「自伝及び中米内戦体験記」10月31日

「ガラパゴス 二日目」

 

27日。夕べの船酔いに、くたくたになった仲間は、青い顔をして朝食に現れた。ベッドから落ちたもの、一睡も出来なかったもの、みんなの話題は船酔いの話ばかりだった。一方私は、すがすがしい目覚めだった。酔いもなく、閉所恐怖症の恐怖もなかった。一人涼しい顔をして現れた私は朝食を済ませ、今日訪問する島々の説明を聞いた。

 

それから私たちはボートに乗って、夕べ一晩かけて大揺れに揺れながらやってきた島に上陸することになった。甲板に上がると、空は適度に晴れていた。今日上陸する島々が目の前に広がっている。奇岩が屹立する島々は、まるで人跡未踏の処女地みたいに、人影がなく人が来た形跡もない自然の状態で、みごとな景観を呈していた。乗ったボートは岩々の間を通ってその景観を堪能させてくれた。遠くの海岸にセイウチが寝そべっているのが見えた。あんなところにセイウチがいる・・・。セイウチをこんな近くで、自然の姿で見たのは初めてだった。その姿をとりたかったが、遠すぎて、カメラのレンズを覗くと点のようにしか見えなかった。もったいない、肉眼で見たほうがいいな、と、私はカメラから目を離した。

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目の前の岩にペンギンが2羽休んでいるのが見えた。千葉のデイズニーランドの近くにある、葛西臨海公園にいたペンギンと同じ種類らしかった。二羽が仲よさそうで、かわいかった。ほう、こんなところにペンギンが普通にいるのか・・・。シャッターを切ったが、船は揺れるし、どんどん進んでいくので、ペンギンも点のようにしか映らない。でも、舟に揺られながら目の前にこんなに自然の姿で、ペンギンが休んでいるのが見られて、嬉しかった。寒い国にいるはずのペンギンは日本の動物園の中で、いつもゆだっていた。ここは、そのペンギンを閉じ込める人間がいない。人間に見られるために生きているのでなく、自分の都合で岩の上にいる。

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事前に聞いた話では、今日は、イグアナに会うらしい。それも、例のごとく、「飼っているわけではないから、会えるかどうかは、運しだい」だった。とにかく多くの「海イグアナ」が上ってくる島なので、「海イグアナが見られるかもしれない」。

 

聞いてみたら、そこには亀はいない、ということだった。動物が自然に自分の縄張りを決めていて、これは亀の島、これはイグアナの島と、納得しているのが不思議だった。お互いに侵略しないんだから、アメリカ人より、高等動物だ。

 

ボートに乗り、はだしで浅瀬に飛び込んで、上陸した。さっき見たペンギンも見られるかと期待していたけれど、ペンギンはいなかった。そこは黒い岩が徹底的に自然の状態で波に洗われていた。海岸にセイウチが寝そべっている。近づいてもうす目を開けてこちらを見るだけで、逃げ出すものはいない。ほう、イグアナだけじゃなくて、セイウチもいるのか・・・。

 

 

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ガイドの案内で歩いていくと、ガイドはとある水溜りのところで止まった。そこに黒い動物がまるで動かずに、岩に張り付いているのが見えた。イグアナだった。真っ黒な保護色の所為で、見過ごしそうだ。よく目を見張って、やっと数匹のイグアナを見つけた。誰かが海を指差すので指された方向を見たら、イグアナが泳いできて、岸にたどり着くところだった。泳ぐイグアナをはじめてみた。その姿がかわいい。これじゃ、本当に「運」がなければ、何も見られないときもあるかもしれない。イグアナは自分の都合で海で泳ぎ、岸にやってきて休み、のこのこ歩いて、少し海岸と離れた水溜りで、家族とともに過ごし、たまたま訪れた観光客を楽しませる。これが世界の「自然公園」なのだ。

 

