「自伝及び中米内戦体験記」10月10日」  

 

グアテマラ漫遊記」最終回

「帰路につく」

 

11月7日、私たちは再び小船でアテイトラン湖を渡って、チチカステナンゴの村に行くことになった。湖の回りは日本みたいに土産物屋やホテルだらけという状態ではないから美しい。グアテマラの国旗のデザインになっている火山の重なりも、湖畔で住民がやっている洗濯のために汚染されているといわれる水の色も、中に入るとあたりの景色をすべてさえぎってしまうほどの丈の高い葦の茂みも、自分たちの船以外には釣り人のボートしか見えない静かな景色も、申し分なく美しいと感じられる。

 

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そしてまた、舟をこぐ青年の顔が働くものの本来の顔をしていて懐かしくさえ思える。こういう顔つきの青年は、私がすむ都会近くにはもういない。私の日本の家は狸が子育てできる環境なのだけど、隣のおばさんが狸に都会的なドッグフードをやって餌ずけしているから、あの狸はもう自然の狸ではなくなっている。今私たちを乗せて舟をこいでいる青年のほうが、あの狸より自然な顔つきをしている。カメラを向けたら、揺れて水がかかって、あいにくうまく撮れなかった。それで、そっとスケッチをしたが、きれいに描きすぎた。私はドッグフードを食べていないが、都会化しているからしようがない。(注:うちのタヌキは交通事故でお亡くなりになり、タヌキおばさんも、もう今はお隠れになった。)

 

もときた船着場に、ロランドたちが待っていた。なんだかすごく懐かしい。わいわいと挨拶を交わした後、みんな朝食前だからおなかすかせているので、近くのレストランで食べることになった。あまり変化のないグアテマラの朝の料理だが、卵だけは目玉とか、ゆでたのとか選べる。目玉焼きをスペイン語でどういうのか忘れたので、直訳で「目玉の焼いたの」、といったら通じた。笑ってはいたが、日本人がいつもそういう風に注文するそうだ。

 

日本人はどこに行っても、レストランの人を面白がらせているらしい。何でも、日本人がきたら、熱いものは熱湯で、冷たいものは凍らせておくことなどといわれているそうな。そういえば、この国はぬるいコーヒーを「熱い」と表現するなどと、ある日本人から聞いたことがある。ホテルの風呂のお湯が熱くならないといって調べてもらったら、ホテルではこれ以上熱くならないといわれた。それにしても、自分でも思うけど、日本人はなぜあんなに極端な温度を好むのだろうね。後で日本に帰って鍋焼きうどんを食べたら、中米料理に慣れた私は、用心しなかったので、上あごの皮がやけどではがれてしまった。

 

午前中にチチカステナンゴの市場に行って、まだ大部分が先住民の衣装のままの賑わいを楽しんだけど、私の技術では、これと思う対象にねらいを定めても、どうしてもいい写真が撮れなかった。うちに帰って写真を楽しみにしてみたら、おじさんの背中だとか、普通のズボン姿のおばさんのお尻とかが、大写しになっていて、絵の題材にもならないので、悔しいから、今年の展覧会には、どうしてもこのお尻を使ってやれと思っている。

 

グアテマラ先住民の衣装は部族によって織り方も模様も違うので、その場所をはずしたらもうどこにも同じ物にはお目にかかれないのだ。幾何学模様の美しい織物で、ここでももう廃れかかっているそうだ。

 

次の日は、懐かしい村、ソロラにいった。ここにも私は若いころ来ていて、2枚の写真を撮ったことがある。そのころは村の人々はスペイン語を話すものがいなかった。市場でみかんを買おうと思っても、通じなかったのを覚えている。スペイン語がわかるのは、ラデイーノと呼ばれる混血人種で、確かその当時は両方から嫌われる存在だった。雰囲気から写真を写すのが失礼かなと察して、その当時、遠景を2枚撮っただけだったのを引き伸ばして、いろいろに組み合わせを変えて、絵の参考にしたものだ。

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(写真は1979年ソロラのメルカード)

 

 

今回、ソロラにいって、そのかわりように驚いた。子供でもスペイン語を話すこと、ソロラ独特の民族衣装が、かなり姿を消していること、売られているものが、もうこの村のものではなくて、プラスチック製品の日常品が多いこと。それからカメラを怖がらなくなったこと。でも、カメラを怖がらなくなった、ジーンズ姿の若者を写真に撮ろうという気もこちらにはない。

 

Aさんの後についていったら、彼女は例のごとく、古い布を売っている店に入っていった。民族が自分のアイデンテイテイーとともに捨てた、多分そのうち、明治時代に捨てられた浮世絵のごとく復活して、高級品になるかもしれない過去の技術の産物。感慨とともに私は数枚をそこでも買い込み、小さな遺跡を経由して、元の出発点だったアンテーグアのまちに向かう。

 

「テイカル見学をキャンセル」

 

旅のはじめに、企画者からもともと旅程にはなかったテイカル遺跡に行きたいという希望者がいるからということで、私にも打診があった。テイカルは新婚旅行のメインの地なので、いつか機会があったらエノクといってみたいと思っていた。グアテマラ最大の遺跡群である。世界遺産にも登録されているジャングルの中のマヤの神殿のある古代の都市だ。私が行った27年前は、まだホテルがひとつしかなくて、満員で、仕方ないからホテルからハンモックを借りてジャングルの中で寝たもんだ。思い入れはかなりあった。今回はエノクがウルグアイに出張中の一人旅だから、思いは半減するけど、行ってみようと思って申し込んでおいた。

