「自伝及び中米内戦体験記」10月26日

「仏教との出会い」(13)

「無明の発見と原罪の意味」(5)

 

中村元の仏教入門を読み続けていたとき、ちょっと気になる物語に出会った。 

 

その1

釈迦がある地方で迫害にあった話。例のごとく、別に釈迦の物語を正確に解説するつもりはないから、自分が気になった箇所の要点だけを述べる。

 

ある時、釈迦が弟子を引き連れて説法するために入った村だか国だかで、村人から石を投げられた。どこでも歓迎されていた弟子たちは、お釈迦様を迫害するようなこんな村は離れて、別のところに行こうと、釈迦に勧めたが、釈迦はそれを制して言ったそうだ。

 

その国の王妃は、昔、まだ釈迦が修行中だった頃、通りがかって世話になった家族に気に入られて、ぜひとも自分の娘を娶ってもらいたいという申し出を断った相手だと。

 

しかも、その断り方が、釈迦の若気の至りだろう、凄かった。なんでも、「天女の体内には排泄物などなく、透明だというけれど、自分はその天女の誘惑でさえ退けた。その自分が、どうして、ただの大小便のつまった袋に過ぎない人間の女を娶ることができようか」と。それを蔭で聞いていた姫は、痛く傷つき、釈迦に恨みを持った。

 

(余談:ま、男だって、大小便の詰まった袋だろうにね、それに釈迦も気が付かなかったんだ。ゲラゲラ)

 

その後その姫は、ある国の王妃となった。

 

釈迦が入ったのはその王妃の国だ。彼女は釈迦が自分の国に来たのを見て、昔の恨みがこみ上げてきて、配下に手配して、釈迦に石を投げさせた。釈迦は自分の若気の至りを思い出した。

 

「元はといえば自分が撒いた種だから、黙って、その果を受けよう。そのうち、気が済んだら、やめるだろう。」と。

 

この物語は、多分、因果の話しだと思うけれど、私は、この物語を考えながら、別の思いが頭をもたげた。因果の話しはどうでもよかったのだ。因果の教説よりも、この物語には、釈迦と言う人物の人間性が見どころだと思った。

 

多くの人から指導者としてあがめられながら、釈迦は崇められている境遇におごらなかった。むしろ自分の若気の至りの結果、迫害を受けているのだから、相手が気が済むまで、この災禍を身に受けようと考えた。という。

 

その態度を私はかなりすごいかなと思った。

 

私は釈迦を好きでもきらいでもない。日本中の古い寺にある、人間とかけ離れた仏像群を思い出してしまって、人間としての親近感が湧かないのだ。

 

(当然、集団リンチの末、全身傷だらけで十字架に磔にされて息絶えた、何処かの神様だって、多くの人々には親近感が沸かないだろう・・・。エルサルバドルのある教会にあったイエスの受難の像なんか、いやというほどのその残虐な血みどろの姿を具現している。よくも作ったよ、あんな像。あの惨くおぞましい姿は、私だって正視に耐えない。)

 

人は自分が受けた被害には敏感だけれど、自分が与えた危害については鈍感なのが自然なのだ。ましてや、ある集団の指導者となり、悟りを開いた唯一の聖者と崇められ、王侯貴族からまで敬意を受ける釈迦の立場にしてみれば、若気の至りで若い娘を傷つけたことなんか、笑って取り合わなくてもおかしくない。そんじょそこらの新興宗教の親分なら、ふんぞりかえって自分を攻撃する相手に呪いをかけたり、逆恨みをするだろう。それを釈迦はしなかった。

 

誰だって、迫害されれば防衛する。反撃に出る。嘆く。自己憐憫に陥る。政治権力を握ったなら、多くの場合、従わないものを迫害するほうに回る。

 

イエス自身は苦難を堪え、死刑に処せられ、その迫害を身に受けた。しかしイエスを神の子とあがめたた西洋キリスト教徒は、権力をほしいままにしてみなこの反撃の方向に回ったではないか。

 

其処を無防備のまま、この結果には自分に因があるのだと納得した釈迦の人間性が分かる物語だ。

 

そう思ったとき、待てよ、はたと、私は今の自分を考えた。その時私は、自分の身の回りに起きたことで、被害者意識、自己正当化、反撃欲求、自己憐憫の渦の中にいる自分を省みた。

 

私は別れ暮らしているエノクのことを考えた。そして弱さのゆえに、別れられなかった女性とその子達のことを考えた。自分はいつもこの女性に関しては、被害者意識を持ってきた。自分は一方的に苦しめられていると感じていた。自分が彼女を苦しめているのだということには、それまで思いは及ばなかった。彼女の苦悩の人生の、因をなしたものの一人が、自分だなどと言うことを考えもしなかった。

