「自伝及び中米内戦体験記」9月20日

「最前線に駒を進めよ」

「リタ、戦法変更」

 

私は中米男が日本を立ってから、自分の側におきることを逐一彼に知らせていた。そして彼のほうも、自分の側で起きることを逐一私に知らせてきた。

 

「自分に婚約した相手がいることを、子供の親に知らせた」といってきた。「両親は私との婚約を大変歓迎して満足している」とも伝えてきた。しかしその報告の中に、ちょっと気になる内容が入っていた。

 

「子供の母親は自分達の結婚を承諾した。だけど、結婚する前に、子供の父親として、結婚の前の半年、一緒に住んで暮れといってきた。自分は子供の父親には違いないからそうすることにしたが、あなたとの約束は必ず実現させるから心配するな。」

 

危ないぞ!私はこのことを再びPonに相談した。「ああ」と彼女は言った。

 

「グーちゃん、もう仕事を止めて、彼のところに行きなさい。人間というものは、どんなに信義の厚い人だって、本来動物の本性を持っている。見えない婚約者より、毎日見る子供とその母親に情が移る。母親はそのことを知っている。ピストルの戦術をやめて彼の子供に対する愛情を、最大限に利用しようとしている。

 

彼女は自分の国の文化の中にいて、どうやって男を獲得するかの術に長けている。動物の本姓は人間の信義に勝つことがある。それは時とところを隔てることだ。彼の前に姿をあらわしなさい。乗りかかった船だ。最前線に駒を進めなさい。そして静かにしていればいい。太平洋を超えてやってきたものを、彼は捨てることはできないだろう。」

 

その考えはよくわかったけれど、私はまだ動かなかった。グチのことが気になった。彼を卒業させたかった。私が守らなければ、彼はいつでも退学になるほど、問題を抱えていた。しかしPonが言った。

 

「グチのことは私たちに任せなさい。彼にもあなたにも自分の道がある。それに天秤にかけて、どちらを選ぶとなったら、グチではないでしょう。」

 

私は迷った。学期の中途から仕事を放棄することは、あまりに無責任じゃないか。

 

しかし、事態はそれで終わったわけではなかった。リタという、エノクの子の母親は、私の母に国際電話をかけてきた。「お宅のお嬢さんが婚約した相手は、もうすでに私と結婚していて、子供も家ももっている。結婚すれば重婚になりますし、私は裁判に訴えるつもりです。」彼女の必死の逆襲だった。

 

私は彼の書類から彼が独身であるという記述を見せてもらったから結婚していないことを知っていたし、両親からも歓迎の手紙をもらっていた。両親もリタとの問題に苦しんでいた。そして彼らは私が彼に出した手紙をいつも横合いから、読んでいたから、私の人間をある程度知っていたのである。

 

しかし、リタが私の実家の電話番号を知っていたことに、私はひどく不信を感じた。

 

後になって「いくらなんでも相手に私の実家の番号を教えるとは非常識じゃないか」と、エノクにじかに問いただしたとき、彼は自分が教えた覚えがないといって、しばらく考えていた。それから、ふと、気がついたように、彼が日本から持っていった旅行かばんを彼女に預けたことを思い出した。

 

私は彼の荷物が多くなって、持っているかばんでは間に合わなくなったので、海外旅行に行ったときに使った自分のかばんを貸したのだ。そのかばんに、私の住所、氏名、電話番号が横文字で書いてあった。

 

リタはあのかばんを見て、それが彼の言う婚約者のものだということを察知した。そして私の個人情報を書き留めたのだ。

 

私はとうとう中米に行く決意した。その決意を知らせたら、エノクは今すぐに来たら大変なことになるといってきた。

 

しかし同時に両親から連絡がきて、「あなたのことは自分たちが家族総出で責任もって引き受ける、エノクはリタの大暴れで、今正常な状態で物事を判断できる状態ではない。早く来て、問題を解決に手を貸してくれるほうがいい」といってきた。

 

私はアメリカの姉に連絡をとった。こういうわけで、結婚する気になった。中米に行く前に、ちょっと滞在させてくれないか。姉は言ってきた。

 

「あなたがやっと独立することは賛成である。協力しよう。」

 

