「自伝及び中米内戦体験記」10月17日

 

「羽無し天使の物語」(25)

「施設見学」

 

2つの施設を見学した。一つは、他の修道会が仕事しているという、同じFe y Aregliaの建物だ。すばらしく広い施設で、例によって木彫だらけの聖堂と回廊を見せてもらった。明らかに「私の」マドレやその修道会のシスター達とは態度が違うシスターの案内で、中を見た。

 

「態度が違う」という意味は一寸説明しにくい。日本でも見かけるような「典型的な」シスターだから、別にとりわけコメントする必要があるわけではないが、マドレにあってから、この「典型的なシスター」を見ると、アア、やっぱり、「日本じゃなくてヴェネズエラだから」シスター達が楽しそうなわけではなかったのだ、という感を新たにしてしまう。やっぱり、シスター臭さの「典型」はどこの地でも「典型」なのだ。

 

案内のシスターは私が外国人と見るや、いきなり英語で話し始めた。しかも、「スペイン語はできないでしょ、できるわけないよね。」という切り出しだ。そしてうんざりするほど発音のなまった英語でべらべら話し掛けてくる。げげげのげ!

 

この態度には覚えがあるのだ。

 

40年前、スペインにいったときも、スペイン国内でいった先々で、「スペイン語できないだろ、スペイン語できないだろ」、「できないできないできない」と勝手に一人で納得して、できないことに決めてかかって、大声で、私の人物評などを始めるいなかっぺに出合ったから。

 

何しろ彼等は「What time is it?」という英語を「バッティメイシッツ?」とか言う発音で、それを英語だといって責めてくるんだから、始末が悪い。

 

目を白黒させて、「私はスワヒリ語できません」といいかけようとする私に、「何だ英語もできないんじゃないか、スペイン語も英語もできないで、どうやって旅行できるんだろうね」などと意地悪そうな目付きで言ってくる。

 

運転手の男が、側からフォローしてくれようとして、「いや、このセニョーラ、スペイン語うまいよ」と言ったんだけれど、もう、彼女は私が哀れな東洋人で、スペイン語できないことに決めたので、「でも、どうせ、片言でしょ」とか言って、平気なのだ。無礼な奴。彼女の英語、何言っているのかさっぱりわからない。外国人ならみんな英語を話すと思って、「親切に」でたらめな英語で語りかける点、多くの英語かぶれの日本人とそっくり。

 

いつもエノクが怒っていたな。こちらが日本語で「新宿に行く電車は何番線か」と聞いたら、目の前に指2本立てて、「ツーツー!」・・・多分2番線といいたかったのだろう・・・といった、とか言って・・・

 

私は彼女を振り切って、回廊を一巡りしようと歩き出した。彼女はついてきて、物凄く一生懸命説明してくれる。回廊にも部屋にも彫刻の施された立派な施設だということは今まで見てきたところと変わらない。でも彫刻のデザインにやたらに「天使」が多いから、なんだろうと思っていたら、彼女が説明をした。

 

この家は何十年か前、研修旅行で、飛行機で旅をして飛行機事故にあって死んだ25人の生徒を偲んで建てたのだという。回廊にはその一人一人の名前が刻まれ、天井には25人の天使が飛び交っている。聖堂の柱も祭壇の周りもその25人の天使がモチーフになっている。

 

回廊の中心の中庭の中央に、一寸日本庭園みたいな起伏があって、その飛行機の残骸が飾ってある。この建物を設計した人の思いは良くわかるが、なんだかこれでは悲しすぎる。まるで死者に取り囲まれて生活しているみたいだ。この建物全体が、まるで墓場なのである。いくら鎮魂の為とはいえ、つらいなあ。そんな思いでその建物を後にした。

 

もう一つ見学した施設は従業員や、宿泊客の為の食堂だ。

 

