naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」10月15日  

 

「羽無し天使の物語」(14)

 

「とうとう本当にきちまった」「機上から地上へ:メリダ」

 

下に見える景色は珍しかった。メリダは山脈の向こうにある。だから初めから寂しい寒村を想像していた。山はうねうねと広がり、そのところどころに、全く同じオレンジ色の屋根が点在するのが見えた。屋根がオレンジで、壁が白い。多分スペイン人が作った街なのだろう。私が40年間慕っているマドレもスペイン人だ。そして、この国の侵略者もスペイン人だ。

 

複雑な思いを抱えて、私は下の山脈の中に点在するスペイン風の建物を眺めた。こういう貧しい家のひとつに、あのマドレは住んでいるのだな。

 

昔、私が彼女を訪ねてスペインに行ったときも、彼女はスペインの田舎町の、本当に貧しい学校に赴任していた。バスを乗り継いで、だんだん、彼女の修道院に近づくたびに、私は悲しい思いをして、生き物といったらロバと羊ばかりいる、あたりの風景を眺めたっけ。

 

飛行機は高度を下げて、何だかびっくりするほど民家に近い、街のどまん中にある飛行場に着いた。まるで小学校の運動場みたいな感じがするほど、その飛行場は街の真っ只中にあった。

 

「おやおや、こんな街の真ん中にある飛行場、見たことないや。」一人で日本語でつぶやきながら、タラップを降り、のこのこ歩いて、手荷物引取りのための何だか田舎の役場の待合室みたいなところで、人夫が担ぐ荷物を待った。

 

待合室に座っていたら、一人の実直そうな男性が、紙に私の名前を書いて、現れた。その男、まるで昔から私を知っているみたいに確信してまっすぐ私のところに来る。まったく「探す」という態度ではない。私が私だと確信している。ああ、マドレの遣いだな。やっぱり来てくれたのだな。その男を見て、そう思った。

 

その男は親しげに握手して、エルマナは足が悪くて車から降りるのが困難なので、車の中で待っている、と私に伝えた。足が弱くなっているのか。81歳だからな。でも足が悪いのにとにかく飛行場まできてくれたのだ。ありがたいな。それにしても、ここにもマドレの親派がいるのだ。なんだかマドレが送ってくる人が男性ばかりなので、おかしかった。

 

(ついでに言っておくと、以後出会う人出会う人、マドレの親派は男性なのである。やるね!マドレ:ξ(`▽´)ξ: クックック)

 

荷物受け取って、その男の後について、車を探す。マドレ分かるかな。81歳ともなると、すごいおばあさんだろうな。そんな事を考えながら、きょろきょろ車を探した。スペイン植民地の田舎らしいたたずまいの景色を見ながら、その景色に納得しいしい歩く。上り坂の道の突端に、ピッカップのような車が止まっていて、その助手席から腕が出ていた。灰色の袖がこちらに向かって動いている。マドレが手を振っているのだ。マドレだな。荷物を男に預けて駆け寄った。

 

懐かしい、でも老人と分かる彼女の荒れた顔を見た。やっぱりだいぶ変わったな。でもとうとう会えたんだ。本当にこの人に私は40年ぶりに再会したんだ。これは本当なんだ。感動。

 

「マドレ!」「ルリ!」二人は同時に叫んだ。40年ぶりのこころからの抱擁。

 

私はラテンアメリカに長いこと住んで、この挨拶になれていたが、本当は心から喜んでこの挨拶を受け入れた相手はこのマドレと夫以外にいない。

 

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マドレが生きてそこにいた!
 

エルサルバドルにいたときも、私が誰とでも交わすキスと抱擁の常識的な挨拶を嫌がっているのが知られていて、あの人は夫以外の人には体を指一本も触れさせないんだという評判だった。そういう人間である私を「貞淑」だという評判を立てて、姑が喜んでいたが、別に私は、子供の頃からスキンシップになれていなかったため、何処にいったって容易に人との接触を受け入れない人間だっただけなんだ。

 

車は山の中をどんどん走る。山は深いが、さすがに石油の国、道路は綺麗に舗装されている。人っ子一人いない山の中の道路だけが光っていることに、奇異な感じさえ受ける。まるでジャングルの中に、どうして、舗装された道路だけが続くのだ。私はまだ、マドレが山の中の貧しい修道院の中で、数人のシスターたちとひっそり隠遁生活を送っているという先入観を捨てきれないでいた。

 

車は広大に広がる山の中をうねうねと登っていって、緑の草のつるのような繊細な感じのする装飾のついた大きな門に到着した。オヤ、大きな施設だな、と思った。車がさらに登り、途中の景色の変化や建物が見えてくるたびに、マドレは、説明をしてくれる。