「ここまで来たら行くっきゃない」

 

「野超え山超え海超えて」

 

私は準備に取り掛かった。衣類よりも、生活必需品よりも、何よりも一番必要だと思ったもの、それは自分の蔵書だった。全部持っていくとしたら1000冊以上あった。新い本もほしかった。特に研究途中の記紀に関わる古代史は、後から後から新しい研究書が出ていた。それらをできる限り買い込んだ。そして厳選を重ねて、もう読まないだろうと思われる本を学校に寄付していくことにした。

 

それから私は中米に渡っても、ほしくなる本を送ってもらおうと考えて、自分が記紀の研究をし始めるきっかけとなった教え子に、私の預金通帳を預けた。彼女は私が滞在した8年間実に誠実に私の研究に協力してくれ、私の信頼に答えてくれた。

 

あの時、私はこうした場合に頼むであろう家族をまったく信用しなかった。私は家族が自分達の意に反した行動をとる私の門出に当然協力をしてくれるわけがないと思ったし、策を労して計画を壊そうとしていると思ったからである。彼らは私の「熱」が冷めると踏んでいた。そして「いつかは必ずぼろぼろになって帰ってきて、自分たちに迷惑をかけるだろう。」そういうことを私は、ある友人から、五郎兄さんが語った話として聞いたのだ。

 

私は家を出る前に、何か父の思い出になるものはないかと思って、父の死後20年間開けた事のなかった父の画材道具入れを開けた。そこに3号の板の絵が入っていた。その一枚を見て、私は、わっと声をあげた。その一枚は私の4歳の時の肖像画だったのである。

 

「これ、これ私ですよね!?」そばにいた母に私は尋ねた。ほとんど声が上ずり、狂喜していた。

 

父は子供たちをモデルにいろいろの絵を描いた。しかし私の絵はなかった。私がモデルになる前に、父は死んでしまったのだろうと思っていた。しかし私は忘れていた。死んだ姉の肖像画を描いていた父に、「私のは描いてくれないの?」といったら、父はある日ひとつの絵を見せて、「ほら、これがグウちゃんですよ。」といって見せてくれた絵があったことを。

 

その絵は板に描いた3号で、まだ署名もしていない絵だったから、日の目を見ずに画材ケースの中に20年間眠っていたのである。

 

「瑠璃子肖像画

 

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その絵と同時に出てきた父の故郷の松山の絵を額装して、母に許可を得て、持っていくことにした。

 

「松山の海」

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次に私は学校に退職願を出した。退職願はそれを待っていた理事長から、満面の笑みを持って歓迎受理された。

 

私の身は軽くなった。軽くなったついでに、私はもう永遠の別れだと思ったので、昔世話になった恩師、シスター広瀬に会っておこうと思った。彼女は高齢で、もう何が起きても会うことはないだろう。彼女はそのとき、北海道札幌に新しく設立された姉妹校にいた。

 

シスター広瀬に挨拶したいから北海道まで行ってきますよ、と母に言ったら、母は一緒につれていってほしいといったので、母を伴って札幌に行った。札幌は母の故郷だった。8歳で実母と死に別れた母が、艱難の末、16歳で後にした故郷である。

 

昔学生時代、私は彼女を一度連れていったことがある。あまり喜んではくれなかったけれど、そのときは母の世話になった叔母がまだ生きていた。その叔母は母の弟を実子として育てたので、叔父の家でもあった。どんな思いで母はそのとき、私に一緒に連れていってとせがんだろう。私の船出と自分の昔の思いとを重ねていたのだろうか。彼女は16歳の決定で、自分の人生を変えた。そして私は35歳にして、母の元を去ろうとしている。

 

シスター広瀬は私たち親子を迎えて、静かに、柔和な微笑を見せて、言った。「お母様、大変ですね。」母はうつむいて、「ハイありがとうございます。」とおとなしく答えた。母の心中をこのシスターなら察することができただろう。「三好さん、あなた今いくつになったの?」「35歳になりました。」

 

その答えに、母が私を見上げていった。「もう35歳ですか。私はもっと小さいかと思っていました。35歳なら、もう自分で何を決定してもいいはずですねえ。」変な会話だった。しかし私は、シスター広瀬の、この見事な話の持っていき方に、内心感嘆していた。