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(上はテイカルの写真。パノラマ写真が撮れなかった時代、たくさん撮って貼りあわせたものです。)

 

その日が次の日にあたっていた。しかし団長のAさんが当然いくものと思っていたが、来てみて驚いた。Aさんはおろか、行くことにしていたのは3人のグループと私だけだった。

 

私は古代史が好きだ。関連がないじゃないかといわれるだろうけど、そもそも私は中米の文化に触れたのは、記紀の神話を研究し始めてからなのだ。記紀の神話研究をするうち、出雲の風土記に触れて、島を引っ張り寄せて出雲の国ができたような伝説を読んだ。それから周辺神話にあたり始め、とうとう環太平洋のすべての神話に手を伸ばした。だから古代史ファンなら話が合いそうだと思われるかもしれなかったが、ちょっと事情が違っていた。

 

申し込んだグループのメンバーである3人はヘビースモーカーであるばかりでなく、スペイン語ができるのは私だけだったので、私が団長にさせられる羽目に陥った。彼らはグアテマラが気に入らないらしく、道中ずっとこの旅の企画の批判ばかりしていたばかりでなく、食事が食べられないといっては梅干とインスタント味噌汁を食べていて、気に入らないとなると集団を離れて自分勝手な行動ばかりしている人たちだった。

 

途中から私はこの3人に辟易し始め、なんとかテイカル行きのグループから抜ける道を考え始めた。新婚旅行の地には、またこれからエノクと来たいと思っていた。それより前にこのグループと来ていやな思い出を作りたくないなあ。もとよりそんな思いは勝手な思いである。だからそれは言うのをやめておこう。のどのアレルギーのため、ヘビースモーカーと行動をともにしたら、病気になる。(これはうそじゃない)でも多分これはスペイン語の通訳がほしい彼らに言ったら、彼らはタバコを我慢するというだろう。

 

はっきり言って、グアテマラが嫌いなくせに、遺跡見学だけしたい人たちと、旅行なんかしたくないのだ。彼らのため、通訳なんかただでやって役に立ちたくないのだ。身勝手だよ、そりゃ。でもね、こんなこともあったんだ。みんなが食事のことであまりわがままを言うから、Aさんも一生懸命気を遣って考えて、旅も終わりに近づいたあるレストランで、大皿4つぐらいに分けて盛ったすごい料理を好きなものをとって食べられるように用意した。

 

みんな喜んでたらふく食べた後、かなりの量が残ったので、Aさんがビニールの袋を頼んで残りを集め始めた。そうしたらヘビースモーカーの一人がこういった。

 

「ああ、動物にやるのね。」

 

まあ、そりゃ、平均的な日本人の普通の反応だろう。しかしこの国で、レストランで出されるものを食べられる階級の人はほんの3パーセントの人口比を閉める白人だけなのだ。ほとんど口をつけていない鶏の腿なんかを、動物になんかやるため、旅の途中で動物なんか連れ歩いているわけではないAさんが、わざわざ袋を頼んでかき集めるわけがない。

 

今までのAさんの行動を見たって、洞察力があれば、別のことを察してもいいはずだ。少し慌てて私が誰にも聞こえないように、それを言ったヘビースモーカー婦人に、「いや、あれは食べられない人のためを考えているに違いないから」ととりなしているのに、彼女今度は大きな声で、「あら、ここの人間なんか動物とおなじじゃない!」と言ったのだ。

 

その残りの食べ物は、同じテーブルについていたロランドの家族に上げるためのものだった。彼らに日本語が通じないからいいようなものとは、私には思えなかった。私はロランドのために傷つき、日本人のために恥を感じた。私にとって、グアテマラも日本も同じく愛する国だったから。

 

私があれこれとキャンセルの理由を考えていたら、Aさんが耳よりのことを言ってきた。きちんと歴史を知った専門の日本人の通訳を頼む方がいいと思うけど、今から通訳を確保できるかどうかわからないし、そのためには通訳の旅費と、通訳の費用をみなで負担しなければならない。

 

お!と思った。じゃ、こういうことができるか。私が行かない代わりにその人の座席を確保して、通訳費や旅費は彼らに出させてしまう。私は体調が悪くなったことにしておいてくれ。Aさんはニヤニヤしながら、事情を聴かずにその旨、図ってくれることになった。

 

それで、3人のヘビースモーカー達に、私が健康の都合で行きたくないといっているけど、通訳を頼んでもいいかという意味のことを皆にきいたのである。彼らは一斉に、お金はいくらでも出すから頼んで暮れというので、話はまとまり、私はとうとうテイカル行きをキャンセルして、しかも私が払ったお金を戻すことができた。よかった。少し苦い気分だったが、私は喜んだ。浮いたお金をあることに使える!