これがエッ!と思うほど立派だった。机も椅子も木彫もかなり古風なものだ。長い廊下に花の鉢が一杯並んでいて、花が大好きと言って、いつも私の部屋を花だらけにしてくれるマドレの趣味がここにも生きている。それから、運転手が一所懸命見せたそうにしているので彼の指す方向を見た。そこにはマントルピースがあって、その覆いの部分に「MMFP」という文字が模様のように組み合わされて彫られていた。

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 (写真はMMFPと刻まれた食堂のマントルピース。暗くて見えないけど)

 

運転手の説明では、マドレの本名、「Maria Montemayor Fernandez Pinzon」 の頭文字だそうだ。すごいなあ。名前が刻まれているんだ。マドレはそんなに偉いんだ、と思ったら、うれしくて、感動して、写真をとった。運転手は得意そうに、誰にあっても、私を紹介してくれる。「Hermana Monteの友達だよ、日本から来たんだ。」そうするとみんなもう即座に喜んで友だちになる。

 

昨日であったマドレの会の院長の言葉が印象的だった。あまりにも日本の状況とかけ離れていて、彼女が院長だということに気がつかなかった私はそれと知って、「院長様」という日本語にあたる言葉をスペイン語で「Madre Superiora」という言葉で呼んだら、急に気を悪くして私に言ったのだ。「貴女は私の敵なのか、友達なのか?」

 

一瞬、何のことだかわからなかった。彼女は「院長様」という呼び名を嫌ったのだった。私も本当は嫌いなんだ。彼女達は自らのことを「主の奴婢(はしため)」と呼んでいる。ならば、どうしてカトリックの習慣に疎い布教国の日本人に対しては、修道院内部の階級制度の呼び方で、敬意を表すことを要求するのだ。日本人は、「奴婢」以下かよ。

 

車で待っていたマドレは、明日は私のヴェネズエラ滞在の最後の日なので、工房などを全部見学していって欲しいと言った。でも、私が行った時は聖週間で、あいにく生徒は休暇で誰もいなかったから、見学といっても、がらんとした建物の中を見るだけだった。おまけに彼女は、足が悪いから、自分が午前中日課として市場で用事をたしている間に、他の人から案内を受けて、一人で見学して欲しいとのことだった。

 

一人で見学…この言葉に、私はたじろいだ。自分の部屋としてあてがわれた部屋に戻ってから、後1日しかないこの訪問の目的を振り返った。私は仕事を求めてきたのでもなく、マドレの仕事の視察にきたのでもなく、観光の為に来たのでもなかった。

 

私はマドレに会いたいから会いに来た。まったく個人的感情を満たす為に、極めて人間的な目的で来たんだ。

 

自分の生涯で、自分をこれほど心をこめて愛してくれた人はいなかった。ただひたすらに孤高を守って生きていたあの苦学の時代、彼女が私の心の扉を開いて愛することを教えてくれて以来、私は時にはおずおずと遠慮しながら、人間的な愛を積極的に表現してきた。

 

私はあのときに生まれ変わり、人として生きることの実感できる人間になったのだ。あれから40年、だから私はある意味で、40歳だ。マドレの仲間のシスター達が、「貴女は自分と同じくらいの年代なのに、まるで同じに見えない、若いのはどういうわけだ」と怪しんだとき、私はこう、応えた。「40年前、マドレに出会って生まれ変わった。だから私は40歳です」。

 

その言葉を彼女達はすごく素直に受け入れた。我が意を得たりとばかり、目を輝かしてこう言った。「そうか。完全に納得したよ。」

 

私は彼女達にお土産を置いてきた。日本の麦茶である。これを飲むと若返るよ、といったら、日本人のシスターみたいに、「シスターは年齢のことなんか気にしません」などという嘘をつかないで、すごく喜んでしまって、無邪気に「これ毎日飲んだら、皺がなくなるの?」とか、すごく乗り気になって聞いてくる。上品そうなシスターなんだけれど、皺を気にする普通の女性だ。趣味はテレビでスポーツを見ることらしくて、毎晩、夕飯の後、テレビのサッカーを観戦してきゃっきゃと笑い、大声で叫び、体を揺らして打ち興じている。

