「ばあさんの自転車奮闘記」2020年11月7日

「骨粗鬆症と自転車」2

「隣町まで行けたぞ!」 

この前、何とかして、自転車で郵便局まで往復したのが「自転車で用をたすことができた」初めてのことだった。で、少し、欲が出た。それから本土寺征服。 

自宅個展を始める前に、隣町の画材屋に100号の仮額を2点頼んだけれど、まだ支払いをしていなかった。気になっていたのだが、振込みが郵貯銀行で、ネット送金できないからそれがめんどくさくて、未納のままだった。 

私が内戦の中米から帰国して、「内戦語り部絵描き」を初めて以来の長い付き合いだから相手はうるさく言わないけれど、自分が忘れるのを恐れて、神経が立っていた。 

何とか、あれを支払ってこよう、と、今朝隣町までの道を見つけておいた。しかし、隣町までの道は、坂が多くて、曲がりくねっていて、車の往来も激しく、いまいち勇気が出なかった。 

ところが、昼食後、テレビを見ていたら、その内容があまりにばかばかしく、つまらないから寝ちゃおうと思ったが、ふと、あの支払いをしてこようかな、と考えた。いつも自転車は早朝なので、交通量の多い昼に出るのは、かなり怖い。でも、自転車で何か用をたすのに使うなら、どうしたって、昼でなければならない。 

思い立って、白鷺をひっぱり出して乗ってみた。しかし、途中まではいいけれど、日光のいろは坂みたいにうねった坂は、無理だった。途中から降りてやっぱり自転車を引きずりながら、なんとか、目的を果たした。 

さて、帰り、気が楽になったので、平坦な道はないかと、あちこち探した。乗っては降り、降りては乗って、裏通りの平坦な道をたどりながら、前方を見たら、なんと、いつも朝、乗り回している道路の入り口が見えた。 

やったぞ。これからは、電車の一駅をただで往復できる。今まで、バスと電車で、往復600円がただで往復できるんだ。もし、もう一駅を自転車で行くことができるなら、骨の医者まで、交通費がかからないで通える。

松戸整形外科病院は最寄り駅の北小金から2駅の馬橋にある。馬橋から送迎バスが出ているが、電車の発着時刻と合わせていないからものすごく面倒なのだ。

 

よし、次の目標は、骨の医者だ。

 

 「骨の医者まで自転車で行けたぞ!」

 

思い立ったら矢も立てもたまらず、早朝、5時20分に出発して、ちょっと迷いながら、6時松戸整形外科病院到着。

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ヾ(´▽`*)ゝいえーぃ♪

 

ただし、帰りは近道探してもっと迷い、2時間かけて戻った。足が痛くて、バンテリンつけまくっている。まあ、6時に開いている病院てないけどね。開くまで何をしていたのか、記憶がない。 

でもね、これじゃ、骨粗しょう症のためのリハビリって、何のため、するんだろ^^。

 

さて、反省。

 

私が迷ったのは、松戸と流山を流れている江戸川の支流の坂川という川沿いに行けば自分の家の近所に来ると思っていたのに、途中で道がなくなったこと。とりあえずガード下くぐって道なりに行ったら、その坂川まで見失ってしまったこと。方向だけを頼りに町の中で出会った人に、とりあえず自宅に近い流山電鉄の「鰭ヶ崎」の駅というのを訪ねたら、一人は右に行けといい、もう一人は左に行けといい、もう一人は真ん中を行けといい、あちこち回るうちに、自分の位置がわからなくなったこと。 

尋ねもしなかった4人目の人が、そばで聞いていて、たまりかねて介入して、非常に具体的な方法で教えてくれたので、その態度から信用できると考えて、やっと鰭ヶ崎の駅を見つけた。 

ところで坂川は家のすぐそばを流れている川だ。その脇に東洋学園大学(現在廃校、建物だけはある)というのがあって、其れを目印に行けば戻れるはずだった。最後の人のおかげで、私は目印の駅を見つけ、今朝、もう一度そこまで行って、大体の目星をつけてきた。 

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坂川↑

「引き続き道を探索」 

 

で、次の朝また馬橋探索。迷った原因を突き止めた。 

家のそばを流れる坂川に沿って、どこまでもまっすぐ行ったら、問題なく馬橋についた。そこから松戸整形外科病院までL字型に曲がってまっすぐ行ったら、もうひとつ川があった。きっとそれがこの前「坂川」と間違えて川沿いに降りてしまった道かもしれないと考えて、橋の袂に設置されている看板を見たら、それに「坂川」と書いてあるではないか。 

え!これも「坂川」?L字型に馬橋駅から折れた地点から、自転車で10分も走っている。同じ川に戻るはずがない。私はそばに立っていた、道路地図を確かめた。そこいら一帯の地図が載っていて、そこに二股に分かれた川が載っていた。たまげた!別れた2川が両方とも「坂川」と書いてある。(同じ川の流れでも支流には別名があると思ったから。) 