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ガイドに案内されて、海岸を離れ、島の内部に入っていった。緑地があり、サボテンが生えている。時期的には、乾燥した季節らしい。緑地の「緑」は「白」に近い。矢印などがついているが、説明を書いた看板などは立っていない。例のごとく、タダひたすらに自然の、沈黙の世界の中を、「偶然の幸運」を求めて、サボテンなどを写真に収めながら歩いた。そこになにが現れるか分からない。「幸運」なら、面白い生き物が出てきてくれるだろう。

 

ガイドが急に立ち止まる。彼の指を刺す方向に、一本の大きい木のようなサボテンがあって、その根元に保護色で姿がわからない動物が横たわっていた。小さい恐竜みたいな姿の、緑と黄色の生き物、陸イグアナだった。かなり大きいのだが、近づきすぎてはいけないというので、遠巻きにして写真を撮った。よく見ると、あちらにもこちらにも、大小の陸イグアナがいる。砂地を良く見ると、尾を引きずったような跡があり、穴があった。穴を覗いてみると、イグアナの尻尾が見えた。今はいって行ったばかりらしい。

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「ガラパゴス 三日目」

 

28日。夜のうちに再び、大揺れの船旅をしてついたところは、200年位前に噴火して流れ出したという黒く流出した火山岩の岩で出来た、その形から誰かが「中国帽」と名づけた島だった。私たちは再びはだしで浅瀬に飛び込んで上陸した。そこはほとんど動物が住めそうな趣ではなかった。真っ黒な硬い岩に覆われ、コケみたいな植物、岩の割れ目からかろうじて現れたサボテンと、ひげのような植物しかなかった。

 

それでもその島には、人が歩くための道が出来ており、登っていくと展望台もあった。しかし生き物は、小さなトカゲだけだった。流出したマグマの塊は、2世紀の間も、生き物の存在を許さなかったようだ。景色は、それはそれは美しかった。どこにも人の手を加えた形跡がないことが、その島の「美しい」ことの条件らしかった。

 

私には何もない島に思えた火山島だけれど、エノクは自分が大学で教えている専門の内容が目の前に広がっているのを見て、喜んだ。面白くない岩を何枚も何枚も撮っている。ちょろちょろ生えた植物も、小さなトカゲも、すごく興味を覚えるらしい。どうでもいいと思われるものを、写真に収めていた。

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「ガラパゴス四日目」

 

29日、ガラパゴスの最後の日。ガイドは、今日は景色だけを楽しんでもらうといっていた。景色が主だけれど、幸運なら、島の湖にフラミンゴが見られるかもしれないし、海岸に海がめが泳ぎつくかもしれない。鳥は飛ぶし、亀は泳ぐ、だから、すべて動物たちの都合によるのだ。人間の都合で会いたい動物の期待できない島に行くらしい。それと知った若い者は、サーフィンの用意をしている。はじめから、もぐるための準備をして、宇宙人みたいな姿でボートに乗ったものもいる。私は泳げないし、水着の用意もない。若い者が海を楽しんでいる間、私たちはボーっとして景色を眺めているらしい。ただの景色だけなら、面白くないな、と思った。

 

私たちは、到着した島に、はだしで上陸した。もう、慣れてしまったやり方だった。ぬれた砂は真っ白で、波は静かに、青緑色に透き通っていた。赤い蟹が、岩をはい、海鳥が時折空を隊列をなして飛んでいた。広い空には電線もなく、建物も無く、人の姿も無く、人工的なものは、遠くに停泊している自分たちの3晩のホテルである、黒い海賊船のみだった。

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まるでその海の透明度は、覗けば、反対側の日本まで見えるかと思われるくらい、澄み切っていた。わざとらしく作った観光客向けパンダもいないし、人工的な音がない「何もない」海を見て、ああ、ここに来て良かった、と私は心から思った。

 

実は、31年間の夢が実現したガラパゴス観光に、私は少し失望していた。それはほんの少しの意味の無い疑問から始まった。私は、この観光旅行の間、日本人に一人も会わないことに疑問を感じたのだ。あれほどテレビでも雑誌でも宣伝しているガラパゴスに、日本人が一人も来ないはずが無い、一体どういうことだろうと、それは単純な疑問だった。別に日本人が恋しいからではない。本物の観光地をはずしているのではないかと思ったのだ。

