naisentaiken’s diary

エルサルバドル内戦体験記

強いという言葉

私はよく、「強い」と言われる。これほど迷惑で、不愉快な言葉はない。

しかもそういう事を言うやつは、無神経で無感動で、鬼のごとく強い奴で、何が起きても生き残り、神経の弱い人間を常食とし、常識で武装し、何も考えずに付和雷同で世の中の波をかいくぐり、きれいごとが好きで、あたしは曲がったことは嫌いですなどと言いながら、やたらに自信を持って、仲間がやっていることはなにかと左右を見て自分の立場を決め、共通のターゲットになった他人を裁くやつである。

だいたい、付和雷同型ほど、「強い」人間はいない。信念なんかないから攻撃される心配もなく、誰かが攻撃されていると見るや、一緒に攻撃側に加わればいいだけだから、「応戦する」などという立場には生涯立たされる心配はない。いつも、「そうだそうだ」と言ってさえいれば、敵を作る心配もない。

無神経や、鈍感ほど強いものはない。何も感じないのだから傷つくことなどなく、相手の傷を感じることもなく、想像力もないから「平和」で居られる。

常識というものは、真実の隠れ蓑としては、社会で生きていくために必要不可欠なものではあるけれども、常識は常に「真実」ではありえない。「真実」に恐怖を感じる強い鬼たちは、常に常識を盾にとって、常識こそ何にも劣らぬ真実であると、主張する。彼らは常識を信じているから、常識を神棚に置くのではなく、常識が社会の99%を守る隠れ蓑だから、神棚に置くのである。

私はそんな連中に「強い」などと言われたくない。「強い」とは常識という偶像を神とする連中のことである。

うるせー。黙れ