naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

認知機能障害(3)

「日常ってなんだろう」

 朝7時に目が覚めた。多分、夜中何回も目が覚めていただろう。その記憶はない。私は80年間生きたから、その間「日常的に」起こしていた行動は、いかにも自然にこなしているように家族には「見える」。

 

 トイレに行く、ごみの袋を持って行けるように準備する、朝食を作る、食器を洗う、そしてpcに向かっても何もできない。頭に何もわかない、いろいろな文字が見える、文字に反応する、それらがいかにも変化がないように他人には見えるだろう。

 

 だから家族は私が認知機能障害の診断を受けたことを、なにも病状がないのに医者の金儲けの道具にされたという。そうやって、家族は病人を放置する。世の中に、認知症の診断を受けながら、自分はまだ運転ができると言って、車の運転をして商店街に突っ込んだり、人をはねたりしているというニュースがある。

 

 それは家族が、「当たり前に生きているように見える」「医者から認知症という宣告を受けた」家族を「認知症」という障碍者だと認識しないから起きることだ。はたから見てなにも「変化」が見られないこの手の患者は実は自分でも障害があるという認識がない。「トイレに行き、ごみを集め、食事の支度をして日常をこなしているのに、病気だとか言って怠けるな」とむしろ風あたりが強くなる。

 

 私は自分の変化を自分で知っている。相手の言っていることを理解するまでかなりの時間がかかり、「知っている言葉」に対して何を言っているのか、どう答えるべきなのか理解できないから、理解するまで相手の顔を見ている。それが「バカにされている」と映るらしい。

 

 そして激しく怒る。こちらも相手の怒りに反応する。障碍者とは、手足が機能しなかったり、目が見えなかったり、障碍者手帳を持っていたり、「目」に見えて普通とは違う異常が分かるはずだと、世間一般は考える。

 

 認知機能障害には、外側の変化が顕著ではない。本人にもわからないから、他人にわかるわけがない。

 

 そういう状況に、私はいる。