 

ガイドは言うのだ。「自分は自分の船に日本人をひとりも乗せたことが無い。」その言葉を聞いて、夫は、日本人はあの豪華客船のほうに乗っているのだろうと、言ったのだが、その豪華客船の客も同じ島に降り立ち、その中にただ一人の日本人も発見できなかった。巡る島々の説明の時、ふと私は疑問に思った。このクルーズでは、一番大きい島である、イザベラ島には行かないと分かったのだ。どうしてだ!?それがメインの島で、そこに有名なゾウガメがいるのではないのか・・・と私は説明したガイドに迫った。

 

「イザベラ島では、ゾウガメの量は確かに多いし、大きさも、このクルーズがはじめに連れて行った島で見たものより大きいかもしれない」、とガイドは言った。「だけどあの島の亀は人間が手を加えて増やして育てているものだ、本当の自然状態はこっちのクルーズでしか見られない」ということだった。自分は自分の都合で31年間勝手にガラパゴスに憧れた。それはゾウのようにでかいゾウガメを見るためだった。それなのに、このツアーは、私の目的に目もくれず、中型の亀しかいない島に連れて行って、ごまかした。

 

私たちと同じように、旅行社任せで、「ガラパゴスめぐり」といえば、当然メインの島に連れて行ってくれるものと思って参加した一行は、その答えを聞いて、声を呑んだ。やっぱり、だまされた、と思ったのだ。はじめから、宣伝文句に乗って、あの白い豪華客船を夢見てきた一行は、この黒い海賊船を見たときから、不満を漏らしていた。それから、私たちは、無言の思い遣りで亀の大きさの話題を避けていた。

 

おまけに私には、この旅行には、別の個人的思いがあった。28年間助け合って、内戦を乗り切り、日本で仕事を求めて定年まで働き、夫の定年後の計画を楽しんでいた矢先、大きな壁にぶつかった。定年後、日本の不況にぶつかって、再就職を果たせず、おまけに、夫には別の家族がいたことが判明した。苦悩の末、結論を保留して二人は太平洋を隔てて別居することになった。

 

その後一人になった私はネットの世界にのめりこみ、不思議な出会いを通して、仏教の研究に没頭した。それは偶然の産物であって、特に自分から救いを求めたわけではなかった。しかし、「偶然」ではあっても、その結果私は、人間というものを別の方向から見つめ始め、かつて、私の「あるがまま」を受け入れてくれた夫を「あるがまま」に受け入れようと、太平洋を越えてやってきたのだ。

 

31年前に果たせなかった新婚旅行を、銀婚も過ぎた今頃、2年間の別居の間の思索の末、ある結論のようなものを受け入れて、実行しようと持ちかけたのは、私であり、先行きも分からない経済状態の中から、万難を排してやってみようと乗り気になったのは夫だった。思いはかなり複雑だったが、私たちは、再び、文字通り同じ船で船出を始めたのだった。

 

その旅行の間中、私は夫の「善意」にいらいらしていた。こちらの思いをそっちのけに、彼は、同行者で「足の弱い老人達」の世話ばかりしていた。一行の中に、こういう旅行に非常識にもスカートをはいて、サンダルを履いた老女がいた。3人のグループで、ウルグアイ出身の老女達だった。はじめはその「善意」に協力していた私は、そのうち、疑問を抱くようになった。私だって「老人」なのだ。気丈に振舞っていようと、私は杖を突いて参加した、どこでも入場券を割引される「第三世代」の人間なのだ。私は転ぼうと、足を痛めようと、それは、誰の助けも求めずに、黙って付いていく人間だからといって、助けが無用なわけはない。

 