 

実はいきたくない理由がもうひとつあったのだ。私がこのアンテイグアに初めて来たとき、Aさんが案内したメルカードの土産売り場で、一人の女性からテーブルクロスを買った。そのとき私は彼女に帰りに寄るからもう一つ持ってきておいてね、と約束したのが気になっていたのだ。彼女たちは文字を持たない人たちだ。文字を持たない人はコンピューター顔負けの記憶力を持っている。私は子供のころから期待を裏切られ、約束を破られると、ひどく苦しむ人間だった。貧しい暮らしの中の小さな希望を破られた人の心の傷の意味を知っていた。どうしてもあの言葉をたがえてはいけない。と、そう思っていた。旅行は11日で終わりである。時間がない。

 

「アンテイグアにもどる」

 

バスはもときた道を戻って、出発点の旧都アンテイグアにもどった。運転を勤めたロランドとルイスは、久しぶりに家族の元に帰り、私たちは元のホテルに入った。例のごとく私はそこが元のホテルであることをなかなか理解できず、部屋割りまでまったく同じなのに、何度も部屋を間違えた。

 

私はやっぱり子供のときに頭に平衡感覚を保つ石を入れ忘れた海老なのだ。

 

寺田寅彦の随筆で読んだのだけど、海老は生まれてまもなく、小さな石を食べて、頭の中に送り、その石によって平衡感覚や方向感覚を保つという。その随筆を読んでから、私はその石なり砂なりがない環境にえびを入れて育てたらどうなるのか、などということを考えていた記憶がある。

 

方向指示器がないからその海老は食べ物にありつけず、死んでしまうのか、それとも、その環境になれて、私みたいに、人の知識を参考にしながら生き延びるのか、なんて考えるのは案外楽しかった。方向感覚のない海老は多分集団の中に入って集団で行動するのだろう。いや、まてよ、私は平衡感覚も、方向感覚も、集団に対する適応性もないのだった。今だって、よほど馬が合う人が集団のなかに一人でもいないと、やっていけない。その馬を見つける感性はかなり確実にあるから、それを頼りに今まで生き延びてきたんだ。(ところで、「うまが合う」のうまは馬でいいのだっけ?)

 

イカルに行くかいかないかで、私は大いに自己分析癖の本領を発揮し、沈思黙考に余念がなかったから、余計アンテイグアの街の中の建物の配置などの記憶はなかった。

 

私はあの買い物を約束した市場の女性のところに行かなければならなかった。頭に石が入ってない海老として、私はどうしても、人の知識を頼りにしなければならなかった。

 

Aさんは忙しかった。この町に戻ったら、グループのメンバーはいろいろ個人的なことを計画していた。足の悪い男性は元グアテマラ日本人学校の校長で家族は3人グアテマラに住んだことがあったから、知り合いのうちに招待を受けて別行動をとることになっていた。ヘビースモーカーの3人はテイカルに行くことになっていた。別の二人がグアテマラ市にいって、美術館を訪ねたいといっていた。それぞれの希望をかなえるべく、Aさんは車の手配やら、打ち合わせをして忙しかった。

 

その中でAさんが頭を悩ましていることがあった。グアテマラ市の美術館組みである。首都のグアテマラ市は世界にその名をとどろかせているほどの治安の悪い地域である。白昼強盗は当たり前で、金持ちの旅行者は特に狙われやすいばかりでなく、人質にもなりやすい。

 

一応内戦が終わったことになっていて、平和になったはずのこの国の問題は、隣のエルサルバドルも同じだが、青少年のころ、兵隊として徴用され、またはゲリラに入って戦いに明け暮れた男たちは、その成長期に人殺しの仕方しか習わなかった。彼らには戦争が終わった後の生活の保証はどこからも出ないのである。ゲリラは当然のことながら、政府軍も、町にいた貧しい先住民の少年を無理やりに拉致して、兵士や自警団と称する殺人集団を養成したものだから、政府にとって用が済んだら、もともと必要のない集団なのだ。若いとき家族からも離され、時には自分の家族の殺害にも荷担させられた、人殺ししか知らない集団として彼らは放置された。彼らができるのは強盗団を組織することだけだった。

 

その強盗団がグアテマラ市には横行しているという。運転手を務めたロランドも白昼銃を突きつけられて車を盗まれて、美術館の案内も引き受けたくないといっているそうだ。Aさんは頭を悩ませていた。美術館なら私も行きたいと思ったが彼女の悩み方が尋常じゃないのを見て、不測の事態が起きたとき、この人は責任をかぶらなければならないだろう、そりゃ可愛そうだと思った。

 

行きたがっている人たちは、それぞれ美術に心得のある人たちだったが、中米の問題には詳しくはなかった。ガードマンを雇ってでも行きたいという強い要望なのだ。中米の内戦の中を生きた人なら、ガードマンそのものを信用したりしないのだが、何せ、平和日本の観光客である。事が起きたら、家族のあるガードマンが本当に身を賭してまで、雇い主を守るのか、保証の限りではない。そして、事が起きたときにその全責任を問われるのは、企画者のAさんである。

 

ちょいと私は余計なお世話を思いついた。「あなたたち、こんなにAさんがグアテマラ市の危険を警告しているのに、何が何でもいくというなら、ことが起きたときの全責任は自分たちが取る覚悟でしょうね。これだけ、グアテマラに生活して経験のある企画者の意見を無視して行動するからには、彼女に責任は問えないでしょ。」

 

いやらしいいい方である。いかにも日本的な先輩ぶったもののいやみに聞こえる。かつて私は先輩風をふかしたことなどがない人間だったが、ちょっとこのときは吹かしてみた。

 

それで彼女たちは計画を止めてしまった。こうでも言わないと彼女たちは、運転手だけでなく、運転手の家族も、雇うかもしれないガードマンもガードマンの家族も、企画者のAさんも、Aさんの家族も巻き込んで、果ては日本大使館にも迷惑かけて、危険な行動をすることに気がつかない。計画に絶対に必然性があって、それだけの犠牲にも価値があるというのならわかるが、美術館に行きたいということだけだった。そのことのためにこんなにみんなに神経を遣わせなくてもいいだろう。平和に慣れるとはこういうことなのだ。いやみのいやらしさは先刻承知のすけだった。

