naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「古事記」における国名ヤマトの漢字表記について;3

★「耶馬台と倭、大和の関係」

 

戦後の歴史学者のひとつの傾向と、その事実に対する批判の試み
    
 私は敗戦後の歴史学者の“耶馬台”や“大和”に関する研究をあまた読んだけれども、“耶馬台”と“大和”を結びつけたり、天照大神や、現代史学会でその存在を否定された神武から開化までの9帝を、歴史研究の対象にしたりすると、現代のリベラルな歴史学者から皇国史観保持者として敬遠または嘲笑される傾向にあるらしいことを発見した。

 

 少し古いけれど、昭和49年の“伝統と現代”3月号に“耶馬台国論争”という佐伯有清氏の文章があって、その中の“卑弥呼とは誰か”という項目の中に、次のような文が載っている。(なお、昭和49年は筆者がこの研究をはじめて2年目のことであり、この研究の執筆をはじめたのは、この4年後、外国においてである。)

 

(A)“卑弥呼天照大神説のうちには二つの傾向があって、その一つは卑弥呼の事跡が天照大神の神話の中に投影されており、卑弥呼に基づいて天照大神という日の神が作られたというのである。他のひとつはそのものずばり、卑弥呼は天照大神に比定できるとするものである。此の説をとる最近の代表的研究者は安本美典氏である。前者は天照大神非実在論、後者は天照大神実在論であるが、

 

(イ)邪馬台国を九州に置くか、近畿地方の大和にするかを問わず、そこにはともに邪馬台国と大和朝廷とを何とか結び付けたいという考え方が、意識するにせよ無意識にせよ働いているといわなければならない。


 こうした立場をとるものが、今日かなり多くなってきていることは注目すべきである。邪馬台国九州説を取るものの間にも、

(ロ)大和朝廷とのつながりをどのように解いたらいいかこだわるあまり、天照大神さえ持ち出さなければ落ち着けない状況は、われわれがいまだに‘天皇制’の呪縛から完全に解き放たれていない証拠というべきか。

  

 また、同誌記載の水野祐氏の論文、“女王国、狗奴国、倭政権”には、“邪馬台”と“大和”が関係ないことを証する文章として、次のように書かれている。

 

(B)(ハ)“卑弥呼や女王国について、日本の伝承の中にそれらが全然姿を現していないし、

 

また古代の大和の人々の間に卑弥呼や女王国など、中国資料に記載されている事実についての認識が全く持たれていなかった事は、既に「日本書紀」の編纂の時点において、中央の史家や、官僚貴族の間においてすら、全く心当たりがなかったことが明らかである。すなわち「日本書紀」は卑弥呼に該当する人物が伝承に全くないことから、中国正史に明記されている卑弥呼や、女王国などの、日本史の中への位置付けに苦慮したらしく、ついに神宮皇后が卑弥呼であるように配慮しながらも、確信がないからそうとは断定を下せず、「魏書」の卑弥呼についての記載を註記し、暗に神宮皇后が卑弥呼である様に年代を合わせた。”

  

“「日本書紀」編纂の時点において、卑弥呼や女王国などについての伝承は、日本の伝承には皆無であり、少なくとも大和の古代人の間にはそれが存在しなかったし、また「古事記」や「日本書紀」の編纂に関与し、またはそれらの伝承の中に姿を現している、帰化系氏族をも含めて、多くの氏族らの伝承悉くに、卑弥呼や女王国にまつわる伝承が皆無であったのであるから、このことだけから推しても、

(ニ)いわゆる大和説などは、古代にあってすらすでに存在しなかったことが明らかであるから、大和説が承認されないのは当然である。” 

 

 次に引用するのは、井上光貞氏の「神話から歴史へ」の中の「なぞの世紀」に記述されている「実在しない八帝」という項目の中からの引用文である。

 

(C)“…略…これは津田氏(津田左右吉氏)がすでにほのめかし、同じ早稲田大学の水野祐氏が詳しく研究したところだが、この八代の天皇の名は、はなはだしく

 