 

みんな、現世を愛している。そういう姿がとても私にはほほえましく、珍しく、印象的だった。

 

「羽無し天使の物語」(26)

「そろそろ別れ」

 

3月23日

 

今日は、私はエルサルバドルの大司教ロメロの命日だと信じていた。だから朝ミサに来る神父様に、特別の祈りを頼んだら、彼は変な顔して、「え?25日じゃなかったか?」というのだ。ロメロ大司教の死は、ラテンアメリカ中に衝撃を与えたらしく、みんなに知られている。私はにわかに自信を失った。「いや、私はあの時代あの国に生きていて、日記にはっきりつけた覚えがあるから、今日だと思いますが…」といってみた。でも、神父様のほうは疑っていて、取り合ってくれなかった。

 

私は自分が描いた油絵、「大司教暗殺」の写真を額装して持ってきていた。これを今年の25周年記念に、エルサルバドルの、彼がなくなった聖堂にささげようと思っていた。それで、ミサの時、私はその額を聖堂まで持っていって、自分の前に置いたら、マドレがそれを見て、祈りの中に加えてくれた。

 

「民衆の為に命をささげ、殉教したロメロ大司教様の名において、愛と平和がこのラテンアメリカの国々に満たされますように。そして、これから旅立つ友人の道を祝福してくださいますように。」

 

朝食のとき、いろいろな話題が出た。ロメロ大司教に先立って殺されたルティリオ グランデ神父のこと、それから私が日本に帰国してから起きた、カトリック大学での大虐殺で犠牲になった6人のイエズス会士と一緒に犠牲になった賄い婦のこと。彼女達はラテンアメリカで仕事しているだけあって、それらの歴史を良く知っていた。そのために私が受けた衝撃も、それによって、語り部絵描きになった私の生き方も、説明なしによく理解してくれた。

 

いつも首に下げているのだけれど、服の中にしまいこんで、外に出していないメダイ(何語だか知らないけれど、日本のカトリック教会では、「メダイ」と発音していた、メダルのこと)を私は今日なんとなく出していた。それを見て、あるシスターが懐かしそうに言った。「アア、それは私達の学校のメダイね。懐かしい。」実はそのメダイは、40年前のスペイン旅行のとき、マドレが私の母にくれた金のメダイだった。裏に母の名前を刻んでくれたもので、もう一つ一緒に頂いた金の腕輪とあわせて、母が死ぬまで大事にしていた。

 

あの時代、金とか銀とかいうものを庶民が手にすることなど出来なかったから、母はあの贈り物をすごく喜んだ。マドレが金とか銀とか言うものを惜しげもなくさっさとくれた時の、「物」と言うものの現世の価値を知りながら、決して執着しないあの朗らかさに、母は感嘆していた。最後の入院の間際、母が自分でそのメダイを首からはずして私に預けたので、それ以来、マドレと母の両方の思い出を抱える形で、もともと持っていた自分のメダイをはずして、私が身に付けていた。

マドレがそれを見てあきれたみたいにいった。

 

「あなたって、あのころのものをなんでもかんでも持ち歩いているのね。」

 

「そうですね」と私は笑い、そっとズボンのポケットの裏側につけたもう一つのメダイを見せた。それは荻窪の修道院で別れのとき、マドレが自らの胸に着けていたものをとって私にくれた銀のメダイだった。スペインのバルセロナの観光地にある有名な黒いマリア様のメダイだが、新しく買ったものでなくて、マドレが身につけていたということが、なんだか凄く大切に思えて、いつも出かけるとき服のどこかにつけて歩いていた。

 

「おや、モンセラッのマリア様じゃないの。」マドレはそれを私にくれたことを忘れていた。「なんだ、それあなたが持っていたの!」

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それからマドレはしばらく間を置いてから、言った。

 

