていた。彼は実に面白い男だった。知的興味が一致していたばかりでなく、嫌いな相手も一致していた。彼は一言も私の学歴を気にしなかったし、家柄も住んでいる家の大きさも気にかけなかった。彼と出会ってから、私がシルクロードの旅から帰って以来読みつづけている読書の上に、「マヤの歴史」と「現代中米の研究書」が加わった。

 

この人を、もっと知ってやれ、という思いが私の心に芽生えていた。

 

彼はあれからPonのアパートにも出入りするようになっていたから、もう立派な鬼婆サークルのメンバーとして、私たちの間に承認を受けていて、スペイン語で交流ができた私とはかなり個人的に親しくなっていた。学校がもう面白い場所ではなくなった私にとって、彼との交流はひとつの慰めになっていた。

 

「お酒はね、楽しいときに飲むもんだよ。」と駆けつけた彼が言った。「悲しいときは僕を呼んでくれ。できるときはいつでも飛んでくるよ。」

 

「ええ?」

 

腹を立てて転げまわり、服装も乱れ、髪振り乱して横たわっていた私は、珍しい出会ったことのない生き物を見るように彼を見上げた。少なくともその言葉は珍しく、出会ったことのない言葉だった。

 

「お酒はね、楽しいときに飲むもんだよ。悲しいときは僕を呼んでくれ。」その言葉は、それを聞いていたPonをも感動させた。

 

「ねえねえねえ、チロちゃん、あの人あんな優しいことを言っている!あんな言葉、私も男から聞いたことない。」そのとき居合わせた彼女の男友達に、彼女は言った。「男はああでなくっちゃあ!」

 

私はその中米男とどういう関係にあるのか、自分でも知らなかった。気があったから自然な形でいつも会っていた。Ponはいつも冗談にではあったが、「グーちゃん、結婚するなら、私が遊びにいけるような相手と結婚してね。」といっていた。私の幼名は「グーちゃん」だったから、彼女も私をそう呼んでいた。

 

人間関係に敏感な彼女は、あの中米男は、電話して私の状態を知らせれば、絶対くると読んでいた。彼女の思惑通りにやってきて、そして彼が言った言葉を彼女は聞き逃さなかった。

 

「うまくいった。うまくいった」とその時彼女は一人で喜んでいた。

 

「中米男と奥高尾で遊ぶ」

 

私は中米男が気に入った。私が知っている取って置きの場所に、私は彼をいろいろ連れていった。

 

奇妙だけど、蛙の姿焼きなどを出す面白いレストランとか、井の頭公園の湧水のある静かな場所とか、野鳥を眺めてぼんやりとすごす公園のベンチとか、ぼおっとして下の交通の流れを見ていると面白いとっておきの井の頭公園のそばの陸橋とか、多摩川縁の何もないけど景色がいい散歩道や、ちょっとうまいそばが食べられる神代植物園の近くの蕎麦屋とか、三省堂紀伊国屋や、八王子にある熊沢書店などの私がよく本をあさりに行く本屋など、来るか?といったら付いてくるので、よく誘っていた。

 

嘗て、こういうところについてくるのは、スペイン旅行時代に亡くなった紘子しかいなかった。

 

私はあくまで正直なだけで、こうしたときに若い男女が好むロマンチックな場所など、知らなかったし、演出もできなかった。

 

それらのうちで一番私が好んでいたのが、五日市から入る奥高尾の、私の学生時代からの修験道場だった。彼は南国の男だから、寒さはこたえるはずだったが、「来るか?」と聞いたら、「行く」と答えるので、ある雪の日、誰も歩かない新雪を踏んで、やるせない思い出の多い奥高尾を歩いた。

 

彼は雪には慣れていなかったし、装備も持っていなかったから、私はそっと結婚して実家に残していった四郎兄さんの登山靴を家から盗み出して、彼に貸したのだ。「私が先に行くから私の足跡を踏んできてね」、といって、振り返り振り返り、私は歩いた。彼はしっかりついてきた。

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私たちはその夜、奥高尾の小屋に泊まり、川のせせらぎに聞きほれながら一晩を過ごした。一緒にいてこんなに幸福な相手に今まで私は会ったことがなかった。黙って二人でせせらぎを聞いているだけで、私の心は満たされていた。

 

「どうしようかなあ」と私は考えていた。今までこういう相手を見たことない。一緒にいて心が満たされ、不安が遠のき、幸福で、楽しく、いなくなれば会いたくなる、そういう相手。そして何よりも、言葉を信用できる相手。言葉が空しくない。うそがない。

