naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」10月7日

グアテマラ漫遊記」(8)

「ウエウエテナンゴのホテルへ」

 

10月30日、私たち一行はアンテイグアを後にして、ウエウエテナンゴ県に向かった。この県の中にトドス サントスという村がある。其村に祭りがあって、民族衣装華やかな競馬が見られるという。ただし、この村は、2年前、日本人観光客が暴徒に殺された村である。だからはじめからいろいろな注意が伝えられた。許可なく写真を撮るな、子供にちょっかいを出すな。

 

(日本人の観光客が殺されるきっかけになったのが、民族衣装を着た子どもの頭を、何の前触れもなくなでたり、写真を撮ろうとしたかららしい。)

 

それはともかく、途中の景色はすばらしかった。山の中をバスが行く。昔見たことのある懐かしい熱帯の花々。黄色いじゅうたんのように、山全体を埋め尽くしている花。巨大なアスパラガスみたいなリュウゼツランの花のつぼみ。日本だったら景勝地として、土産物屋が立ちそうな優美な姿の滝。所々人家の見られないような峠のまんなかにぽつんと立っている、色とりどりの民芸品を売っている小屋。

 

写真を撮りたくなって、バスを止めてもらったら、まったく人里離れた山の中に、まるで、土から湧いたように、美しい女性が子供を連れて立っていた。声をかけたけれど、どうもスペイン語がわからないらしい。あまりきれいなので、写真を取らせてくださいと、万国共通語で(つまり手まねで)聞いてみる。承諾を得た。黄色の花に覆われた山を背景に民族衣装の家族を写真に収めた。お昼にでたデザートを食べないで持っていたので、それを子供に上げた。

 

野原の花の写真を何枚かとってまたバスに乗った。運転手のルイスとおしゃべりする。若いが家族もちだそうだ。子供が二人いて、女の子だという。彼が家族を語るとき、目が穏やかになる。名前を聞いたらジェシカとジャネット。例のごとく、アメリカ風の名前。

 

ウイピル(グアテマラの女性の伝統的衣装)は持っているかと聞いたら、そんなもの着せる気はないといった。その表情は険しくて、話題がなんとなく嫌そうだった。話題を変えようとしたら、自分から言い出した。自分はノーベル平和賞受賞者のリゴベルタ メンチュウの一族だ。だけど、ウイピルを着ているのは彼女だけだ、と。そっと表情を見たら複雑な顔をしていた。意外な展開だった。

 

あのマヤ民族の尊厳のため戦って共産ゲリラのレッテルを貼られて亡命し、投獄をされ、世界の世論の助けで生き延びた女性、マヤの後裔の代表者、リゴベルタメンチュウは、写真で見る限りいつも民族衣装を着ていた。しかしどうも、ルイスの口調からすると、彼女は一族の中で浮いた存在らしい。

 

ウイピルという民族衣装が語るものと、それを着るもの着ないものの間にある、ある溝のようなものに、私は思いをはせた。あるものは民族の象徴としてウイピルを着る。あるものは伝統だからウイピルを着る。あるものは貧しいからウイピルを着る。あるものはウイピルを着ないことを向上だと思いウイピルを過去の遺物と考えて、身につけることを恥じてさえいる。

 

苦しんだんだなあ、と今更のようにうなった。名前を変え、民族衣装を脱ぎ捨てる。そうやって彼らは弾圧から逃れようとしてきた。

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美しい景色が変わって、バスはにわかに埃っぽい町に差し掛かった。埃っぽいだけではない。其町には色というものがなかった。ええ?ここはグアテマラの町か?と怪しむほど、其町は趣がないのだ。白っぽい壁の続く町。そしてどこにも緑がない。道行く人は、ただの一人も民族衣装を着ていない。私の目には、あの色鮮やかな民族衣装がないと、かえって貧しく見えるのだが、Aさんの説明によると、民族衣装がないということは、むしろ近代化と豊かさの象徴だそうだ。(明治大正昭和の日本もそうだったな。。。憮然)

 

先導のバスは探しに探して、何度も道に迷い、ホテルを見つけた。坂道の多い街のはずれの突き当たりにそのホテルはあった。ついたのが夜だったから、あまりそのホテルの雰囲気というものが概観からはわからなかったが、この町の一流のホテルだそうだ。明日行くことになっているトドス サントスの宿泊所は、ひどく設備が悪いから、ここでシャワーを浴びたりゆっくり休んだりするようにとのことだった。