私は病院の建物を確認してから、もと来た道を引き返した。私が今朝出たときからまっすぐ登ってきた「坂川」が、本当に「坂川」なのかを確かめたかった。ずんずん走るうちにとうとう元きた川の脇の道路にたどり着いた。どこかに看板があるはずだと思って探したら、あらまあ、そこには「新坂川」と書いてある。地図によって、名前が違う! 確かおとといも、川の名前を「坂川」と確認してから、その脇を走ったのだ。迷った原因はこれだ。

 

まあ、新しい駅の名前もこれに似た命名があるね。松戸、新松戸、北松戸、東松戸 っての。しかももともとの歴史的な名前まで変えてまで松戸に東西南北をつければいいと思っている。利用者は間違えやすくて困っている。

 

標識はともかく、道には覚えがあったので、無事、家に戻ったが、今日は往復1時間50分。おとといの3時間は本格的に迷ったから仕方がなかったとしても、今度は道路がわかったので、時間はもっと縮められるだろう。往復1時間までに縮めたい。

 

しかし、その日は予報では雨のはずだったのに、晴れた。良かった。

 

そういえば、ダニューブ川と、ドニエプル川と、ドナウ川は同じものらしい。

 

しかし、あれは国が違うから呼び名が違っても、語源は同じらしいから赦せるけど、こんな狭い地域の川で、支流が本流と同じ名前っていうのは、おかしいんじゃないの?しかも、同じ松戸の中で、標識の場所によって名前が違うなんて、赦せない。

家の近くで、良く散歩する土手があるけど、坂川の支流になっているところで、「ここから富士川」という標識が立っているよ。坂川と新坂川があるのは知っていたけれど、同じ流れを「坂川」と呼んだり「新坂川」と呼んだりして、道案内に書かれたら、迷うの当たり前だ。今度、あの標識写真にとって、抗議してやろう。 

納得できない。いまだに怒っている。 

 

「通輪時間のこと」 

 

3人の友人が自宅個展会場に訪れた。みんな1年前に50年ぶりに再会した中学校時代の同級生だ。そのうちの一人は、新松戸に住んでいるという。駅で言えば、家の最寄の駅の隣駅だ。家のベランダに出て、前を通る道を眺め、おや、この道は知っている道だと、彼女はいった。いつも、おばあさんの見舞いに、この道を自転車で通っていると。

家のそばに老人介護の施設が2軒ある。ひとつは数年前、畑をつぶして建ったばかりの施設で、「まつど徳洲苑」。おかげで、家のベランダから遠景が見えなくなった。その施設のもうひとつ先に、彼女のおばあさんが入っているのだそうだ。

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まつど徳洲苑↑

 

自転車で往復すると聞いたので、ためしに彼女に、自転車で新松戸からどのくらいの時間がかかるか聞いてみた。そうしたら、40分だという。 

おかしいなあ。私の折りたたみ式の、車輪の小さい自転車で、もたもたしながら怖いところはみんな降りて歩いても、それでも新松戸までは40分かからない。彼女の自転車歴は子供のころから出し、27インチの大きい自転車だ。まさか、自分がいつの間にか、距離をあげていたのかな、と半ばほくほくした。 

時間を見ようと思って、次の朝、5時15分、走行時間を計るために、出発した。いつも怖がって降りているところを降りずに、赤信号だけで降りて、ひたすら走った。坂道も曲がり角も何とか乗り切った。いつもの坂川の脇の道。坂川の脇の道を特に選ぶのは、舗装されている上に狭くてほとんどの車両が入ってこないからなのだが、それでもぐいぐい入ってくる車があって、そういう時は今までは降りていた。今日は、其れを降りず、かえって勢いをつけて違反進入の車の前をぶんぶん走った。

 

実は自転車を始める前に、道交法の研究をした。徒歩以外で道を歩いたことがない私が68歳で自転車を始めることに、すごく危惧を感じたからだ。自転車の道交法という本はなかったけれど、バイクの道交法があったので、本屋で立ち読みしたら、自転車の規則も書いてあった。自転車は「車両」なので、車両の規則にしたがうこと。つまり歩行者と同じではない。ある年齢からは歩道侵入も許されるが、車道に沿って走ること。車道は左側通行。などなど。これ東松戸警察所までいって確認したので、いい加減なことは言ってないっすよ。

 

で、新松戸の駅のガードレールの下で一休止して時計を見たら、ちょうど25分かかっている寸法。欲を出さずに引き返した。25分で戻ってみようと思ったからだ。 

で、元来た道をただ走ったにもかかわらず、突然行き止まりになった。ぎょ! 

