naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」10月12日

「続家族離散」(5)

 

「人生のどんでん返し」(4)

 

そうか・・・。と私はマルタのメールを読んで考えた。決定的な答えだった。例の女性の子供3人のうち2人は、認知しようがしなかろうが、夫の子供かもしれない状況の下に生まれ生きている。3人の子供は少なくとも夫を実の父親と信じさせられて育ち、そうすることを夫は赦している。

 

孫の父親が言うように、私の夫は、私との結婚の約束を、ただの1年間も果たしたことがなかったんだな。そう思った私の心は、屈辱を感じてうずいた。

 

それは理屈でも論理でもない、一人、高邁な精神を抱いて生きているつもりでいた人間としての、屈辱感そのものだった。「自尊心」とは読んで字の示すごとく、「自らを尊いと思う心」なのだ。

 

女二人が一人の男を取り合う、その一方に自分がいるなどと言う生物の次元に自分を置かないで暮らせると考える、心なのだ。その「心」が「お前は生物に過ぎない」とあざけられ、顔に糞尿を投げつけられたような屈辱を、そのときの私はかみ締めた。

 

祖国も自分の天職とさえ考えていた職業も、自分の裾にしがみついて、いかないでくれと泣いた哀れな母も、一切なげうって、彼を慕って太平洋を渡った過去の自分が哀れだった。あの思い出、この思い出が脳裏を駆け巡った。

 

そういえば・・・と私は考えた。疑えば疑える状況を、私は疑う理性を持たぬほど、彼への思いにのめりこんでいた。恋とは、愛などと言う高尚な精神とはまったく関係のない、生理現象なのだ。私は生理現象貫徹のために太平洋を渡った。若さとは馬鹿の代名詞か・・・。

 

私は内戦下のエルサルバドルで、お互いに身を案じながら、ばらばらにすごした夜があることを思い出していた。娘が生まれて、私が産後の肥立ちが悪くて熱に苦しんでいたとき、外で呼ぶものがいて、夫はそのまま出て行って帰らなかった。撃ち合いがあったりして危険な町だったから、心配のあまり私は姑に電話した。

 

しばらくしたら姑から電話があって、心配するな、彼は「自分のもう一つの家族」のところに行っている、と言ってきた。

 

それを聞いた私は、姑の言葉の調子から、それがあの家族だということがわかった。体調も悪く、赤ん坊の世話もまともに出来なかった私は、帰ってきた夫に烈火のごとく怒った。帰ってこなかったことを怒ったのではない。姑の「もう一つの家族」と言う発言に怒ったのだ。「なぜお母さんは、あの女性の家族のことを『もう一つの家族』と呼ぶのだ。あなたにとって、どちらが家族なのだ」と激しくなじった。

 

そのとき、彼は直ぐに両親に電話して、怒った。「子供が生まれたばかりで、体の自由が利かない妻に、馬鹿なことを言うな。過去に何があろうと、自分はもう結婚したのだ。自分の家族とは、結婚した家族だけだ。二度と私を滅ぼそうとしている女を家族と呼ぶな。」激しい剣幕だった。演技しているとは思えなかった。

 

彼はその時も別の機会にも言っていた。

 

「心配するな、彼女はもう結婚し、他の男と一緒に住んでいる。娘の名義で買った家をその男の名義にして暮れなどといってきたので、断ってきた。娘のものは娘のものだ。騙されて生まれた子供であれ、騙された自分にも責任がある。娘が生きるのに必要なことはしておかないといけないからと思って買った家だ。何が起きようと名義変更などさせない。

 

彼女は次の子を妊娠していて、自分とはまったく関係ない人間になった。時々行かざるをえないのは、長女には責任があるからだ。」

 

その言葉を私は信じた。相手が結婚したのならと、安心もした。私が馬鹿だったと言うよりも、信じるほうが生きるのに都合がよかったからかもしれない。あれは皆、うそだったのか・・・。「信じる」と言う行為も自己保存本能であり、生理現象だったのだ。

 

でも・・・。日本で暮らした18年間、彼はどこに行っても、私に自分の所在地を知らせてくることを忘れたことがなかった。東京の会社勤務だったときでさえ、いつもの帰宅時間を30分でも変えざるを得ないときでも、必ず電話をかけてきた。日本に来る前のことはいざ知らず、日本における18年間は、たとえ、彼にジキル・ハイドの両面があろうと、よき夫であり、父であった。

