naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」10月27日

「仏教との出会い」(16)

「これは私の聖書なのだ」

 

その後私は、はからずもネットの中でであった「真宗男」との対話によって、仏教と出会った。仏教に出会うことによって、私は自分が生きていくための核であった信仰を、掘り下げる結果になった。

 

私は自分で自分だけの新しい「聖書:人生の書」を編纂し続けた。人生の要所要所で出てきた「ある声」を、それが、「羽なし天使」を通してであれ、客観的には精神病に属する「幻聴」であれ、私は勝手にイエス様の声と想定していたから。定めし私の人生は、幻影と幻聴に踊らされた人生だろうよ。

 

ところで、待てよ、と私は再び思った。こうなると、「羽なし天使」は6人だけだったろうか。

 

旧約聖書における、ユダヤ人の歴史には、苦悩あり、戦争あり、奴隷状態あり、さすらいがあり、亡国の悲劇があった。ヨブは義人でありながら、不当な苦しみ、不当な災害、不当な迫害にあい、苦しんだ。ヨブはヤーヴェと対話しながら、彼の苦難を乗り越えた。 

 

それを彼らはヤーヴェの怒り、ヤーヴェの試練、ヤーヴェの慈悲、ヤーヴェの約束、ヤーヴェの救いと感じ、そう表現してきた。そこに現れ、彼らにそのつど示唆を与えた人々を、彼らはヤーヴェの使い、「預言者」と考えた。その使いは、いつも耳に快いことばかりいってくるとは限らなかった。

 

民族の存亡をかけた歴史的災難の中で、ある衝動に駆られた人物の出現によって、彼らは苦難を乗り越えた。もともとただの人間だったはずのモーゼのような男の出現を、彼らはただごととは思わなかった。彼らはそれを「ヤーヴェの使い」と考えた。

 

「ヤーヴェの使い」はイスラエル人に対して、時には脅し、時には叱責し、時には試練を与え、彼らを守った、と彼らは感じた。彼らはヤーヴェとの対話によって、時には感謝し、時には背き、時には恭順し、そして、畏れ敬い、賛美してきた。

 

彼らに与えられた苦難の歴史は、ヤーヴェとの対話の歴史だったのだ。その歴史を彼らは記録した。それをバイブルと人は呼び、日本語なら「聖書」と訳された。

 

ところで、「バイブル」の語源は「ビブリオ」で、それはパピルスを綴じたもの、つまり「本」だった。「聖書」と日本語訳をすると、そこにはいかにも、聖なることばかり書いてあると思われるが、あれは生々しい人間の歴史書、「本」なのだ。

 

私の6人の「羽なし天使たち」は、サバクにたおれて動けない私に手を伸べて、助け起こして、消えていったが、今、私は始めて、自分が勝手に号数を付けて特別な「使い」と考えた「羽なし天使たち」は自分の身近にたくさんいたのかもしれないと考えた。

 

人生の最も初期に出会った家族のなかで、私はかくも苦しんだ。私の出発点は、母との出逢いからだった。戦中戦後、3人の子を失い、夫を失い、残された6人の子を育てながら苦悩する母の子として、私がこのような彼女の傍で育たなかったら、私は目に見える家族よりも、目に見えない神を求める、あのような子供時代をすごしただろうか?

 

じつに私の思索と信仰の歩みは、実兄次郎との一件から始まったのだ。私が彼と出会っていなかったら、私は現実の苦悩の存在をかくも早く人生の初期において、知っただろうか?

 

私はあの家族との葛藤の中で、祈りを覚え、思索をし、善悪を追求し、真理の探求を続けてきた。だとしたら、イスラエル民族が歴史の中の登場人物のことを、ヤーヴェの使いと考えたように、私の人生の初期において、出会ったすべての人々は、ヤーヴェから送られてきた「羽なし天使たち」でなくてなんだろう。

 

母も、くだんの兄も、私を今で考えれば相当滑稽な理由で責めて小学校から追い出したシスターたちも、私を嘲った級友たちも、人生紆余曲折の末、私が出会って結婚を決めた夫も、平和な老後を夢見た私を、孤独の「ネットお宅」の生活に追いやり、思索のときを与えたあの夫の子を持つ女性も、すべて、ヤーヴェが私に送ってきた「羽なし天使たち」ではなかったろうか。