ちらりと、川の脇にある標識を見た。「新坂川」!なんでだ?また、川の名前が変わりやがる。にゃろめ!

 

自転車を降り、周りを見渡した。その時遠くに電車が通過するのを見た。あれは、確か流山電鉄の電車だ。このあたりには常磐線と武蔵野線が交差しているが、流山電鉄は、車体が古くてダサいからわかる。だとしたら・・・

 

私はまっしぐらに走って時間を稼ごうとしたあまりに、行きにわたってきた踏切を見過ごしてしまったのだ。気を落ち着けて周りを見渡した。現在位置を確認したら、そこは何度か迷って歩いた道らしいとわかったので、引き返さずに別の道を通り、見覚えのある橋を見つけて、家に通じる道に入ることができた。迷った時間はたったの5分。家の門で時間を確かめる。6時10分だった。たぶん友人は新松戸からの往復時間を40分といったのだろう。だったら、この自転車で往復50分なら、常識的な時間だ。と、私は満足した。

 

明日は馬橋まで行って、走行時間を確認しよう。 

 

「で、次の日」 

 

昨日行った駅向こうの繁華街を、もう少し探索してみようと思った。しかし、今朝は、かなり疲労がたまっていて、起きたのは5時。いろいろ支度して出発したのは5時半だった。かなり明るくなっているので、交通量も多いだろうなあ、そう思って駅の方向に走り出した。最初の目標の本土寺の向こうだ。本土寺は北小金の北口で、「駅の向こう」という意味は現在イオンがある南口のこと。 

しかし、今朝の交通量では、疲労もかさんでいるし、駅の向こうに越えるのは怖かった。で、あきらめて、帰路は道を変えて別の方面を探索しながら帰ろうと思った。しかしどうも、このあたりは坂が多い。20年近く前に転んで自転車を中止したのも、坂の所為だったのを思い出して、どうも怖くて坂を見たら下りてしまう。我ながらだめだなあと思った。 

実は、この自転車をくれた鶏男が、ハンドルとギアを使いこなしたら、坂など平気なんだというのだけど、このばあさん、「ギア」ってなんだかわからないのだ。ハンドルのほうは、下り坂を降りるのに、何とか試してはいる。但し、私は手の指が短いのか、ハンドルを握るのに指がかろうじて2本しか届かない。だから怖いのだ。 

「ギア」というと昔夫が運転していた車の真ん中についていた棒のような物を思い出す。あんなもん、自転車についていないし、大体「ギア」とは、何のために在るのか、わからない。

 

その日は、英語教室がある。暴力母ちゃんの息子が英語を習いに来る日だった。私の英語教室に最後まで残った子供。息子のほうは、英語に興味がなくて、来ても何もならないので、もうやめろといっているのに、そのたびに暴力母ちゃんの暴力にあって、息子は意味もなく、ここに来てボーーーッとしている。

 

そうだそうだ、あの子に自転車のギアのことを教えてもらおう。

で、待っていたら10時きっかりに教科書もノートも持たずにやってきて、やっぱりボーーーッとし始めた。「こら、よし君!英語なんかやりたくないんだろう」、といったら、「うん」、と答える。「じゃあ、私に自転車のギアの操作の仕方教えてくれるか?」と聞いたら、ものすごく目を輝かして、うんうんと答える。 

そこで、庭に出た。彼、自転車のハンドルを握ったら、もう、にこにこしちゃって放さない。ねえ、10分ぐらい一回りしてきて良い?ときたもんだ。しかし、其れは危険だった。 

いつか、彼が英語なんかやりたくないといって、床の上にうずくまって動かなかったから、じゃあ、庭に出て木の枝を切るの手伝えといったら、その時もものすごく喜んで、嬉々として、私が切った枝を振り回していた。ところで、彼の暴力母ちゃんは、この家の周りを車で巡回して、彼の動向を探っていた。それで、塾に行って遊んだといって、家に帰ってから、ぼっこぼこにのされたらしい。木を切った日は、実は英語を20分やらせたら、1時間半やらせたときより良くできた。だから、よし君の事情を母親に行ったのだけれど、言ってもそのことの意味が理解できる母ちゃんではない。

「とんでもない。自転車なんか乗り回して、見つかったら、あんた殺されちゃうよ。」そう言ったら、 

「あ、そうだね」、と彼は納得して、とにかく「ギア」とやらの位置と扱い方を教えてくれた。

「ギアは6段階在るから、1から3ぐらいまでにしてこぐんだよ。止まっているときに動かしたら転んじゃうから、走りながら、3ぐらいにして、坂を上ったら、すぐ6に戻すんだよ。

「僕、一度それで転んで吹っ飛んで、車に轢かれたんだから。

「へー!車に轢かれてよく生きているのねえ。

「うん。僕、超人。」目を輝かして、楽しそうに、自転車のハンドルを放さない。

 