 

計画を止めたので、Aさんはほっとして、グアテマラの民芸品美術館の展示物は日本の大阪にもあるし、展覧会もあることだから、かえって日本のほうが安心して見られるよ、と慰めていた。

 

次の朝、メンバーはもうほんの少ししかいなかったので、Aさんはこの日はすべて自由時間にした。それで私は、例の市場に連れていって暮れと頼んだ。あんな目と鼻の先なのに、まだわからないの?といって、彼女は歩き出した。なんとその市場はホテルの斜め横にあったのである。

 

「市場の女性たち」

 

市場に入っていったが、私のことだから捜している女性がどこの店にいるのか見当もつかず、うろうろと探しまわった。そもそも顔さえ覚えていない。ところが市場に入ったとたんに、あちこちから私を呼ぶ声がかかかったのである。ぎょっとした。まさか、トラさ~~ん(ネット上の私の名前が手負い虎。ネット関係の知人はトラさんと私を呼ぶ)と言ったんじゃないよ。本名で呼んできたんだ。行きにここによったとき、尋ねられてどうせ覚えていられるわけじゃないからと思って本名を教えたのを思い出した。

 

大勢の観光客がくる中で、彼女たちはメモもしないで私が何を何点買ったか、いくらで交渉がまとまったかを覚えているのだ。ここは定価があるわけじゃないから交渉によって、これでよしと思った値段に折り合いをつけて買うのだ。だから、頭に石を持たない海老である私には、何を何点いくらで買ったかなどということを、メモも見ないで覚えているはずはなかった。ところが彼女たちは覚えていた。名前を呼び、この前買った袋をもっと仕入れたからかってよう、もっと安くするよう、と叫んでいる。Aさんは、ニヤニヤしながら言ったものだ。「来年きてごらん、名前どころか話の内容から着ていた服の色まで覚えているから。」うへ! 

 

私は今、こういうことを書いている人間だからお分かりだろうが、文字に頼る人間である。兄弟が多かったから兄弟の本をいつのころから片端から読んで暮らした。小学2年生のときから日記をつけて、日記が自分の心の友だった。記録ではなくて、内面の吐露が多かったが、記号だけでも書いておけば、それを頼りに関連の物事を思い出すことはできる。しかし、よほど特徴がない限り、人の名前なんか一度で覚えたことがない。大勢の中で育ちながら、人間関係が乏しかった。

 

私は長い間幼稚園で英語の教師をしてきたが、特徴がないおとなしい子の名前は、入園から卒園するまで覚えない。卒園したら、その子がいたことさえ忘れる。あまりいい教師ではないのだ。

 

私は今自分が別のサイトで研究して発表していた「記紀」の記述を思い出していた。あれは稗田阿礼の口承に頼って記述したものだ。文字を持たなかった時代の人間の記憶力というのは文字を発明してからの人間の1500年にわたる研究に勝っているらしい。1500年たって、記紀を口述筆記した人間に踊らされている現代の研究者が哀れだ。文明って案外悲しいものだ。

 

かなり唖然としながら、自分は心細くなった。行きに約束した女性に、本当は何を約束したか、買ってあげるということだけしか覚えていないで、当の女性の顔も名前もいる場所さえも忘れていて、どうすればいいんだろう。写真に撮った覚えはあるが、それは現像していないからわからない。何を覚えられていることやら怖くなったのである。一方私は自分が記憶していないこの市場の女性達4人に、名前も顔も行動も明確に記憶されていたのだ。

 

で、Aさんの案内で、当の女性の店に行ったら、彼女は遠くで私たちを見つけて、立ち上がってあちらから声をかけてきた。名前を呼んで、テーブルクロスあるよという。うれしそうである。仕入れておいてくれたテーブルクロスはあまり気に入らなかったからまだ別のがあるかと聞いたら、待っていろといってどこかに消えた。しばらくすると彼女は何枚かテーブルクロスを抱えて帰ってきた。そのうちの一枚を買って私はほっとして、やれやれ、やっと約束を果たしたと思ったら、気分が晴れて、そうだ、今日は自由行動の日なんだから、これから少し遊びたいと思った。

 

私は植物園に行きたかった。私の絵の題材は人物が主だが、売るための絵は中米の動植物を画いている。探し回っても見つからなかったマラニョンをしつこく求めていた。もうあるのは植物園ぐらいかもしれない。しかし植物園はやっぱり危険地帯のグアテマラシテイーにあった。行けない。それならとAさんは知り合いのうちの農園を尋ねようといい始めた。

 

農園なんかにマラニョンはないだろうなあと思ったが、二人でバスに乗ってこの国のバスというものも経験してみろと彼女にいわれて、どうせ自分の思いが成就する人生じゃなかったから、派生したもので満足しなきゃと思い、ついていくことにした。あの内戦のころ、私はグアテマラでバスに乗ったことはなかった。バスは田舎道に差し掛かったところで、軍隊やゲリラに停止を命じられて、おっかない思いをするというイメージが強かった。

 

エルサルバドルでは、焼き討ちに遭ったバスの、骨組みとエンジンだけで走っているみたいなやつに乗ったことがあるが、あのころはもうバスとはどういうものだなどという感覚がなくなっていた。動く機械、載せる機械、とにかく目的地まで、歩くよりはいいから利用していた。今はもうそんなことはなくなって、まともなバスが走っている。その、まともなバスを利用して、とにかく散歩をしてみよう。

