naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」10月20日

「帰路、飛行中病気になる」

 

往路、私はヴェネズエラに行く便宜上、マイアミを通過した関係で、帰路もマイアミに戻って、日本に帰るという、かなり面倒な航路を取らなければならなかった。帰路はどこを経由しても、一泊しなければならない。マイアミ一泊は私には抵抗があったけれども、今更どうしようもない。

 

マイアミには思い出がある。かつて、娘を伴って姉の家に避難し、その姉の家から避難するという形で、マイアミ滞在中の知り合いを頼って、難民部落に泊まっていたことがある。

 

悲しかったなぁ、あの頃。そして同じ難民の優しさに触れて感動したなぁ。

 

マイアミは貧しいというイメージしかない「アメリカの場末」の地域だった。アメリカの、スペイン語を話す地域はみんな貧しい。貧富の格差なんて日本の比ではない。

 

そのマイアミに飛び立ち、ホテルの下のレストランで、食事を済ませて寝た。次の朝、デンバー経由で、やっと日本人だらけの飛行機に乗り継ぎ、ほっとしたとき、私は怪しい腹痛に襲われた。腹痛はだんだん我慢できないほど激しくなり、何を出されてもまったく食べられない。

 

私は搭乗員を呼び、何か薬がないかと聞いたが、まあ、けんもほろろの挨拶だった。

 

「そんなものあるわけないだろ、何で、それくらいのことがわからないんだ?!」

 

「ありません」と言えばいいだけなのに、そういう言い方ってあるかよ。デンバーから成田まで、長時間の飛行だ。公の交通機関で、その間、病人がでても、死人が出ても、「薬なんかあるわけないだろ」っての?

 

昔、娘の卒業式に列席するために、札幌に行き、帰りに飛行機の中で、腹痛に苦しんだとき、添乗員に事情を説明したら、機内放送で、医者がいるかを確認してくれ、乗り合わせた医者が名乗り出て対応し、急性盲腸炎と診断して、成田に救急車を緊急手配をしてくれた。私は配送された病院で、手術を受け、生き延びたんだ。あの対応は、たとえその場でどんな手当てもできなかったとはいえ、患者を安心させる立派な対応だった。

 

私はその時のことを思い出し、アメリカンエアラインの添乗員のこの言葉遣いに、頭にきた。このまま腹痛をかかえて何も手当てをしなかったら、成田に着くまで、死ぬかもしれない。そのときうっすらと、友人の父上が、アメリカから日本に来る飛行機の機内でなくなったという情報が頭を掠めた。

 

私は自分でできることはないかと考えた。

 

そうだ。せめて脱水症を防ごう。私は再び添乗員を呼び、塩と砂糖と水をくださいと注文した。ポカリスエットの成分だ。成田まで、あと何時間、成田まであとなん10分、成田まであと5分、私は時間を計りながら、塩糖水を飲み続けた。

 

成田で、私は医局に駆け込んだ。途中どこを通過したか聞かれたので、エルサルバドルとマイアミだと言ったところ、マイアミでは何か食べたかと聞く。食べたといったら、今マイアミはOー157の感染区域で、一応それを疑ってみる必要があるので、とにかく、「この薬」を飲んで、自宅で1週間人と接触しないで待機せよ、といわれた。「人と接しないで」、つまり。。。

 

ほうほうの呈で家にたどり着き、1週間私は自宅にこもった。食料も何もなく、多分、あの時誰か友人に、電話で頼んで、事情を言い、食料を補充してもらったように記憶している。

 

「使命終了」

 

「Miserere Nobis」受賞

 

帰国してしばらくした6月、私はみたび、あの100号の火炎地獄の絵に手を加えて、「Miserere Nobis」と題して、二科展千葉支部に出した。絵が描けない状態が長く続き、筆をとっては置き、またとっては置き、時間をかけたようで、実質、それほど描きこんでいた訳ではなかった。しかし、二科の支部展に出すなら、それしかなかった。