 

グアテマラ漫遊記」(9)

「殺された日本人のこと」

 

ウエウエテナンゴの埃っぽい町の様子から、私はホテルもあの調子かなと思ってたいした期待をしていなかったので、案外まともな部屋を見て何だいいホテルじゃないと思って、安心した。一流ホテルという言葉に超高級ホテルを期待していた日本人の観光客は、不服そうだったが、何しろ暖かいシャワーが出る、ドアにかぎのかかる、トイレがきれいなホテルなら、それより望むことなんかないのだ。そこまであったら、「一流」さ。

 

食堂もあって、いろいろ頼める。私はもちろん中米料理を頼んだ。我が家では、中米料理はお祭りのときしか作らない最高級の料理なのだ。日本の、お赤飯と鯛の尾頭付きに相当する。松戸では中米料理に必要な香辛料が手に入らないし、豆は、日本のはバイオで馬鹿でかくしてあって、煮崩れして中米の豆料理ができないから、主人がエルサルバドルに行ったり、誰かがエルサルバドルからきたときに頼んで買ってくる。きわめて貴重なものなので、グアテマラにいる間に食べておこうと思って、食事のたびに土地の料理を注文した。

 

ところが同行の日本人たちは、まだ旅が始まったばかりなのに、すでに中米料理の味付けにうんざりしてしまって、あからさまにいやな顔をする。イタリア料理がないのか、中華がないのか、と言い出す始末である。あいにくそのホテルには日本人好みの料理がなかった。そうしたら少なくともコリアンダーを入れないでくれ、豆はつぶしたのは気持ち悪いからいやだなどといっている。持ってきた梅干やインスタントの味噌汁を出して、大騒ぎして食べている。

 

Aさんはそういう日本人達に、明日いよいよ乗り込むことになっている、トドスサントスの2年前の事件のあらましを説明しはじめる。其町はもちろん都会じゃない。全村男も女も民族衣装を身につけている田舎町だ。内戦の傷を深く受けている町で、それだけに人々の心に、猜疑心が強い。外国人の観光客は富の象徴で、観光客が落としていくドルによってこの村も豊かになってきたとはいえ、だから余計に複雑な心理を持っている。

 

祭りを見るために近隣の村からも外国からも観光客がやってくる。村は祭りで酔っ払いが多い。近代的な科学教育を受けられるわけではないから、あらぬうわさや迷信の類も簡単に信じてしまう。2年前、この村に誰かがうわさを流した。外国人が子供を盗んで人身売買するから外国人に気をつけよ、といううわさだった。誰が流布し始めたのか、わからない。学校のような教育機関でさえも、そのうわさはまことしやかに伝わっていて、みんなが神経質になっていた。 

 

そこにそうとは知らぬノー天気な日本人観光客がやってきた。日本人に何の罪もないのだけれど、彼らはきれいな民族衣装(普段着)に目を奪われ、比近距離で何の許可もなくぱちぱちと写真を撮り始めた。誰かが子供の頭に手を触れて、かわいいといったらしい。そのときある女性が叫んだ。“私の子供がさらわれる!” 

 

男たちがおっとり刀を持って駆けつけた。そしてたまたま土産物屋から出てきた関係のない日本人を襲い、よってたかって殺した。民衆は興奮して男も女も暴徒となった。子供をどこに隠したと叫び、観光客の乗っていたバスを襲った。荷物は彼らが見たことのない車つきのトランクだったから、その中に子供が隠されているに違いないから見せろと待機中のバスの運転手に迫った。わけのわからない運転手が応対に困っているうち、彼はバスから引きずり出され、引き立てられて町外れに連れて行かれて、なんと、焼き殺されたのである。

 

ところで、そのうわさを流したものはいったい誰だったのかわかっていない。それはある公の機関を通じて、まず学校関係に流され警戒するように注意があった。そして不思議なことに、最初に“私の子供がさらわれる”と叫んだ女性は其村の人でもなければ、日本人がたまたま頭をなぜた子供の母親でもなかった。後に下手人として逮捕された人々も、本当の下手人かどうかもわからず、裁判が続行中だということである。

 

結末は、何が変わったかということで、判断材料が推測できるかもしれない。変わったのは、村を守るためと称して、軍隊が駐屯し、其村は軍の支配を受けるようになった。しかしこれはあくまでも憶測の域は出ない。全ては闇の中である。

 

