naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

認知機能障害(5)

「エルサルバドル人と日本人の、たぶん習慣の違い」

 

 私は知っているはずの道に迷ったり、記憶が異常だったりすることが重なって、認知機能障害、記憶障害で、つまりアルツと正式に医者の診断を受けた。

 

 ところで、昨日、今年最後のリハビリに行ってその送迎

車の中から、外の景色を眺めて思った。前日までクリスマスムードで金ぴかしていた町が、今日はいきなり厳粛ムードの門松に代わり、町が本来の「日本」に戻っていて、まるで、あの軽薄極まりない金ぴかムードが消えたのが、まさに一晩の変化だという「不思議」。

 

 あのね、これエルサルバドルという国に8年暮らした私にしか見えないことかもしれないけれど、この金ぴかから静粛ムードへの変化は、「不思議」というより「異常」だということ。

 

 私は、わが日本国の医療機関の内科医から、正式に認知機能障害、つまりアルツと診断されたの。

 

 その私が言うんだけど、私は日本で育って過去に身に着けた生活習慣は、現在の記憶力とは別次元で、身について離れないから、時間は守るし、汚れたものはきれいに処置する習慣は消えていません。現在の新しい状況の中で、物忘れは激しくて、他人の言うことすぐに理解できないから反応は鈍くて、あほみたいな顔で相手を見ていて、気持ち悪がられるので、医者のいうこと正しいと思うけれどね、そんなごつったら、エルサルバドル人、国民を上げてみんな認知症よ。

 

 そもそもね、エルサルバドル人に、「記憶する」とか「時間を守る」とか「後片付けをする」とか、日本人が生活上、当たり前だと考えていること、日常生活の中で、全く全然金輪際、どこにも片りんもないです。

 

 日本に来たエルサルバドル人が、「日本人てなんで時間を1秒遅れただけであんなに神経質になるんだろう」「日本中にどこの町でも建物でも、時計が『飾ってあるけど』あれはなんかの宗教だろうか」などと不思議がっていて、そういう自分も、意味不明の腕時計つけてんの。町が一晩でクリスマスの金ぴかムードから影も形も「ゴミ」もなく静粛メードに変化して、しめ縄とか松飾に変化するなんて、やっぱり「なんかの宗教」です。

 

 エルサルバドルのクリスマスの後や、大みそかの朝の町なんて、ごみ以外の何物もなく、散歩する気にもなれません。だいたい、公共の場に「ゴミ箱」なんてないですからね。ぽいぽいひょいひょい好きな時に好きなところで無意識に捨てるのが、「あたりまえ」です。

 

 ということは、もしエルサルバドル人が「認知症」になったら、たぶん症状が出て、急に時間にうるさくなったり、ごみ箱を探し回ったりするのかもしれません。「認知機能障害」というのは、「当たり前のこと」ができなくなることですからね。私にとっては、エルサル人と結婚したために、いつの間にかエルサル化してしまっただけで、病気じゃないかもしれない。とか何とか云っちゃった。

(この文章読むエルサルバドル人はいないと思うので、抗議されないと思うけれど、スペイン語に翻訳しないでね)