 

でも、でもと、私は事実を打ち消そうとした。それはエノクを信じたい、それによって自分が楽になりたい、生物のメスとしての最後の足掻きだった。

 

私はマルタの箇条書きのメールを、マルタに出した自分の質問のメールも添えて、エノクに送った。

 

「私は自分が一番苦しかったときでもあなたに協力を求め解決してきて、うそをついたことはなかった。私はあなたを尊敬していたから、言われた言葉を全て信じてきた。だから私はあなたに背かなかった。どんな状況の中でも自分は自分の魂を高潔に保ってきたつもりだった。苦しくてもうそはつかないで欲しい。うそによって救われる人間などいない。真実に向き合うことによって、其処から出発したい。あなたに責任のある子供は何人いるのだ?」

 

娘にもマルタのメールを転送した。私は、疑おうと思えば疑えた、グレーゾーンにいるエノクよりも、マルタがどうとりなそうと、自分が守り育ててきた娘の裏切り行為に、深く深く傷ついていたのだ。

 

「あなたはあの男と切れていないのか。もし切れていないのなら、男のもとに戻って結婚しなさい。心が少しでも彼にあるのなら、いい加減な行動を取るべきではない。一体何のために、家族のもっとも繊細さを要する秘密を、私に問い合わせもせずに、あの男に訴えたのだ?彼が、誰も解決できないこんなみっともない家族の問題を知って、何かのたしになるのか。

 

あなたの彼に対する信頼は、ただ彼が私を侮辱するためだけに、利用する材料になったに過ぎない。それはあなたから直接侮辱を受けたも同じことだ。今回の行動の説明を求む。」

 

「続家族離散」(6)

「人生のどんでん返し」5

 

エノクは謝ってきた。そして私が要求した「うそのない」情報を伝えてきた。

 

「結婚してエルサルバドルで暮らした数年間、自分は彼女との関係を断てなかった。その事実に関しては自分が悪かった。何千回でも謝る。ただし2番目の子は自分の子である可能性がないわけではないが、別の男の可能性もあって、確認できない状況だったから認知していない。3番目の子はまったく自分とは関係がない。彼女はその子の父親と結婚するからといって、長女に与えた家の名義変更を要求して来た。それ以後彼女との関係はない。

 

長女に対しては、結婚に際して条件としたので、成人し大学を終えるまで仕送りをした。しかしそれは母親の口座ではなくて、ロスの大学に留学していた長女自身の口座だった。

 

3人の子の誕生日に帰国したなどと言うことはまったくのでたらめだ。日本に行くと決意したときから、自分は過去を捨てたのだ。日本に来てからの18年間、自分は長女以外との交流をまったく断っている。長女も成人し、大学を卒業し、社会人となった。彼女に対する自分の責任はもう終えたのだ。すべては過去になったのだ。」

 

それは私が無花果の葉っぱに騙されて見ることがなかった、夫の裸の姿だった。無花果の葉っぱの付いた夫を私は崇めていた。無花果の葉っぱの付いた夫を尊敬し、愛していた。私が愛していたのは、無花果の葉っぱだった。

 

おかしなやつだと、自分で自分のことを嘲った。自分は今悲しんでいた。自分は今、自尊心を激しく傷つけられて打ちひしがれていた。でも、一体事実は、何か変わっただろうか。事実は25年間同じだったはずだ。それなのに、自分は今狂っていた。夫の裸を呪い、夫のうそを憎んだ。夫にとってすでに終わった過去でも、やっと二人の生活が始まると楽しみにしていた私にとっては、過去だ過去だで済まされない「今始まったばかりの」現実だったのだ。

 

自分の目がくらんでいたために、勝手に見なかった「事実」をみて、夫が心変わりしたと考えた。自分はそのとき見たいから見たに過ぎなかった部分をたった一つの事実と認定して、勝手に夫を尊敬していた。

 

繰り返し繰り返し、私は、何を見て、何を事実と考えたか、何を見ないで、何をうそと思うに至ったか、吟味した。見たくないから見えなかったことが、今見えたからといって、夫が裏切ったと思い込んだ。私が見たのは幻で、幻を見て、喜んだり悲しんだりしていたのだということに、私は呆然としていた。

 