 

「気楽な散歩」

 

バス乗り場まで、みやげ物を売っていた市場の中を突っ切っていかなければならない。今までみやげ物ばかりに気をとられていたけれど、気がついてみると土産物屋の続きには、日常品を売る店がひしめいていた。野菜も果物も、昔懐かしいものがうずたかく積まれている。レストランでは果物はどういうわけか、りんごだのオレンジだのメロンだのとどこにでもあるものばかりしかなくて、土地の果物にお目にかかったのは、もう旅も終盤になったこの日が初めてだった。

 

エルサルバドルについたころ、私がその味に感激したグラナデイージャがあったので、10個ばかり買った。ホコテと呼ばれる小さな渋みの強い果物、アノナというマツボックリの化け物みたいで中が柔らかい甘い果物。それから椰子のみ。椰子のみは薄い甘味を帯びた汁が中に入っていて、それを穴あけてストロで飲む。なんか旅情を感じる味である。もうお金が残り少なくなったけど、旅の最後にいろいろ南国の味を味わっておきたかった。椰子のみを買って飲みながら歩いたが、飲み終わってから、実の処置に困った。白い果肉はおいしいのだが、割って食べる道具がない。仕方ないから抱えて歩いた。

 

バスの横にスクールバスと書いてある。どうも、アメリカから払い下げられたバスらしい。黄色の車体に黒の線が入っている。それがそのまま路線バスになっていた。バスに乗る階級は車のない階級である。先住民しか乗っていない。彼らはバスのなかに籠につんだ生きた鶏だの、なんだか日本のバスでは乗せてくれそうも無い物ばかりを荷物として持ち込んでくる。出発前を利用して、いろいろ物売りが入ってくる。先住民らしくないけど妙な風体の男が入ってきて、「アメリカで開発された高級な薬」とやらを宣伝して、その場で売りつける。精神安定剤らしい。自分で飲めよ。怪しいやつだ。

 

しばらく乗ったら、Aさんが、ここだここだと言う。降りたものは二人しかいない。ここどこだかわかる?とAさんが言う。わかるわけない。歩きながら、見かけた植物を写真に撮る。植物園にいけないんだから、どこにあるものでも、珍しいものは撮っておこう。Aさんが案内したところは、初めの日に機織の実習したうちだった。

 

突然の訪問に、そこの女主人は驚いていたが、私は別の意味で驚いた。初めの日、私たちを迎えたこの家族は全員民族衣装を着ていた。今見ると誰も民族衣装を着ていない。あの日はたを織っていた6歳の女の子は、欧米の女の子が一昔前まできていたかわいいワンピースを着ていた。もう一人はティーシャツを着ていた。おばさんは真っ黒な汚い身なりをしていた。そうか、と私はすべてを納得した。

 

ここのうちは見かけと違って、先住民の一般の家庭より豊かなのだそうだ。観光客相手の織物の商売で儲けたから、家を二件持っている。そのもうひとつの家に庭があって、たくさん植物があるよといわれ案内してもらった。見たいものはなかったけど、パパイヤの背の低い木があって、クリーム色の花をつけていた。パパイヤの花を見たのは初めてだった。この植物は幹に直接実をつける。実をつけたパパイアの木はまるで豊穣の女神のようである。四方八方に放射状の葉が伸び幹の回り中に乳房のような実をつける。

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だからパパイアの花は幹の周りに直接咲いている。まるで、クリーム色の花の柱である。みずみずしいその花の元は青白く透き通っている。写真を撮らずに見とれていた。昔エルサルバドルで初めてバナナの花を見たときに、どうやって表現しようかと何度も絵に描いたがどうしてもあの震えるような花の可憐さを表現する力はなかった。このパパイヤも描くのは難しそうだ。道を覚える力はないこの頭は、色を覚えこむ力が備わっている。頭の中枢にパパイアの花の色を覚えこませた。

 

そこに別れを告げて、私たちは帰りのバスを探した。バスの時刻表があるわけではない。お客がある程度乗ったら動くらしい。バスがそこにくるかもしれないといわれた地点でバスを待っていたら、白人の観光客に会った。やっぱり乗り物を待っている。じゃあ、やっぱりここでいいのかと思っていっしょに待つ。

 

そこにピックアップトラックがやってきた。そこいらにいた制服を着た女学生らしいのと、荷物を頭に載せたおばさんたちがばらばらと駆け寄って、そのピックアップトラックに飛び上がって乗り込んだ。その勢いに気おされていると、隣でおとなしく待っていた白人の観光客が、突然走り出してもう出発し始めたトラックめがけて、飛びついた。そしてひどく無様な格好で、女学生たちの間に頭を突っ込み、足を半分外に出したまま消えていった。

 

別に白人はスマートでなければいけないとは言わないけれど、日ごろ土地の人を馬鹿にしているくせに、いざとなるとあんな格好で、土地の人の唯一の交通手段であるピックアップトラックに争ってぎゅう詰になって乗るんだ。

 

後からきたバスに私たちは乗り込み、もときた地点に戻ると私たちはまたあの市場の中をとおって、もう親しくなった、市場のおばさんたちに挨拶しながら歩いた。テーブルクロスを買った店にとおりがかったので、手に持ってあったかくなっていた椰子のみを、汁は飲んじゃったけど実を食べてくれるかといって差し出したら、大好きなんだといって、すごく喜んでもらってくれた。まだ時間があった。一度、ホテルに戻って、午後何をするか考えよう。