 

私は始めてこの人と一緒にいたいと思いはじめていた。しかし、彼はいつか私にこんなことを語った。2,3回であった後のことだったと思う。

 

「自分は地震学を学びに日本に留学しているのだけど、実は自分に問題があって、解決の方法を考えたくて、国を一時逃れているということもあるんだ。」

 

そう言って、彼は私に一枚の写真を見せた。小さな2歳ぐらいの女の子の写真だった。自分の娘だと言っていた。

 

「おや、結婚しているの?」と私が聞いたら、彼はパスポートを見せて首を横に振って答えた。パスポートには独身か既婚か、または離婚かを記す欄があって、そこに独身と記されているのを彼は私に見せた。

 

「この子は自分の子であることは間違いない」と彼は言った。「ただしこの子の母親と結婚する気がないんだ。」

 

保守的な国の保守的な時代を生きていた私にはよくわからなかった。私の兄弟も、同級生も、ほとんどが見合い結婚の時代だった。婚前交渉をしたりした友達は、親が恥を感じて遠のけたため、同級生の前から永遠に姿を消してしまって、まったく同窓会名簿からも行方不明扱いになっていると言う、男女間交渉の閉ざされた時代だった。

 

娘が婚前に子を孕もうものなら、両方の親が出てきて、堕胎させるか、無理やり結婚させてしまうお国柄で、そういう倫理観に支配されていたから過去散々苦しんだ私には、彼のその告白は不思議だった。

 

「なぜその人と結婚しないの?」と私は単純に聞いた。

「彼女は僕をだましたんだ。」と彼は言った。

 

「ピルを飲んでいるから大丈夫、遊ぼうよ、」と自分を誘っておいて、彼女はある日、「子供ができたから結婚しよう」といってきた。「そりゃ話が違う」と言って断った。そのうち子供が出来たら出来たで、ピストル持ち出して、「結婚しなければ子供を殺すぞ」と脅してきた。

 

「そういう人と一生涯を共にする気は起きないんだよ。」

 

「なんかすごいのねえ、あなたの国の女性って。」とその時は私はただたまげていっただけだった。

 

結婚は愛情がなければしないものと、単純に決めていた私だった。ところがあちらでは、男は闘争によって獲得するものらしい。聞くところによると、子供に致死量寸前の睡眠薬を飲ませて、病気だ病気だといって彼を呼び寄せて、結婚を迫る、なんとしてでも一瞬の間でも多くの時間を、彼の確保に向けて妻の座を戦いとる、そういうのがあちらの女性の結婚確保闘争らしい。

 

なんだかライオンの社会みたい、と私は思った。

 

「自分がそばにいると彼女もあきらめられないだろうから、この機会を利用して、日本に来たんだよ。」

 

「へえ。で、一生結婚しないの?」と私が聞いたら、「そんなつもりはないけど、彼女とはいやだ」と彼はなんか、ふーーーと吐息をしていった。「この問題が解決しない限り、結婚は考えちゃいけないんだ。実際困っているんだよ。」

 

それで私はあとで、Ponにこの話をした。

 

「そりゃあやっぱりかなり正直な本能丸出しの世界だ」と彼女は言った。「で、グーちゃん、彼が好きなの?」とPonが言った。

 

「うん。好きか嫌いかといわれれば、大好きだけどなぁ。」

 

「じゃあ」と彼女は言った。「その本能丸出しの結婚闘争に、グーちゃんも参加すればいい。その戦列に入って闘争するって言うのなら、応援するよ。面白いじゃん。なんかの弾みに子供ができちゃったら、みんなで育てようよ。」

 

「ひぇぇぇ、なんてことを!」

 

10歳年齢が若いと、もうこうなっているのかとあきれていたら、9歳年長の小森先生もこの案に乗ってきた。

 

「ピストルVS蛙の姿焼き」

 

「それがよろしゅうございます。」小森先生は出会ってから亡くなるまで、言葉を崩さない人だった。すごく愉快そうにきれいに並んだとうもろこしのような歯を見せて笑う。

 

「未婚の母の相互扶助組織を存じておりますので、ご紹介いたしましょうか。」

 

「ええと、私はまだ子供、孕んでいないし、そこまでやろうと思っていないんですけど。」

 

「やり方ご存知でいらっしゃいますか?」

 

「あああああ、あの…た、た、た、多分コウノトリが…」

 

変なことを勧められたらたまらない。私はもう逃げの一手で馬鹿みたいなことを口走っていた。

 