 

あなたの娘は35歳だ。35歳の娘はもう自己の人生の決定権を持つ。そのことを、母の口から言わせてしまった。

 

「すごい!誰もこの母にこんな形であきらめさせる力を持っていた人はいなかったのに。」

 

しかし私は考えた。苦労して71歳の人生を生き抜いてきた母の心の中に、もしかしたら、このシスターよりももっと深い決意があったのではないだろうか。第三者のいるところで、自分の思いを断ち切ろうとする、彼女がその人生いつもいつも付き合ってきた、どうにもならない自己との戦いを、誰か私の一番信頼している人の前で、その立会いの元に終止符を打って見せる、そのことによって、彼女は自分の戒めにしようと考えたのではないだろうか。

 

私にはそれがわかる!それが見える!私の分身である母。ああ、母よ。

 

私の旅は始まった。野超え山越え海超えて、当時国際空港だった羽田から、雲を掻き分け太平洋を超えて、10月10日ロスアンジェルスの空港に降り立った。

 

「難所を越えて」

「まだまだ道は遠かった」

 

日本の家族から私のことで次々と情報が舞い込んだらしく、姉は奇妙な顔で私を迎えた。本当に気が狂ったのか確かめようという顔だった。義兄は精神科医だったから、姉はその影響で、他人のことを精神科医みたいな目で見る癖がある。少し警戒しているようだった。彼女はいろいろなことを母や兄たちから託されたらしい。

 

その1、できることなら説得して妹を日本に連れ戻すよう努力せよ。

その2、姉のほうに誰かいい人がいるなら紹介の労をとって、ましな人と結婚させよ。

その3、それが今無理なら、アメリカでもいいからとにかく仕事を見つけて、中米にだけは行くことを阻止せよ。

 

その一つ一つを、姉はとにかくやってみようと思ったらしい。私は兄たちの過去を思うにつけ不思議で仕方ないことがある。なぜ親というものは自分の意に添わない恋愛をしている息子や娘に、ほとぼりも冷めないうちに引き裂いて、ほかの人を押し付けようとするんだろう。恋愛をしている真っ最中とか、失恋をしたばかりとか言う時期に、別の男に顔を向けられるわけがないというのは、ほとんど生理的な真理だと思うけれど、どうだろう。それを経てきた経験済みの兄弟が、今私にそれを再び試みるとは、どういう神経を持っているのだ。

 

姉の家は、以前母がいたときに訪れたことのある家ではなくて、同じカンザスだったが、引っ越してもっと大きな家に住んでいた。あの時赤ん坊だった下の子は 4歳になっていて、学校に通っている上の子供たちの日本語はかなりアメリカナイズしていた。姉は手始めに自分の子供たちに日本語を教えてくれないかといってきた。

 

私はかなり弱い立場で居候になりに来ているらしいのを意識して、引き受けては見たものの、姉のほうに日本語に対する別の考えがあったりして、監視されていて、うるさくて教師としてなれていたはずの腕がまったく発揮できなかった。

 

あるときうっかり子供の発音をおかしいよといって笑ったのが元で、子供が泣き出し、姉は子供をいじめたといって怒り出し、あなたを教師として認められないとかいい始めた。泣き出した子供に謝っても、以後の関係がにわかに険悪になってきた。あの時の一言が子供の一生の傷になったといって、30年たった今も私は責められている。

 

姉が私を名前呼び捨てで呼ぶから子供も私を呼び捨てで呼び、姉が私をキチガイだというから、子供も私をキチガイだといい、「るり子はキチガイでしょ?」とまるで私の名前が「キチガイ」みたいに、普通の顔をして私に言うのである。

 

子供達と遊んでいたとき私とはなじみのない4歳の子が、癇癪起こして私の顔につばをかけた。姉はそれを見ていて、たしなめない。却って「あなたがまたいじめたんだろう」などという始末だった。

 

姉は自分の知り合いのおばさんが私を招待したいといっているからといって、あるときコネティカットのそのおばさんのところに追い出した。なんだか知らないけど、気分転換になるかと思っていったのだが、そのおばさんが自分のうちに到着するまで、道案内と称して、ある男性に私を託したのである。