ところが頼みの夫はその3人に付きっ切りで、私を振り返りもしなかった。確かに私はガイドのくだらない話しをいい加減に聞いて、一人で行動をとる人間だけど、一人だけ日本人で土地の訛りの強いスペイン語にも、もっとひどい訛りの意味不明の英語にも、私がついていけないという理由もあったのだ。彼はその私をそっちのけにして、三人のバアサンの世話係になり、挙句の果ては、同じテーブルで私に声もかけず、三人のバアサンにだけ自腹を切ってまでワインを振舞って、飲み始めるという「善意」ぶりだった。

 

とうとう、彼女たちまで、その「善意」にあきれ返り、「奥さんには声もかけず、ワインも上げないのはどういうわけか」、と気遣う始末だった。彼はその声に、「いや、妻はアルコールは飲まない」、とうそを言った。怪訝な顔をした私の表情を、3人の老女は見過ごさなかった。急に気まずくなったのだ。

 

それを見た私は、主人に、少なくとも、人前では常識的な行動を取るよう、他人を気遣わせるような行動はしないように、日本語でささやいた。私が日本語でわざわざ言った意味を理解せず、彼はスペイン語で抵抗した。彼は、事もあろうに、私に誰にでも分かるスペイン語で、「やっかみをするなんてみっともないぞ」とたしなめる始末だった。雰囲気はしらけ、3人はよそよそしくなり、自分達のうなぎの寝床にもどって行った。

 

おまけに、火山は彼の専門であり、ガイドをさえぎって、自分の専門とばかり、一行に説明を始めた。彼の周りには一行が取り巻き、ガイドの立場もなく傍らでぼーっと突っ立ているばかりだった。私には入る隙間も無かった。いくらなんだって、これはやめさせよう、と私は考えた。

 

とうとう、私は彼にいった。「自分はいろいろな思いを抱え、自分を抑えて、太平洋を越えてきた。それなのにあなたは、私以外のあらゆる人に自分の『善意』」を売り物にして、私の思いを感じもせず、いつもの八方美人でこの旅を終わらせるつもりなの?」抵抗しようとする彼を私はさえぎって言った。

 

「娘が言っていましたよ。『お父さんは、誰にでも自分が愛されたいだけで、あっちにもこっちにも笑顔を売り、その結果本当の家族からは信用されなくなるんだ』って。」

 

「そんなことあれが言ったか?」と夫が一瞬たじろいだ。娘のために、すべてを犠牲にしているつもりの夫だった。「人に対して善意のつもりで、笑顔を売って、本当は、かわいいのは自分だけなんでしょう。私の顔ばかりでなく、少なくとも、ガイドの顔をつぶすような行動はやめてください。」

 

その言葉に、エノクはぎょっとしたようだった。「うん。そうかもしれない」と、しばらくの沈黙の後、ぽつんと言った。それから彼は考えた。そして、彼は思い直したのか私のそばを離れなくなった。

 

「最後の島」についたときも、エノクは私のそばにいた。二人になることにやっと成功した私達は、あくまでも澄み切った青緑色の海を一緒に眺め、沖に停泊する黒い海賊船を眺めた。言葉を必要としているわけではなかった。タダ黙って、この世界の秘境に身をおくことが、多分、二人の間に出来た溝を埋めるのに役に立つと思っていた。太平洋を隔てて2年間別居していたその溝を、31年前の結婚前の約束を果たすことで、取り戻すことができるか、あるいは、取り戻すことなど出来なければ、新しく、今までの人間関係を越えた、もしかしたら、より広い人間関係の構築をすることができるのではないかと期待したのだ。

 

ぼんやりと、海賊船を眺めているうちに、私達にはこの海賊船の船長が、あるスタンスを持って、この仕事をしていることが分かってきた。彼らが連れてきたこの旅行は明らかに、他の旅行業者が競ってやっている、「有名な場所めぐり」ではなかった。彼らは「何にもないところ」に私達を連れてきた。

 