ところが、その「Miserere Nobis」の絵が受賞をしたという通知が来て、驚いた。「同人努力賞」と言う賞である。2000年に同人に推挙されてから、5年目の受賞だった。「死児を抱く女」として、酷評を受けてから、4年の歳月がたっていた。

 

ほう!あれに、賞をくれる気になったのか・・・。

 

あまりにも生々しい内戦の絵だったから、油絵と言ったら超前衛的芸術を求める日本の画壇に合わなかった。私の絵は芸術性が乏しいと批評を受けていた。

 

多分、それは正しい批評だろう。「芸術」とは何物か、私は知らなかったし、懇親の力を込めて描いてはいたが、「芸術」を意識したことがなかった。私の絵の対象は、「抽象が思い浮かばないほど」、現実が生々しかった。要するに私には、芸術に必要な心のゆとりも遊び心もなかったのだ。

 

それが受賞した。先生方、今回は芸術を考慮に入れなかったんだな、と思った。あまりにみっともないやっかみばあさんの批判に嫌気がさして、私は同人推挙の年以来、どの先生とも、どのメンバーとも交流を絶っていた。だから、今回の受賞には、誰も何も言えないはずだった。それだけに、今回の受賞は不思議であり、自分の心の深いところで、うれしさが湧きあがっていた。

 

しかし、私は自分の正直な心の喜びをやっぱり誰にも表明できなかった。盾と賞状をもらってきて、なんだかむなしくなって、それをしばらく紙袋に放り込んで物置の中に入れておいた。

 

ある時家に絵を見に来た兄の同僚の神父さんが、「絵を描いて賞状をもらったと言いう噂だけど、賞状なんかはどこにあるの?」と聞くので、物置まで引っ張って行って、ほら、と言って見せたら、彼はしばらく、紙袋の中のその盾と賞状と私の顔を見比べて、にたりと笑って言った。

 

「う~~~ん、普通自慢してもおかしくない賞状を紙袋に入れて物置ね。いいねえ、この態度!」

 

「使命終了」2

 

「大司教暗殺さよなら個展」

 

エルサルバドルで、ロメロ大司教暗殺25周年記念の式典に参加して以来、私は二科展に初入選した「大司教暗殺」をエルサルバドルのロメロ関係の施設に寄贈する方法を考えていた。

 

この絵は自分でも、大事な絵だった。絵を描き始めた動機でもあり、初入選の絵でもあり、手放すのは惜しかった。だが、絵の写真を見たロメロ大司教施設の関係者たちが、2軒でこっちによこせと争ったのを、「身に余るすばらしい評価」と考えて、この絵はエルサルバドルにおいてもらうほうが、日本においておくよりも、生きるだろうと思った。

 

その年の暮れ、JICA関連の仕事に主人が応募して、1次が受かって2次で面接を受けるというので、日本にくることになった。だったら、彼がエルサルバドルに戻るときに、例の絵を持って帰ってもらおうと思い、「大司教暗殺」のさよなら個展を開催しようと考えた。

 

個展にはお金がかかる。ギャラリーの使用料のみならず、案内のはがきの作成、ポスターなどの準備費用、搬出搬入の費用、これらがかなりかかるのだ。

 

場所は銀座のようなところは高くて、無理だ。私が数年前からかかわり始めた、JR飯田橋駅前の小さなギャラリーは、高校の同窓生関連のギャラリーで、立地条件が良いにしては、かなり安かった。私はこのギャラリーで、さよなら個展を開催しようと計画を立てた。

 

「準備」

 

「大司教暗殺」の絵はどう考えたって、日本では、どうでもいい絵だった。入選させた二科展の審査員だって、意味がわかっているわけではなく、「構図」がいいと言う理由で入選させた代物だった。おまけに、ミサ中に狙撃に合って、捧げ持っていたカリスが吹っ飛んで、倒れていく大司教の姿を、ある二科会の先生が、「この人、コップをぶつけられちゃったの?」などと、頓珍漢な事を尋ねる始末だった。コップぶっつけられて死ぬ人いるの?しかもそんな滑稽なことが絵の題材?