「本当にあの十字架持ってきてくれて有難う。思いもよらないことだった。それに、別れて40年もしてから、あなたが来た事もない南米まで、私に会いに来てくれたことって、本当にうれしいのよ。」

 

「マドレはね」と私は言った。「私にとって、ご自分がどういう方なのか、よく理解していらっしゃらないのですよ。メダイとか十字架とかいう物がどうのと言うこととは別として、私の人生の覚醒を促したマドレの思い出ですから、マドレの代わりに大切に持っていたのです。」

 

私は自分の心に秘めた思いをしみじみ、初めて言葉にして面と向かって語った。

 

「マドレ、明日のことですが、私はこの国に観光しにきたのでもなければ施設の見学にきたのでもありません。私は貴女に会いに来たんです。ただそれだけの為に来たんです。私はもう63歳で、こんな苦しい旅を二度とできるとは思えません。この世で会うのはもう後1日半です。施設の見学より、マドレといっしょに過ごさせてください。」

 

いろいろな人に私の案内を頼んでくださったのは知っていた。でも私はマドレなしに一人で施設の見学なんかしたくなかった。私はただ、マドレといっしょに居たかった。なるべく多くの時間を彼女と一緒に過ごしたかった。

 

そういう私の表情をマドレはすぐに読み取った。「よくわかった。じゃあ、見学はキャンセルしましょう。ジャ、又一緒に、市場まで行きましょうね。」

 

「あなたのエッセイを読んだからわかったけれど」と感慨深げにマドレはいった。

 

「あのころ、神様は誰か貴女を本気で愛する人が必要だと思われたんでしょうね。だから私をあなたの元に送ってくださったのでしょう。

 

その通りだ。と私は思った。そして私は思い出した。あの当時、マドレは私のことをいつも「regalo de Dios (神様の贈り物)」と呼んでいた。ご自分が私にとっての神様の贈り物ではなくて、私が彼女にとっての神様の贈り物だと言う意味だった。

 

心が乾ききっていた私にとって、この言葉はなんという意味の深い呼びかけだったろう。あの時代の私に、他人から大切にされるという体験は、生きる理由を与えられたと同じだった。そしてそれまで体験したこともなかった、降り注がれる愛情におびえて抵抗し、自分の誇りを守ろうとして暴れる私を、難しい教訓や倫理を押し付けず、真心から受けとめた。

 

彼女はあの時もあせってはいなかった。私が時々見せる荒れ狂った猜疑心に対しても、まったく動揺せず、私の心の静まるのを待っていた。「あなたは正直で純粋な、神様が一番愛してくださるタイプの人なんだ」、彼女はいつもそういって、たけり狂う私の心を鎮めた。

 

私はあのころ始めて「人は慕ってもいいのだ」ということを知ったのだ。「慕ったら後をついていってもいいのだ。」「後をついていって、すきだ好きだ、」といっていいのだ。

 

でもその目覚めた正直さによって、何度私は傷ついただろう。やみ雲に愛し、やみ雲に慕い、やみ雲に後をついていったとき、私は何度自分の目覚めを恨めしく思っただろう。

 

そして私はその時、最後の打撃に耐える時間の中にいた。闇雲に信じ、慕い、愛の全てをささげていた、その相手が、28年間自分を欺いていたのだとわかったあと、自分は自分の心の整理をしかねていた。

 

この羽なし天使1号は、40年間私を欺かなかった。人間を愛し、現世を愛し、彼女はこの世の価値を十二分に利用しながら、真実神様に従って生きてきた。そうしてその「神様」はネットの中で浮遊していた魂を使って、再び私を、彼女の世界に送り込んできた。

 

かつて人間性喪失に苦しんでいた私に人間性の回復を教えてくれた人に再開したことの意味を、私はこれから考えなければならない。

 

1-1=∞ の公式を真理とする世界は、かつて、エノクが私に教えてくれた世界だった。そして今、図らずも私のマドレが、再び、その公式を示している。

 

