naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

続 昔はまっていた「古事記と」いう書物をもう一度振り返る

2)「記紀神話研究から現代の世界情勢を思う2」

 

 私が記紀神話の研究を始めてから、50年近くの時がたった。本格的な研究は30代だが、趣味で研究を始めた時は、大学院を出て、英語教師になり、人生の方向転換を模索していた20代後半のころからだった。

 

 大学時代、私は自分が将来の仕事のために選んだ学部に問題を感じていた。私は昭和16年生まれ。つまり太平洋戦争勃発の年に生を受けた。9人兄弟のうち3人が他界し、昭和25年に父を失い、その後母子家庭で戦後を乗り切った家族だったから、当然兄弟全員苦学生だった。私は自分ではあまり乗り気でなかった学部英文学科を、自分の本来の望みからでなく、生きて行くためにそのほうが自分の好みを勉強するよりいいという母の忠言にしたがって、将来の仕事のために選んだのだった。

 

 私の学生時代、女性が自分の好みで将来の仕事に直結できるような学問を選ぶことなど、できなかった。将来を生き抜くために学歴をつけ、学歴をつけるだけのために、学部を選んだ。苦学生としてやった仕事は、時間的にも経済的にも効率のよい家庭教師だった。好きだからと言って古代史なんか勉強をしている女子大生に、家庭教師などの口は回ってこなかった。同時にその先、古代史で食っていけるかと言われたら、自信があるはずもなかった。

 

 そうやって、周りの大人たちの強力な意見によって英文学をおさめたことに、いくらなんでも私は疑問を感じ、悩んでいたら、それを知った学長が好意で授業料免除で大学院に進ませてもらうことができて、付属のインターナショナルスクールの講師をやりながら国文学を修めることができた。ほんとうはやりたかった古代史は、このときさえ、選ぶに躊躇する程、マイナーな学問だった。

 

 ところで、そのインターナショナルスクールで教えた学科は、その時まだ免状も何も持っていない国語と日本史だった。好きだったから個人的に勉強をしていたにすぎないのだけど、アルバイトの講師だったから、それが通じたのだ。ただし、インターナショナルスクールの生徒との交流は、こちらも多くを学ぶことができて、面白かった。

 

 それから卒業して、私はとある私立高校の英語教師となった。英語教師の口が、面接して合格した唯一の職場だったから。

 

 ところで、私の学生時代は、安保闘争の時代である。さまざまな理由から、私は国際紛争の原点に興味を持ち、紛争の根っこを探ろうと、本を漁り読んだ。私は政治家に踊らされたり、指導者に踊らされたり、ちんどん屋みたいに先導者の言葉にただついて行って騒ぐ、そういうタイプではなかったから、「教えられていないこと」を自分で探ろうと思ったのだ。ベトナム反戦運動には、自ら単身で身を投じた。所属していた学校の関係で、ただ一人の仲間もなく、自分の行動を知っている仲間もなかった。

 

 なにしろ、行為で月謝免除で大学院まで通わせてくれた大学の学長はアメリカ人の修道女で、ベトナム反戦運動は、反米運動に他ならないから、知らせるわけにいかなかった。

 

 そういう状況の中で、私は学校で教えられる「正史」に疑問を持ち、「知らされていない歴史」を本気で研究しはじめたのだった。私は余暇を利用しては、古代史の本を紐解いて自由な思いを巡らしていた。いわば、古代史研究は「趣味」であり、「運命」と言ってもいい。

 

 問題を「記紀」に焦点を当てて、研究し始めたのは、学問的な理由よりも、むしろ、情緒的な理由であった。読む本は勢い「裏歴史」「私伝」「秘伝」の類ばかりだった。ある時ふと、古代における「日朝関係」研究の日本側の主張ばかりでなく、朝鮮側に立った主張を調べてみようと思った。そこで出会ったのが北朝鮮の金錫亨氏と韓国の江上波夫氏である。

 

 江上波夫氏の「騎馬民族王朝征服説」は、当時の私には目から鱗だったが、金氏の説を読んだ時に感じた想いは、説の真偽そのものよりも、彼の民族としての古代から近現代にいたるまでの日朝関係の歴史を背負った「心の傷」の深さであった。

 

 27歳の時、私はある公用語が英語の国際的宗教団体(修道院)に所属すると言う経験を得た。同期の仲間にフィリピン人2人と韓国人2人がいた。日本で集まった集団にもかかわらず、彼女たちは日本語は学ぶ必要ないといって、決して日本語を覚えようとしなかった。全員20代で若かったから、たとえ、宗教を仲介とした集団とは言え、日常的な問題で、いさかいになることがあった。

 

 その時彼女たちは、口癖のように、「日本軍が私たちに何をしたか、わかっているのか」と迫ってきた。それはお皿の洗い方がどうのという、まるで「日本軍」とは無関係の話題でさえ、でてくる抗議の言葉だった。祖母は日本軍に殺された、日本軍が私の祖国から言葉を奪った。

 

 私だって日本人として頭に来たから抗弁した。

 

 じゃあ、なんであなたたちは英語を話すのか。英語はあなた達の祖国の言葉か。私は日韓併合のとき生まれてもいなかったし、父は画家で虚弱だったから、軍隊にも合格せず、戦乱で焼け残った廃屋みたいな家で1950年に餓死したけれど、私がどういう理由であなたの祖母の死に責任を持たねばならぬと、あなたは考えるのか。だいたい、皿洗いと太平洋戦争とどういう関係があるのか⁈

 

 同じ宗教を基軸に集まった「修道院」という国際的集団のなかで、私たちは毛を逆立てて日常的にこのような不毛の会話をしていた。