というわけで、よし君のおかげで私は自転車の「ギア」なるものがどこにあり、坂を上がるときに、まわすものだということを知った。しかし、構造的なものがわからない。彼が帰った後、自転車をしげしげ眺めた。数字を回してみて、それが自転車の構造にどう影響するのかを、見たのだけど、どうも、わからない。ハンドルに指が届かないほど、指が短いのに、坂を上がりながら、そんな操作ができるかい・・・。ぶつぶつとつぶやきながら、其れを練習してみることにした。

 

しかし、その日は、失敗だった。なにしろ、もうすでに疲れている。坂の練習には事欠かないほど、坂の多い町だけど、日中はものすごく交通量が多い。だからといって、早朝暗いうちに練習できるかというと、暗くてギアの数字なんか見えないだろう。今日、やってみたけれど、日中の、車の往来の激しい坂なんて、怖くて怖くて練習できないと悟った。しかも、不器用なのか、数字が、4までしか回らない。いくら力を入れても回らない。これって、運転しながらなら、回るのだろうか。ちょっと坂で試したけれど、回る前に後ろの車がクラクションを鳴らして追い立てるのでだめだった。 

まあ、今日は、やめておこう。これも、これからの課題だな。 

そこで、私はふと、考えた。よし君の暴力母ちゃんは彼に英検の4級を取らせたがっている。本人はまったくその気はないけれど、自転車の操作を教えてもらいながら、彼と取引しようかと考えた。

 

彼が英検の4級をとるための勉強を嫌がらないでついてくるのと引き換えに、私にこの「ギア」なるものの操作を教えろ。そういうことなら彼はきっと着いてくるだろう。実はこの計画大成功。

 

でも、おしいことをした。昔持っていた自転車を、回収業者に上げてしまった。機械というものの構造を知りたければ、誰に聞くよりも分解しながら構造を見ることなんだ。 

昔なら、いつもそういうことをやって、いろいろ覚えたのに、一緒に住む家族もいないし、どうせ自分には、自転車を乗り回す機会はないと思って、死ぬ準備として不要なものは処分し始めたあとだった。 

あれをもっていれば、少なくとも籠とか、ライトとか、白鷺号についていない部品をはずして付け替えることだってできたのに、惜しいことをした。 

その日は実は、体が休息を要求しているので、自転車散歩をやめて、自転車の構造を研究しようと思っていた。機械はものを目の前にして、いじって、壊して眺める以外に、体得する方法がないのだ。その意味で、其れが一切できないコンピューターのような機械は、どうしてもマスターできない。頭が良かろうが悪かろうが、子供であろうが老人であろうが、その気があればそうやって物事は自分のものにできるのに、せっかくの機会を逃してしまった。死ぬ準備が早すぎた。どこかに放置自転車がないかな。

 

次の日は疲労を感じて自転車散歩を休んだ。それで朝から食事もせずに、ズット寝ていて、目が覚めたんだけどなんだか不思議な夢を見た。「不思議な夢」は古代社会では一種の「啓示」と考えられるんだけど、このところ、見た夢を全部忘れてしまうことが当たり前になった私にしては「覚えている夢」は「神の声」に近い。(うそ、うそ^^)

 

夢の中で私は白鷺に乗ってエルサルバドルの街を走っていた。私は自転車で、腹をすかせた人たちに「トルティージャ」と呼ばれる主食の焼きパンをくばっていた。

 

何だよ、この夢・・・

 

但し、その日の私は胃腸が弱っていて、胃腸が弱っているときの夢は、いつも必ず、このような夢だったことを思い出した。かつて、若い頃、いつも、へんてこな夢を見ては、うなされて目を覚ました。その時エノク(夫の名前)が胃の薬をくれて、「胃腸が悪いだけだよ」といった。 

あの言葉を聴いてから、心が軽くなり、以後「啓示」を聞かなくなった。世の中の霊媒師、巫女たち、きっとみんな胃腸が弱いのだろう。 

実は、仏キリ問答(仏教キリスト教問答ね^^)を1年にわたって、例のネッ友の、私が真宗男と読んでいる男 と続けた後は、胃腸に関係なく、この手の「脳みその中の一人芝居」から遠ざかっていた。

しかし、骨粗鬆症で、骨密度が80歳だったはずの私が、気がついたときには杖を捨て、毎朝ぜいぜいしながらでも自転車を乗り回していることに気がついたとき、久しぶりに新しき「羽なし天使」としての自転車の送り主を思い出した。「必要なときに現れ、仕事が終わったら消えていく」ヤーヴェの遣い・・・ 

少し私はふふっと笑った。彼ほど、「天使」に似ていない男はなかったから。

 

(なお、「ブッキリ論争」「羽なし天使」に関しては「自伝及び中米内戦体験記」に既述)