 

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「これが農場、牛を飼っている。乳製品もここの生徒達が作っている。それを市場に行って売って収入に当てているのよ。これが養鶏場、卵も毎朝市場に卸しに町に出る。これが宿泊施設、これがFe y Alegria(フェ イ アレグリア) の学校。これが食堂、あの上に見えるのが私たちの“家庭”。」

 

「家庭」と言う言葉に思わず「修道院ですか?」と聞きなおした私に、マドレは、「いや、家庭です」、と何だか強い調子で訂正した。

 

「モノや、インコや、孔雀 や、ガチョウもかっているのよ、ほら!」マドレの指差す先に、ガチョウが首を伸ばしてガアガアアと叫んでいる小屋と、孔雀が数羽いる大きな小屋が見えた。ここにきて孔雀にお目にかかるとは思わなかった。まるでマドレの趣味って、私の趣味と同じじゃないの!ガチョウや孔雀が今まで紹介を受けた「生産」と「収入」に役立たないのを理解した私は思った。

 

又すこし上った先には猿の小屋があって、隣には緑のインコがたくさんいる小屋があった。なんだよ、猿までいるのか…。スペイン語の表現で、子供達を「mono:サル」と表現することがままあるので、一寸誤解していた。尻尾までくるくる巻きつけて足のように使うクモザルの番が手を出して挨拶していた。私はそれを見て目を輝かし、車から身を乗り出して、猿に挨拶した。愉快だった。

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「マドレは猿と一緒に住んでいるなどとエッセイに書いてもいいですか?」私はこの様子をぜひともネットで紹介しようと思って、エッセイの構想を考え初めていた。

 

私は彼女のその光景を目にしながら、だんだん、ええ?と、首を傾けだした。

 

何か自分の考えていたと違う世界にマドレは住んでいる。私はマドレが孤児院で働いているのだと思っていた。おばあさんになったから、仕事から退いて、子供達の食事の面倒を見ながら「お母さん」になっている、という日本での修道会では噂だった。

 

まるでどうでも良くなった老人の隠居生活か、何か暗いイメージの世界の一角で、仲間に嘲られながら、そんな仲間を尻目に一人で花を咲かせている地味で自由で、矛盾しているけれどストイックな修道女の生活を想像していた。40年前、東京の修道院にいたときの彼女がそうだったから。

 

私のかつての体験から言っても、特に日本の修道院は「趣味」を持ち込める世界ではない。「芸術」に至ると程遠い世界だった。

 

考えてみれば、イタリアの古い修道院の壁は修道士だったフラアンジェリコやジョットーの絵だらけで、修道院はストイックで、芸術を解さない人間ばかりがいるという日本のイメージとは程遠いのだけれど、私には日本で身についたイメージが先行して、彼女が「芸術」や「趣味」の世界、ペット を飼ったりして、生きた生活を楽しむことができる世界に住んでいるということは想像もできなかった。

 

彼女があくまでも誰かの支配の下に生きていると思っていたし、修道院に猿や孔雀がペットとして存在するということに納得するには少し時間が必要だった。それは修道院というより、まさしく彼女が強調したように「家庭」であり、それも私の住めそうな「家庭」だったから。

 

道中、いろいろな話を断片的に聞いたが、あまりよく全体像がつかめない。先入観が邪魔していた。でもとにかく、なんて健康な世界なんだろう。山々に囲まれて新鮮な牛乳と新鮮な卵と新鮮な野菜を食べ、ペットをかわいがり、ここで学ぶ子供たちはここで職業訓練を受けてそれぞれ独立していくらしい。

 

いったい私が40年前に知ったこのマドレという人物は何者なんだろう。この世界とどんなかかわり方をしているのだろう。

 

そうこうするうちに、マドレの「家」についた。マドレはここに到着する前、ここは「家庭」であることを強調していた。到着したとたんに、ここが「家庭」だという意味がいきなり分かった。

 

そこは、かつて知っていた多くの修道院がそうであったような、荘厳で近寄りがたい、一般人を拒絶するような雰囲気がない。入るとすぐ、ラテンアメリカのどこの家庭にでもあるような、この国のアーテイストの手になると思われる趣味のいいインテリアが目に入り、気取らない普通の鉢植えの花がたくさん並んでいる。修道院の象徴であるあの悲しい十字架が少なくとも見えるところには無い。玄関先でインコやカナリアがかごの中にいて、鳴いている。

 

マドレが私の部屋だといって案内してくれた部屋は、マドレの隣の部屋だから、どなたかの修道女の個屋だと思うが、修道院の個室のイメージから想像できるような、色のない白黒の世界ではなくて、心して選んだと思われる綺麗な木製のドアの内側に、女性的な優しい色のベッドカヴァーとカーテンが見えた。