 

 

「 旅の終盤」

 

ぶらぶら歩いていたら、美術館断念組みが町を見物して回っているのにあった。織物市場を巡っていたのだそうだ。一人は服飾に興味を持っている。洋裁をやる女性だ。グアテマラの布地を買っては日本人好みに仕立てて売っている。だから織物美術館を見たかったらしい。でもこの町にはものすごい大きな倉庫みたいな場所があって、ありとあらゆる過去の民芸品や、衣装や、家具などがおいてあって、即売もしているから、もちろん手にとって見ることもできるし、試着して買うこともできる。美術館となったら、ガラスケースの向こうだから触ることなどできない。彼女たち案外満足していた。

 

歩いていたら、見覚えのある女性に会った。行きに挨拶したあの少女、2児の母親のエスペランサだった。赤ちゃんを背中に、荷物の籠を頭の上に、いい姿をしている。この前別れるときに、写真を一枚撮らせてほしいと約束していたのを思い出した。いいかと聞いたら、背中のブライアンを前に抱いてポーズを取った。赤ちゃんをいとしそうに見るまなざしは、17歳とはいえ、母の目だ。絵になるなあと思って、数枚撮った。彼女から財布をひとつ買った。普通より高い値をつけている。まあいいやと思って交渉をしなかった。どうせわずかなケッツアルをドルに換えたところで、目減りするだけだ。

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Aさんはこの地で新婚生活を送り、この地で子供を育てた。だから懐かしがってあちこち歩き回っては、路上の人に挨拶する。ある教会の前にちょうど日本の境内前の夜店のごとく物売りが籠を出して座っている。そのなかにAさんの知り合いがいた。人々の間を縫うように歩いていって、挨拶する。彼女は自分の赤ん坊を抱いて、この教会前のおばさんたちと、赤ん坊を見せ合いながら遊んだのだそうだ。おばさんが、赤ちゃんはどうしている?とAさんに聞く。もう高校生になっているよ、と彼女は答える。

 

日帰りで帰ってくるはずのテイカル組みや、元グアテマラ日本人学校の校長家族が、もうそろそろ帰るから、夕食の場所を決めておこうということになった。彼女の考えで日本人が経営する日本食レストランにみなで行くことが決定した。Aさんの妥協の結果である。後数日で、日本食なんか腐るほどある国に帰るのに、どうして、現地のものが食べられないんだろう。私はいろいろな国を旅して、日本食レストランほどまずいところはないと思っている。日本食は大好きだが、本物を楽しみたいのなら、現地で食べるのが一番いい。

 

それに旅情を感じる感性は、その土地の言葉や、食べ物とは切り離せない感性じゃないだろうか。わざわざ外国旅行をして、材料の乏しい日本食などを食べるより、わけの分からないぎょっとするような現地の料理を食べるのが旅の常道じゃないか。蟻も食べろ、毛虫も食べろ、こうもりも食べろ。私はだから、エルサルバドルで、イグアナも食べたし、アルマジロも食べた。亀の卵も食べたし、サボテンのサラダも食べた。アメーバー赤利にもなったし、腸チフスにもなったしデング熱にもなった。帰るころは水道の水を煮沸しないで飲んでも病気にならないほどの抵抗力を備えることができた。

 

後ちょっとで、世界一清潔な国、日本に帰って、おおとろをマグロ十匹分でも食べればいいんだ。あほめ、こしぬけめ。あん畜生の日本人のお化けメ!路傍の柳に向かってかなり悪態をついて、その夜食べたのは、かんぴょうの入った海苔巻だった。みんなのほころびそうな貧しい笑顔。け!かんぴょう巻き、食ったことないんかい!戦争直後じゃあるまいし。生まれてはじめてかんぴょう巻き食ったみたいな顔をしている。それから日本酒。みんなお神酒を飲むみたいに敬虔な日本教徒の面をしている。

 

このラテンアメリカじゃあ、ラム酒を飲むんだ。海がめの卵を夜陰にまぎれて取ってきて、ラム酒傾けて、ギター弾きながら踊るんだぜ。べんべけべんべけじゃらんじゃらん……Solamente una vez~~~~~~

 

グアテマラ漫遊記」の終わり

 

最後の日の朝、軽い朝食を取った後、Aさんの発案で、希望者だけ10時から始まるというバイキングに行くことになった。彼女は何かを計画しているようである。朝食の後、町をうろうろしながら誰かを探している。また何かたくらんでいるなと思った。

 

彼女が探していたのはエスペランサだった。バイキングに彼女を招待するんだという。何をいくらでも食べていいのだから、日ごろおなかをすかせた彼女に腹いっぱい食べさせてやるんだという。何度も言うようにレストランは3パーセントの支配者階級の入るところで、60パーセントの先住民が入れるところではない。

 

Aさんにはひとつの思い出があった。この町に住んでいたころ、ご主人の取材についていって、あるレストランで食べた後、自分たち立とうとしたときに、窓の外から食べ物の残りから目を離さない先住民の女性がいるのが目にとまった。おなかすいているのだなと察して、彼女を招じ入れて、残り物だったけど、ずっとその場に付き合ったのだが、食べ物を噛む暇も惜しんで、ただひたすらに口の中に押し込んでいた。

 