 

私ははからずも彼らのマイナスの面を見た。しかし私が一瞬示されたプラス面だけを見て「羽なし天使」と呼んだ人々は、自分が果たした役割さえ知らず、「唯の人間」としてそこいらに生活をしているはずだ。私に仏教の解説を通じて、私の人生に多大な影響を与えた真宗男は、自分のことを「エロ男」だと言っている。自分で言うのだからそうなのだろう。

 

原存在によって使わされた人間の「使用目的」をしっかり受け止めて、人はそれを真実だと考える。普通の人間を見て、それを「天使」だと信じることは、各自の勝手ではあるけれど、しかし目に見えるその「色(シキ)」は「空(クウ)」なのだ。

 

ある「使用目的」のために、その「空」を送ってきた原存在ヤーヴェは、確かに「色」を持って「空」を知らせてきた。幻を見たようだったけれど、幻によって、真実を捉えたのなら、空なる幻の存在にも意義があったのだ。

 

私はかように、3年前に実に「時宜を得た偶然」によって教壇に立った仏教校で、であった「般若心経」の一節、30冊の本を読んでも意味のまったくわからなかった「色即是空、空即是色」の一部を捉えたような気がした。

 

出遭ったすべての人が、「天の使い」のように見えるとき、誰かにとって、ひょっとすると自分も「羽なし天使」でありうるかもしれない自分を振り返れば、思わず赤面せざるをえない。「天使」と表現された生き物の正体は、多分、聖書の世界でも、「そう」だったのかもしれない。

 

私はその意味で新しい「聖書」を編纂した。私が見ないけれど、見えた気がしたイエス様の姿、聞こえないけれども聞こえる気がしたイエス様の声を元に、私は自分の人生を生きたような気がしたから。

 

その意味で、このエッセイは、私の幻聴、幻覚による「電子ビブリオ」なのだ。

 

4つの共観福音書のそれぞれの作者は、自分が見たイエス様を書いた。マタイが見たイエス様、マルコが見たイエス様、ルカが見たイエス様、ヨハネが見たイエス様、多分12弟子のすべてが、それぞれのイエス様を心に持っているだろう。イエス様が姿を消して何世紀、彼は世界中の人々の心の中に復活し、言葉を語ってきた(様な気がする)。その意味でイエス様は永遠であり、それぞれの中で神のだ(と私は解釈する)。

 

「仏教との出会い」(17)

 

「祈ることと念ずること」

 

私は孫誕生後の3年間、祈れなかった。習慣で私は自分が家の中心に据えた家庭祭壇の前に、毎日座った。しかし声が一言もでなかった。自分の祈りだけでなく、教会が会衆と共に唱えるように用意した祈りもでてこなかった。

 

自宅の祭壇の前でも教会でも、ほとんど私は失語症にかかっていた。

 

私は祈りと言うものに疑問を持った。祈りとは、ヤーヴェに向かい、イエス様に向かって、「あなたの意志を変えてくれ」と要求することではないのか。祈ったって、現実を覆すことはできないのだ。

 

ヤーヴェは「全知全能の便利屋」ではない。こうしてくれ、ああしてくれ、と祈ることに、何の意味があるだろう。そう考えたら、「祈り」はほとんど無益に見えた。

 

私が若い頃、苦悩の中から、見出した唯一の祈りが、「あるべきようにあるように、なるべきようになるように」だった。あのときも、祈る言葉を失って、うめき声と共にでてきた言葉があの祈りだった。

 

しかし、よくよく考えてみれば、「あるべきようにあるように」などとつぶやいたって、意味がないことだ。ヤーヴェは「原存在」そのものでもともと、誰が何を言おうと、「成る」べきように「なる」のだし、「在る」べきように「在る」のだ。「あるべきようにあることを受け入れます」というなら、まだ意味がある。「あるべきようにあることに、私は身をゆだねます」という文句なら、それは恭順の表明であって、「要求」ではない。

 