 

そして、その淡い緑色のベッドカヴァーの上に、サーモンピンクのタオルが、花のような形にアレンジしてあって、マドレが心をこめて私を迎えるために用意してくれたのだろう、その繊細なセンスが伺えた。タオルをこのようにアレンジする心はラテンアメリカのものではなくて、スペイン貴族の習慣だな、と私は思った。

 

庭から取ってきたらしい、気取らない普通の花が机の上に飾ってあり、昔私がカセレスのコリアを訪ねたときのように,心を込めて客人を迎える用意ができていた。歯磨きから石鹸、魔法瓶には冷たい水もあった。

 

水って貴重なんですよ、この国では。十分「歓迎」の意味が伺えるほど、「水」が用意されているということは意味が深いのです。なにしろ飲み水は買うんだから。(現在は日本でも水は「買う」状況になった。でも私がエルサルバドルに行く前は、日本では水を井戸から飲んでいた。)

 

「羽無し天使の物語」(15)

「マドレの十字架」

 

長旅の後だから、いろいろするべきことがあるだろうという気遣いから、「じゃあ、しばらく休んでいらっしゃい」といって、マドレが出て行く前に、私は用意してきた「あの十字架」をおずおずと取り出した。

 

マドレの終生誓願の十字架だ。40年まえ別れる時、彼女が私にくれた。私を守るようにとマドレがくれた十字架を私はどこに行くときももって歩いた。その十字架は40年間私を守った。

 

「これはマドレの十字架です。40年間私を守ってきました。もうこれは元の持ち主に戻すときが来たと思うので、もって来ました。あの羽なし天使の進言で、 『祭壇の花は祭壇に戻して、初めて完結だ』という言葉を、どんな形で実現するか、私なりに考えた結論です。」

 

エッセイ「花」をスペイン語訳するに至った経緯は、あの「羽なし天使」の同意を得て、ネット上の彼との会話をそのままスペイン語訳と共に送ってあった。

 

「え!」マドレはしばらくその十字架をみていた。「この十字架をもってきてくれたの!」

 

彼女はその十字架が私の手元にあることを忘れていたようだった。

 

「この十字架をもってきてくれたの!」とマドレは再び言い、そして私の顔を見た。

 

「あなたの友達、貴女が羽なし天使と呼んでいる方、この前あなたがメールでくれた、会話を読んだけれど、まるで、その方、音楽そのものね。」

「え?」と私が今度は不思議な顔をした。

 

私は「音楽男」のことを音楽と関連させてこのシスターに話した覚えがなかった。「音楽って…」と私が言いかけたら、彼女は言った。

 

「私のこの方に贈る言葉として伝言 しておいてね、『貴方はまるで音楽そのもののような方です。奏でればその心が人の心の深いところに響き渡ります。』神様の心を読み取れる繊細な感性を持っていらっしゃるから、神様が貴方を使われるのでしょう。あなたの音楽は、私の心に響いてきました。日本に残した私の娘を私のところに送ってくださって、ありがとう。」

 

それを語るマドレの言葉も音楽のようだった。不思議な心の呼応が、会ったこともない二人の間に流れているように、私は感じた。確かに確かにこの二人は時も民族も、すべての壁を超えて、響きあう心を持っている。私はそう感じてかすかに感動を覚えた。なんという感性だ!あの人は音楽の精か…。あの人がヴィオラ奏者だということを私はマドレに言ってない。ところがマドレはすでに私のつたない翻訳から、彼の存在に音楽を感じてしまったのだ。

 

マドレのこの反応を見たとたん、私は知るべきことを知ってしまったような気がした。あの羽なし天使はやっぱり普通の人ではない。普通の人間性を持っていることは多分私と同じだろう。しかし彼は普通以上の感性と普通以上の繊細さと普通ではない使命を大いなる存在から与えられている。

 

それは私と彼がお互いに、愛そうと、憎もうと、誤解しようと、拒絶しようと、大いなる存在の前で変わることは無いだろう。彼もおそらく苦しい人生を大いなる存在から与えられ、自分だけの人生を苦しみながら誠実に生き、大いなる存在に祝福されて息を引き取るまで、試行錯誤を重ねながら、音楽の精として生きて死ぬのだろう。あの男が愛したモーツアルトのように。

 

「この十字架、もうあなたは必要ないの?」とマドレがなんだか、悪いなあというような顔つきで私に言う。「はい。これはマドレのものですよ。もうこの十字架は使命を終えて、あるべき場所に帰るときなのです。祭壇に戻すべき新しい花だと解釈して持ってきました。」

