naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

認知機能障害(4)

「献体という選択肢」

 私の脳みそがだんだん物事を把握しなくなっていて、本人の努力や医学の薬で食い止められるものじゃないと聞いて、じゃあ、どうやって生きようかと考えていたら、fbの友人が「献体」という考えもあるよ、と教えてくれた。

 

 なんでもね、死んだら脳みそをなんとかいう医療機関に送るという手続きをしておいたら、死んでからその脳みそ使ってくれるんだそうだ。別の病気に治療のため、大量の脳みそが必要なんだって。

 

 死んでも使い物になるなら、どうせ土葬じゃなくて焼くんだから、もったいないから使ってもらおうと、その考え聞いて、少し元気になった。元気ったって、「痛み」がなくなるわけじゃないけどね。

 

 で、その「痛み」ってのは、認知症とも、脳みその故障とも無関係な左肩から腕にかけての痛み。ある明け方、起き上がろうとしたら、突然襲った左肩の痛みのため、ギャッと叫んでもう一度伏せた。でも、私はいつも右を下にして寝るから、左にこんな激痛が走る理由がなかった。触ったわけでも押したわけでもない、ギャッと叫ぶような激痛。以後数か月、痛みは全く治らない。医者に行っても、週2回通っているリハビリ教室のマッサージの先生に聞いても、また、マッサージしてもらっても、全くその痛みは治らない。

 

 以後、私はいつも、右手で左肩を抑えて行動した。その姿勢のせいか、腕は左、以前から痛かった股関節は右という形で、体をひねって歩いたため、認知機能がどうのじゃなくて、歩くことそのものが苦痛になってきた。

 

 うじうじとそういうことをfbに投稿したら、かつてあるコミュニテイーで一緒に暮らしたことのある友人が、脳みそ、献体したらどうかと言ってきた。で、その友人の名前、「ねこちゃん」としか覚えていないけど、自分もご主人も、脳みそ献体登録しているそうな。

 

 そりゃいいな、と私は飛びついた。生きていても大して機能しなくなったこの脳みそにも、死んでから価値が出るもんなら、私も使ってもらおうと、すごくうれしくなった。まあね、もう生きていたって、誰かに貢献できる状況じゃなくなった今日このごろ、死んでから使い物になるんなら、使ってもらおうじゃないの。ね!