 

私はそれが姉の計略とは知らないから、その男性の顔も見なかったが、自分の家庭に案内して見せたり、子供たちを紹介したりなくなった奥さんの思い出とか言う品物を見せたりしてくれた。

 

それでそのおばさんのところに到着したが、その夜彼女は「あの人どう思うか」と聞くのである。どう思えば良いんだろう?返答に窮していると、彼女はだんだん話を妙なところに持っていった。

 

「中米がどれだけ危険な国か知らないのか?すでに別の女性のいる男のところになにを期待していくのか。」

 

姉はこのおばさんに私からの直接の情報でなく、母たちからの情報を入れていたのだ。まったく会ったこともない、今後も会うこともないであろうこの女性に自分の個人的情報を流されたことがいかにも腹立たしかった。しかも私が相談しているわけでもない私的問題に対してこの人に説教される義理はない。

 

私の心はかなり不愉快になった。気分を相当害してその見ず知らずのおばさんを後にして、姉の家に帰ってから、早くこの家から出て行きたいと思って、エノクに電話をかけた。

 

「ここにいるといろいろあって不安定で仕様がないから、もうそちらにいってもいいか?」

 

「ちょっと待て、準備ができていない。」と、彼は言った。しかし、そのとき彼のお父さんが電話を代わっていった。「私たちがあなたを引き受けるといっているんだから、息子が何を言おうと来ていいよ。」

 

その言葉はすがり付きたいほどありがたかった。しかし私はお父さんに言った。

 

「私はエノクの婚約者で、もう心ではすでに夫だと思っています。夫が今来るなといっているときに、逆らっていくのは不本意です。私は彼が自分の口で、『来い』というまでここで待つから、どうか彼の口から私にそういう言葉が出るように手伝ってください。」

 

そう言っては私は電話をおいて泣き出した。本当はいきたかった。荷物なんか持たずに髪振り乱していきたかった。だけど、私は彼の言葉に従う以外の考えを持てなかった。

 

Pon達なら、もう行けと私の背中を押しただろう。だけどそのときの私の心にはブレーキがかかっていた。欺いたり脅したりして、なんとしてでも彼を意のままにしようとして、彼の心を捉えられないリタのことが頭にあった。彼女と同じように彼の意に添わないことをしたら、彼が私の「価値」を選んだ意味がなくなる。欺き脅すことを繰り返しているリタを選ばず私を選んだのは、私の非常識ともいえる正直さであり、自分の「価値」を知らなかったほどの自己評価に対する姿勢だったはずだ。

 

私は何度も何度も電話をかけ、彼から「まだ待て」の答えを聞いては、悲しみ、そしてお父さんの同じ言葉を聞いては、同じことを言って電話を切った。「飛んででもいきたいです。しかし私は息子さんの婚約者です。エノクの了解しない行動は取れません。エノクの口からその言葉を聞くまで待ちます。」そう言って、電話を切って、後でおいおいと泣いた。

 

本当は会いたいんだ、本当は会いたいんだといって、時には体を震わせて絶叫した。

 

甥や姪の見ている前で、手のつけられない状態で泣いた。その姿を見た姉夫婦は私を完全な精神病患者と診断した。その診断は今にいたるまで変わっていない。

 

ところで度重なる私のこの返答は、彼の家族の心を動かし、一致団結させるという結果を生んだ。私がかの国に滞在した8年間、その後私の舅となった彼の父は、ずっとこの言葉を思い出として言いつづけていた。

 

「自分の思いを、ごりおしで行動に移す女ばかり見てきた中で、あなたのあの言葉は感動ものだった。婚約者だろうが夫だろうが、その言葉に忠実に従うことが正しいなんて思っている女はこの国に一人もいない」と。

 

家族は会議を開いたらしい。彼らはよってたかって、私の「婚約者」を説得し、弟が私を預かるという形で、中米にくるよう話を取り決めた。「婚約者の許し」を本人の口からもらって、1976年12月7日、私はエルサルバドルの首都、サンサルバドルの空港に降りたった。

 

 男奪取最前線 「嵐を呼ぶ女、現る」

「リタの猛反撃」

 