 

「ありがとう。」マドレは愛しそうに十字架を手にして、横に書いてあるラテン語の文字を眺めた。福音を世界に述べ伝えるべく刻まれた文字を、マドレは改めて眺め、隣の自分の個室のベッドの上に置いた。私がその十字架を少し名残惜しそうに見ていたら、気持ちを察した彼女は別の十字架を私にくれた。

 

「この十字架に又会えるとは期待していませんでした。この十字架がどこに行ったか忘れていたの。それで別のを代わりに持っていたのだけど・・・。あなたにはこれをあげるから、これからはこれを持っていらっしゃい。十字架は象徴に過ぎないけれど、でもこれを見て、イエズス様を思い出すことができるから。私のことも思い出して。」

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上は現在私のベッドの横に飾ってある、マドレからいただいた十字架。下の写真は、マドレ。

 

それから時が来て別れるときまで、彼女は時々思い出したように、「あの十字架を持ってきてくれてありがとう」と繰り返した。

 

だんだんと、彼女は「象徴に過ぎない」という、あの十字架の意味するものを、二人の間の40年の思いをあの十字架に託してきた私の気持ちを、長い意味深いものとしてかみ締め始めてくれているようだった。

 

十字架ってなんだろう。かの羽根なし天使がいったことがある。私が苦しいときにヨブ記にすがっていたら、「旧約はヨブ記に見られるように、まだ勧善懲悪の思想が在る、だけど、新約は何をやっても、結局最後は十字架の道だ、」と。

 

そのすごい言葉を私はかみ締めている。「己が十字架を背負いて我に従え。」の言葉通りにしたがっていると、最後は十字架だ、という意味になる。その十字架の道を使命として、シスター達が世界に派遣されるときの覚悟は一般人の想像を絶したものだろう。

 

所属する修道院から会員が世界布教の使命を託されるとき、いかに自分はそのために納得してその道を選んだとはいえ、どんなに不安なことだろうということは容易に窺い知れる。私は何人ものシスターや神父さんが、外国にあってノイローゼになって帰国せざるを得なくなるのを知っているから。

 

そのとき渡される十字架は世界に散っていく会員の航路を照らし、守るものだ。 その大事な十字架を彼女は私に惜しげもなくくれたのだ。あの時私が苦しみもだえ、人生の迷路に迷っていたから。そのことを私はどんなに深く、心に銘じて来ただろう。一度は自らも修道院に籍を置き、その十字架の意味をしっかり知っていた。それを自分が今まで持ってきたことに、私は厳粛さと責任とを感じていた。あれが手元にある限り、私は彼女の示した道を歩まねばならなかった。彼女が私の心にともした愛の火を、誰かに点火してからでなければ私は死んではいけなかった。

 

私はあの十字架にかけて母を看取り、母を見送った。マドレが私に約束し、約束させた言葉、『私が貴女の母になる。だからあなたは貴女の母の母になりなさい。』あの不思議な言葉が私の心を動かしつづけた。私は私に苦悩の人生を与えた母と和解し、母を受け入れ、愛した。母を見送ったとき、見えないマドレに向かって、額ずいて心の中で囁いた。『マドレ、ご覧下さい、私は今日、貴女の言葉を成就しました!』

 

あの十字架を彼女に返す日が来るとは、私は思ってはいなかった。でもあの不思議な羽なし天使が、突然現れて、私に「花を祭壇に戻せ」といい、そして突然消えていったあの神秘としかいいようがない体験を思ったとき、私がマドレに返す花はあの十字架を置いて、他にないと思った。私の中の人間的な心はあの言葉を伝えた人間を求めた。言葉を伝えた人間を愛した。目くら滅法に、狂おしく、何故、言葉だけを残して消えていくのだと、絶叫した。しかし彼はあくまでも「ただの男」で、頭に来たら、むかっと怒って、消えていく、本当にただの人間だった。

 

そして私には「伝えられた言葉」だけが残った。そのことを悟らざるを得なくなったとき、私は観念し、残った言葉に従った。

 

でも、とうとう私はここに来た。十字架を持ってここにきた。

 

「マドレ、あなたの十字架を持ってきました。マドレ、受け取ってください。貴女の十字架をお返しします。」

 

平和の使徒、マドレは旅をしてきた十字架を抱いた。40年の旅をしてきた十字架を、じっと眺めていた。感動の色が顔にうかがえた。よかった。やっぱり、あの『花』の意味はこの十字架だったのだ。羽なし天使!ありがとう。とうとう貴方の言葉成就しました。

 