 

そんな状況だから、日本では、この絵の「さよなら個展」に意味を感じる人も多くは居ないだろう。だから、私は個展を始めようと思ってから、人寄せ目的と資金稼ぎに小さな絵を描き始めた。

 

その時、私が絵やエッセイを発表していた昔のネットのコミュニティーのメンバーの中に、思わぬ救いの手が現れた。個展に付随する余計な出費を、全部パソコンで賄ってしまおうという提案をしてくれる人物に出会ったのだ。

 

昔ネットを始めた頃、MSNのチャット部屋で出会った人物だが、MSNが有料になってから、しばらく音信がたえていた。本名だってお互いに知らないし、チャットがなくなれば、探す理由もないので、気にもしていなかった。

 

2004年の暮れ、私が個人的な家庭の出来事の中で苦しんでいたとき、ふと私はヤフーのチャットの部屋に、昔よく入っては、からかい半分論議などをしていた部屋と同じ名前の部屋があるのにでくわした。「仏教雑談部屋」という。おや?と、思って入ってみた。部屋主のハンドルネームをみたら、MSNのチャットの部屋の部屋主と同じらしい。

 

「自分は、MSNで手負い虎と名乗っていたものだけど」と名乗りを上げたら、やっぱり、その相手は、昔の知り合いで、再会を喜んでくれた。エスカと名乗る男だ。その名前、彼の信じる新興宗教の聖人の名前だとか。

 

私は宗教関連のチャット部屋によく入るのだけど、実は、自分が所属するキリスト教関連の部屋で、いい思いをしたことがない。派の違うキリスト教徒はひどく排他的で、いかなる発言にも聖書とやらのうら付けがないと、異端だ、異端だといって煩い。日本語の聖書を日本人が日本的感覚で捉えて、誰が「絶対」を主張できるのだ。

 

一方カトリックは異常に神秘的過ぎる。聖人の奇跡だの、たかが印刷した紙に過ぎない「御絵」とやらの、ご利益を信じ込んでいて、偶像崇拝を非難されてもおかしくないような発言が多い。議論も成立せず、もう、お話にならない。

 

聖人を聖人として崇めたっていい。だけどその人物を聖人にしたのは、神様でも何でもなくて、人間集団の意思なのだ。私が聖人信仰を嫌うのは、ある人間を聖人にしてしまうと、彼の偉業は聖人だからできたことであって、我々は凡人だからできなくて当たり前、と言う考えで、自分のバカは馬鹿のまま安心している結果になることだ。

 

其処には自省もなければ、成長もない。ロメロは聖人だから、ああいう行動ができたのだ、マザーテレサは聖人だから、ああいう一生を送ることができたのだ。彼らは生まれたときから聖人として生まれたのだ。彼らを祭壇上に乗せてしまえ。彼らは拝まれる人、我々は拝む人。そう決めてしまえば安心だ。聖人信仰とはそういうことなのだと私は思う。冗談じゃないよ。聖人だって、おならもするし、うんこもするさ。

 

どの部屋もいわゆる「専門家」が開いている部屋ではないけれど、自分勝手な主張を譲らず、いらいらさせられるばかりだ。

 

仏教は、人にも拠るが、その点、懐が深い。信じたって、信じなくたって、うるさいことを言わない。どの宗教にも自分だけが正しいなんて思っている人も確かにいる。でも仏教には、キリスト教のような、金科玉条になりうる聖書がない。仏典があっても解釈は、案外自由だ。私みたいに、キリスト教側の人間が、仏典をキリスト教的に解釈しても、案外、受け入れてくれる。

 

で、その仏教部屋で昔の知り合いと再開したことが、なんとも奇遇に思えた私は、その人物とかなり親しく言葉を交わすようになった。

 