12月のサンサルバドルは夏だった。何か白茶けた空気で、私はそのときまったく知識がなかったが、この国は内戦の前夜だった。

 

弟の家はこじんまりしたコンクリート作りの家である。結婚して子供が二人いる。エノクだけが30過ぎて一人独身なのは、例の問題のせいだろう。「家族の話し合いで、今日からあなたを僕の家でお預かりすることにした。」といって案内された部屋は、落ち着いてからわかったことだが、その家で一番きれいな部屋だった。多分私のためにその部屋を空けたのだろう。いろいろなものが取り除かれたような跡があった。

 

私の「一時預かり待遇」を引き受けた弟は私の「中米男」エノクにまったく似ていなかった。彼はむしろ白人の面相をしている。まじめそうな端正な顔である。

 

そして、あわれエノクは、そのとき、自分が日本で出会った同一人物とは思えないほど、ものすごくおたおたしていた。おどおどして落ち着かず、視線も定まらず、日本で出会ったときに見た知性に満ちた風貌がどこにも残っていなかった。

 

そして私がその後に一緒になってから見た彼の物事に対する沈着さも、楽観的なおおらかな態度も、そのときは影も形もなくて、抱えている問題の複雑さと神経に与えているらしい影響が仄見えた。

 

人間てこんな風になっちゃうのか・・・と彼の国で客観的に彼を眺めた私は思った。自分もかつて、魔性に出会って狂ったことがある。あの時の自分も、客観的に見たら、定めしこういう状態だったんだろうな、と私は考えた。

 

エノクはその晩ずっとおどおどしながら私を残していなくなった。「兄の問題は、家族全員の苦しみなんだ、」とダリオという弟はその生真面目そうな顔をちょっとゆがめていった。その言葉の調子から、エノクが家族に愛されていることがしのばれた。

 

兄の個人的な問題を、結婚して独立した弟までが本気に考えて苦しんでいる。ひょっとするとその問題の女性は、私の母を国際電話を使ってまで脅迫してきたように、この一族全員を脅迫しているのかもしれないぞという考えがかすかに私の頭をよぎった。

 

ダリオは私と英語で話していたから、実はあまりよく言葉の内容がわからなかった。スペイン語訛りで、耳慣れない発音が入っていたから。

 

ともあれ、かの国で私は生き始めた。しばらくは、荷物もこないので、何もできない退屈な日々だった。

 

そういう退屈な生活をしていたある週末、ダリオが家族と買い物に行くから中央商店街につれていってくれるといった。彼の家は都心から離れた郊外にある。近くにはティエンダと呼ばれる外側からでは店とは思われないような日本の戦後のタバコ屋みたいな店がある。日常のパンとかこの国の常食のトルテイージャとか、バナナはそういう店で買う。声をかけるとその店の小さな窓から手だけが出てきて、品物とお金の交換をする。

 

その奇妙な「店」のあり方が、内戦前夜の国の、防犯上の問題と関係があるということは後から知ったことだったので、そのときは、ここはみな監獄のような生活をしているんだな、と思った。

 

ダリオが連れていってくれたところは、いわゆる繁華街だったのだろう。人が集まる近代的な明るい大手スーパーかデパートのようなところだった。ああ、この国にも、こういうところがあるのかと思って少し安心した。そこで見かけた人々の服装も、ダリオの村で見るようななりではなくて、こぎれいだった。

 

私はダリオの村で昼間外に出ると、ものめずらしげな村人の視線に会い、子供たちは寄ってきて、珍しい動物を見るごとく私の体に触ってみたりするので、うんざりしていた。

 

ダリオは朗らかで誠実な人である。あちこちつれまわって、私を楽しませてくれようとしているのがよくわかった。ごちゃごちゃとダリオの家族の一団と歩いていたら、一人の若いきれいな女学生のような子が飛び出してきて、みんなに挨拶した。私をちらちら見ているが多分いつものこの国の人々の好奇心だろう。と思った。

 

しかし、その子に会ってから家族の様子が変である。ダリオの義妹のマリに「あれ誰?」と聞いても、言葉を濁して答えない。まあ、いいや、と思って気にしなかった。

 

その夜のことである。どたばたとドアをたたく音がして、数人の人物がダリオの家になだれ込んできた。声が乱れ飛んで大騒ぎをしている。なんだか凄い。

 