 

自己中心の感情抜きに考えてみたら、あの女性は、どんなに苦しんだだろう。結婚できない身でありながら、誰の子であれ、子どもを3人もこしらえた。子どものために、公的文書を偽造してまで、30年間エノクの正妻のふりをし続けた。子供3人にも、うそをつき続けた。そのことを私は憎んだが、それは彼女が生きるための究極の選択ではなかったのか。それを思えば、内戦を理由に日本に避難し、男を独占できた自分より、彼女の苦しみのほうが、数千倍だったろう。

 

そしてあの28年間、私の傍にいて家族を守ったエノクはどういう男だったのか。

 

私はいつも自分が35歳までに、築いた社会的身分も職業も投げ出して、あらゆる人間関係に終止符を打って、彼を追って海を渡った自分ばかり見つめてきた。自分はすべてを犠牲にした。自分の愛と信頼は絶大だった。その自分を彼は裏切った。と思ってきた。

 

私はその時忘れていた。内戦の中で、家族を守るために、社会的身分も職もなげうって、愛する故国を後にして海を渡った男のことを。オーストラリアに難民申請をしたとき、オーストラリアの大使館員から叱責されるほど、難民受け入れに消極的だった日本に来て、年功序列の日本企業に入り、ストレスで禿を作ってまで定年まで堪えた男のことを。

 

「仏教との出会い」(14)

「無明の発見と原罪の意味」(6)

 

 釈迦の物語、その2

 

ある女性が、子どもに死なれて悲しんでいた。悲しみのあまり、釈迦を頼って、やってきた。何とかして、自分の子供をよみがえらせてくれと言うのだ。そこで釈迦は彼女にいったそうだ。

 

よみがえらせてあげるけれど、一つ条件がある。それは、村中の家を訪ねて、「死者を出したことのない家」から、からし種をもらってくることだ、そのからし種で、子どもを蘇らせる薬を作ろう、と。

 

(図書館から借りて返してしまった本だから、記憶があいまいで、正確じゃない。からし種じゃないかも知れないっすよ^^。ま、大豆でも卵でもコンニャクでもよろしい。要は「死者を出したことのない家」から何かを持ってくればいいのだから。私は要点しか読まないたちでして・・・。)

 

つまりその子どもを失った婦人は、家々を訪ねて、釈迦の出した条件を満たす家を探した。そうするうちに、彼女はそんな家は一軒もないことを知った。どこの家も悲しみを抱え、死者を悼んで生きていた。「悲しいのは自分だけじゃない!」それに気がついたとき、彼女は釈迦の意図を理解し、喜んで釈迦に帰依した、と言う物語だ。

 

私はいつものように、この物語の趣旨から、走り幅跳びで飛躍する。

 

私は自分が傷つけられたこと、裏切られたことを忘れられなかった。他人を傷つけたことは棚に上げていた。そういうときに、この釈迦の物語を読んでいて、私は、はたと思い当たった。

 

「死者を出さない家」が一軒もなかったと同様、「男のことで苦しまない女」も「女のことで苦しまない男」もいないのだという思いが、ふと、突然、湧いたのだった。

 

私が近年夫の過去のことで苦しんできた、この手の家内騒動は、世の中に男と女がいる限り、どこにでも転がっている騒動だということに気が付かなかった。つまり、裏切るのが「極めて普通の」人間で、傷つくのも「極めて普通の」人間なのだという人生の原理を。

 

どんな人間も、裏切り裏切られながら生きている。自分の家だけは火事が起きない、そういう幻を信じているから、火事が起きたときにショックが大きいだけなのだ。私はもともと、「自分と同様」信用できない存在を信用していただけのことなのだ。釈迦の物語にある、「子どもに死なれて悲しいのは、あたかも自分だけのように思っていた、女性」と同じように。

 

人生の中で起きてくるこういう出来事は、嘆いたり恨んだりするために「ある」のではなくて、その出来事を「どうとらえるか」にあるのだ。

 

ごく当たり前な、こういう「常識」を、私は理解も納得も気付きもしなかった。

 

私は自分の過去を静かに振り返った。

 

自分が、誰にも受け容れられず、酒に浸ってうめいていた34歳のころ、「そのままでいいのだ」と言ってくれた男がいた。いちぢくの葉っぱで身を包んでいなかった私を、そのまま受け入れてくれた男がいた。その時私はその男のことを、天から来た使いのように感じたけれど、やっぱり彼は私と同様「そのまま」の男だった。自分の「そのまま」を知っていたから、私の「そのまま」を受け入れた。私はなぜあの人の「そのまま」を受け入れず、石を投げようとするんだろう。