仏教はともかく、彼はPC扱いに長けていて、PCをまだうまく使いこなしていなかった私は、チャットをしながら色々技術の提供を受けた。私のPC技術はエノクが私のために、ほんの少し場所を空けて行ってくれた物で、もう、エノクの古いデータでいっぱいだったから、よく故障を起こしたのである。私は自分専用のPCが欲しくなった。

 

おりしも彼はリストラの嵐の中で、職を失い、求職の傍ら、今までネットで出合った親しい友人に会う良い機会だと考えて、住まいの札幌を出発して日本を縦断するという計画を立てた。彼は東京にも来るというので、ちょうどいい機会だと思って、秋葉原で会うことになり、一緒にパソコンを買うのを手伝ってもらい、ついでに、取り付けから起動まで、すべて教えてもらった。

 

で、彼が北海道に帰ってから、私はパソコンの難しいことを、MSNのリモートアシスタントの機能を使って、遠隔操作で指導してもらうことができるようになり、私の技術は彼のおかげで格段の進歩を見せた。

 

個展の計画を彼に打ち明けたところ、彼は個展に必要な案内状から、ポスターから、絵葉書に至るまで、自分のほうのスキャナーを使って作ってくれ、欲張った私が、ついでに、「大司教」の絵をプリントしたシャツを記念に作りたいというと、それも作ってくれた。今までの個展で、業者に頼んでいたすべての準備が、札幌と松戸を結ぶパソコンどおしの遠隔操作で、できてしまった。

 

個展会場の入り口に、今までになく、立派なポスターを張り、今まで作った事もない、自分の絵の絵葉書とシャツを置いた。手持ちの民芸品も、ついでに置いた。それらの売り上げはすべてヴェネズエラのマドレの施設に寄付するつもりだった。絵が売れたら、その売り上げは、個展の経費と、「ロメロ大司教」の絵を梱包するための費用と、携行荷物としてはサイズオーバーなので、差額の支払いに使おうと思った。

 

「グアテマラのハリケーン被害」

 

サヨナラ個展の準備をしているときに、グアテマラの織物を研究し、自ら織物を作成して、時々銀座などで個展をやる友人が日本に来た。あのグアテマラ旅行の企画者、Aさんだ。彼女は長いこと、ご主人と共にグアテマラに住み、グアテマラ原住民に深い愛情を持っている。

 

彼女は私に電話をかけてきて言った。ハリケーンで、自分がかかわってきた村が甚大な被害をこうむったから、救援のために、自分は日本で個展を開くので、チャリティーに連動してくれないか。

 

私はヴェネズエラのマドレに、何も具体的な約束をしていなかった。だから、自分が一人合点で考えていたヴェネズエラのための売り上げを、彼女のほうに回してもいい、と思った。そこでネットの札幌男に連絡を取り、チャリティーの趣旨を書いたポスターを作りたいのだがと相談を持ちかけた。

 

彼は二つ返事で、引き受けてくれ、私の絵の中に、ちょうどハリケーン被害を受けたアテイトラン地方の景色の絵があったので、それを使ってポスターを共同で製作した。札幌松戸で、同時にパソコンを眺めながら、意見をいいあって、作った。そんなことが出来る時代になったのだ。結果はともかく、私はそのことでかなり満足していた。(この時のポスターは残っていない)

 

個展は成功した。成功とは、とにかく赤字にならないということだけれど、うれしかったのは、絵葉書と、手持ちの民芸品と、置いた募金箱のお金を全部合わせると、ほとんど10万近かった。チャリティーの連動に声をかけてきた友人は、あきれ返っていった。「5000円もあつまれば上出来だとおもっていた!」

 

 

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ポスター

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大司教暗殺の絵を張ったシャツ:手元には1枚しか残っていない。

 

 

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受賞したMiserere Nobis

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受賞はやっぱりうれしかった。