愛子さんは言う。自分が東京で歩いているとき、何の関係もない外国人に写真を取られたらどう感じるかを考えてみるように。自分の子供がかわいい着物を着ているからといって観光客から頭をなぜられたらどう感じるか考えてみるように。無断で写真を撮ったり、子供にちょっかいを出したり、くれぐれもしないように。

 

どこに行ったって、そこの住民は、観光物件ではないのだ。

 

次の朝ははれていて、ホテルの周りの景色を見ることができた。日本では鉢植えしか見られないポインセチアが、真っ赤に色づいて庭に立っていた。その赤が印象的で、思わず写真を撮った。エルサルバドルにいたとき、垣根の上まで覆われたポインセチアの真っ赤な姿を知っていたから、目新しいことではなかったが、なんだかあんな話を聞いた後だけに、此花にわずかな安らぎを覚えたのである。

 

 

グアテマラ漫遊記」(10)

「トドスサントスの宿」

 

Aさんは初めから何度も念を押すように、これから行く村のことを説明し、日本人の一行に覚悟を促していた。まずまともな宿が取れなかったので、彼女の知り合いの親戚に頼んで民宿を用意しておいてもらったけれど、民宿のほうではベッドの数だけ確保したとの連絡をしてきただけから、多分一部屋に雑魚寝になるだろうということ。標高が富士山ほどの高さのところにある村だからものすごく寒いし、どんな部屋かわからないから野戦病院みたいなところを考えておくほうがいい。もてるだけの衣類を着込んで寝ても寒さをしのげるかわからないから、あらかじめ用意するよう連絡済のホカロンに頼るしかないかもしれない。蚤はベッドにたくさんいるはずだから気になる人は虫除けをまいて寝ること。などなど。

 

私は昔新婚旅行でグアテマラの奥地のテイカルの遺跡に行ったことがあるけれど、宿が取れなくて、満員のホテルからハンモックを借りて、ジャングルの中で各種の動物の咆哮を聞きながら寝たことがあるから、Aさんの話を聞きながら、愉快そうにしていた。ロマンチックとは程遠いハネムーン体験を持つ上に、贅沢になれた日本人をこういうところまで連れてくるAさんのある精神に、私はだんだん好意を持ち始めていたのである。

 

一行に二人ばかり体の悪い人がいた。一人は心臓病で元グアテマラ日本人学校の校長を勤めたことのある人、もう一人は脳溢血から立ち直ってこの旅行のためにリハビリをして悪い足を引きずり引きずり参加したという人である。来るほうも来るほうで、そういう人と知りながらわざわざノミのいる野戦病院グアテマラでも一番不便な場所につれてくるほうもつれて来るほうだ。

 

どうなるかしらないぞ。と思いながらも、彼女が困ったときは助けようと思っていた。こんな旅は普通の旅行社ならやってくれないだろう。ずっと彼女のいくところを見ていると、そのすべてが内戦の被災者とのつながりで、彼女は決してグアテマラの上流階級の喜びそうなところにはわれわれを連れてはいかなかった。上流階級が儲けそうなところにも案内しなかった。なんか小気味よい。

 

運転を勤めるロランドは、ラデイーノと呼ばれる、白人と原住民との混血で、これまたどちらにも属さない階級だが、彼が嫌うところ、つまり白人が喜ぶホテルでは、彼は差別を受けるから嫌うのだが、そういうところにはAさんは行こうとはしなかった。

 

さて、車は舗装が一切されていない山道を、がたがたどたどたと転げるように走り、私は酔うのを恐れて助手席に陣取って、そのため起伏に富んだ景色を十分に堪能したのだが、展望台があるというので、ちょっと寄ってみることになった。途中の道路はあんなに穴だらけだったにもかかわらず、しっかりとした観光客向きの展望台ができているところに来たのである。そこに車がついたとき、うひゃあと思うようなことがおきた。近所から息せき切って駆けつけた泥だらけの子供たちに、車は取り囲まれてしまったのだ。

 

生まれて一度も体を洗ったことなどないであろう。あの民族衣装を着ているのだが、裸足で髪も梳いたことがないような子供たちが着ているものが、あの美しいウイピルだとは到底思えないような状態だ。その子たちがものすごい表情をして車の窓をどんどんたたくのである。はじめ何がおきたかわからなかった。展望台はコンクリートで近代的なたたずまいですっきりとそこに立っているのである。その近代的な展望台とその子供たちの様子があまりにアンバランスだったから、いくら私でもギョッとした。

 