(ホ)後世的

である。たとえばこのなかには、大倭根子、大倭帯日子、大倭根子日子、若倭根子日子などの(へ)美称 を含んだ名が5つあるが、これは271ページの表でもわかるように、4,5世紀の應神(十五代)を品陀和気、仁徳(十六代)を大雀、履中(十七代)を伊邪本和気などというのとは異なり、かえって7,8世紀に天皇に奉った(ト)国風諱号 である大倭根子天之広野日女(持統)、大倭根子豊祖父(文武)、日本根子天津御代豊国成姫(元明)、日本根子高瑞浄足姫(元正)などと著しく類似している。これはすくなくとも、

 

(チ)この5人の天皇の名の美称の部分が、記紀の成立するころ(8世紀のはじめ)に作られたものであることをほぼ確実に示している。”

 

“この八代についてもうひとつおかしいのは、それぞれの天皇はみな父子の関係にあるということである。ところが皇室の系譜としてほぼ確かな

(リ)應神以後では、7世紀に至るまでの皇位の継承は極めて複雑で、父子継承などというような単純なものではなかった。 

 

…中略…それは兄弟が次々と位を継ぐという傍系相続の原則と、次の世代では嫡長子たる大兄の子が優先権を持つという原則との二つの原則に立つ皇位継承法である。…中略…これが5世紀以後の現実であったとしたら、神武天皇に続く八代がまったく異なる父子相続であることは、単に異質であるばかりでなく、

(ヌ)歴史の逆行ではあるまいか

 

 私はだから、この八代を父子継承でつないだこともまた、事実の伝えなどではなくて、皇位継承法が中国の相続法の影響を受けて変化した7世紀に設定したものではないかと疑うものである。

 

 明らかに神話上の人物である神武天皇の跡の八代は、日本の民族が文字や暦を持つ文明の段階に達した後、その王名表である帝紀の中に、架空に作り上げた天皇群ではなかったろうか。”

 

(下線は筆者)以下説明。

 

 アマテラスとスサノヲの争いの伝承には、“天孫族”、“出雲族”という名で歴史家に呼ばれている両部族の争いの歴史、そして後者の前者に対する帰属の過程の歴史が反映しているという説は私の説ではない。この点についてはほとんど、通説になっているから、いちいち此の説を説く歴史家の名を挙げなくてもいいだろう。

 

 そして“天照大神”と命名された“神”なるものは、別名“オホヒルメ”と呼ばれる上代にふさわしい、もっと人間的な名前を持っていることは、「日本書紀」に記されているから異論を唱える余地はない。そしてこの“アマテラス”と“オホヒルメ”の関係は、既出の「神話から歴史へ」(井上光貞氏著)の中で、当の井上光貞氏自身によって“天照大神”は日神であると同時に太陽を祭る巫女の性格を持っていたと説明がなされている。

 

 ところが、私がどの歴史家の説明を読んでも不思議に思うのは、この天照大神の“歴史的説明”は、いつもここでストップしてしまい、スサノヲとの争いの実際的“歴史的”説明はなされないで、扱いが突然“民俗学的”になってしまい、神話の分布や、神話の発祥地の追求に走って、アマテラスは日神としてのみ、スサノヲは雷神としてのみ扱われるようになることである。

 

 実在していないものが、“太陽を祭る巫女”の役割を持っているのはなぜだろう。実在した両民族の争いはどう考えても歴史的事象であるのに、日神や雷神という存在しないものの争いに摩り替わるのはなぜだろう。

 

 この二民族の争いが、民族の興亡をかけた争いだなどと、極めて“歴史的”扱いができるなら、突然、日の神や雷が争ったなどという話に切り替えるのは、不自然であり、非科学的である。アマテラスが、その名が示すとおり、日の神として祭られた神であるということは納得できる。ところがこの“神”は、伝承によると“神”らしき行動はまったくしていない。

 

 アマテラス伝承によると、この女性は、弟のスサノヲがやってきたのを見て、スワ!国をのっとられるかと、青くなって武装はするわ、賭け事はするわ、ふてくされて岩戸の中に逃げ込むわ、外が騒がしいと、何だろうと好奇心を発揮してそおっと、覗いたりする人間である。ものすごく女っぽい人間である。

 

 これが日神として何を意味するかというと、突然日食神話が出てくる。太陽が隠れて闇になることを、古代の人が擬人化したという説明である。では、雷にされたスサノヲは、どう説明がつくのだろう。雷は日食のとき必ず鳴ったりする訳ではあるまい。2民族の戦いはどこに行った?