「羽無し天使の物語」(27)

 

「そして1-1=∞の世界へ」

 

3月24日朝

 

今日、私はここを発つのだな。感慨をかみ締めて、私は目を覚ました。私はあたりを眺めた。私を迎えるためにマドレが飾ってくれた花はまだ元気に、机の上にあった。この旅行のきっかけになったあの「花」と同じように、この花もこれから私の心に咲きつづけるだろうな、そんなことを思いながら、花瓶の花を見つめた。

 

マドレは私がついた日、あらかじめ用意していたらしいヴェネズエラ式のポンチョをくれた。ポンチョはラテンアメリカのいろいろな国にあるが、それぞれの国でみな違う。マドレが用意してくれたポンチョは白いリャマを織り込んだダークグリーンのなんだか毛布みたいなものだった。膝に乗せているだけですごく温かい。マドレのポンチョは温かいな、と思った。私は足の悪いマドレがこのポンチョを用意した方法を思って、思わず微笑んだ。おそらく、あの運転手に頼んで、マドレが買わせておいてくれたのだろう。

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昔スペインにいったときのことを思い出した。彼女はいつもそっと心赦した自分の腹心の土地の人に頼んでは、スペインの独特の民芸品や衣類を修道院に運び込ませ、私の家族へのお土産にくれたものだ。

 

一人の人間を喜ばせたい、と思ったら、彼女はすぐに行動に出た。クイズに当選と言う手段を使ったり、なんだか彼女は裏技をつかった錬金術でお金をひねり出していた。それが彼女の言う「神様が望めば」の意味なのだ。このポンチョを買うお金は一体どうやって作ったものやら。

 

昔、そういう彼女を仲間は「現世的」だとか何とか批評していた。しかし、彼女は現世の価値を「利用」していたが、現世的ではなかった。人を愛する為に現世を最大限に利用する、それが彼女のやり方だった。現世のものは使うために神様が下さったものだ。彼女はそのことを知っていた。

 

我欲に囚われているくせに超越したような顔をしながら、実は自分は崇高な使命を果たしている人間として優越感に浸っている出家は、どの宗教にもいる。そういう連中は物を持たないけれど、本当は他人にも物を持たせたくないのだ。だから物の価値を知って利用しようとする人間を「現世的」だといって足を引っ張る。

 

私は彼女から預かった十字架を大事にしたが、彼女はその十字架を「象徴」に過ぎないといっていた。物が物であることを良く知りながら、彼女の「心の目」はいつも「見えないもの」に向かっていた。そのことを私は知っている。

 

出発の日だったから、私の神経はいつもの状態に戻っていた。時間を睨み、いらいらし、飛行場には2時間前につかなければいけないのだ、と主張した。「ここはラテンアメリカなのよ」、と彼女はいらいらする私を、「仕方ない人だな」とでも言うようになだめ、やっと車に乗ってからも、お昼は絶対に食べてから飛行場に行くのだと主張して、ゆっくりゆっくり町で用事をたしながら私を連れまわった。

 

まあ、来るときも私は時間を気にしていらいらしていたけれど、「ラテンアメリカの飛行機」は1時間も遅れて出発したのだ。それを思えばマドレに任せてもいいのだが、私の神経はやっぱり、民族性を丸出しにして、時間が時間がと言って自分を追い立てていた。

 

さすがマドレは車を降りてレストランに入るというようなことまではしなかった。運転手に車を留めさせて、「あそこからサンドイッチ買ってきてね、飲み物もよ」、と指示を与え、運転手にも「好きなもの買って食べなさい」といってお金を渡していた。マドレの車が止まっていると見るや、ジュース売りのじいさんがジュースのビンを2本開けて走りよってきて、マドレに渡した。町の人はマドレが大好きだった。

 

やっと車が動き出したとき、時計を見たら、飛行機の出発まで後40分しかなかった。「マドレ、時間だいじょうぶですか?」不安になってそういったら、マドレ、平気な顔をしている。