船長、ガイド、食事係の3人は、どうも、一般の「観光業」に抵抗しているようだった。彼らの操縦する船はアンテイークで、「豪華」ではなかった。真っ白な大きな豪華客船の群れの中で、ひときわ目立って、みすぼらしく、真っ黒で、骸骨の旗も千切れていた。ところがその船には風格があり、威風堂々としているように見えた。乗組員には確かな誇りが感じられた。ガイドは高校しか出ていないそうだが、独学でものすごい知識があった。シェフの食事は3日間、毎回別の献立で、心がこもっていてとてもおいしかった。島を観光した客が帰ってくると、甲板で、かならず、何かおやつのようなものが振舞われた。労をねぎらうようなもてなしだったので、なにかそれが、学校から帰った小学生がおやつをもらって喜ぶような素直な喜びを感じさせるものだった。単純にうれしかったのだ。

 

「最後の島」は最も美しかった。まるでそこには、観光客などが訪れたことが無いかのようだった。停泊する船も、私達の「海賊船」だけだった。ガイドは上陸した海岸の砂の上に座って、ものを言わなかった。タダ黙って、この「人跡未踏の」海岸の美しさを見てくれ、此処につれてきた意味を考えてくれ、とでもいうように、あの立て板に水の説明が出てこなかった。

 

海岸にはもちろん、ごみも、ゴミ箱も、土産物屋も、ホテルも民家も、観光客のためのトイレもなかった。自然の中に汚物をばら撒くことが許されるのは、衣類を身につけていない動物のみで、我々は、用を足したければ、いちいちボートに乗って、親船に帰らなければならなかった。ここに観光マニアの「日本人が来ない」、そのことの意味を、私は考えた。一番大きなメインの島は、もしかしたら、観光客で溢れているのかもしれない。そして、その島には、ここに無いものがいやというほどひしめき、ここには、メインの島には無いものがあるのかもしれない。

 

私達は「選ばれて」こっちの方の観光客になったのだ、誰にも知られていない、誰も来ない島々、塵一つ無い島々、透明な海。恐れを知らない動物達、好きな時に岸にあがり、好きな時に泳ぎ、好きな時に飛んでくる、そういう動物と鳥たち。

 

しばらくガイドに付き合って、「ぼんやり」していたら、彼は立ち上がって、おもむろに島の奥の方に歩き出した。白い砂が足を捉え、歩きにくい。池のような水溜りが見えた。そこは、イグアナと、フラミンゴの楽園だった。足元には、イグアナが泳いできてのそのそと上陸し、フラミンゴは遠くに2羽しか見えなかったが、それは神秘のきわみ、地上に残っている楽園のようだった。

 

そこを見学した後、ガイドは、元の海岸に戻り、再び自由に、「ぼんやり」する時間を我々に与えてくれた。全く動きもせず、何もしないのである。

 

いいな、このガイド・・・。

 

ぶらぶらと歩いていたら、セイウチの群れが休んでいるところがあった。近くによっても、寝そべったままあくびしたり、興味深げにこっちを見るだけで、位置は全く同じところ。大きいのと小さいのが、ちょっと動いた。注目すると、それは授乳中の親子だった。赤ん坊のセイウチが、乳でぬれた口をあどけなく開け、人間を見ていた。彼らにとって私達も興味を引く「見られる動物」だった。しばらく私はその親子に見とれた。いい光景だなあ・・・。

 

私達もぼんやりと、「何もない」時を過ごした。義務のない、規則もない、ただ亡羊とした時間だった。人間が経てきたすべての過去をかき消すような、時空を超えた「無」の世界だった。

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「ガラパゴスを後にする」

 

午前中、「何もない観光地」を堪能した。そして、「何もないこと」ほど、多くのものが見えるという事実をかみ締めた。それから私達は、船で、もと来た飛行場のある島に戻り、再び、慌てふためく「観光旅行の」輪の中に入ることになった。あのはじめのポーズの救命胴着を、再び着せられて、陸に登った私達は、桟橋の待合所のベンチの上に、セイウチが数匹寝そべって占領しているのを見た。彼らをどけて、座ろうと考える人間もいなかった。いい光景だな、と思った。飛行場の近くのベンチをセイウチが占領している観光地は、ガラパゴスを措いて他にないだろう。