レストランに入ることのできる階級ではないので、追い出されないように、ずっとその場にいたのだけど、あれは幾日も食べ物をのどに通していないものの食べ方だったと彼女は言う。それで、事あるごとに彼女は路上の先住民にご馳走するようにしているらしい。わざわざバイキングにしたのはそういう理由からだった。

 

頭に載せた大きな籠ごと、私たちは、エスペランサを守るようにレストランに入った。なんだか恥ずかしそうに、彼女は遠慮してあまり食べない。どうも埒があかないので彼女が食べ終わったら先に通りに出て、商売を続けてもらうことにした。大きな籠がレストランを横切ると、客は異様な顔をしてそれを見送る。民族衣装族は普段入ってこない聖域だから余計なものが入ってきたという目である。いなくなればほっとした面持ちになるのがはっきりわかる。

 

Aさんの計画を理解した3人は、パンケーキ、鳥や牛肉、果物、ジャム、バター、サラダ、コーヒー、ミルク、デザートの菓子類、それらを必要以上に皿に盛って、Aさんがあらかじめ用意したビニールの袋に詰め込む。ヘビースモーカー婦人は背が高い。何でもいいからそこに座っていてよ、とか3人で言って座ってもらった。私ってついたて?とか言って彼女はおとなしくついたてになる。やせた婦人である。「少し膨らめ」とか無理なことを言う。しばらく怪しい行動をとって、私たちも食べ終わって、外に出た。

 

エスペランサを探す。やっと商いをしている彼女に会った。彼女の姉妹らしいのが彼女の大きいほうの子供アンダーソンを連れてきた。家族みんなが十分食べられる分だけ、詰め込んだ袋を渡した。ありがとう。そう言って彼女はまた商いに出ていった。

 

私は少し一人歩きしようと思った。本屋に行きたかった。自分の写真がうまくとれていないだろうと思っていたので、せめて本を買いたかった。人に道を聞きながら本屋を見つけて入っていったが、気に入った写真集はなかった。ふと一人の子供のことを思い出した。サンテイアーゴ アテイトランでであったあのドローレスの8歳の子供のことである。あの子は母親に連れられてホテルにきては、ホテルの本棚から本をとって読んでいた。どんな本がすきかと聞いたら、母親が自然科学の本が好きらしいといったので、いつか必ず買ってあげようと思ったのだ。

 

子供向きの動物誌のような本があった。それを買うと持ち金はもうほとんどなくなる。何度も本を開き、何度も子供の顔を想像した。8歳で本が読めるということは、先住民のあの階級では珍しい。家に一冊も本はないだろうなあ。これをもらったら、あの子はどんなに喜ぶだろう。何度も何度も吟味して、その本を買うことにした。

 

本屋をでたら、Aさんにあった。きっと私は得意そうな顔をしていたのだろう。なんかいい収穫でもあったの?と彼女が聞く。この本買った。デイエゴ少年にあげるんだ。喜ぶかなあ。Aさんは言った。郵送しても届かないと思うよ。その本は高価な本だ。ドローレスの階級で買える本ではない。相手の住所が先住民だとなったら、途中で郵便やでもなんでも盗むのなんか簡単なことで、抗議しても聞く相手ではない。その値段を見ればわかるでしょう。読めなくたって、盗んで売ることだってできる。

 

そおかあ。どうすれば届くだろう。うちにも、昔娘が読んだスペイン語の本がたくさんあるから、どんどん送ろうと思っていた。これはクリスマスのプレゼントにしようと思ったんだけど。この時期それは余計無理だよ。こんな高価なものが先住民に届くはずがないよ。100パーセント盗まれる。もし時期をクリスマスにこだわらなければ、ロランドに頼んでおくといいよ。観光客をつれて必ずあそこに行くはずだから、彼に頼んでおけば、いつか必ず届けてくれるよ。

 

私は近くの文房具屋でクリスマス用の包み紙を買って、中にデイエゴ少年当てに手紙を書いて包んだ。それをAさんに渡して、ロランドに頼むことにした。もうお金はすっからかんになった。歩いていたら、おばあさんの乞食が細い、枯れ木のような手を出したので、財布の中のお金をみなはたいてあげたので、文字通り何もなくなった。RECOMのための買い物でほとんどすべてを使い果たしたのだが、案外満足だった。

 

みんなが食事のことでずいぶん不満だったらしいから、最後のデイナーは少しはずんでやれ、とAさんはいって、彼女が嫌う三ツ星ホテルの高級レストランに行くことになった。

 

グアテマラ日本人学校の元校長一家は、60パーセントの先住民と親しんだAさんとは対照的に、3パーセントの支配階級とのみ親しんだ一家らしい。彼らはグアテマラの歴史は知らなかったし、先住民の苦しみも知らず、このツアーに入ってAさんみたいな変人に連れまわされるまで、グアテマラを旅行したことがなかった。休みになれば、カナダやアメリカの観光をしていたし、グアテマラでも、三ツ星高級ホテルにしか泊まったことがなかったから、グアテマラ1周ぐらい2日もあればできると一行に言っていたらしい。

 

彼らは大使館クラスの人としか交わらなかったから、5年間もいて、まったくグアテマラの問題を知らなかった。彼から話を聞いて加わった友人たちはそのつもりで、このツアーに加わったのである。不満は当然だった。Aさんは三ツ星ホテルを意識的に避けていたのだから。

 