 

やっとあの田舎の町役場みたいな飛行場についた。マドレは車から降りないだろうと思って、私は大急ぎで挨拶を済ませ、切符とパスポートを持って走った。運転手がいいよいいよといって荷物を運んでくれるのだが、常識として、荷物は書類と一緒に見せなければならないはずだ。運転手はのんびりした顔つきで、ゆっくりゆっくり歩いている。 

 

ラテンアメリカなのだ、ラテンアメリカなのだ、と私は自分に言い聞かせ、カウンターみたいなところに辿り着いた。何人かが待っている列の後ろについたが、たった一人の係官がじれったくなるほど一人一人に手間取って、そのうち飛行機が出るはずの時刻なんか過ぎちゃった。

 

マドレの「家」にいる間、随分荷を軽くしたつもりなのに、どういうわけだか、行きには引っかからなかった重量制限に引っかかって、料金を取られることになった。そこに、杖にすがって、私を見送ろうと車から降りてきたマドレに会った。料金のことは心配しなくていいよ、とマドレがいう。

 

「心配するなって言ったって、取ろうとする係官に文句いっている閑がないから、とにかく払わなきゃ。」そういって私は又ばたばた動き始めた。飛行機の離陸時間なんかとうに過ぎている現実に、私はまだ悟らず、自分がいらいらすれば何とかなると思っていた。

 

「もう!あそこにおとなしく座っていなさい。」マドレはすべてを運転手に任せ、私の腕を借りる振りをして、私をベンチまで引っ張っていった。

 

「ラテンアメリカの飛行機」は十分私たちに別れの挨拶の機会を与えてくれた。

 

二人はこの5日間、お互いに会えたことを喜びながら、決して濃密な話をしていなかった。

 

「ご主人とうまくいっているの?」とふいにマドレが聞いた。斜めに私を見ている。ぎょ!と思ってたじろいだ。これまでエノクの話題を意識的に避けていた。誰かが解決できる問題じゃない。すべては与えられた人生をどう生きるかが私の問題としてあるのみ。ここに来て、マドレと再会したことの意味はこれから私が考えていく。殊更、つまらないことを言う必要がない、と私は思っていた。

 

マドレとの再会で獲た物を、私は今までのように整理して、そのうち自分の心の世界に取り組んでいくだろう。

 

「そんな話し今ごろになって、どうでもいいですよ。私はマドレに会いに来た、会えてすごくうれしかった。40年経っても、この世の中に私を忘れずに迎えてくれる人がいるのを確認しただけで、私は幸福ですよ。」と私は言った。

 

私のごまかしに気がついたのか、話をさえぎって、今度はまっすぐ私の目を見てマドレはいった。

 

「hija、ご主人とうまくいっているの?」

ちょっと、観念した。この人にうそつけないんだ。逃げ切ろうと思ったのに、最後に空港で見送るときになって、うすどろどろの世界の話をしなければならないのが、つらかった。しかし、何も言わないわけにも行かず、とりわけ、うそをつくわけにも行かなかった。

 

「マドレ、私の周りの人間関係は、ほとんどみんな、あぶくみたいなものです。結婚生活だって、ご多聞に漏れずあぶくですよ。人間は信じる相手ではなくて、愛する相手らしいです。私はあぶくが相手でも、ともかく愛することを覚えたんです。今のところ、愛することの本当の意味を実行しているとはいえないけれど、考えてはいますよ。マドレが愛なんて信じていなかった私に、人を愛する力をつけてくださった。それが、私の人生で最大事です。多分、その愛の奥意を考えるために、私は今、試練の中にいることは確かだというだけです。」

 

それから私は話題を代えて母との一件を付け加えた。「マドレ、私はね、マドレの言葉守りましたよ。母をこの腕の中で見送りましたよ。」

 

マドレは怪訝な顔をして、私を見た。「私の言葉を守った?それなんだっけ?」

 