子供たちは食べ物をねだりに来たのだった。観光客を乗せた車を見ると彼らは小高い丘にへばりつくように立っている家の中から飛び出してきて、止まった車をめがけて飛びついてしまい、振り落とすわけにも行かないから、車は立ち往生してしまう。食べ物をねだる彼らの顔はかなり必死だった。どこも可愛らしくない。ものすごい飢餓状態なのかもしれないと思える顔つきだった。私はポケット中を捜したが何もなかった。客の一人が持っていたキャンデイーを出してあげたが、その子はみんなで分ける景色もなく、もらったものを一度に口に入れていた。

 

展望台の先はあいにく曇っていて、長居は禁物と思ったロランドが出発の合図をした。子供たちは恨めしそうに、窓を閉めた車の中の我々を見ていた。あの表情がいつまでも心に残った。

 

車はやっと村の入り口に差し掛かると、馬に乗った村人がたくさん通りかかった。祭りの競馬に行くところである。男たちは赤と白の幔幕のようなズボンをはき、赤い襟のシャツを着ている。みな制服のように同じ姿である。Aさんがおおはしゃぎをしてわいわい叫びながら挨拶をする。

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祭りといっても、カトリックの暦では「諸聖人の日」と呼ばれる、つまり成仏した死者の日である。村の名前のトドスサントスは、つまり諸聖人という意味だから、特にこの村の祭りなのだ。私の知っている日本のカトリックは、もちろん競馬などをしないし大騒ぎもしない。案外沈んだ祝日で、お墓参りをする日だ。それとこれはあまりつながらないのだが、まあとにかくここは外国だ。どんなものか見てみたいと思いながら、村に到着した。 

          

でこぼこでぬかるんだ、おまけに祭りの前の人手でごったがえす道を、やっとのことでたどり着いた先の庭には、あらかじめ用意をしていてくれた雨よけのビニールシートを張った下に、粗末なテーブルが二つ出ていた。少し雨が降っていて肌寒かった。お茶の用意をして待っていてくれたらしい。もともと民宿のため作ったものではないから、運転手を入れて14人も収容する場所なんかない。どこに寝泊りするのやらと思っていたら、4人がその家に泊まれるけれど、後の残りは、別の宿を用意してあるとのことだった。

 

Aさんがあっちこっち歩いて、もう一つの宿というのを見てきて、すごく満足そうにはしゃいでいる。部屋がちゃんと分かれているし、かぎもかかるし、トイレは共同だけど、水洗、水洗!と叫んでいる。思ったよりものすごくいいよ!

 

私はそっと笑った。最低のことを覚悟していると案外どんなところでもものすごくよく見えるんだ。

 

その、「ちゃんと部屋のわかれている宿」を見に行った。急ごしらえのその宿は、まだ建設中の建物だった。しかし日本の家屋の建設中のものを想像しても、あたらないかもしれない。あちらはブロックを積み重ねて家を作る。セメントのにおいがひやひやと感じられる、コンクリートの地肌の出た囲いである。屋根もあるワイ^^、と思った。

 

ベッドはこれもブロックを四隅に重ねて板を張って、マットレスをおいて、その上に毛布が置いてあるという代物である。その毛布もシーツもきれいなのを見て、Aさんがまたわーいわーいとはしゃいでいる。これ新しく買ったんだ、ノミがいないんだ!わーいわーい!

 

彼女がかかわったという難民の女性がここに電話をかけてきて、恥ずかしくないような接待をしてやってくれと頼んだらしい。多分彼女はこのベッドの様子にその女性に精一杯の誠意を感じたのだ。後で聞いたけれど、彼女はいつ洗ったかわからないようなシーツにだれがいつ寝たかわからないようなのみだらけのベッドが14台並んでいる場所を想像していたのである。

 

部屋割りのとき、いろいろ神経を使って考えた。体の悪い先生は家族で来ていた。Aさんはその中でも一番いいベッドのある部屋を3人家族に割り当てて、私たちは4人で屋根に怪しげな穴の空いた部屋に泊まることになった。その穴は私のベッドのちょうど真上にあって、穴をふさいだビニールシートの青いのが見える。雨が降ったら漏るだろうなと私はその穴を見上げて思った。竪穴住居のほうが近代的かも。。。

 

ひとまず今夜寝る場所が決まって、私たちは4人が別れてとまることになった家に夕食をたべにいった。愛子さんがかかわったさる難民の実家である。大きなかまどを中心にした狭くて暗い台所で、4人の女性が食事を作っていた。大きなかまどは火種をいつも保存しているから、部屋がほんわか温かい。パタパタとトルテイージャをつくる音がする。懐かしかった。