もういいよ、羽なし天使、もう私はこれで死んでもいい。マドレに会えたんだ。人間がね、二人の人間が40年前不思議な出会いをした。愛することの尊さを心に植え付けられた私が40年大切にしてきたこの思いを、私はここで再び確信した。

 

私は愛において嘘をついたことがない。欠陥だらけの人間だけど、私は愛においていつも正直だった。マドレがね、身をもって教えてくれたんだ。一人の人間を愛することの喜びということを。愛する力は神様から与えられた賜物なんだ。そのことを私は確信した。羽なし天使よ、貴方の人間としての人生行路も神様の祝福を受けますように。

 

「羽無し天使の物語」(16)

「マドレの家」

 

案内を受けて2階に上った。マドレは杖にすがって、かなりゆっくり上る。車から降りて、玄関までくるときは、マドレは私に腕を貸せといって私の腕にすがって歩いた。感慨を持って、私はマドレに腕を貸した。階段は腕にすがるのは却って危ないからマドレは手すりと杖にすがって上る。その階段の手すりも木でできていて、趣味のいい装飾が施されている。

 

2階に上ったら、マドレはシスターたちの個室をみな開けて見せてくれる。素敵な個室だった。

 

「ここは白黒の世界じゃないのですねえ」、と私が間抜けなことを言うものだから、彼女、昔の眼をして、私を見ていった。「なぜ白黒 の必要があるの?」「いや」、と私は言った。「必要なんか無いですが、修道院は日本の常識では白黒の世界ですから…。」やっぱり、馬鹿な「常識」を言ってしまった。

 

「ここは 『家庭』 なの。」と彼女が再び言った。

 

「修道院にこんな趣味のいい装飾がしてあるなんて…。」まるで彼女の思いを理解しない私はまだ白黒 の「修道院」の話をしつづけた。シスターの個室はみな木彫りの施された重厚なドアがついていて、中の調度も女性的な色合いのなかなか静かな雰囲気をたたえていた。

 

私の先入観の中の「修道院」は、まったく殺風景な独房のような個室に、藁のベッドがあって、白いシーツの上に、あの悲惨な姿のキリストの十字架が置いてある、モノクロの世界だった。ピンクのカーテンなんてありえなかった。

 

「私の聖堂を見せようか、」マドレはいった。いよいよ、修道院の聖堂だ!ここはものすごく厳粛な世界のはずで、私はおかしなくらいに身構えた。「ハイ、参りましょう。」十字 を切ったりひざを付いたり、お祈りを準備したりして、私はその修道院の聖堂に入っ た。

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芸術的な祭壇

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彫刻だらけの祭壇

 

そういう私を斜めに見るマドレの目は、なんだか、形式的なことばかりいって信仰を表さないマルタにいらいらするキリストのように見えた。

 

聖堂の扉を開けてマドレは、膝もつかなければ十字も切らないで、軽く祭壇に向かって会釈した。祈りの形式的な言葉もなく、ただそれは、「こんにちわ!娘を連れてきたよ、」という挨拶に過ぎないように見えた。私はマドレに出会った頃の昔を思い出した。マドレはいつも祭壇に向かうと、まるで、イエス様が其処にいるかのごとく、自然体で話しかけ、それは、「祈り」なんていうものではなかった。

 

ただの挨拶をしたな!仲間みたいな挨拶だな!私は彼女のその態度を見逃さなかった。自分が彼女に出会ったとき、私は23歳だったけれど、心はまるで子どもだった。大人としてのマドレ、対等な人間関係の中でのマドレ、信仰者として、真摯な人生を歩むマドレを客観的に見たことはなかった。

 

え!様子が違うぞ。聖堂の中にさえ、いつもスペイン式の教会にあるはずの、ものすごい写実的で、苦悩に満ちた、ときには等身大の恐ろしいグロテスクなあのキリストの十字架が無かった。私はスペイン式の十字架が嫌いだった。体中血だらけで苦痛にゆがんだ、残酷なキリストの姿を見るのが苦痛だった。

 

私がかつて、「大司教暗殺」という絵を描こうとしていたとき、ロメロ大司教が倒れた聖堂にはほとんど等身大のキリストの十字架があったはずだと思い、祭壇の十字架をスケッチしたくて、いろいろ日本の修道院を回って探したが、なかなかそれが見つからず、やっとマドレのいた荻窪の修道院の中でそれを見つけた。

 

許可を得てそれをスケッチしたのだけれど、それまで、キリストのその苦しみの姿をこれほどしげしげと眺めたことが無かった私は、その残酷さに恐れ、おののき、涙が流れてスケッチを途中で打ち切る以外に無かった。だから、大司教暗殺の中の十字架は、キリストのいない白い十字架になった。倒れていくロメロの手に聖痕を描くことによって、私はキリストとロメロの受難を象徴するに留めた。それほど私は十字架の残酷さを見るのを恐れ、聖堂に入るとき目をそむけようと身構えた。

 

ところが「マドレの聖堂」にはあの残酷な姿が無かった。その代わりにあったのは、木の彫刻の施された最後の晩餐の光景だった。左横に枯れ木のような象徴的な十字架があったけれど、それも一目で写実を超えた抽象であることが伺えた。

 

おお!