彼らの不満と自分の企画との行き違いを、Aさんは知っていた。だから最後になって日本食レストランで海苔巻を食べさせたり、「最後の晩餐」は三ツ星ホテルに決めたのである。しかし、私もよく知っていることだが人種差別のある国は、決して日本人を白人の仲間とは思っていないのである。白人の仲間の振りをしているのは日本人だけで、人種差別をする側にとって、色つきはみな同じなのだ。客選びをするとき、いくらお金を持っていても、有色人種の日本人には冷たいことを当の日本人は気がつかない。

 

日本人はいくら白人の仲間を装っていても、此の旅のしょっぱなから気づいたことだが、三ツ星レストランが期待する食事のマナーを一般の金があるだけで観光をしている日本人は備えていないのである。三ツ星レストランを利用する人種が3パーセントの支配者階級だということは、3パーセントの階級のマナーを基準としているということなのだ。人種差別は正しいとは言わないが、差別する側にも言い分があるのである。

 

レストランを見つけて、予約を取り、みなが集まるのを待った。ばらばらの席しかなかったが、無理してつなげてもらった。なんだか寒かった。しかし頼んだ料理は日本人好みの巨大な焼き蟹で、みんな物もいわず貪り食った。マナーもへったくりもなくナイフもフォークも汚さず、手でむしりとり、かぶりついて食べた。ほかにいろいろ野菜やご飯や、トルテイージャもあったはずだが、何があったか覚えていない。巨大な蟹をたらふく食べて満足したということ以外に覚えていない。さぞレストランの顰蹙を買っただろうが、いいんだ、いいんだ、金を払いさえすりゃいいんだ、日本人さまのお通りだい。

 

私ももちろんむさぼった。私の本姓は虎だしするし、虎にマナーを求めることのほうが間違っている。

 

蟹腹をなでなで、通りに出たら、昼間エスペランサ達が店を出していた公園で、なんだか催し物があるらしく、舞台があって、その周りに椅子がたくさん出ていた。そのことに余り気に求めず一度ホテルに帰ってから、メンバーの数人がいないことに気がついたAさんは、心配して暗くなった通りに再び出て、彼女たちを探した。付き合って外に出たが、8年間内戦を体験したものにとって、この国の夜の暗い通りは怖い。無邪気に遊ぼうという平和な日本人たちと同じ気持ちになれない。帰ろう帰ろうと半分震えながら、戻ろうとしたら、消えた仲間が帰ってきた。公園で野外音楽会をやっているよという。すばらしいから見に行くといいよ。

 

それでちょっと覗いてみることにした。公園は照明が輝いていて明るかった。そこに照らし出された光景に、私は奇異な感覚を味わった。並べられた椅子に腰掛けている人々は、まるで私たちがこの国を旅し始めてから出遭ったことのない人々だった。60パーセントのこの国の主人公はどこにもいなかった。そこにいたのは明らかに人種の違うまったく異質の外国人のように思えた。舞台には、見覚えのある舞台衣装を着た女性の歌手と、タキシードを着込んだ男性歌手が、私にも聞き覚えのある、西洋のオペラのごとき物をやっていた。そこには昼間、先住民たちが商いをしていたと同じ公園であることを認識できるものはなにもなかった。

 

彼らは明らかにヨーロッパ文化を生きていた。その光景は、明治時代ヨーロッパ文化を自主的に取り入れ、和魂洋才を生き延びたわれら日本人の知恵みたいなものと共通するものもなかった。二つの民族は共存せず、二つの文化は融合することもなく、まるで二つの外国が同じ土地にあるような、不協和の世界がそこにあった。

 

グアテマラの先住民の苦しみに共感し、これを助けよう、自立を支援しようという元海外青年協力隊の作った日本人のグループがあって、その運動に賛同した私は、ほんの少し役立ちたいと思い、観光をかねてこの旅に参加した。先住民の文化である織物や、民芸品を買い集め、それを日本にもってきて売って還元すれば、彼らの文化の継続に役立てることにもなるし、彼らの自立の支援にもなる。識字教育をしているグループもあるし、農業を指導しているグループもある。かのノーベル平和賞受賞者のリゴベルタメンチュウは民族のアイデンテテイーを取り戻す運動をしている。

 

しかしグアテマラ国内に、自国民としての共存の意識も持たない、ヨーロッパ文化から一歩も出ない人々が、あたかもこの国の主人公のように、君臨している。自分たちは人口比としては3パーセントに過ぎないのに、彼らは先住民のことをマイノリテイーと呼ぶ。先住民の祭りに参加せず、その歴史に無知である。先住民を国民とは呼ばず、かれらの文化を野蛮と呼ぶが、その野蛮を売り物に先住民を見世物のごとく考えている。彼らにとって、先住民は、外国人のための観光資源に過ぎない。

 

そして私は、何を言おうと、観光資源としての彼らの民芸品を買い物してきて、3パーセントの搾取階級の財布にドルを落としてきたのかもしれない。彼らはそのドルで、野外音楽会を開き、観客席から先住民を除外する。本当の現実はそんなところかもしれない。

 

今、この自分にできること。それをただ誠実にやる意外に仕方ないことだとは思うが、悲しいかな、自分はやはり、街角で、バイオリンを弾くピエロかも知れぬと旅から帰って痛切に感じている。(「グアテマラ漫遊記」完)

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注;ここに記した内容は、2002年10月から11月にかけて、旅したグアテマラの当時の日記からで、内容的に史実を反映しているかどうかは、定かでない。