 

大皿に盛った鳥もこってりと煮込んだスープも、みなこの暗いかまどのある台所でできるものだ。食器も盛り付けもホテルという観念からは程遠い。しかしおいしかった。豊かさを比べればきりがないが出された食事はこの国の原住民の最高の料理だし、何より手も心もこもっているのがわかる。

 

食後わかれて、例の宿に落ち着いた。服を着たままベッドに入る。みんながすやすや眠ったころ、私は自分の腕がぬれているのに気がついた。あの穴から雨がもっている。立ってベッドを動かし始めたら、みんなおきて手伝ってくれた。

 

ところで、次の朝、Aさんが気を使って一番いいベッドを割り当てたあの家族が、ノミに刺されたと騒いでいた。そのベッドは唯一古い立派な頑丈そうなベッドだった。Aさんは、多分草の中を歩いたから草の中の虫を持ってきたんでしょうなどといってごまかしていたが、一見立派そうに見えるベッドにはノミがいて、ブロックに板を張った急ごしらえのベッドは、どんなに格好が悪くても新品であったから、ノミはいなかったのだ。私はそのことを、ひそかに愉快に思っていた。 

 

此村が観光客を集めている競馬とは、どんな物なんだろう。もともとあまりギャンブルに興味もないし、動物が好きなため動物園が嫌いな私は、気の毒な馬を見物するのには、あまり乗り気ではなかった。

 

でも、とにかくと思って通りに出てみた。昨日バスで乗り入れた通りは、朝から閉鎖され、そこは競馬の会場になっていた。沿道にはすでに人々が陣取っている。この村のウイピルは紫がかったピンクの細かい柄で、まきスカートは紺色の縦縞である。頭に飾るものや赤ん坊を背負う布はコバルトブルーが鮮やかだ。男はみな、赤と白の縞のズボンで、女性の憂いピルと同じ柄の襟のある、縦じまのシャツ。沿道を埋め尽くしている人々の中に別の色があると、別の村から来ていることがすぐわかる。私はこの民族衣装に惚れ惚れとして、後ろからそっと写真を撮った。馬よりこの方がいいや。

 

もうすでに村人たちがぎっしり埋め尽くした会場、といっても席があるわけではなく、沿道脇の土手に座っているのだが、の間を危なっかしい足取りで、写真を撮りやすい位置まで移動する。おはよう、と挨拶するとみんなおはようと返事する。親切に道を開けてくれる。なんだかはにかんだような表情をしている人が多い。

 

外国人もたくさんきている。日本人も来ている。でもこういうところにわざわざくる日本人というのは、若者の一人旅が多い。なんとなく世界を見てみたいという若者は秘境を好むらしい。ヨーロッパを歩く若者とは、表情が違う。自由な自分を解放した表情をしている。昔ヨーロッパで会った日本人は、もっと矮小な顔をしていて、声をかける気にならなかった。早速この村の民族衣装を着ている日本人がいて、あまりこの村の人と見分けがつかないから面白かった。

 

競馬といっても、これはどうも、馬に乗って自分の勇姿を見せて楽しむだけらしい。美々しく着飾った男たちが、馬に乗って、たいした距離でもない通りを、ドドドッと走るだけ。何度も行きつ戻りつ同じメンバーが馬を走らせるたびに、人々は喝采する。背中にたくさんのリボンをたらした色鮮やかな衣装に、頭に真っ赤なスカーフを巻いた、かなり年配のじいさんが格好よかったので、カメラの焦点を何度も当てたが何しろ馬は走るので、失敗ばかりしていた。

 

周りの人も、馬に乗った人もかなり酔っている。しかし馬に乗れないほどよっている人は危険なので、乗せない場合もあるらしい。私たちが泊まった建設中のホテルの持ち主は、大金を払って馬を2頭も借りて、この日のために用意したのに夕べのみ過ぎて、競馬の列に加われなかった。それで、わあわあ泣いて、仕方ないから会場とは離れたところを、自慢のジャケットを着て、前のめりで馬にまたがり、馬の口を取る少年にお守りされながら、悲しそうな顔をしてぐるぐる歩き回っていた。

 

ひとしきり馬のレースを見て、われわれは昼食を取り、午後に見学を予定していた、あるモニュメントに向かう。

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