 

聖祭を行う机のクロスは多分この国の原住民が織った織物だろう、真っ赤な地ににいろいろな色の糸が寄り合わされたグアテマラ等で見慣れたアメリカ原住民のものだった。聖堂の中に、原住民の文化を取り入れた人物の思いが伝わってきた。どこにもスペイン本国から取り寄せたらしいものが見当たらなかった。

 

「これはすごい!」と私は日本語で言った。「スペイン的じゃないじゃありませんか!」思わず叫んだ私に彼女はいった。「なぜここに来てスペイン的なことを期待する?!ここはヴェネズエラよ。」

 

「私の趣味、いいでしょう。」そういう彼女の顔は嬉しそうで得意そうだった。「私の趣味?」と私は訝って尋 ねた。「これ、マドレの趣味ですか?」「そうよ。ここの建物はみんな私が設計して建てさせたの。彫刻は、ここの職業訓練校の工房で学んだ卒業生の作品よ。」

 

なぬ!?設計をした?マドレがみんな彫刻も指導した?私は驚きと感動で、しばらく沈黙して彼女の顔を見つめた。「ここをみんなマドレが作ったのですか?!では、マドレ、ここの院長ですか?」「いや」、と彼女は首を振った。「私はそんなものにならない。」その 「そんなもの」と言うときの彼女の言葉の響きから、私はかつてのこのマドレの心意気を思い出し、彼女が未だに「長」なんか務めるタイプの人間ではないことに納得した。

 

そうさ、私のマドレは「長」なんかの世俗的位階にこだわる人間じゃない。まるで私はそれを誇るように、ザマアミヤガレみたいな気分で、小気味よく彼女の言葉を喜んだ。

 

ここに彼女が29年前赴任して来たとき、ただの野原で何もなかったそうだ。エリートばかり養成するのを事とするイエズス会の在り方を嫌った一人の変わり者のイエズス会士が、教育の行き渡っていない人のために教育機関を作りたいから、修道女の派遣を頼むという要請を受けてマドレの会が選んでよこしたのが、彼女だった。

 

その変わり者のイエズス会士と気が合ったのか、自ら十分変わり者だった彼女は彼とコンビを組んで、この原野に修道院を建て、職業訓練校を建て、織物や、彫刻などの工房を作り、宿泊施設を建て、牧場を開き、養鶏場を作り、土を耕し、作物を植え、収入を得るために、牧場と農園の生産物を市場で売った。できた施設で彼女は路上生活者の子供を教育し、独立させて職業を持たせ、社会に送り出した。つまり彼女はここの施設の創立者だったのだ。

 

夕食時になって、仲間のシスターを紹介してもらった。3人のシスターが食事をはじめていた。ああ、ここのシスターは幸福そうだな、とその表情を見て思った。変に厳かだったり、変に愛想が良かったり、異常に礼儀にこだわったりし ないし、変に、聖人ぶって人前でも十字を切って祈りまくったりするくせに、時間を知らせる鐘がなると来客があっても慌てて鐘の音に従って、来客にろくすっぽ挨拶もせず、吹っ飛んでいくような時間の奴隷でもないらしい。自然で気さくで、みな自由 に生きているような表情だった。

 

話をしながら簡単に仲間に入っていける。これは本当に「家」だな…。自分の仕事をこなしながら、自分を失わずに、気楽に生きている表情がそこにあった。マドレはもう自分は老人になって、私服になっても仕方ないからといって修道服を昔ながらに着ていたが、仲間のシスターたちは私服だっ た。

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3人とも銀髪の頭を自然のままに出してズボンにTシャツといういでたちであったが、こちらがそう思って接するからか、修道者を天職とする者としてのある雰囲気をたたえていた。「人間として感じがいい。」

 

「ここの『家』は日本の修道院とは違うな、マドレはきっと修道院なんか作らないで、自分の『家』を作ったのだ…。」なんとはなしにそう思った。

 

「羽無し天使の物語」(17)

「マドレの家」(2)

 

3月19日

 

「マドレの日常生活」

 