「マドレが私が倒れたあの時おっしゃった。『私があなたのお母さんになるから、あなたはあなたのお母さんのお母さんになりなさい』って。私は長いことあの意味がわからなかった。でも、ある時わかったんですよ。」

 

この人に会うのはもう最後なんだ。私がこの人に出会ってから、ほとんど40年間、私がこの人の言葉を生きてきたことを、どうしても伝えなければならないと思った。私はそれまで、修道院を出てからの自分の人生の物語を、マドレに直接話したことがなかった。

 

私はラテンアメリカのルーズな時間間隔を利用して、沸騰するように話をした。

 

結婚して8年間、内戦のエルサルバドルでさまざまな体験をしたことを。私がエルサルバドルの内戦がどんなに激しくなっても、日本の家族の人間関係が怖くて、日本に帰ることに抵抗していたことを。最後には、まったく8年間音信のなかった親兄弟が、こちらからは何も知らせていなかったのに、私が帰国すると人づてに知るや、一斉に立ち上がって帰国反対の電話をかけてきて、いくらなんでも情けなくて泣いたことを。

 

それでもどうしても帰らざるを得なくなったとき、私はマドレの言葉を思い出したことを。マドレの言葉を成就する為に、私は日本に帰るように、神様が示していらっしゃると、そのとき思ったことを。

 

「母は私の腕の中で天に召されましたよ。私は『母の母として』、最後まで母を守りましたよ。私はあなたとの約束をずっと意識していたから。

 

あの時、エノクが協力してくれて、兄弟の反対を押し切って病院から母を奪還してきました。私の家で、私は母のホスピスを勤めましたよ。最後に兄弟みんな私のうちに集まってきてくれて、母は望みどおり、家族に看取られてなくなったのです。私の腕の中で。私の腕の中で息を引き取ったんです。あの時私は天に向かって、『マドレ、あなたの言葉が成就しました』って唱えましたよ。」

 

語る私の頬に涙が滂沱と流れた。マドレは黙って聞いていた。沈黙は二人の間を流れたけれど、無意味な沈黙ではないことを私は完全に感じていた。

 

ふと、私は「おや?」と思った。町ではあんなにマドレを見れば声をかけてきた人々がここには一人もいないのかな。「マドレ、ここでは誰も挨拶しませんね」、とマドレにいったら、彼女は応えた。「私は飛行機に乗るような豊かな階級の人には相手にされていないのよ。」

 

マドレのその言葉から、私は一瞬のうちに多くのことを悟った。マドレがこの国のどういう人たちと付き合ってきたか、マドレを必要としたのは誰なのか。この国の貧民の階級の置かれた状況がどういうものなのか。

 

私がかつてこのマドレに助けられたときも、私は一人貧乏な苦学生で、私の周りにいた裕福な友達を彼女は相手にしなかった。彼女が選ぶのは、いつも「もっとも助けの必要な人々」だった。「医者が必要なのは健康な人ではなく、病人なのだ。」彼女が相手にするのは物を持っている人でなくて、物を持たない人なのだ。

 

そう。彼女が相手にしたのはイエス様が相手にした人々だった。そして彼女はいつも、確実に、イエス様の「もっとも小さき人」に食物を与え、衣類を与え、お金を与え、病気の世話をしてきたのだ。私はそのことを確信した。

 

彼女は無限に与え続けた。物々交換でも商売でも、見返りを期待した善意の押し売りでもなく、彼女はあの公式を生きていた。

 

1-1=0ではない。彼女の公式は1-1=∞だった。

 

今、私のマドレが、別れの間際に私の心を凝視しながら示していることを、私の心はしっかりとらえた。

 

そう。今0どころかマイナスに見えるこの心の状況は、いつか必ず、∞の結果が見えてくることを予告するように。

 

時間が来た。別れの時間を受け入れた。マドレは黙って私をしっかりと抱いた。私も心を込めて、マドレをしっかり抱きしめた。

 

では、天国で!