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しばらくそのセイウチを眺めた後、バスが来た。バスはあわただしく飛行場に私達を運び、「観光地の入り口」の喧騒が始まった。

 

「ガラパゴス観光で考えたこと」

 

ガラパゴスの空港からキトーに戻る機内で考えた。

 

はじめ、ガラパゴスの空港に着いたときは空港のある島だから、村もあったし、土産物屋もあった。ところが、その後の3日間、巡った島々には、村どころか、みやげ物店、レストラン、休憩所、便所、ゴミ箱、ごみそのもの、人の影、それらのものが全くない、あてどもなく洋々たる自然の中に、自由に歩いていたのは動物だけだった。それは作った自然まがいの公園ではなく、所有権を主張し、管理し、世界遺産などに登録している人間の思惑をよそに、生まれ、生きて世代を重ね、存在する、まっさらな自然の生命の世界だった。

 

私は遠く、日本の観光地を思った。そして、ごみに溢れた富士山が、世界遺産にならないわけを身にしみて理解した。ここは世界中の人種がやってくる世界公園だ。世界中の観光客が、自然を保護するためのこの規律を守っている。日本の富士山を汚しているのは、冷暖房完備の無菌状態の家の中で、地球の汚染には余念のない、自分の周りだけは世界一清潔好きな日本の国民だ。

 

この世界公園を管轄しているのは、エクアドルの政府である。エクアドルもラテンアメリカの国、ラテンアメリカの町々は、貧しく無秩序で、ごみは溢れているし、人々はルールなんか守らない、そういう先入観があった。ところが何と言うことなのだ。

 

ガラパゴス公園には全くごみがなかった。海の水は透明な、青緑色に澄み渡っていて、海岸の砂は白く、歩いた人の足跡を、打ち寄せる波が静かに消している。こんな「清い水」を私はうまれて以来、見たことがなかった。人の集まるところは「汚れる」のが当然の結果で、観光地はごみにまみれ、動物は、逃げるのがほとんど常識だった。

 

日本人の来ないガラパゴス公園の一角に連れて行かれた私達は、人間の常識でなく、動物の側の常識を見た。そして、動物の側の常識を尊重しようとする、ある観光業者の姿勢を見た。人間の側の常識の支配するところは、人間の都合に合わせたものがあるだけだ。どうだ・・・?と、彼らは12人に問いかけた。私の中で人間の常識がかすかに崩れ始めたのを、私は感じた。 

 

「人間の側に戻ったら」

 

最後の日にはじめの飛行場のある島に戻って、しばらく時間があったので、飛行場の外にあった、土産物屋を覗いた。土産物屋でものを買うのが、人間の常識なんだ。その常識を取り戻した私達は、やっとそこで、ガラパゴス関係の土産、亀のキーホルダーなどを買った。此処で学んだものの貴重なものを見失わないためには、本当はそんなもの、買わないほうがいいのかもしれない。でも私もまた、常識的観光客だった。

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今でも時々着るガラパゴスシャツ↑

 

イグアナの彫り物を買おうと思って、ある土産物屋を覗いて、値段を聞いたら、土地の娘らしい売り子が下手な英語で、10ドルだと答えてきた。私はそのとき、突然むかっ腹を立てた。「スペイン語で聞いているのに、なぜ英語で答える?」

 

言語は民族の心だ、此処の原住民は、自分の言語を征服され、心を異民族に売り渡した。今また、新しい言語を売って、観光客の機嫌をとる。あまりにも美しい処女地のような島々を見てきた後で、この現実に接した時、この小娘の商魂に思わず腹が立ったのだ。私はイグアナを買わなかった。どういうわけか、私は自分の出身民族から見たら常識はずれと言える、非の打ち所もない清潔さを保った世界公園に対する複雑な思いを、かつてスペインに陵辱され、商魂以外に立つ瀬のなくなったエクアドルの哀れな原住民の一言に向けたのだった。

 

この海賊船の旅行を企画したガイドたちの反骨精神が本当に一部の住民にしか通じないのを思って、彼らのために感じた義憤だった。