朝、朝食のあとで、マドレが一緒に行こうと言うので、どこに行くのかわからなかったけれど昨日の車で一緒に出かけることにした。運転手も昨日の人。素朴で慇懃な男である。昨日登ってきた山道を、町まで車で降りるらしい。途中、マドレは車の窓からいろいろな人に挨拶する。

 

それもただの挨拶ではない。よく 観察していると、彼女は知らない人でも、何か気になる人を見つけると、車をとめて、バックさせてまで、声をかける。対応の仕方が迅速で、必要な助言をする、お金を上げる、食物をあげる、窓から腕を出して軽く挨拶して、そして車で遠ざかっていく。後に何も残さない。ただ民衆の感謝の視線がのこる。

 

只者ではないぞ・・・。40年の人生経験を経た後で、私が出会ったマドレは、自分の与えられた人生を一瞬のときも無駄にしていない人間のように見えた。

 

新聞売りのところに車をとめると、毎朝のことらしく、マドレのために用意したらしい、ありとあらゆる新聞の束を抱えたおばさんが出てきて、マドレに渡し、お金を受け取って、うれしそうに挨拶する。

 

あきれた!いったい何誌読むんだ?

 

マドレはその新聞の束にすべて目を通し、いろいろな意見をかたっぱしから言っている。時事速報だ。ヴェネズエラの事情、世界情勢、地域の事情にわたって、81歳の頭がよく回転する。

 

若いころ新聞をよく読み、投書魔だった私は、難民となって日本に帰国してからは、目が悪くなって新聞の文字がぶれてしまって、吐き気を催すから今は1誌も読めない。それなのに、81歳の彼女は、車に揺られながら、全ての新聞に目を通し、政府批判、石油の問題、チャべス大統領の国際感覚や国内政策に対する不満、自分たちに直接関係のある地域の諸問題などをべらべらと言う。ものすごいや。こりゃ・・・

 

アメリカに抵抗するチャベスとして、好感を持っていた私は、マドレのアメリカに対する考えを聴いてみた。

 

「自分はアメリカの政策に決して賛成はしていない。基本的には反対だ。だけれども、国際政治の舞台で、わざわざ特別品位を欠いた言葉で、反米声明を出し、国の経済を破滅させる必要は無い。そのためにこうむる自国の民衆に科せられる負担を、どのように処理するのか、そういう展望がない。チャべスになってから、ヴェネズエラの経済はどん底状態だ」、と彼女は言う。

 

私は空港を降りてから、町の様子や民衆の表情をまだ見ていなかった。空港そのものに、石油資源をバックとする富を感じられなかったのは、気になっていたことだったので、彼女の政府批判を聞いて、考えさせられた。

 

「何故そんなに新聞読むんですか」、と聞いたら、学校の子供達にも読んで欲しいから、全誌買っているんだけど、あるからついでに自分も読んでいるのだという答だった。

 

しかしどうも「ついで」でもなさそうだ。彼女の脳みそは全回転している。絶えず民衆のことを思い、絶えず学校の子供達の将来像を描いている。そのための障害になることに対して敏感に反応し、次の行動を考えている。ただの、アホみたいに天井に向いて口あけて祈っている、演出効果だけ考えている独善的な修道女ではないことは確かだ。

 

信号待ちをしているに過ぎないマドレの車に、町の人があとからあとから群がりよってきて、挨拶する、それも親愛の情をこめた挨拶であることが彼らの表情から分かる。ジュースを売っているじいさんが、私と一緒のマドレを見つけて二人分のジュースを持ってきてくれる。呼びもしないのに、勝手にあちらからよってきて、ジュースをくれるのだ。

 

「ありがとう。」とマドレはいって、少し飲んでみる。しかし、そう、何本も飲めるわけじゃない。好意は断らない主義らしいが、無駄にしない。飲めないものは、次の信号待ちをしているときに、通りがかった子供にそのジュースを上げたりしている。

 

マドレに群がりよってくる人々は、路上の生活者ばかりである。作業着を着た労働者、見れば直ぐにそれとわかる、底辺の人々ばかりだ。

 

民芸品を売っている店のだんなが挨拶する。そのだんなは彼女の元生徒で、路傍の生活をしていた家族の子供だった。彼女がその子どもを助けだして、フェ・イ・アレグリア職業訓練校で、商売の方法を身につけさせ、彼は卒業してから店を出して、乞食だった家族を養っているのだそうだ。

 

あっちから出て手を振る人、こっちから出て来てジュースをくれる人がそういう歴史を持っている。

 

メルカードに到着する。運転手を勤める男が、朝彼女の養鶏場から集めた鶏の卵を卸に行く。始めは卵がどこから現れるのか気がつかなかったが、毎朝、敷地内の養鶏場で生徒が卵を集めて、箱に詰めるらしい。