美しい幻を見ているとき、人は美しいと思うのが常なのだ。その幻が幻だとわかったときに、自分が見ていたのは映画であって、現実が変わって見えるのは、映画館から出てきただけにすぎないとは、人は割り切って考えられないのだ。

 

「続家族離散」(7)

「人生のどんでん返し」(6)

 

夫が出張から帰ってきた。まったく何もなかったような、いつもと変わらぬ顔だった。そのいつもと変わらぬ顔をみて、私は却っていぶかしんだ。どうして私がこんなに苦しんでいるのに「いつもと変わらぬ」顔ができるんだ。

 

私は問題を切り出さずに置けなかった。事実を知りたいといったのは私だ。その事実を知って、過去をなじっても仕方がない。事実はともかく、私には、なぜこのような、家族が一番繊細さの必要な時期を選んで、私だけを蚊帳の外に置いて、娘に問題の家族を紹介するような、妙な行動を取るに至ったのか知りたかった。

 

自分の分身だと考えていた娘からさえ、蚊帳の外に置かれた自分が、いったい家族の中でどういう位置にいるのかを確かめたかった。一つの秘密を自分以外の家族が共有することが、私をどんなに不安に陥れるかを、二人は理解していなかった。しかも、私以外とは、相手方の家族を含めたら6対1の割合の蚊帳の外なのだ。

 

女はおろかだと人は言う。時期を選んで待つほどの賢さを、女はもっていないからか。 

その話が始まったとき、不気味な妖しい目つきをしてエノクは一言言った。 

「お前だって、村瀬先生と不倫したじゃないか。」

 

「え!?」私は声を呑んで絶句した。一瞬眼をみはり、頭がくらくらと揺らめいた。 

「不倫だと!? 村瀬先生?あれが、不倫だったと?」 

一言も私は声を発することが出来ないほど、不意打ちを食らった。

 

「村瀬先生」との一件に、私は真実苦しんだ。だから、解決のためにすべてエノクに話して、助けを求めたのは私だった。先生に対する恩義から、先生がいくら理不尽な要求をしてきても、自分にはまったく手のうちようがないと言われた私は、自らの足で相手の家族の元に出向いて、解決したのだった。当然憎まれると思っていた奥様からさえ、誠意を認められたあの解決の仕方を、私は自分でもよくやったぞと思っていた。むしろ私は自分に誇りさえ感じていた事件だった。それをエノクは、私が先生と不倫をしたのだと、いま、自分の不実が露見したときに言い出した。

 

今の今だって、私は彼の過去を追及しようとしたんじゃない。これから二人が共に生きるために蚊帳の外に置かれた自分の自信を取り戻したかっただけなのだ。何とか自分を抑えて、先に進もうと考えた私に、エノクはまさに両びんたをくらわせた。「お前だって不倫したじゃないか!お前に俺の過去を追及する資格があるのかい。」

 

こともあろうにこのエノクは、自分の側の25年間の不実を、私が真摯に悩んだあの2年間と天秤にかけて帳消しだといっている。

 

あの時。私がなんとしてでもあの状況から逃れようとしていたあのとき、キリスト教典礼歴年では、聖週間と呼ばれるキリストの受難の季節に当たっていた。そのキリストの受難のちょうどその時、それは聖木曜日、と呼ばれる日だった。思い余った私は教会に行き、祈った。助けてくださいと祈った。宗教はアヘンだ、そういう行為は無効だと思われても、それしか出来ないほど切羽詰っていた。私にとって、祈りとは、赤ん坊のころから血肉となっていた最後に頼るべきよすがだったのだ。私は祈りの中から解決を見たつもりだった。他人が立ち入るような世界ではなかった。

 

あれを、不倫だなどと思われているとは、爪の垢ほども想像していなかった。突拍子もない不意打ちだった。「一緒に平和に生きようなどと思っていないな、この人!」私は息を飲んだままそう考えた。

 

その一瞬から、私の心の中の張りが崩れた。共に歩んできた、共に戦ってきた、何があろうと彼は自分の人生の戦友だと思ってきた、その思いが突然崩れた。その一瞬から、私は彼を生理的に受け付けられなくなった。手を触れられることも、近くで呼吸を感じることも、疎ましくなった。彼が寝た布団に触るのもおぞましいと感じるほどになってしまったのだ。

 

