naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

「古事記」における国名ヤマトの漢字表記について;6

★系図からの検証(2)

 

 このことを確認するために、これも“命”の項と重複になるが、比較の対象になっている継体朝以後、元正帝までの諡号を別表で見ていきたい。

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 上記別表を見てわかるとおり、特に継体朝以後二七代から四四代までの天皇につけられた“上代の天皇の名によく似た”“諡号”は皇位継承者のみについており、傍系には類似した名前を持っているものはまったく一人も見当たらない。似たような実名はおろか、“諡号”をもらった傍系は一人もいない。

 

 もし上代の八代の名前を“諡号”であると考えるならば,上代においては傍系にも反逆者にも等しく“諡号”を与えたのだと考えなければ筋がとおらないし,全家族に、皇位や皇位継承者の直接の生みの親とか,身分の上下無関係の女性にまで“諡号”を与えるということはまず考えられない。同時に全家族に渡って、その名前を後世になってから創作したと考えるのも不自然ではないかと思う。

 

 これらのことから私は現代の歴史学者からその存在を否定された上代の八帝の名を,後世において考案された創造の産物でなくて“実名”として口承によって伝承された人物の名前であると考え,実名として伝承されたからには、少なくともその伝承には,根拠があると考えるのである。 

 

 そしてこの実名の傾向からさらに細かく分類して見ると,第二十七代安閑帝からつけられている諡号群が、特に四十一代から四十四代にあたるところが,上代の一代から九代までの実名に対応している。そして、この表では神代を除外したので明確ではないので、系図1を見てみよう。

 

 これによると,三十四代から四十一代にあたるところは,ニニギの尊以前の高天原時代の神々の名と対応しているのである。そして注意して、特に,三十一,三十二,三十三代の用明,崇峻,推古帝の諡号を見てみると、この上記の八代に見られる一致して神代的な名前から外れており,これが何を示すかを考えれば,安閑帝以下の諡号がいかに統一されているかがわかるであろう。

 

 説明を加えれば,まず、崇峻は諡号そのものをもらっていない。これは欽明帝の庶出の皇子であり,即位まもなく蘇我氏によって殺された帝であり,さらに、史書編纂にあったった天武天皇の系列から見ると傍系にあたる。何とか「橘豊日尊」という諡号をもらった用明帝は,「豐御食炊屋姫尊」という奇妙な諡号をもらった推古帝と同母兄妹であるが,崇峻と同様庶出である。

 

 そして,この二人によって、皇位継承が自分たちの系統から遠のくことになって,危うく皇位を奪い取ったのが,敏達の直系舒明であって,この舒明の即位なくしては,天智天皇も天武天皇も皇位につけなかったという関係がある。

 

 だから、たとえば推古帝に与えられた諡号は,豐御食炊屋姫尊(トヨミケカシキヤ姫)、つまり、大ぐらいの炊事女という意味だが、これは神代的どころか,かなり侮蔑を含んだ名前であって、天智天武の直系の皇位継承者が持っている統一した神代的諡号からはかなりかけ離れた意味を持っている。諡号に一族の思いが込められているよい例である。 

 

 このそれまでになく統一された諡号が何を意味するかということは、すでに命の考察でも述べたが,持統天皇の皇子、草壁の皇子を中心に草壁の皇子をニニギの尊に比定して,その前後に神代的名,つまり、ヤマトネコ系上代の人名を当てたのだと考えられるのだ。

 

 そしてこの草壁の皇子を中心に異様に計算され、建国神話の上代の名前に統一された諡号があらわすものは,継体朝に始まるこの王朝がヤマトとは無関係の新しい王朝でありながら,ヤマトとの関係を異常なほど意識せねばならなかった,ヤマトの名に頼らなければ安定を保てないほど,土台の不安定な王朝であったとも考えられる。またはこの王朝は,継体朝に創始された新しい王朝であるという自覚の元に,一族の皇位継承者に,建国神話の登場人物にあやかった諡号を贈ったとも考えられる。

 

 いずれにしても私がここから導き出すことのできる結論は、

上代八帝の実名と後世の大和朝廷の皇位継承者の諡号の類似は、後世になって記紀編纂の執筆者によって創作されたのではなくて、後世の記紀編纂の執筆者のほうが、上代を模倣したということだ。その理由は、後世創作説を採るときは、以下の疑問にどのように納得できる答えを出すかが問題になってくるからだ。

 

 ①上代の八帝の名が、後世の創作によるというのなら、類似する一族のすべての名も創作によらなければならないが、その必然性は何か。またそのようなことは可能か。

 

 ②持統天皇は、井上氏の指摘する大倭根子天之広野姫尊(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)という諡号をもっているが、大倭根子天之広野姫が後世的な名で傍線(チ)にあるように、この名前に基づいて上代の八帝の名が作られたのなら、何故に傍系の史上何も活躍していないものにまで、この神聖を強調した名を創作せねばならなかったか。

 

 ③上述の②に関連して、この諡号以外に持統天皇は高天原広野姫(たかまがはらひろのひめ)という諡号ももっているが、此の説に従えば高天原も後世の言葉ということになり、神話言語の大部分が、つまり、アメ、トヨ、ミコト等の言葉も後世の創作ということになるが、その必然性はあるのか。

 

 ④なお、創作者はなぜ自分たちの言語を用いて命名をせずに、自分の一族とまったく関連性のない言葉を用い、関連性のない人名を創作したのか。万世一系を主張したければ、自分の一族の伝統的な名前を用いて、八帝でも、十帝でも、好きなだけ創作するほうが効果的ではないのか。

 

 ⑤問題の持統天皇以後元正天皇までの諡号が出揃うのは、元正上皇の崩御する748年であり、史書の編纂は681年から始まっている。記紀の根幹を成す神話と、それに続く上代の記録が書かれるのは、これらの諡号が出揃って、創作可能になってからでないとつじつまが合わないが、これをどのように説明するのか。

 

 ⑥もし、諡号が出揃ってから創作したのではないのなら、上代の伝説を創作してから、創作した名にあやかって、諡号をつけたことになる。何もないところから創作して、その名にあやかって諡号をつけるための必然性は何か。