 

毎朝ダンボール12箱くらい、たまごを生産している。それも職業訓練の一環で、その生徒が巣立ったら、養鶏場を経営するまでに育つのだろう。路傍生活者が養鶏場を経営するまでの道のりを彼女は助けてきたのだ。

 

気味の悪い祈りの生活、用なし人間の隠遁生活を想像していた私は、自分の不見識に内心たまげていた。

 

私はこれから行こうとしている夫と娘の住む国の路傍生活者のことをうっすらと考えた。一日中街角に座って、片手を出してお金を乞うているだけの、排泄物にまみれた、あの黒く汚れたしわだらけのおばあさんたちのことを…。

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「卵の収入は何に当てるのですか?」

 

「生徒たちを養う為の収入よ。前の大統領のときは援助が出たけれど、今のチャベスは援助をしてくれない。だから今はまったくの自給自足なの。」

 

「後はどんな収入があるのですか?」

 

「牛乳と、チーズ。」

 

「農作物は?」

 

「あれはほとんど収入にならなくて、生徒たちの食卓に上るだけなの。」

 

空気は清涼だ。農薬を使っていない。こんな天地がまだ在るんだ。私は深い思いであたりの景色を眺めた。

 

「修練院」

 

マドレは町の中にあるマドレの会の修練院(見習い修道女を訓練するところ)に案内してくれて、また中を見せてもらったが、この修練院も、驚くほど、美しく彫刻の施された木の家だった。

 

個室をみんな見たが、ドアがみな彫刻を施された木でできていて、素敵な静かな個室だった。そんじょそこいらの「超近代的のつもりの」6畳一間の日本のワンルームマンションに比べたら、御殿だ。インテリアもなかなか趣味がいい。聖堂も同じ彫刻家の手になるものらしくて、最後の晩餐のモチーフが正面にある。木彫が全体に調和している。

 

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食堂

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彫刻のある椅子があるホール

 

文明社会が誇る「現代文明」とは、味も素っ気もない実用本位のただの空間のみを、生活の場にする都会人の天下なのに、この「貧しい国」の「隠遁者」の生活空間は、芸術もある、愛情もある、心に余裕のある空間らしい。そして、それを作ったのは、私のマドレなんだ。

 

ホールには、壁に書かれた世界地図があった。でもそこに日本が無いので、「これ、何だ? 現代の世界地図に日本が無いのか!?」とあきれていったら、「これだこれだ」とシスターたちは無邪気に太平洋の真中にあるイギリスのような形をした島を指差した。

 

まるで、海の中の神仙境じゃないの!こんな世界地図、見たことない。

 

ふと私は『東海海中倭人あり。』という文句を思い出した。

 

「あはは。日本はアジア大陸にくっついていて、朝鮮半島のそばですよ、形もこんな形じゃない」、といったら、「え、そう?」といって驚いている。無邪気そののものだ。「これはマルコポーロ以前の地図でしょう」、といって私は笑った。

 

スペイン人の日本理解は、40年前私がスペインに行った時とあまり変わらないらしい。あの頃もスペイン人の人々に「日本に行くには中国から汽車でどのくらいかかるか」、なんて聞かれて戸惑ったっけ。

 

ここに何人見習修道女がいるのかと聞いたら、3人だという。

 

「すくないなあ。こんなに立派な個室がたくさん余っているのに3人ですか。何だ、そんなら私も入れてよ」、と冗談に私が言ったら、

 

「もう家族に責任がなくなっているのなら、いいよ、歓迎する」と答えた。まんざらいいかげんな挨拶でもなさそうだ。

 

感じのいい院長で、やっぱり修道院長にありがちな、変な荘厳さをたたえていない、気さくな人物のように見えた。楽器があったから、これは誰が使うのかと聞いたら、修練女達が弾くのだという。

 

ほう。修練女にも楽器をいじる自由が許されているのか。

 

「じゃ、私が入ったら、バイオリンの練習してもいいの?」

 

「うわあ、バイオリン弾くのか、大歓迎!」

 

はしゃぐ彼女たちを見ていると、なんだかその気にさせられそう!楽しそうに生きているらしい彼女たちの生活が偲ばれた。本気で、ここに入ろうかな。瀬戸内晴美さんも結婚に失敗してから出家したんだった。ふと、彼女のことを考えて自分の人生の終局の姿を思った。

 

マドレは私を案内したいからと、彼女たちの持っている車を貸してくれといって交渉し、月曜まで普通の乗用車を借りることになった。今乗ってきた車は、助手席に押し合いながら二人乗り込まなければならない、窮屈なピックアップだった。