 

 伝承を見る限り、アマテラスは女性の性格丸出しのオホヒルメであって、神でも、太陽でもない。仲の悪い暴れんぼうの弟と対決して、あまり威厳を保っているとはいえない人間であり、女性である。

 

 スサノヲも神だそうだけど、これも神らしい性格を持っていない。多分神の意味が現代人の観念にあるものと大きく食い違っていると考えるほうがよさそうである。彼は乱暴ものでおお暴れして、村の決まりを破ったり、村の共同体に散々迷惑かける反社会児として記述されている。最後に刑罰を受けて追放され、別の地方の族長としてアマテラスの支配の元に別の国を任される。これがどうして突然雷神になるのか、このつじつまの合わせ方に非科学的な飛躍がある。

 

 この二人の伝承に“史実の反映”があることを、誰も否定しない。しかしその“反映”とは何だろう。“史実”があるから“反映”するのであって、実体がなければ、“映”ったりしない。オホヒルメとスサノヲの争いが史実の反映であるなら、この二人は“歴史的個人”であろう。“なんとなく反映”なんていうことはありえない。

 

 この二人が、一方に日神雷神という要素を持ち、もう一方に2民族の興亡をかけた争いという歴史的要素を持つならば、前者だけを研究対象とするのは方手落ちというものである。この二人の歴史的要素を研究することと、“天皇制の呪縛”とは何の関係もないことである。

 

 一 方中国側の正史における“邪馬台国の卑弥呼”の記事は、まったく異国の神話などを書く必要のない立場にある中国の、史実に基づいた記事であって、これがたとえ、“幻の国”と呼ばれようとも史実であることを疑う人はあまりいない。そしてこの国がどこに位置していようと、日本の国土にあったことは事実であろうし、邪馬台国時代の日本が、たとえ“百余国”にわかれていたとしても、中国に朝貢するくらいだからその中で最もぬきんでた国が邪馬台国であって、当時の日本国土の代表であったことは、十分理解できることである。

 

 その時代からたかが2,3世紀も経っていない間に、今度ははっきりと位置がわかるところに“邪馬台国”と発音の非常によく似た、うっかりすると同じ発音になってしまうかもしれない国家、その名も“ヤマト”という国が日本の代表的な国家として史上に現れた。そしてその国家は変な建国神話を持っていて、その最高神は女性であり、しかも神としての要素と同時に人間、つまり、巫女としての要素も濃厚である。おまけにこの神話は九州産で、かの有名な邪馬台国の位置を示した「魏志」の示す方向とあまり変わらない「日向」にその故郷がある。神話では日向から大和に引っ越したことになっていて、その記述も非常に生き生きとしているのだ。

 

 在野の研究家の私には、この一方は神話で、一方は史実である、日本と中国の文献にあるこの二つの国を、どうして関連付けて考えてはいけないのかわからない。私はこの二つの国が結びつくと断定しているわけではない。大和朝廷と卑弥呼は一心同体であるとも言っていない。

 

 ただ、両書を比較してみると、次のことは注目に値する記述であると判断できるのではないかと思う。

 

 天照大神は女性であり、卑弥呼も女性である。

 アマテラスの国は“太占(ふとまに)”によって収まっていた国であり、卑弥呼の国は“鬼道”によって収まっていた国である。

 アマテラスの国は日向から開け、卑弥呼の国は「魏志」の方位に従えば、というより「魏志」の方位の解釈のひとつに従えば、九州のほぼ中央にあたっている。

 両方とも軍事で収まった国ではなくて、祭事で収まった国である。アマテラスには弟がいて、国の秩序を乱して国外追放になったりしている。

 卑弥呼にも弟がいて、卑弥呼に仕え、男王を立てると国が乱れ、女王を立てるとまとまるという国なのだ。