抗弁はしなかった。話し合いもしなかった。この人物は自分とは世界が違う人間だと、私は、幻の崩壊と共に感じていた。

 

定年退職になってから、彼はいろいろと再就職の道を探し回っていた。職安にも行ったし、元の会社がくれるアルバイトの関係から、いろいろな会社の求人に応募し、そのたびに、日本語の履歴書、身上書、仕事に対する抱負などを書く手伝いを私にさせた。しかし私には到底本気で手伝う気にならなかった。どうでもよかったのだ。もう、どうにでもなれと思っていた。

 

結果どの採用試験にも落ちた。かつて、自分の人生で「落ちた」と言う経験がなかった彼は、最後の不採用通知が来たときに、それを床に投げつけて怒った。

 

「この国は、自分のような優秀な有能な人間を採用しないのか!採用されたあの連中より、俺は能力があるはずだぞ! 」

 

この男、難民などにまともな就職も約束しないこの日本で、三菱系の子会社に部長補佐として就職し、18年間務められたことを、自分の力だと思っている!

 

醒めてしまった私は、彼の怒りや嘆きに付き合っていられなかった。 

横で夫の怒りの爆発を見ていた私は言った。

 

エルサルバドルで仕事を探したらいかがですか。あの国なら、家族もいるし、あなたはだれからも尊敬されて生きていかれる。日本は今不況で、たとえ能力があっても、日本語が完全ではない元外国人を雇うところはないでしょう。何度も採用試験に落ちて誰からも評価されない状態を続けて、そうやってストレスを感じながらここで生きていくより、給料が安くても誰からも尊敬されながら生きていかれるエルサルバドルのほうが、豊かな老後が送れるでしょう。娘もあちらにいることだし、この際、エルサルバドルに仕事を打診してはいかがですか。」

 

それを善意に聞いた彼は、昔の人間関係をあたり始め、就職の打診を始めた。彼の祖国は彼を裏切らなかった。本当にわずかな給料だったが、数件のところで、彼を迎えるという返事さえ来たのだった。しかしその給料の額は一番多くても月800ドルに過ぎなかったので、彼はなおも躊躇していた。

 

私は娘にメールを書いた。

 

「お父さんは日本で再就職が出来ません。毎日不幸な顔をして暮らしています。一方私は今の精神状態で、お父さんと一緒にいるのは、もう限界です。エルサルバドルなら、お父さんは仕事も得られるだろうし、人の尊敬を受けて生きていかれると確信します。

 

からしばらくでも良いから、お父さんを引き取ってください。友人も肉親もなく、言葉の不自由な日本で、わずかな年金を切り詰めて暮らせば、精神的にも経済的にも、いつか破綻が来ます。自分の祖国で、自分の肉親と暮らし、自分の腕でわずかでも稼ぎ、今までどおり自分が誰かのためになっていると思い込んで暮らすほうが、お父さんのためによいと私は思います。そしてあなたとあなたのモーゼの生活費も、それで万事うまくいくでしょう。すべてにとって、それが一番よい解決法だと私は思います。」

 

これは究極の偽善だった。私にはやり場のない冷え切った心があっただけで、夫の幸福を思う気持ちなんかまったくなかったのだ。冷ややかに、冷ややかに、私はかつて愛してやまなかった二人の家族のことを、心の外に突き放した。

 

二人は私が陥っている心の状況をまったく理解せず、今までどおりごまかしていれば、うまくいくと思っていた。娘と夫はその感受性において、クローン人間だった。二人はうまくいくだろう。むしろ物事を突き詰めて考える性質の私の存在は、ごまかしを人生哲学だと思っている今の彼らには無用だと判断した。

 

私が穏やかを装っていたから、何をいっても、何をしても、その本心を見抜く力は彼らにはなかった。何が起きても二人は私が自分たちを愛していると考えていた。私は喧嘩をせずに、血を流さずに、平和のうちに革命蜂起を試みた。私は夫をその年の9月、片道切符でエルサルバドルに送り返した。

 

私の選択は究極の偽善だった。

 

紀元一世紀のかの国で、パリサイ人を偽善者と罵倒したキリストよ、偽善と殺人以外の選択肢がないときに、選ぶとしたら偽善以外にあるのかよ!

 

下はその後の私の家族

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マックとロケの家族↑

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キンケイの夫婦↑

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クレオパトラ