いくら私がかつてヴェトナム反戦運動に参加したことのある人間だったからといって、こんな繊細な人間関係の絡んだ「闘争」に出陣するつもりはなかった。何しろ向こうはピストルと睡眠薬というおっかない武器を振り回し、子供を人質として産んでまで一人の男を獲得しようとている、闘争意欲満々な女性である。

 

片や私は体の半分に罪悪感がみなぎっている沈思黙考型の悩み多き女である。なんだかもうある意味の勝負はついていそうに思えた。大体私は「子供を人質として産む」なんて言う発想を、持ったこともなければ、聴いたこともない女である。未婚の母の相互扶助組織なんて言う代物が、日本にあることさえ考慮の外だった。

 

「みんな変なこと知っているなあ」と私は言った。二人で、もう私を未婚の母にすることに決めている。彼を悩ましているかの女性が使っているのと同じ手で、私もその男奪還闘争に参加せよといっているのだ。

 

「私の神経はその女性みたいに元気じゃないから、人質産んでも、こういう社会で威勢良く生活することなんかできない。」そういったら、「私たちが守ってあげる」とかいっている。「産まれたらみんなで育てようよ。」

 

Ponは自分の体は若い時の中絶手術のせいで、もう産めない体になっているという。だからって、私に子供期待するなって。もう!

 

彼女たちは案外この事態を楽しんでいた。そういうことは私も知っていたし、私の心の中には、子供の母親を相手に勝負する必要はないのではないかという確信があった。私は自分の取っておきの場所に彼を連れまわしながら、彼がどういう人間かを観察し、彼が私をどういう人間と見ているかを観察した。

 

彼はピストルによる愛情表現をすでに拒絶していたし、私の案内するゲテモノレストランを楽しんでいた。

 

彼と出会ってから、私は一気に物語に出てくるような女性っぽく変化していた。

 

私はその当時髪を長く伸ばしていたが、仕事に追われて切る暇ないから伸びちゃっただけで、「男」を意識して髪を伸ばしていたわけではなかった。うるさいから丸めて束ねて、「シルクロードの、み仏結い」と称して、頭の上に載せていた。

 

あるとき中米男がその髪を解いて、手で形を作りながら、「きれいだなあ」といった。

 

「この髪は僕のだよ。だから切っちゃだめだよ。」

 

「ひぇぇぇぇぇ?なに?それ!男って、そういうこと言う生き物?」

 

自分の体に所属するものを、生まれて初めてこんな誉めかたされて、私は一瞬目を丸くして相手を見た。

 

「この髪って、あなたのだったの?」自分の髪を摘み上げて問い直す私を見て、かれは「ぶふーーーーっ」と噴出した。私のほうも、げらげら笑った。

 

「知らなかった。この髪は自分のものだと思っていた。」

 

私は学校の人間関係に疲れてよく悩んだ。私は普通じゃないんだ。どんなに普通になりたくても、どんなに相手に合わせても、みんな私を変人だという。私の意見を異常だという。彼は私の嘆きを聞いてこういった。

 

「君が異常だといわれているその部分が一番好きなところだよ、そこに一番価値があって、その価値によって君は生きている。」

 

唖然としてこの言葉を聞いた。その言葉が、男が女をくどく手の一つだとは思わなかった。彼は私との出会いのはじめから、おつに澄ました私を見たわけではなくて、酔っ払って管を巻いている私を見ていた。

 

私が仲間を相手につぶやく意見も、信念の発露も聞いていた。私は彼にただの一度も気取って「いいところ」を見せたことがない。

 

まして、私が多くの人から受け入れられていない人間だということも、当然彼は見抜いていた。そして、彼はいつも、私の誘いに応じて、普通の女性が行かない場所に付き合った。だから、この言葉は「女を口説くための一つの手」とは思えなかった。

 

この言葉は、彼が私を自分流儀に変えるつもりがないし、私をそのままの姿で受け入れるという意味以外の何物でもなかった。私の30数年間のコンプレックスがこの言葉で一気にはね飛んだ。

 

「普通じゃなくていいの!?」身を乗り出して問い直す私の目は、きっとその時光り輝いていただろう。この人は「普通じゃなくていい」といっているんだ。普通じゃない自分を喜んでくれているんだ。普通じゃないから好きなんだ。なんていうことだ!

 

私の中米男は、すでに「ピストルによる愛情表現」を選ばず、深大寺近くのレストランで食べた「蛙の姿焼き」を選んだのだ。