 

「お前は、お前の夫や、日陰者として生きてきたこの女に石を投げるほど、罪のない人間だとうぬぼれているのか!投げてみろ!投げられるものなら投げてみろ!」

 

私の耳にあの声が聞こえた。私の前に仁王のように立ちふさがり、割れ鐘のような声を発して、「その声の主」は吼えた。その目は炯炯と、私の魂を睨んでいた。

 

「その声の主」は、かつて私の前に醜い背むしの小人の姿で現れて、「お前だって同じじゃないか!」といい続けたものと同じような気がした。私は手に握っていた石を置いた。

 

「その声の主」は昔、「何回人を赦せばいいのか」と、回数にこだわる馬鹿男に、7の70倍赦せといった者のようだった。

 

しかし握っていた石を置いた私は、その時初めて、「赦す」と言う言葉に抵抗を感じた。自分は一体「赦す」立場にいるのだろうか。自分の無明を悟ったら、赦せる「自己」などいないじゃないか。

 

私は人祖と同様、知恵の木の実を食べてしまった。というより、人祖と知恵の木の実の物語は、いつの時代の誰の物語でもあるのだ。人祖が食べたからそのDNAを引き継いでいるのでなく、いつの時代の誰でも、知恵の木の実を食べて、苦しみながら生きるのだ。

 

旧約聖書の寓話では、人は自分のものではないものを所有したい欲望に負けて、自分の本性を知ったと言うことを「禁じられた知恵の木の実を食べて、裸を知った」という、きわめて簡略な表現で伝えた。ではいったい、「自分の裸を知る」知恵とはなにか。自分の裸を恥じて、あわててイチジクの葉を身にまとった、と言うからには、「裸の自分を知ること」は恥ずかしいことなのだ。それでイチジクの葉で、己の「恥」を隠そうとした。「イチジクの葉」とは、人間が裸の自分を恥じて身にまとう、「学歴や職歴や、財産や権力」かもしれない。

 

ヤーヴェは怒って、人間に、男は働いて家族を養い、女は苦しんで子どもを産み、それを育てて苦労せよと、命じたと表現されている。ユダヤ人の目には、「働いて家族を養い、子どもを産んで苦労すること」が、いわばヤーヴェの「罰」だったのだ。

 

仏教における、人間の苦の根源は、「生病老死」、つまり、生まれること、病に倒れること、老いること、死ぬことだ。「生まれる」ことがすでに苦の根源なのだ。ユダヤ人は、「子を生んで育て、家族を養うために苦労すること」を、ヤーヴェにそむいた結果の「罰」と考えた。「苦」の根源は神から与えられた「罰」と考えた。生まれて生きて、自分の真実を認めず、自分は神にも勝る知恵があるかのごとくふるまうことを「原罪」と考えた。その結果、人は罰を受けて、生き抜くために苦労すると考えた。

 

釈迦は、無明の存在である人間の人生そのものを「苦」と考えた。苦の根源を知り、無明を発見することで、苦を克服できると考えた。どこに視点を置いているかで、「表現」に違いが生ずるが、これは同じことを言っているのだろう。

 

働いて金を集め、力を蓄えて相手を滅ぼしてでも、金銀財宝を求め続け、それでも自分の裸を隠しきれず、餓えて渇いて求め続ける、つまり我執が芽生えたんだな。自我を拝み始めた。 自我がすべてと思うようになった。自我を知った人間は心が枯渇して楽園状態ではいられない。だから楽園状態を放棄せざるを得なくなった・・・。それが楽園喪失か・・・。

 

私はそれまで、他人の落ち度(無明)を暴くことで、自分はしっかり立っているようなつもりでいた。私もあなたも無明であると知ったとき、思わず私は思い出した。若い頃、自分のふがいなさに苦しんでいたときに、泥の中でつかんだ、「連帯」と言う言葉を。

 

そうか・・・。知恵の木の実を食べるということは、「気がついた己の無明にあがくこと」、「我執にしがみつくこと」だな。自分だけは無明ではないと思い込むことか。それがキリスト教のほうでは「神を超えようとした罪、原罪」と表現するようだ。喪失した楽園を取り戻すために、イエスは愛を説いたんだ。同じ無明のやから同士の連帯を説いたんだ。

 