祈っても祈っても、自分の不幸は続くから、神も仏もないという、そういう次元でものをいっているのではない。幸福だろうが、不幸だろうが、苦しもうが楽しもうが、やけっぱちになろうがなるまいが、生きようが死のうが、「在る」べきものは「在る」のだ。それは自明の理であって、無常なる存在の好みや意思や気まぐれに左右されることではない。

 

「空の鳥を見よ、野の花を見よ」とイエス様は言う。生きとし生けるものすべて、ヤーヴェのみ手の内にある、だから、放念せよ、任せよ、と言うように、私には聞こえた。空の鳥も野の花も「祈らない」。「要求しない」。「あるがままを受け入れて精いっぱい生きる」。それでもヤーヴェはそれらを育み、太陽の光りを当て、慈雨を降らせて下さる。まさにこれは「祈り」の放棄ではないのか。

 

イエス様の「鳥に習え、花に習え」とは、そういう意味だろう。「祈りを放棄せよ。ただ身をゆだねよ。野の鳥のように。野の花のように。」

 

仏教徒は「祈らない」らしい。彼らはその代わり「念ずる」と言う。念ずるとは、何か。私は真宗男に「祈り」には対象があるが、「念ずる」には対象がないな?といったら、「そうだ」と答えたと記憶している。

 

「自明の理」を変えようと「祈る」様な無駄なことはしない。「仏を心に念じて、すべてを任せること、つまり他力」が「南無阿弥陀仏」の意味だと、彼は言ったように記憶している。

 

「南無阿弥陀仏」はともかくとして、なんだか納得できる説明だった。

納得できたから、私は自分の信仰解釈にそれを応用することを考えた。もう、仏教は、どうでもよくなった。いまだにわけのわからない「阿弥陀様」もどうでもよくなった。私は初めから、イスラエル民族が5000年間、名をつけることも、像を作ることも、表現することも避けてきた、「在りて在る者なるヤーヴェ」を心に持っている。

 

お釈迦様を追及することによって、仏教徒が「方便として編み出した阿弥陀様」(私のダジャレではなくて、真宗男自身の表現)を、いまさら念じなくてもいい。真宗男の言う「他力」の「他」はヤーヴェでいい。イエス様でいい。南無基督如来でいい^^。

 

というより自分のきわめて私的な悩みが、仏教と出会うことによって、溶解してきたのを感じたとき、 私の生まれつきの癖で仏教に出合わせてくれたのは、イエス様だと、都合よく考え始めた。

 

それは自分の都合であって、 こちらはこちらの都合で判断する。「 敵のために祈れ」とか、「敵を愛せ」とかいう意味も 仏教に出会うことによって、理解した、と感じた。つまり、私にとって仏教は聖書理解に役に立った。

まあ、真宗男の理解なら、そもそも「敵」が想定されていることが矛盾しているらしいけど。              

 

そうか。すべてをヤーヴェの心に委ねて、「ヤーヴェを念じる」のか・・・。

これ、使える。気に入った。「空の鳥や野の花」の精神だな。「無邪気な子ども」もイエス様は愛したぞ。下心がないからな^^。(こっそりいうと、その「無邪気な子供」が現代存在するのかどうか知らないけどね。)

 

私は祭壇の前に座って、久しく出なかった言葉をつぶやいた。「祈」ったのか「念じ」たのか、私は知らない。

 

「イエス様、私をあの家族の中に生まれさせてくださってありがとう。多くの羽なし天使たちを送ってくださってありがとう。私にエノクと出会わせてくださってありがとう。

 

私と私の出身家族、とりわけ私に思索のきっかけを与えてくれた兄、あなたが送ってくださった夫と共に私が作った家族、送ってくださった多くの友人たちと、役割を果たして離れていった友人たち、そして、『あの家族』の上に、今日もあなたの平和がありますように。主よ、我が魂をみ手にゆだね奉る。」

 

私は始めて祈りの中に「あの家族」を加えた。私の存在がはからずも苦しめた、「あの家族」の平和と幸福を祈った。なぜならば、私はとうとう、7の70倍、自分の無明を知ってしまったから。

 

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我が家の祭壇