私はもう与えられた部屋に入ってしまって、寝巻きに着替えていた。乱れ飛ぶ怒号の中にエノクの声らしい声がしたが、大勢の中には出られない服装になっていたので、彼なら自分のほうから部屋に来るだろうと思っていた。

 

そこにノックもせずに飛び込んできたのは彼ではなくて、見知らぬ女性だった。それは、すぐにそれと察することができたが、リタだった。

 

昼間見た女の子に似ている。華奢な白人の顔をしている。彼女は英語で切り出した。「私がエノクの妻なのだ。子供もいるし、家もある。あなたはここにくる権利がない。すぐに日本に帰りなさい。」取り繕う暇もなかった。

 

「それはエノクの問題だから彼が解決すればよろしく、私はあなたと対決する気なんかない。私は着替えてそちらに行くからちょっと待ってください」とだけいって、彼女を部屋から追い出した。

 

このときばかりは自分のほうに心構えがなかった。こんな繊細な問題をとっさに口にできる外国語なんか出てこない。知性も経験もものを言わなかった。

 

応接間に出たら、彼女がエノクの両腕をつかんですごい形相でがくがく体をゆすっている。「あなたが悪いんだ。全部あなたが悪いんだ。私という妻がいるのに、なぜこの日本人を連れてきたのよ!この日本人をすぐに日本に返しなさい。この人にここにいる権利はない。ここはあなたと私の国なんだ。」

 

エノクはものすごくあたふたとして、完全にこの女性の取り押さえられていた。

しかしあたふたとしながら、彼は言葉だけは返していた。

 

「僕はあなたと結婚した覚えはない。たとえこの人を日本に返したところで、あなたと結婚する意志はない。あなたと結婚する意思はないことははじめから言い続けていることだ。」

 

彼女は一瞬黙っていた。そしていまいましそうに吐き出した。

 

「あなたは誰とでも結婚する自由があるかもしれない。だけど今はだめだ。私がここにいるんだ。すぐにこの人をこの国から出しなさい。」

 

じっと立ってこの様子を見ていたダリオが口を開いた。

 

「この家は私の家で、この人は私の名で預かった客人なのだ。誰も私の客人を外に追い出す権利はない。それからこの国が正当な理由によって入国許可をした外国人を、国外退去命令を出す権利はあなたにないはずだ。」

 

冷静で毅然とした対応だった。私は彼のこの対応をいつまでもいつまでも忘れない。

 

このときの彼のこの言葉は「嵐を呼ぶ女」を黙らせた。そして、彼女は、エノクの腕をわしづかみしてひきずりひきずり車に押し込んで、疾風のように去っていった。エノクは本当に「引きずられて」いて、自分の足で歩いていなかった。

 

嵐が去ったとき、まだ呆然として一言も言わなかった私にダリオは言った。

 

「あの女性はいつもああいう態度で嵐を巻き起こす人なのだ。であったときから普通の会話をしたことがない。彼女は今まで、どこに行っても、『エノクと結婚した結婚した』と言いふらして歩いていたから、われわれも本当のことがわからなかった。

 

今、兄がみんなの前で彼女と結婚した覚えがないし、これから結婚する意思もないとはっきり言ったのだし、彼女はそれを否定しなかったから、確かに兄のほうが正しいんだろう。兄はうそをつくような男じゃないよ。」

 

このときばかりは、自分のほうも、知性も何にも働かなかった。世の男女の闘争を知らない私だったが、性の発動というものはものすごいもんだ、とそのとき私は思った。

 

これが、男争奪戦の最前線というものか!私がくることによってこの問題が解決を見るだろうと思っていた自分は甘かった。しかしその私も、ただの一瞬も戦線離脱をして日本に帰ろうとは思っていなかった。私は激しい闘争には参加する意思はなかったが、泰然自若と動かないという戦術のほうが、多分、暴風に勝てるだろうと思っていた。

 

私は彼女の世界に住んでいなかった。多分これじゃ彼も彼女の世界に住めないだろう。余りにすさまじかったので、絶対に彼は彼女の世界のものでなく、私の世界のものだということを私は静かに確信した。