7の70倍赦せとは、7の70倍自分の無明を自覚せよという意味なのだ。7の70倍どころか、そもそも、人を「赦す」立場に私はいない。お互い無明ゆえに。お互い盲目ゆえに。かろうじてやっとでてくるのが盲目同士の連帯だ。その連帯を「愛」と言うのかもしれない。

 

弱さを知る。無明を知る。己の盲目を知る。それが愛の出発点なのだ。

 

人はお互いに理解も信頼もできない。人は理解や信頼の対象でなく、愛の対象なんだ。「愛」と言うのは、お互いに変化し流動し、その故に、理解し信頼しえない人間同士、交流できる、唯一の、最終的な手段なのだ。

 

「仏教との出会い」(15)

「無明の発見と原罪の意味」(7)

 

「数限りなき出会いがあった」

 

多くの人に出会ったな、と私は思った。子どものとき、自分ひとりでは解決もできないほどの苦しみの中で、ふと、手を差し伸べてくれる人がいた。自分を助けては消えてしまうその人々のことを、私は「羽なし天使」と呼んでいた。そして、つい昨日まで、自分は、その「羽なし天使たち」を「自分を傷つけなかった特別な存在」として、心の中に、やさしく記憶していた。

 

私は主な「羽なし天使」に号数をつけて、心にしまい込んでいた。最後に出会った6号天使が、不思議な縁から、『花』と言う、私のエッセイの最初の部分をスペイン語訳してあのマドレに進呈するように私に勧めた、ネットの中の男だった。

 

6号との出会いは、宗教とは無関係の出逢いであったにもかかわらず、その会話の内容は宗教的だった。

 

だから、出会いの当初から、私は彼を、只者でないと感じ、他の羽なし天使たちがそうであったように、どうせ直ぐに私の前から消え去る運命を予感していた。だからはじめから私は、彼を6号天使と呼んでいた。その6号天使を相手にしたと思われる、不思議な「独白」を保存していたのを見つけた。あるいは6号はこの独白を読んでいたのかもしれないけれど、彼の反応は残っていない。

     

「ある独白」

 

「『花』を英訳しようと思って、私は過去のエッセイを読み直している。

 

私はここで再び考えたのだ。『あのぼろくそ人生を栄光と呼ぶ親分』は、どうみたって、ぼろくそ人生の私の側にいる。ぼろくそを担いで我に従えと、彼が言ったからには、彼はぼろくそにまみれてのた打ち回る私の味方の筈だと確信してもいいはずだ。

 

ならば、あのぼろくその神の子は、私のぼろくそ人生のきっかけを作った、自分の人生にあえぐ次郎兄さんをどうみているのだろう。あの男、今は家も財産も仕事も失い、落ちぶれて市の生活保護下にあり、病を得て誰も介護する家族もいない。施設で育った3人の息子たちは、それぞれの家庭でみんな問題を抱えている。

 

母がいまわの際に、『次郎兄さんに何かあったら、見捨てないで助けてやってほしい』と言い残していった。母はあの息子が救い様もない人間で、必ず落ちぶれることを知っていたのだ。『どうしても、あの子だけは、どんなに祈ってもだめなのか!』と慨嘆する母を見て、枕頭に立った私は『経済的支援を約束することができないから、祈りだけを引き継いでいきましょう』と約束したのだけれど、私にはそんな心の余裕もなかった。彼が数年前心臓病で倒れたとき、兄弟みんなで何とか支えようと、提案したのだけれど、乗ってきたのは四郎兄さんだけだった。言いだしっぺの私も仕事を失って途中で降りた。

 

彼には今何もない。ぼろくその中で死を待つのみの人間になった。なんていうぼろくその標本みたいな人生なんだ。ぼろくそを担いで我に従えといったあの男は、一体あの兄をどう見ているのだろう。病者のためにやってきた、ぼろくその神の子は、あの兄を見捨てないはずだ。

 

私は23歳のときに劇的に出会った一人の修道女から、『他人の罪によって苦しむな』という言葉をかけられ、心に安堵を得た。しかし長い人生を経てきた後の今の私は、考えが変わったのだ。

 

果たしてあれは罪だったのだろうか、と今は思っている。自分の受けた体験があまりに生々しく、おぞましい体験だったため、私は彼の立場に立って物を考えたことがない。彼の青春の苦悩を、作家の文学作品を分析するごとく、冷静に受け止めたことがない。共感したこともなければ、同じ生身の人間としてのかすかな連帯感を持ったことがない。ひたすらに、兄を否定し、自分には何の責任もないという思いだけに終始して半生を過ごした。責任がないと言うのは正しい事実なのだけれど、取り上げるすべもなくひたすらに相手が悪いというところは、波乱の人生を体験して生きてきた60代の私にとって、疑問だった。

 

私は今過去のエッセイに目を通して、書き出しのところに注目している。私はまるで自分の荒れた少女時代を擁護するための方便のように、犯罪者の事件を書く事からあのエッセイを始めた。

 

犯罪者を擁護する、あのような思いが、自分にあるのなら、なぜ、自己保全ばかり考えないで、兄の行為の原因を追求して解明しないのだ。それは客観性と公平性を欠いている。私はそういう思いを抱き始めた。

 

私が子どものときからどんなに苦労しようと、私には最高の師や友が与えられた。なぜ神様は、あの兄に『羽なし天使』を送らなかったんだろう。

 

他の兄たちはそれぞれ独立して、社会的にも立派に生きている。彼だけが社会の敗北者だ。ぼろくその人生を勝利とみなすあの神の子は、彼をどう見ているんだろう。どう考えたって、彼の側についていなければ、おかしいよ。あのぼろくその神の子は健常者のために来たのでなく、病者の為に来たんじゃないか。

 

救いは本当は彼のためにあるのではないの?ネットの中の札幌男みたいに、自業自得、因果応報といって、突っ放すの?オメーが悪いんだ、オメーの所為だ、っていうのなら、神の子やっていらんないよ。

 

私はぼろくそ人生経てきたけど、『救い』という点では『勝利者』だ。『栄光のぼろくそ人生の勝利者』だ。私は『ぼろくその神の子』の思い通りに生きている。

 

私の手にした『ぼろくその勝利』を、彼も得る権利があるんじゃないかな?

 

私に与えられたこの人生、彼が一番重要な役割を演じたともいえるから。彼がきっかけで私はたくさんの『羽なし天使』に出会えたんだ。彼がきっかけで、私は思索を深め、哲学も宗教も学問も、片時も放さず生きてきた。私は彼がきっかけで、『ぼろくそ人生の勝利の神の子』を見つけたのに、自分ひとりで救われちゃっていいのかな。

 

または救いは彼のほうにあって、私は幻影を見ているのかな・・・。

 

私の中のイワン・カラマゾフが問い続ける。

 

実はお前が一番やくざじゃないかって・・・?そういえば、私の姉御は年がら年中、私を偽善者と呼んでいたな。私はとうとういったんだ。『私が偽善者だ?そんなこと先刻承知よ。もともと不完全な人間がすることだ。偽善を恐れて、どんな善ができるのだ?』

 

兄弟の中で、次郎兄さんが一番好きだと言っていたエノクは、多分、彼の中に他の兄弟にないものをみたんだ。たぶん人間本来の野性みたいなもの、その中にあるやわらかい真実をみたのかもしれない。エノクは父親譲りのインディオの嗅覚をまだ持っているから。

 

私は自分の中の『野生』が怖かった。多分私は自分の中の『次郎兄さん』が怖かったんだ。自分の中に『野生』が存在することを多分私は知っていた。でも、それはどうしても否定しなければいけなかった。『野生』の否定の先に、行き着いたのが修道院だった。今も私は、ある意味、修道院にいる。

 

この修道院の中で、今、あの兄をどうやって愛そうかと考えている…。『愛』なんてそう大それたモンじゃないよ。奇麗事でもなければ、慈善を趣味とするおばさんたちの好きな、自分だけは安全地帯にいて、貧民と呼ばれる生き物に、餌を投げてやることでもない。

 

『愛』とは他人を自分本位に変えようとせずに、『そのまま』その存在を受け入れることだろう。悔いあらためを求めるのは、クリスマス近くの街中で、宣伝カーに乗ってがなり立てる、あの宣伝マニアのクリスチャンの仕事だ。

 

イエス様はそんなこと言わない。そうそう。嘘つきは嘘つきのまま、泥棒は泥棒のまま。娼婦は娼婦のまま。それぞれの十字架を担って我に従えといったかも・・・ははは^^。先に来たものは、隅っこに、隅っこにいたものが先のほうに、ヤーヴェはそういう評価をするんだった^^。

 

人生の初期に私に与えられたものに対する、神様の「ためし」に、私は人生の最後に答えなければならない。

 

思えば、彼との出会いが私の全ての人生の決定のきっかけとなったんだ。私は彼によって苦しみを知り、彼によって、思想を深め、彼によって信仰に目覚め、彼によって学問にかじりつき、彼によってぼろくその信仰の勝利を身に引き受けるという結果をえたのだ。」